第52話 世話女房〈せわにょうぼう〉

 政幸まさゆき達のプロジェクトは本格始動した。

 本日は初日である。

 勤務場所は顔合せが行われた会議室。

 このプロジェクトの為の一時的なオフィスとなっている。

 初日の仕事は朝から会議であった。

 どんな意見でもいい、たとえくだらない事でも少しでも頭の中で考え付いた意見を発表する場となっていた。


 最初は漠然とした会議議題だった為、意見はたいして飛び交わないだろうと政幸まさゆきは高を括っていた。

 だがいざ会議が始まるとこの場はすごく盛り上がっていた。

 あらゆる意見が飛び交う場となっていたのである。


 会議議事録作成担当の小山田おやまだはノートPCにてメモを取っていた。

 入力するキーのタッチ音が途切れる事のない程のスピードであった。


 政幸まさゆきも出て来た意見をメモに取っていたのだが文面を大幅に省略していた。


 皆の士気はものすごく高い・・・。


 やはり美春みはるがまた何かやったのであろう・・・。


 そういえば顔合せの飲み会で二次会に向かおうと思った時、美春みはるの周辺には社員たちの輪が出来ていた。





 会議は昼休憩になる前に終了させていた。

 意見があまりにも多すぎた為である。


 取り合えず美春みはる政幸まさゆき小山田おやまだの三名以外は解散となっていた。


 休憩を挟んで午後からは午前に出た意見を検討する事になっていた。

 会議の延長みたいなものである。


 会議には人数分の資料が必要だ。

 これからその資料を作成しなくてはならない・・・。

 今日は飯は抜きかもしれない・・・。

 茉莉まつり政幸まさゆきの元の部署で待ってるかもしれない。

 昼時間になったら連絡しないと後が怖い・・・。


 そうこう考えていると小山田おやまだがPCを操作してプリントアウトを開始した。


 小山田おやまだはプリントアウトされた用紙を政幸まさゆき美春みはるに渡した。


「一応出来ました、大丈夫だと思いますが確認してください。」


 何が出来たのか政幸まさゆきは最初は理解できなかった。

 だがよく見てみると午後から必要な資料であった。

 完璧な資料である。

 出た意見全てが用紙にまとめられており、メモ欄まである。


 飲みに行ったとはの勉強だけできるバカだと思っていたが小山田おやまだは実は出来る男だった。


 政幸まさゆきは小山田が高速キー入力をしている時はメモを取らなくても大丈夫だと判断した。


 次回からは楽できそうだ・・・。


 小山田おやまだの優秀すぎるPC入力技のおかげで昼過ぎには政幸まさゆき達も休憩に入れる。


 飯抜きを覚悟していたのだがこれで一安心である。

 早く戻って茉莉まつりに会わなければ後で拗ねられてしまう・・・。


 そう考えていると扉が開かれていた会議室の入り口で中を覗き込んでる人物が居た。


 茉莉まつりだった・・・。


 こんな所まで弁当持って来たのか・・・。

 政幸まさゆきは頭が痛くなっていた・・・。


 茉莉まつりの存在に気付いたのは政幸まさゆきだけではなかった。


「あら、下野さんじゃない?」


 美春も気付いていたのである。

 その声に反応した人物ももう一人・・・。


「下野さん!?」


 小山田おやまだは驚いた様子だが、それ以上に嘘しそうな顔をしている・・・。


 美春みはる茉莉まつりに対して更に声を掛けていた。


「そんな所に居ないで中に入ってきなさい。」


 茉莉まつりは「失礼しまーす。」と一言述べ入室してきた。

 手に弁当箱が入っている鞄を持って・・・。


「あらお弁当? 矢野やの君に?」


 美春みはるは相変わらず鋭い・・・。


「今は休憩時間なんだから遠慮する事ないわ、ここで食事すればいいわ。」


 責任者の許可が下りてしまった・・・。

 明日から茉莉まつりは昼時間に仕事が入ってない限り毎日ここに入り浸るだろう・・・。


 茉莉まつり政幸まさゆきの向かい側に椅子を置いて弁当を並べていた。


「あらあら、下野しものさんはまるで矢野やの君の世話女房のようね。」


 美春みはるは少しからかい気味な口調であったが、嫌味は感じられない表情で笑っていた。


「私達はお邪魔のようね、行くわよ小山田おやまだ君、どうせ貴方は外食でしょ?」


 美春みはるから退室を促された小山田おやまだは悔しそうな表情をしている・・・。


 退室の際美春みはる茉莉まつりに向かって軽くウィンクをしていた。


「やっぱり沢渡さわたりさんってカッコ良くって、気が利いて素敵すぎ・・・。」


 茉莉まつり美春みはるに相当片入れしている様だ・・・。


「ねえおじさん、沢渡さわたりさんっておじさんの昔からの知り合いなんでしょ? 昔からあんなに素敵な人だったの?」


 政幸まさゆきは高校時代の美春みはるを思い出していた。

 黒髪のロングヘアで薄化粧をしており、男なら誰もが振り向く容姿を持っていた。

 おまけに県下一の進学校に通い大学も日本で一番賢いと言われる大学に学校以外の勉強をせずに一発合格を果たしていた。

 中学時代の美春みはるは・・・まあいい、無理に思い出す事はあるまい・・・。


「今でも綺麗だと思うけどね、学生時代の沢渡さわたりさんはものすごく美人だったよ。」

「おまけに頭も良くてさ、面倒見も良い、本当完璧な人だな・・・。」


 茉莉まつりは興味津々で政幸まさゆき美春みはる過去を聞いていた。


「そーなんだーっ、昔から素敵だったんだね・・・。」

「おじさんはその時、沢渡さわたりさんの事好きだったの?」


 そんな事聞くまでもないだろう・・・。


「好きか嫌いと聞かれれば好きだったよ? 尊敬もしていたしね。」


「そっか、おじさんは振られちゃったんだ! 可哀そうに!」


 茉莉まつりはいたずら好きな子供の様な表情をしている

 待ってくれ、どうしてそんな会話になっている・・・。


沢渡さわたりさんの事はとは言っても人として好きであって恋愛感情は無かったよ?・・・俺にはずっと好きな人いたしね・・・。」


「うん、わかってた!」


 これがさっきの茉莉まつりの表情の理由か・・・。


 政幸まさゆきの好きな人とは・・・そう当然花桜梨かおりの事である。

 当然だが、花桜梨かおりの事を思い出す・・・。

 茉莉まつりの姿は花桜梨かおりと瓜二つである。

 茉莉は現在23歳、花桜梨かおりの前の旦那と離婚が成立し再度政幸まさゆき花桜梨かおりに思いをぶつけ前向きに検討してくれると言われた時の花桜梨かおりの年齢は23歳・・・。

 あの頃は政幸まさゆきにとって幸せの絶頂期だったのかもしれない。


 目の前の茉莉まつりは着衣身長は違えどもあの頃の花桜梨かおりそのものだった。


「好きな人か~っ、その人におじさんちゃんとって伝えられた?」


 今日の茉莉まつりはやたらと政幸まさゆきの事を聞きたがる・・・。


「それはそうさ、俺も若かったしね・・・出会った時からずっと言い続けていたよ。」


 茉莉まつりの前で花桜梨かおり思い出を思い起こしたせいか花桜梨かおりと会話している気分になっていた。


「いいな・・・その人・・・。」

「ねね・・・嘘でもいいから私にって言ってくれない?」


 茉莉まつりの事は間違いなくだ。

 ただそれは恋愛の対象であるLOVEではなくLIKEという意味でのであるはずだ。


「そんな事恥ずかしいから言えないよ・・・。」


 もう昔の話だ、目の前の人物は当然茉莉まつりだと理解している。


「お願いおじさん! 似た様な言葉でもいいからっ!」


 政幸まさゆきはどの様な表現をしようかと迷っていた。


(まったく・・・何を考えているんだ俺は・・・彼女は茉莉まつりちゃんだ・・・。)


 誤魔化す為、意味を知らなければ理解できない言葉が思いついていた。


「月がきれいですね・・・。」


 数年前に話題となったI Love Youの和訳を口走っていた。

 とかとかを言葉にするよりかよっぽど恥ずかしくなかった。

 夏目漱石がこう訳せといった根拠のない話があったらしく、一時現代の脚本家達によく使われていた知る人ぞ知る和訳である・・・。


 茉莉まつりの表情はあっけに取られている様だ。

 

 どうやら茉莉まつりはこの和訳の事を知らないらしい。

 政幸まさゆきは安堵していた。

 これでこの言葉の意味が I Love You と伝える事でこの話は終わりになる。

 だが・・・。


「死んでもいいわ・・・。」


 茉莉まつりが返した言葉だった・・・。

 この小娘知ってやがった・・・。


「うれしい、おじさん!」

「やっと私と一緒になってくれる決心がついたのね!」


 茉莉まつりは机越しに抱き着いて来た。

 話しと違う!?


「いや・・・今のは告白ではなく、茉莉まつりちゃんに頼まれたから言っただけで・・・。」


 茉莉まつりは顔を膨らましていた。


「えーっ、本気じゃないの?」


茉莉まつりちゃんがそう言っていたんじゃない・・・。」


 今回は茉莉まつりは膨れながらも素直に理解してくれた様に見えた・・・。

 だが、表情がニヤついていた・・・。


「ずっと前から月は綺麗!」


 茉莉まつりは大声で政幸まさゆきに言葉を発した。


「このまま時が止まれば良いのに!」


 明らかに茉莉まつりの報復だった・・・。


「あなたと見る月だから!」


 もうやめてくれ・・・。


「傾く前に出会えてよかった!」


 恥ずかしいからやめてくれ!

 言葉の意味を知る政幸まさゆきにとっては、あまり積極的ではなかった花桜梨かおりにこう言った言葉を掛けられることは殆どなかった。

 花桜梨かおりの事を思い出していたせいか、花桜梨かおりにそっくりな茉莉まつりにこう言われ続けて自分でもこういった言葉の免疫が無い事に気付かされた・・・。


「手が届かないからこそ綺麗なんです!」


「それは断る時の言葉だ!」


「あれっ?・・・そーだっけ!?・・・。」

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