第51話 花嫁〈はなよめ〉

 政幸まさゆきは度々花桜梨かおりの病院を訪れていた。


 会社には婚約者が病気になったと伝えていた。

 完全な方便だが、政幸まさゆきの上長でもある所長の梶川かじかわはその事を理解し定時に上がる様に進めてくれた。

 理解のある上司というのは本当にありがたい。

 この計らいのおかげで花桜梨かおりとの大切な時間を過ごせていたのである。


 花桜梨かおりの病状だが正直あまり調子は良くない。

 見る見るやせ細っている・・・。

 転移が様々な箇所で見られ何度も手術にて体に傷を作っていた。

 手術跡が出来る度に花桜梨かおり政幸まさゆきに謝罪した。

 花桜梨かおりは何も悪くない。

 政幸まさゆき花桜梨かおりの体が傷が付くのは花桜梨かおりを失うよりはましだと考えている。

 女である花桜梨かおり本人には辛いだろうが、花桜梨かおりの体に傷がいくら付いてもいい、只々花桜梨かおりには助かってほしい。

 それだけを願っていた・・・。




 政幸まさゆきは毎日の様に見舞いに来ていた。

 病院関係者には花桜梨かおりの婚約者だと伝えていた。

 花桜梨かおりもそれを否定しなかった。

 あまりにも政幸まさゆきが通い詰める為、病院関係者も疑いようも無かった。

 そして病院関係者からは憐みの声が出ていた様である。




 政幸まさゆきは慣れた手つきで面会受付を行っていた。

 毎日やっている事だ、もうすっかり慣れてしまっている。

 だが今日に限っては少し状況が違っていた。

 花桜梨かおりの部屋に向かう途中ナースセンターの前を通った。

 その時、看護師に呼び止められていたのである。

 何か話があるらしい・・・。

 嫌な予感がしたが政幸まさゆきは案内されるまま看護師について行った。



 案内された場所は診察室だった。

 看護師にここで少し待ってほしいと言われた。

 政幸まさゆきは人気のない診察室の中に一人待っていた。


 しばらくすると、医師らしい人物が診察室に入室してきた。


「初めまして、私が下野しものさんの担当医の増沢ますざわといいます。」


 担当医の増沢ますざわは椅子に座った。


「うちの病院の方針では患者の病状は本人の了承を得ない限り肉親以外には伝えない方針となっています。」

「ただあなたは下野しものさんの婚約者という事だ、そして下野しものさんも否定していない。」

「そしてあなたは毎日の様に下野さんに面会をしている。」

「余程の仲だと判断しました。」

「今から話す事は下野さんに了承を得ておらず、むしろ拒否されました。」

「それでもあえて規約を破ってでも、私はあなたに伝えようと思ったのです。」


 政幸まさゆきの心中はもう不安しかなかった。

 こんな事を言われたのである、ある程度の察しはつく・・・。


「はっきり申しましょう・・・。」

下野しものさんはもう長くはありません・・・。」

「医師としてこの様な事を告げるのは非常に残念ですが、覚悟をして頂きたい。」


 政幸まさゆきは表情が蒼白していた・・・。

 日に日に瘦せ衰えて行く花桜梨かおりを見て何となく感じていた事だ・・・。

 だが希望だけは捨てていなかった。

 今回、医師からはっきりと言われてしまい絶望に苛まれていた・・・。


「彼女は・・・いつまで生きられるのでしょうか?・・・。」


 政幸まさゆき花桜梨かおりの残された時間が少なくなっている事に絶望していたが、同時に彼女と過ごす残り時間を一秒たりとも無駄にはしたくなかった。


「今日かもしれませんし、一か月後かもしれません・・・。」


 今日にも花桜梨かおりが亡くなる?

 長くても1か月!?


 その時間の短さに政幸まさゆきは居ても立っても居られなかった。


 正直、日々窶れて行く花桜梨かおりの姿を見ていると本音の部分では気付いていた。

 ただ、気付かないをしていた。

 花桜梨かおりを失いたくない一心からその事に目を向けず希望のみに縋っていた。


 診察室を飛び出し、花桜梨かおりの病室に向かった。

 一秒でも花桜梨かおりと一緒の時間を過ごしたかったのだ。



 花桜梨かおりはベットにて横たわっていた。

 腕には点滴が付けられ食事もまともにとれない状況になっていた。


 花桜梨かおり政幸まさゆきの姿を見ると必死に起き上がろうとした。

 花桜梨かおりは自力では起き上がることが出来ない。

 政幸まさゆき花桜梨かおりを急ぎ抱き起した。


「花桜梨・・・。」


 いつもと様子の違う政幸まさゆきの態度に花桜梨かおりは何か感づいた様だった。


「・・・知ってしまったようですね・・・もう先生ったらひどいな・・・。」

政幸まさゆきさんには黙っててほしいって言ったのに・・・。」


 花桜梨かおりなりの政幸まさゆきに対する最後の気遣いだったのだろう。

 病状が悪化している花桜梨かおりは言葉を交わすのも苦しそうだ・・・。


 政幸まさゆき花桜梨かおりを抱きしめた。

 病魔によって痩せ細った体は軽く、折れてしまいそうだった。

 政幸まさゆき花桜梨かおりの体を優しく包み込んだ。


「やっぱり政幸まさゆきさんにこうされると落ち着くな・・・。」


 政幸まさゆきの目には涙が溢れていた。


「花桜梨・・・すぐに結婚しよう・・・なるべく早くだ・・・。」


 花桜梨かおりも一筋の涙を流していた。

 もう自分は居なくなる・・・。

 なのになぜ政幸まさゆきがこの様な発言をしてくれるのであろうか・・・。


「もう知ってるんでしょ?」

「私はもう居なくなるの、私になんかに縛られてはダメ・・・。」

「もう立ち上がることも出来ないんだよ・・・。」


「車椅子で式をすればいい・・・。」


「もうこんなに痩せちゃってるし、髪の毛だってもう無いし、ドレスなんて似合わないよ・・・。」


「髪の毛はウィッグを付ければいいし、ドレスだってきっと似合うはずさ・・・。」


「私と結婚なんてしたら、私はもう居なくなるのに茉莉まつりの世話は誰がするの?」


「俺の娘として大切に育てるよ・・・。」


「私は政幸まさゆきさんには十分幸せにしてもらったよ?」

「これ以上あなたの負担にはなりたくないの・・・。」


「俺は君の為になるなら負担なんて感じていない・・・。」


 花桜梨かおりが何を言っても政幸まさゆきの考えは変わらない。

 どうして政幸まさゆきはこんなにも花桜梨かおりを支えようとするのだろうか?


「どうしてあなたは私にそんなに優しいの?」


「君を愛しているから・・・生涯愛し続けると誓ったから・・・。」



 政幸まさゆき花桜梨かおりは吸い寄せられるように体を寄せ合っていた。


 そして政幸まさゆき達は、初めてのをしていた。

 今まで強く触れ合わなかった事を後悔しない様、長い長いだった・・・。

 これは政幸まさゆき花桜梨かおりの最初で最後のとなった・・・。


「明日にでも結婚式をしよう、なに結婚指輪は既にある。」

「予約もしてないけど必ず探すさ・・・絶対に式を挙げよう・・・茉莉まつりちゃんと真司しんじ蛍子けいこさん・・・式は5人だけでやろう・・・みんなきっと祝福してくれるはずさ・・・。」


 花桜梨かおりは瞳からは大粒の涙が流れていた。

 政幸まさゆきが消えゆく自分を今だ求めてくれる・・・ただそれだけが嬉しかった。


「これから幸せになる花嫁には涙は似合わないよ・・・。」


 花桜梨かおりは弱々しくも精一杯の力を込め政幸まさゆきを抱きしめていた。

 まるで、政幸まさゆきから離れたくない意志が伝わるかのようだった・・・。


「でもこれは、嬉し涙だから・・・。」


 花桜梨かおりの笑みは幸せに満ち溢れていた。

 最後の最後まで誰かに必要とされている。

 花桜梨かおりには今この瞬間の為、この世に生を受けたのではないかと感じる程に・・・。

 政幸まさゆき花桜梨かおりのこの時の笑みが記憶に焼き付いていた。

 今までこんな笑顔の花桜梨かおりは見た事が無かった。

 瘦せ細った花桜梨かおりの姿に変わりはないが、本当に美しい笑顔だった・・・。





 政幸まさゆき花桜梨かおりは結局、結婚式をする事は叶わなかった。


 翌日、花桜梨かおりは昏睡状態となり、翌々日静かに息を引き取ってしまった・・・。


 その表情には笑みが浮かんでいた。

 まるで幸せの絶頂期の様な表情だった・・・。

 あまりにも綺麗すぎる死に顔だった。

 まるで苦しい闘病生活が無かった様な・・・。

 愛する人に寄り添われながら逝けたかの様な・・・。


 下野しもの花桜梨かおり、享年24歳。

 あまりに若すぎ、あまりにも早すぎる死であった・・・。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る