第54話 告白〈こくはく〉

 政幸まさゆきは毎日仕事に打ち込んでいた。

 若い頃は愛する人と一緒になる目的があった為、その人との生活の糧となる仕事に情熱を注いでおり社内でも相当期待される若手だった。

 愛する人を失い目標を失った事で仕事への情熱が冷め、政幸まさゆきにとって仕事とは生活する為の単なる生活の糧と化していた。

 心が情熱を失った後は転落する一方だった。

 僅かな期間で得た評価も地の底に落ち現在に至っていた。

 美春みはると再会し彼女のプロジェクトに参加するまでは・・・。



 まるで人が変わった様に仕事に打ち込む政幸まさゆき

 地の底に落ちていた評価も一変して社内の政幸まさゆきに対する評価も逆転して行った。

 これ程仕事の出来る男が何故、今まで悪い評価をされていたのだろう。

 政幸まさゆきが急変したのは上司が美春みはるに代わってからである。

 政幸まさゆきが今まで仕事を無難にしかこなしていなかった理由は政幸まさゆきを使いこなせなかった上長が悪いのではないかという憶測まで飛び交っていた。

 政幸まさゆきからしたら、単にやる気が起こらなかっただけなのだが・・・。


 茉莉まつりはそんな政幸まさゆきに対してとても献身的だった。

 元々政幸まさゆきは朝食を取らない生活をしていたのだが、茉莉まつり

 が朝食も用意してくれる。

 今朝も出社するとランチボックスが置いてありサンドイッチが机に用意されていた。

 昼食時も茉莉まつり特有のペースに巻き込まれることも無くなっていた。

 茉莉まつりは仕事で疲れている政幸まさゆきを気遣ってかあまり無茶は言わない。

 政幸まさゆきが残業をする際には夕食も用意してくれることも多々あった。

 政幸まさゆきの状況を理解し政幸まさゆきのペースに合わせてくれる。


 そう考えると茉莉まつりは一言で言うと本当にである。

 ふと茂田しげたが話していた『内需の功』という言葉が頭に浮かんだ。


 茉莉まつりは確かに性格は明るく、気遣いも出来、勘も鋭い。

 入社した頃噂にもなるほどの美女でもある。

 そして政幸まさゆきに対しては多少我儘を言うが今になって思うとそれも茉莉まつりのかわいらしさだと思うようになっていた。

 何より献身的で政幸まさゆきの仕事に対して理解もしてくれるし協力的だ。

 おまけにまだ若い・・・。

 いや・・・若すぎるのだ・・・。

 茉莉まつりの年齢を考えると若さと色気を併せ持つ妙齢といって良い年頃だろう。

 結婚を考えても不思議ではない年齢である。

 現に茉莉まつりの母である花桜梨かおり茉莉まつりの現在の年齢の頃には既に結婚し茉莉まつりを生んでいた。


 政幸まさゆきの事を気遣うあまりに茉莉まつりの幸せを掴むチャンスを不意にしては居ないだろうか?

 だったら政幸まさゆきの存在は茉莉まつりにとって害悪にしか過ぎないのだろうか?

 そして茉莉まつりが女の幸せを掴むことが出来なかった時その責任を政幸まさゆきに取れるのだろうか?

 一度は娘として引き取る覚悟は出来ていたが、茉莉まつりとは一緒に生活をした時間はない。

 今更親子になれるのだろうか?

 そうなれば真司しんじ蛍子けいこの立場はどうなる?

 極論として茉莉まつりを妻とする?

 年齢差二十三歳だ・・・。

 世間からどう思われるか想像することも出来ない。

 それと茉莉まつりの姿は生前の花桜梨かおりに瓜二つだ。

 茉莉まつりと一緒になったらきっと花桜梨かおりの事を思い出す。

 他の女を思いながら一緒に生活する事なんてあまりにも茉莉まつりに対して失礼だ。

 妻?・・・一緒になる?・・・生活する?


(俺はいったい何を考えているんだ・・・。)


 以前なら絶対に想像すらしなかった思考に政幸まさゆき自身困惑していた。


(疲れているんだな・・・今日は可能なら早めに帰宅しよう・・・。)


 早めの帰宅をする事は茉莉まつりと一緒に帰宅する事になる。

 こんな考えをしていては気まずくなりそうなものである。

 だが政幸まさゆき茉莉まつりと一緒に帰宅する事を望んでいる様だった。





 政幸まさゆきは定時で会社を上がっていた。

 政幸まさゆきの隣には当然の様に茉莉まつりが居た。

 軽く食事を済ませ二人で駅まで歩いていた。

 政幸まさゆき茉莉まつりと過ごす時間が以前と違い心地良いものになっているのに既に気付いていた。


「おじさん、最近毎日忙しそうだったから久しぶりに一緒に帰れてうれしいよ。」


 茉莉まつりは本当に嬉しそうな表情をしている。


茉莉まつりちゃん、本当にありがとう・・・弁当いっぱい作らせちゃったね・・・でもおいしかったし、嬉しかったよ・・・。」


 茉莉まつり政幸まさゆきの腕に絡みついてきた。


「やっぱり、男の人は胃袋をつかむのが効果的なんだね!」


 元気に腕に絡みついてきた茉莉まつりだったが、急にしおらしくなる。


「・・・前なら、こうやったら離れろって言われてたもん・・・。」


 確かに以前なら人目があるなどと理由を付けて拒否していた。

 何故今は茉莉まつりを拒否しないのだろう・・・。


「なぜ茉莉まつりちゃんはおじさんに対してそんなに一生懸命してくれるんだい?」


 茉莉まつりは元気に即答した。


「だっておじさんが大好きだから!」


 茉莉まつりはいつもこれである・・・。

 気軽にだと言ってくる・・・。

 この様な茉莉まつりの態度が昼間、政幸まさゆきを悩ませていた原因であろうに・・・。

 政幸まさゆきは少し意地が悪いなと思いつつ茉莉まつりに質問を問いかけた。


「だったらおじさんが茉莉まつりちゃんと結婚したいって言ったら結婚してくれる?」


 茉莉まつりはうつ向いてしまった。

 しばらくの間、茉莉まつりは黙ってしまった。

 やはり茉莉まつりには政幸まさゆきに対してそこまでの感情は無いらしい。

 血こそ繋がってはいないが親戚の様な関係なんだろう・・・。


「・・・そう・・・言ってくれるの?・・・」


 茉莉まつりが下を向いたまま小さな声で発言していた、良く聞こえない・・・。


「本当にそう言ってくれるの?」


 茉莉まつり政幸まさゆきの顔をしっかりと見つめて今度ははっきりと答えていた。

 政幸まさゆきは真剣な茉莉まつりの顔から目が離せなくなっていた。


「おじさんがそう言ってくれるなら、わたしはいつでもオッケーだよ?」

「わたしはおじさんの事ずっと好きだって言ってたじゃん・・・。」


 政幸まさゆき茉莉まつりの率直な意見に躊躇いを覚えていた。

 きっといつもの様にオーバーな照れた仕草を行うものだと思っていた。


「あれはおじさんをからかっているのかと思っていたよ・・・。」


 茉莉まつりは少し笑っていた。


「ひどいな・・・おじさん・・・わたしはおじさんに対して嘘なんてついたことなんてないよ?」

「いつも本音で話をしていたもん・・・。」


 確かに茉莉まつりが嘘をついた記憶はない。

 素直な所も彼女の魅力である、だが政幸まさゆきにむける好意はあまりにも度が過ぎていた。


「でも、私も悪いよね・・・いつも冗談交じりで言ってたから・・・。」

「だって想いを口に出すのって結構恥ずかしいんだよ? だからそれをごまかす為冗談交じりで話しちゃってたのかな?・・・」


 いつも冗談だと思っていた。

 からかわれているものだと思っていた。

 だが真直ぐに向けられてくる好意は正直心地良くあり、不安でもあった。


「おじさんさー、でも今のって、プロボースとしては落第点だね・・・。」

「私としてはもっと情熱的な言葉でプロポーズしてほしいかな?」


 茉莉まつりは少し寂しそうな表情になった。


「それにおじさんは、わたしの事まだ一番ではない様だし・・・。」


 更に寂しそうな表情になった、茉莉まつり政幸まさゆきの手から離れ微笑みながら政幸まさゆきの顔を見つめていた。


「でもきっと、おじさんにわたしが一番だって言わせて見せる。」

「だからおじさん覚悟しててね・・・。」


 政幸まさゆき茉莉まつりの笑顔が最後に会った花桜梨かおりの笑顔と重なっていた。

 お互いに気持ちが通じ合ったあの笑顔だった。

 何故かあの時の花桜梨かおりの笑顔が茉莉まつりの笑顔と重なって見えてしまった。

 茉莉まつりの笑顔は一方的な想いを打ち明け、そして政幸まさゆきにとって一番大切な存在になる宣言だった。

 花桜梨かおりの笑顔とは心情は全く違っているはずである。

 瓜二つとはいえ茉莉まつり花桜梨かおりは別人である。

 心境は違うがな笑顔がそれを証明していた。

 茉莉まつりの事もどうやら本気で考えなくてはならないのだろうか?

 だが自分にそんな資格があるのだろうか?

 そんな思いが政幸まさゆきをますます仕事に打ち込ませる事となる。

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