第29話 再会〈さいかい〉

 政幸まさゆきは役員室に呼び出されていた。

 自分には全く縁のない会社のトップクラスの人間。

 何故そんな人間に呼びつけられるのか?

 何か目を付けられたのだろうか?

 だがそれはおかしい。

 目を付けられて呼びつけられる訳がない。

 政幸まさゆきの会社は上場企業である社員数も多い。

 そして組織化も出来ている。

 仮に目を付けられたとしたら、政幸まさゆきの上長である課長の吉田よしだかあったとしてもあまりが無いが部長の秋山あきやまから直接指導が入るはずだ。


 役員専用のフロアに来た。

 入り口には三台のセキュリティゲートがある。

 透明なアクリル板でできたカードタッチ式の駅の自動改札の様なである。

 当然政幸まさゆきの持っている社員ICカードでは通過は出来ない。

 ゲートの横には受付がある。

 役員専用の受付である。

 政幸まさゆきは呼び付けられている旨を伝えた。

 受付の女性は電話をしている。

 丁寧な言葉遣いである。

 相手は政幸まさゆきを呼び付けた役員であろう。


矢野やのさん、お待たせしました。」

「こちらをご利用してお通りください。」

沢渡さわたりの部屋はゲートを入ってすぐ右に曲がり右側の3番目となっております。」

「部屋の前にネームプレートがございますのでご確認ください。」


 政幸まさゆきはQRコードを印刷された用紙を手渡された。


 政幸はゲートの読み取り装置にQRコードをかざしてゲートから中へ入っていった。






 昼時間を過ぎたころである。

 政幸まさゆきは課長である吉田に呼び付けられた。


「吉田さん何の御用ですか?」


 この会社では上長の事は付けで呼ぶ慣習である。

 会社によっては役職名で呼ぶ企業もあるだろうが政幸まさゆきの所属する会社はたとえ社長であっても付けで呼ぶ事になっている。


「矢野君今日の業務は順調かね?」


 珍しい事もある。

 こんな事は今まで聞かれた事もない。


「問題ありません。定時帰りになりそうです。」


 吉田よしだは一息置いて政幸まさゆきに話しかけた。


「ならば今日の仕事のがたったら、沢渡さわたりさんの所へ行きなさい。」


 沢渡?

 政幸まさゆきはその人物が誰なのか解らなかった。


「申し訳ないのですが、私は沢渡さわたりさんという人物は存じあげないのですが・・・。」


 吉田は深いため息をついていた。


「君は、自分の会社の役員の名前も知らないのかね!?」


 そんな雲の上の存在知るはずもない。


「とにかくだ、仕事のがついたら、話はもう付いているから役員ブースの受付にこの事を話して沢渡さわたりさんに会いなさい!」


 全く持って不可解であった。

 沢渡さわたりという人物は知り合いではないし、ましてや役員には縁がない・・・。


 この政幸まさゆき吉田よしだの会話は瞬く間に噂となって広まっていた。


 政幸まさゆきが役員の沢渡さわたりに目を付けられている。

 会社のごくつぶしの政幸まさゆきはもう潮時だ。

 様々な憶測による悪意ある噂であった。


 政幸まさゆきもその噂には気づいていた。


しげさん最近俺の評判悪くなくなってきているって言ってたのだが、あれは気のせいだったのか?)







 政幸まさゆきは『沢渡 M Sawatari』と書かれたプレートの貼ってあるドアの前に居た。

 呼び鈴らしきものがあったので取り合えず押してみた。


「どうぞ。」


 女性の声でインターフォンから回答があった。

 部屋の鍵のロックが外れる音がした。


 政幸まさゆきは部屋の中へ入室した。



 部屋の正面にあるデスクには一人の女性が居た。


 ショートヘアの女性で政幸と同年代か下であろうか?


「おつかれさまです。矢野やのと申します。」


「おつかれさま矢野やの君。沢渡さわたりです。」

「まあ座ってください。」


 政幸まさゆきは部屋の入り口付近にある椅子に座る様に指示された。

 来客用のスペースである。


矢野やの君、コーヒーでいいかしら?」


 話しが長くなるのか沢渡さわたりはお茶を進めてくる。


「はい。」


 沢渡は内線電話でコーヒーを2つ用意する様に指示していた。


 女性がコーヒーを2つ持ってきた。

 女性が退出すると沢渡さわたり政幸まさゆきの正面に座った。


「さて、何から話すべきかしら・・・。」


 そんなに話す事があるのか?

 こんな何の変哲もない一般社員に・・・。


「矢野君、貴方の事は調べさせてもらいました。」


 政幸まさゆきは嫌な予感がした。

 どうせロクな噂はたっていない。


「あなたは故郷の営業所で入社、そこでの評価は高かったみたいね。」

「入社して2年で主任に選抜、うん・・・優秀ね。」


 政幸まさゆきの肩書は主任である。

 今は誰もそう思ってはいないが、若かりし頃実力で勝ち取った役職であった。


「でもその後は鳴かず飛ばず。」

「あなたの実力を知っていた当時の営業所長の計らいでその後本社勤務となる。」

「本社で奮起するかと期待されていたのね。」

「しかし結果は出せず今に至る。」


 政幸まさゆきは何も言えなかった。


「社内での評判はごく潰し会社の荷物などと最悪。」

「なにか反論は?」


 政幸まさゆきには返す言葉もない。


「いえ、おっしゃる通りです・・・。」


 沢渡さわたりはため息をついていた。


「まあもっとも最近は女性社員の評判は徐々に回復している様ね・・・。」


 沢渡さわたりは何故一社員に対してこれほどの事まで調べたのだろう?



「私は役員だけど外部から来た人間なの。」

「同じ人間が運営してては新たな改変には気付き辛いものだからね。」

「その為に私はここに呼ばれたの。」

「その意味解るかしら?」


 政幸まさゆきは大幅なリストラ策を実施する為ここに呼ばれた役員ではないかと思った。

 外部から来た人間という事は社員に対する情もほぼないと思われるには最適な人材である。

 自分はその対象なのだろうか?

 でも役員自らがそんな事を宣告するだろうか?

 政幸まさゆきの考えは纏まらなかった。


「私は人材である社員は、人と財産の財を組み合わせただと思っているわ。」

「どんな人間にも適材適所があると思うの、それを生かせていないとしたら会社の責任であり上長の怠慢だと私は考えているわ。」

「だからトカゲの尻尾切みたいに簡単にリストラなんてさせたくはない。」

「安易にその対象なりえない人間はリストラと叫ぶけど会社を辞めさせるってことはその人の人生を大きく狂わせることになるの。」

「不景気が長く続き嫌々ながら会社に所属する、自分の能力を生かし切れていない、そんな会社に希望を持てない社員があまりに多いの・・・。」

「あなたは会社における希望って何だと思う?」


 政幸まさゆきはあまり時間を取らせず答えた。


ですかね?」


 沢渡さわたりはすこし微笑んでいた。

 絵にかいたような模範回答である。

 本位でないのが見透かされたのか?


「ならそのを出すには?」


 政幸まさゆきは少し考えていた。

 この人は建前はどうやら通じなさそうだ・・・。


沢渡さわたりさん、私は役員である沢渡さわたりさんを目前にしていた為体勢を良く見せようとしてました。しかしそれはやめます。本音で語らせていただきます。」


 この人に建前を発言しても見透かされると政幸まさゆきは感じた。


「会社におけるやりがいとは様々あると思います。仕事の達成感、同僚や上長、後輩などとの人間形成、まあこれも確かにあるでしょう。」

「だが結局のところ人は報酬だと思います。」

「今の若い人達は私達が若い頃に興味のあった車などに興味がないと聞きます。」

「それは興味を持たないのでなく興味を持てないのです。」

「結局給料が安く購入出来ないから興味を持たない、お金があれば興味を持つと思います。」

「企業がお金を渡さない、でも薄給である社員は企業にとっての消費者であるのです。」

「消費者がお金を持ってないから企業の商品が売れないそんな負のスパイラルとなっています。」


 沢渡さわたりは考え事をしていた。


「それは正論ね。」

「しかし企業には生き残る責務もあるのよ?」


 何一つ間違っていない発言である。

 会社の経営が立ち行かなくなれば多くの人間が路頭に迷うことになる。


「あなた報酬が高いとやる気になるといったわよね?」

「あなたに今の現状で報酬を高くする方法って思いつく?」


 政幸まさゆきはあまり現実的では無い事を思いついていた。

 本音で語ると宣言していた為とりあえず発言してみた。


「なら給料を査定にすればよいのでは?」

「例をあげると社員が10人居てそれぞれが10万の給料で合計100万です。」

「その100万の枠はそのままで査定に応じて給料を上下させる、がんばれば給料が多くなる、しかし給料が上がった分給料の下がる社員もいる、そう合計である100万の枠は固定させその中で変動させれば会社の人件費は固定のままです。」


 沢渡さわたりは少し不快そうだった。


「考えはともかく、給料を安定させないのには賛成できないわね。」

「多くの企業に勤める社員は安定を求めているのだから。」

「就職というのは安定を手に入れる為に行うものなのよ。」

「まあ給料というのはやりすぎかもしれないけどボーナスにのみ適用させるのはありかもしれないわね。」

「ただし、大変面白い案だと思うけど二つ問題があるわ。」


「一つはその10人が査定をクリア出来なかった場合、たとえば100万枠が90万になるのは有りだけど、その逆になった場合はどうなのかしら?」

「そうね10人が10人大幅に査定クリアしたって時ね?」


 確かに一理ある、だがこの場合は問題ではないだろう。


「10人が10人査定クリアなら業績も上がっているはずです。」

「さほど問題にならないと考えます。」


 沢渡さわたり政幸まさゆきの回答に満足したかのように頷いていた。


「ではもう一つ・・・査定なんだけど営業職ならともかく、数字として評価の出しにくい部署もあるわよね?」

「そういった部署への配慮はないのかしら?」


 沢渡さわたり政幸まさゆきの発言の不備を次から次へと指摘してくる。

 不明確な回答でも会話のキャッチボールをしている内に明確な回答に変化している気がしていた。

 政幸まさゆきはこの会話のキャッチボールが心地よかった。

 新たなアイデアが次々生み出され、それの不備を修正していく。

 何と生産性のある会話なのであろう。

 具体的な指摘を発言せずただ数字が悪いから努力しろなどという曖昧な口上を行う上司共にこの人の爪の垢でも飲ませてやりたい。


 政幸まさゆきは真剣になって考えていた。

 以前政幸まさゆきが真剣に取り組んでいた頃なにがあったかを考えていた。

 そう、政幸まさゆきには目標があったのだ。

 今はそれがない、だからやる気になれていない。

 言い訳の様だがこれは事実でもあった。



「目標設定を行うのはどうでしょう?」

「半期とか四半期ごとに自分の目標を設定して上長に提出、上長に承認してもらいその目標を目指す。」

「そして次の期に自己評価を行い上長の評価と照らし合わせて評価とする。」


 沢渡さわたりの目が笑っていた。


「たとえば具体的な目標って何があると思う?」


 政幸まさゆきは笑っている沢渡さわたりにつられて笑っていた。


「何でもいいんです。」

「例えば社内に落ちているごみを1日1個拾うとか?」


 沢渡さわたりは笑いをこらえきれず吹き出していた。


「あはは、あなた傑作だわ!」

「正直、査定とか目標設定なんて発想は私にもあったわ、だけど『落ちているごみを1日1個拾う』はなかったわ!」


 沢渡さわたりは気を取り直すように政幸まさゆきに話しかけた。

 沢渡さわたりの目は優しく、懐かしむかのような表現を感じさせた。


「さすが、私のの生徒ね・・・。」


 昔聞いたことのある忘れようのない台詞に類似していた。

 その言葉を聞いた政幸まさゆき沢渡さわたりの顔を凝視していた。


「貴女は・・・もしかして・・・もしかして・・・。」


 政幸まさゆき沢渡さわたりに大恩あるかつて世界一尊敬していた先輩の面影を見出していた。


「やっと気づいてくれた様ね・・・私の名前フルネーム沢渡さわたり美春みはる、旧姓は椿つばきよ・・・。」

「お久しぶりね、矢野やのちゃん!」


 政幸まさゆきは思いがけない先輩との再会に感極まっていた。

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