第47話 病魔〈びょうま〉

 政幸まさゆき花桜梨かおりの関係は順調であった。

 まだ花桜梨かおりから返事はもらっていない。

 だから政幸まさゆき花桜梨かおりは深い関係には至ってはいない。

 もう急かす必要はないのである。

 日々生活して行く上で花桜梨かおりの態度が軟化していくのが手に取る様にわかった。

 確実に政幸まさゆきに接する態度が愛情深くなっていたのである。

 9年も待ったんだ、焦る必要はない。

 今急いでこの関係を絶対に壊したくない。

 花桜梨かおりの気持ちの整理がつけば、確実に花桜梨かおり政幸まさゆきのものになる・・・。





 最近の花桜梨かおりは少し変だった。

 妙に疲れた様な雰囲気をしている。

 体調がどうも優れない様である。

 政幸まさゆきは通院する事を強く勧めた。




 政幸まさゆき花桜梨かおりの体調が心配でたまらなくなっていた。

 だが、これから花桜梨かおりと一緒になる計画である。

 仕事を疎かにする訳にはいかない。

 家族を支え切ることの出来る立派な大人になると誓っていたのではないか?

 政幸まさゆきは昇進する予定とはいえまだ入社二年目である。

 それ程給料は高くはない。

 花桜梨と一緒になると花桜梨かおりの娘の茉莉まつりも一緒に生活する事になる。

 政幸まさゆきにはその覚悟は当然出来ていた。


 だが家族を養うには金が要る。

 下卑たる表現ではあるがそれが現実である。

 当然、今以上に仕事を頑張る必要があった。





 花桜梨かおりから連絡があった。

 珍しい事もある・・・。

 大事な話があるとの事だった。

 いよいよこの時が来たかと期待に胸を膨らませ、政幸まさゆき花桜梨かおりの待つ思い出の場所である河川敷へ向かった。




 河川敷には既に花桜梨かおりが居た。

 以前花桜梨かおりにプロポーズすると宣言した思い出の地だった。


 花桜梨かおりは神妙な面持ちをしていた。

 政幸まさゆきは何か違和感を感じていた。


 政幸まさゆき花桜梨かおりに駆け寄ると花桜梨の方から口を開いた。


矢野やのさん・・・。」

「以前から保留してました、私の返事をここでしようと思います。」

「あの時の私を支えてくれたのは矢野やのさんでした・・・。」

「そして今生きる事に絶望せずここに居られるのも全て矢野やのさんのおかげです。」


 政幸まさゆきは正直期待しかしていなかった。

 花桜梨かおりとの関係は疑いようもない程前進していると確信していた。


「しかし貴方の気持ちに応える事は出来ません・・・。」


 政幸まさゆき花桜梨かおりが何を言っているのか理解が出来なくなっていた。

 全く想定して居なかった言葉であり、一番聞きたくない言葉でもあった。


「何故なんだ!」


 政幸まさゆきは興奮していた。

 花桜梨かおりと話をする時は花桜梨かおりを怯えさせない様にいつも気を使っていた。

 だが今日はそれが出来ない・・・。


「ごめんなさい・・・。」


 花桜梨かおりはうつ向いてしまった。


 政幸まさゆき花桜梨かおりの両肩を手でつかみ花桜梨の顔を凝視していた。


花桜梨かおりちゃん! 俺のどこがいけないんだ!? 悪い事があったら直す! 俺はもう君無しでは生きて行く気が起らない!」


 多少女々しさの混ざった発言ではあったが政幸まさゆきは必死だった。


 花桜梨かおりは涙を流していた。

 花桜梨かおりの涙を見て政幸まさゆきは冷静さを取り戻していた。

 政幸まさゆきは最初に花桜梨の顔を間近で見た時の事を思い出していた。

 政幸まさゆきの事を気遣い、作り笑いで無理に笑う表情・・・。

 だが、今の花桜梨かおりには作り笑いすら見受けられない。

 ただ泣いているだけだった。

 政幸まさゆき花桜梨かおりのこんな表情は見たくない。


花桜梨かおりちゃんごめん・・・。」

「何かあったんだね?」


 それが何かは解らない、だが何の理由もなく花桜梨かおりがこんな事を言うはずはない。


「それは言えません・・・。」


 花桜梨かおりの事だ、おそらく政幸まさゆきに迷惑をかけてしまう事なのだろう。

 だからそれに遠慮して正直に打ち明けてくれないのだろう。


花桜梨かおりちゃん・・・男って女には理解できない生き物なんだよね・・・。」

「君の返事をまだもらっていないのに、勝手に先走って、実は指輪まで発注しているんだ・・・。」

「君の指に触れた時サイズはどの位かなって想像したりしてね・・・。」

「どこで過ごせば茉莉まつりちゃんにとって良いのかとか、家族でどこに行こうとか、君の返事を待たずに色々考えていたんだ・・・。」

「俺の中では君はとっくに俺の家族になっているんだよね・・・。」

「だから正直に話してほしい・・・俺は何があってもそれを受け入れるし助けが必要ならば君を助ける・・・いや助けたいんだ・・・。」

「君と真司しんじの家で久しぶりに再会したよね? 俺はあの時君を二度と他の男に取られたくないと思ったんだ・・・。」

「もう俺にそんな思いはさせないでくれ!」


 花桜梨かおりは泣き出していた。

 こんなにも感情的に泣いている花桜梨かおりの姿は初めて見た。


 政幸まさゆき花桜梨かおりを覆う様に抱きかかえ優しく宥めた。

 ずっと触れられなかった花桜梨かおりの肩を、頭を、頬を繊細な硝子細工を扱う様に・・・。


「泣き終わったら、もう泣かないで・・・。」

「君の泣き顔は二度と見たくないよ・・・。」

「君が泣いていいのは嬉し涙だけにしておくれよ・・・。」



 暫くすると花桜梨かおりは落ち着きを取り戻していた。


「貴方にこうされているととても落ち着きます・・・。」


 政幸まさゆき花桜梨かおりを抱きかかえたままだった。

 だが離したくなかった。


「貴方には全てお話します・・・。」

「私は最近体調が悪かったことは気付かれていましたよね?」


 よく覚えている、政幸まさゆきが通院するように勧めた件だ。


「病院で検査すると・・。」


 政幸まさゆきは何故か楽観視出来なくなっていた。


「癌だと宣告されました・・・。」


 政幸まさゆきは思考が停止するような感覚を覚えた・・・。

 目眩がする・・・。


「肺癌だそうです・・・。」

「助かる可能性は半分にも満たないとの事でした・・・。」


 何故だ・・・何故なんだ・・・どうして彼女がこんな事に・・・。

 まるで彼女の母の様ではないか・・・。

 いや、彼女はもっと若い・・・。

 あまりにも若すぎる・・・。

 だめだ俺がこんなんでは・・・。

 戦おう・・・病気と・・・彼女と二人で!


 政幸まさゆきはふらつく足に力を込め抱きかかえている花桜梨かおりを強く抱きしめた。


花桜梨かおりちゃん、俺は決心したよ!」

「二人で病気に立ち向かおう!」

「何、助かる可能性が半分に満たないって?」

「半分近く助かるって事だろ?」

「なら諦めてはだめだ!」


 政幸まさゆきの腕の中にいる花桜梨かおり政幸まさゆきに顔をうずめる様に泣いていた。


花桜梨かおりちゃん、もう泣かないでよ・・・君の辛そうな顔は見たくないよ・・・。」


 花桜梨かおりは顔を上げ政幸まさゆきを見つめていた。


「でもこれは、嬉し涙ですから・・・。」


 泣きながら笑顔を見せる花桜梨かおり

 昔見た泣きながらも無理に笑っていた表情ではない。

 先程までの花桜梨かおりはとっくに自分の事を諦めていただろう。

 だが今の表情の中には希望すら見える。

 政幸まさゆきは決して諦めないと誓った。

 実際に闘病をするのは花桜梨かおりだ。

 癌患者の闘病生活はそれは苦しいものだと聞く。

 これからの花桜梨かおりはその苦しさに立ち向かっていかなければならない。

 政幸まさゆきにはその苦しさは理解できない事だろう。

 だが彼女の心が折れない様にそして決して病気に屈しない様に・・・。

 彼女を支えられる他人は政幸まさゆきしか居ないのだから・・・。

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