第56話 過労〈かろう〉

 政幸まさゆきは以前にも増して仕事に取り組んでいた。

 わずか数か月の間に政幸まさゆきへの長きに渡った批判的な評価や噂はたちどころに無くなっていた。

 役員である美春みはると旧知の中でその関係に取り入ろうとする社員もいる中、そういったしたたかな連中を見極めその関係も絶っていた。

 その行為がますます政幸まさゆきの評判を良くしていた。

 人を見る目があり、私欲を満たそうとしない、更には公平で、勤務態度も真摯に取り組む。

 まさに社内に埋もれていた存在であり政幸まさゆき自身が改善するべき人事への証明となっていた。

 それを見出した役員である美春みはるの評価も大きく変化していた。

 上層部は美春みはるの事を単なる期間限定の役員としか見ていなかった。

 自分達は外部の人間を取り入れ会社の改善に努力しているといった建前だけの存在だった。

 だが上層部は美春みはるは無視できない存在になっていた。

 不景気の中での会社の改善は必要であり、美春みはるの動きにはそれを可能とする根拠もあった。

 今まで会社改善が出来なかったのは、何かを変える事により失敗するリスクを恐れていたのだ。

 誰もそのリスクを恐れ変えてこれなかった。

 だが美春みはるはリスクを全く恐れていない。

 リスクマネジメントを想定し変化する事による利益と不利益を想定しプラスになる物は全て改善させる項目としていた。

 変える事による利益、不利益、効果、投資額、変えた事による純利益など、事細かく記載された報告書が常に上層部へと報告されていた。


 プロジェクト参加の社員達も士気はかなり高かった。

 社員を救う事に対する情熱も冷めてはいない。

 自分達が会社を変える、この意識はやりがいとなっている。

 当然である、今までは考えも及ばなかった事だ。

 会社を変えるなんて口にするのもおこがましい。

 だがこのプロジェクトはそれを可能にする。

 参加者には今まで出来なかった事が可能になった事でさらにやる気を向上していた。


 政幸まさゆきもその考えを持つ一人だった。

 政幸まさゆきには自らが築き上げた家族は居ないが支えてくれる茉莉まつりが居る。

 茉莉まつりは相変わらず政幸まさゆきの仕事を理解し政幸まさゆきを支えてくれる。

 だから人一倍政幸まさゆきは働くことが出来た。

 政幸まさゆきは若い頃の自分の様に精力的に仕事を行っていた。

 だが一点、見落としてはならない事を見落としていた。

 政幸まさゆきは若くなかったのである。

 若い頃は無理がきいたが、現在は昔のようにはいかない。

 茉莉まつりがいくら献身的に政幸まさゆきを支えてくれていようと、限界値は若い頃とは違い相当低くなっている。

 政幸まさゆきは突如意識がなくなり倒れこんでいた。





 夢をみていた。

 花桜梨かおりの夢だ・・・。

 入院している花桜梨かおりの夢だ・・・。

 夢の中の花桜梨かおりは見る見るうちに痩せ細っていく・・・。

 そして死の直前の花桜梨かおりの姿になっていた・・・。

 もうすぐ花桜梨かおりは逝ってしまう・・・。

 夢とは解っていた為、必死で目覚めようとしたが目が覚めない・・・。

 もう二度と花桜梨かおりの死は経験したくないのに・・・。

 夢とはいえ、また花桜梨かおりの死を味あわなければならないのか?

 ひどい夢だ・・・。


 諦めかけていた政幸まさゆき・・・。

 夢の中で声が聞こえる・・・。

 何だろうか?

 自分の体が揺れている?


「・・・じさん・・・おじさん!」


 誰の声だ?


 政幸まさゆきは目を覚ましていた。


 目を開けると政幸まさゆきの眼前には、元気な時の花桜梨かおりの姿が見えた・・・。

 その瞳は大量の涙で溢れかえっていた。

 政幸まさゆきが目覚めた事に気付いた花桜梨かおり政幸まさゆきに体を預ける様に堰を切った様に声を上げて泣き出していた。

 花桜梨かおりの泣き顔を見ていると自身まで辛くなっていく。


「泣かないで・・・君の辛そうな顔は見たくないよ・・・。」


 政幸まさゆき花桜梨かおりにやさしく声をかけ、落ち着くように花桜梨かおりの髪を何度も何度も撫でていた。


「泣き止んでよ・・・君に涙は似合わないよ・・・。」


 少々キザな台詞だったが、政幸まさゆき花桜梨かおりに対しての素直な気持ちでもあった。


「うん・・・でもこれは嬉し涙だからね・・・。」


 花桜梨かおり政幸まさゆきが目覚めた事を喜んでくれているのだろう。

 そう思うと、嬉しいような、気恥ずかしいような複雑な気分となっていた。


「でも良かった! おじさん二度と目を覚まさないかと思っちゃった!」


 花桜梨かおりの発言に違和感を感じた・・・。


(おじさん? おじさんって何だ!?)


 花桜梨かおりだと思い込んでいた女性は茉莉まつりだったのだ。

 政幸まさゆきプレゼントしたピアスが耳朶に見受けられる。

 花桜梨かおりの夢を見たせいか、目覚めても茉莉まつり花桜梨かおりだと思い込んでいた。

 しかしそれはある意味仕方がなかった、茉莉まつりはあまりにも生前の花桜梨かおりに似すぎていたからである。


 茉莉まつりを生前の花桜梨かおり扱いし何かやらかしてしまったのではと動揺する政幸まさゆき・・・。


「はいはい、騒ぐのはおよしなさい、ここは病院よ?」

下野しものさんも離れいあげなさい、矢野やの君も動揺してるから・・・。」


 美春みはるは呆れる様に政幸まさゆき達を見ていた。


「まさか、病院でラブシーンを見せつけられるとは思わなかったわ。」


 政幸まさゆきは血の気が引く思いだった。


「俺・・・何やらかしたんですか?・・・」


 真っ青になった政幸まさゆきをみて美春みはるは苦笑していた。


「貴方は過労で倒れてここ病院に搬送されたの、仕事に根を詰めすぎたのね・・・。」


 政幸まさゆきの聞きたい事はそんな事ではなかった。

 政幸まさゆきの表情を見てそれを理解した美春みはるは再び呆れる様な顔付をした。


「貴方が目を覚ましたら、目を覚ましたことに気付いた下野しものさんが貴方に抱き着いたのよね・・・。」

「貴方は下野しものさんの髪をやさしく撫で初めて何か言ってたわね・・・。」

「何て言ってたかしら・・・そう『泣き止んでよ・・・君に涙は似合わないよ・・・。』だったかしら?」


 美春みはるは芝居がかった様に政幸まさゆきの台詞を演じた。


「すみません・・・もういいです・・・聞きたくないです・・・。」


 政幸まさゆきは恥ずかしさのあまり赤面状態だった。



「まあいいわ、倒れるまで仕事をするのはものすごい事だと思うけど、私の考えとしては落第点ね。」

「今、貴方が携わっているプロジェクトは誰のためのプロジェクトなの?」


 美春みはるの問いかけに返す言葉は一つである。


「社員の為のプロジェクトです。」


 美春みはるは満足げな顔つきとなった。


「そう、その通りです、そして貴方もその社員の一人です。」

「社員の為のプロジェクトで別の社員が犠牲になった上での結果なんて許されません。」

「この意味解るわよね?」


 政幸まさゆきは小さく頷いた。


「目覚めたのだから明日には退院できると思うけど、貴方には一週間の休暇を与えます。」

「一週間ゆっくりしてください。」

「会社に出勤する以外は何をやってもらっても構いません。」


 政幸まさゆきは反論しようと思ったが、美春みはるはそれを制止した。


「貴方の言いたい事は解るわ。」

「だけど、この様な判断をした事には意味があります。」

「貴方には解るわね?」


 正直、意味など解っていなかった。

 だが美春みはるの事だ何らかの意図があるに違いない。


「貴方はこのプロジェクトに無くてはならない存在です。」

「貴方が抜ける一週間はとても大変な一週間になると思います。」

「そして貴方も一週間も休むなんて気が気じゃないでしょう。」

「だから貴方にはプレゼントを用意してます。」


 美春みはるは一台のノートPCを政幸まさゆきに手渡した。


「このPCでプロジェクトの進行状態が解ります、使い方が解らないなら小山田おやまだ君に聞きなさい、会社の勤務時間でも構いません。」


 美春みはる政幸まさゆきに何をさせたいのだろうか?

 だが美春みはるの事だ何らかの意図があるはずだ。


「私の用事は済んだから帰る事にしましょう・・・えっと下野さんは・・・まだ居たそうね・・・。」

「ではごゆっくり・・・。」


 美春みはる茉莉まつりを見て頷いていた・・・。

 美春みはるは完全に茉莉まつりの味方の様だ・・・。


 美春みはるが去った病室には茉莉まつりが一人いた。


「おじさんが倒れたのはわたしのおじさんの体調管理不足もあると思うの!」

「わたし明日もここに来るよ!」

「おじさんが退院しても毎日おじさん家にご飯作りに行くから!」

「嫌とは言わせないからね!」


 茉莉まつりの決意は固そうだ・・・。

 茉莉まつりの伯母である蛍子けいこにそっくりだ・・・。

 押し掛け女房となった蛍子けいこ・・・。

 その蛍子けいこが育ての親である茉莉まつりは絶対引くことはないだろう・・・。

 政幸まさゆき茉莉まつりの好意(?)を素直に受け入れるしかなかった。

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