第28話 好転〈こうてん〉

 政幸まさゆきの社内で唯一心許せる存在である、清掃員である茂田しげたといつもの新橋の店に居た。

 政幸まさゆき茂田しげたからの誘いを断ったことはない。

 しかし今日だけは断りたい気分だった・・・。


 政幸まさゆき茂田しげたの座っている席の間にこの店に似つかわしくない人物が居たのである。


 そう茉莉まつりであった。


 茂田しげたといつもの様にこの店に行く時の様に茉莉まつりがついて来たがった。

 いつも通り断るつもりでいた。


 茉莉まつりも当然政幸まさゆきが首を縦に振らない事は理解していたであろう。

 だが今日の茉莉まつり茂田しげたの切り崩しにかかった。

 人当たりが良く温和な茂田しげたである。

 結局政幸まさゆき茂田しげたに宥められる格好となり今に至る・・・。



 茉莉まつりの事をこの店に似つかわしくない人物だと先程述べた様、この店には女性客はあまり来ない。

 ここは男の聖地である。

 茉莉まつり茂田しげたは話に盛り上がっている。

 政幸まさゆきはどうせ茉莉まつりを連れて行くのならショットバーやホテルのバーに連れて行ってやりたいと思った。


茉莉まつりをショットバーに連れて行ってやりたい?)


 この店が悪いと言っている訳ではない。

 この店はこの店なりの魅力がある。

 ほぼ男性客なので女性が居たら話せない様な下品な会話も飛び交う事もある。

 だから茉莉まつりに似つかわしくないと思ったのだ。

 決して望んでショットバーに連れて行ってやりたいと思った訳ではない。

 政幸まさゆきは誰にも聞かれている訳ではないのだが言い訳じみたように自身を納得させていた。



 政幸まさゆきがそう考えていると店の大将店主政幸まさゆき達のカウンターへ料理を運んできた。


「おまたせしました!」

「串セットです!」


 大将店主は威勢の良い声で商品を政幸まさゆきに手渡した。


「お客さん、今日は華やかですね!」


 大将店主は視線を茉莉まつりに向けていた。

 そして政幸まさゆきに視線を移し。


「ひょっとしてお客さんのですかい!?」


 大将店主は小指を立てている。

 下品な冗談である・・・。


「違います!」

「そうです!」


 政幸まさゆき茉莉まつりは同時に大将店主へ返事をしていた。

 当然否定したのが政幸まさゆきで肯定したのが茉莉まつりである。


「いや、うらやましいね~っ、こんな若くで可愛らしいお嬢さんに慕われるって、あやかりたいもんだね~っ!」


 茉莉まつりはいつもの様に照れていた。

 茂田しげたは口を押えて肩で笑っている。

 政幸まさゆきは絶句していた。


 大将店主はどこまで冗談と受け止めただろうか?

 きっと全部冗談であると思ってくれているに違いない・・・そうであってほしい・・・。



 政幸まさゆき茂田しげたはだいぶ酒が進んでいた。

 茉莉まつりは殆ど飲んでいない。

 あまり酒が得意でないらしい、付き合い程度しか飲めない様だ。

 だったらこんな店に来て楽しいのか?


「いやいや、今日は実に楽しい、これも下野しものさんのおかげですな。」


 茂田しげたは本当に楽しそうだ。


「最近は良い事ばかりあって、私も毎日が楽しいのです。」


 それは結構な事である。


「何を関心なさそうにしているのですか?」

「良い事と言うのは矢野やのさんの事ですよ?」


 政幸まさゆきは意味が解らなかった。


下野しものさんが居るから話すべきではないと思っていたのですが、下野しものさんと話して良く解ったこれは下野しものさんに話しても問題ないと。


 ますます何を言っているのか解らない・・・。


「私は以前女性社員が貴方政幸の事を陰で心無い事を言っていると言いましたよね?」

「だが最近はその様な事を聞かなくなった。」

「むしろ貴方政幸が最近変わったんじゃないかと評価していた。」

貴方政幸は人を見る目のない輩を騙す事に成功しつつあるのです。」

「そしてそれは、貴方あなたが変わろうとしているからだ。」

「そこが私はすごく嬉しい。」


 確かに最近の政幸まさゆきは少し変わっていた。

 以前この人生の先輩である茂田しげたに言われた様、意識して行動はしていた。

 以前はそっけなかった返事を、相手の目を見て返事をする。

 仕事について聞かれたら、以前ならため息をついて対応していたのだが、今は即対応していた。

 正直、何も難しい事ではない。

 少し意識して居れば簡単な事だ。


矢野やのさん、貴方最近痩せているでしょ?」


 確かに最近ベルトの位置が一段階変っている。


「不健康で痩せたのでない健康的に痩せている、何故だか解ります?」


 運動量も変わらず、食べる量も変えずに健康的に痩せるなら食事のバランスを見直す事だ。

 政幸まさゆきが食事に関して変ったものと言えば、茉莉まつりが持ってくる弁当だった。


「どうやら気付いたようですね。」

「今着ているそのスーツ矢野さんに良くお似合いだ。」

「ネクタイも靴も鞄に至るまで。」

「失礼ながら私には貴方政幸が選んだものとは思えない。」

「誰に選んでもらったかは私には大体想像できている。」


 相変わらずの慧眼である。

 政幸まさゆきの着衣は茉莉まつりに選んでもらったものである。


「どうやら私の想像通りの様ですね。」


 茂田しげた政幸まさゆきの表情を確認してこう語った。


貴方政幸の本質は以前みたいに心無い噂をされる人物ではない。」

「少し変われば今の様に大きく評価は変わる。」

「私は貴方政幸はもっと変われると見ている。」

貴方まさゆきが努力してないとは言っていない。」

「だが貴方政幸が変われたのは内助の功のおかげだ。」

「私もそうだが人は誰かに支えられて生きている。」

「それは恥ずかしい事ではない。」

貴方政幸にもそろそろ内助の功が必要なのではないのか?」


 茂田しげたが言うように確かに茉莉まつりの存在があってこそ変われている。

 それを考えると茉莉まつりは献身的な女性だ。

 茉莉まつりが内助の功になってくれたら確かに幸せだろう、男冥利に尽きると思う。

 だが茉莉まつりの方はどうだろう?

 近しい知り合いという事で慕ってくれているだけだろう。

 茉莉まつりに内助の功を求めたらこの関係は崩れてしまう。

 茉莉まつりはかつて政幸まさゆきが『生涯愛し続けます』と誓った花桜梨かおりの娘でもある。

 自分にはその資格はない。


 政幸まさゆきは以前では考えも付かなかった思考に困惑していた。


 茉莉まつり茂田しげたとの会話を聞いていたが想像したような反応を見せていない。

 聞こえて無い訳ではないだろう。

 いつもならこの様な話をしていれば必ず何らかの反応をするはずだ。

 だが今に至っては茂田しげたとの会話に割ってこない。

 無理やりついてきたから遠慮しているのか?

 茂田しげた茉莉まつりを内助の功と言った事に気まずさを感じているのか?

 気まずさを感じるのはなぜ?

 解らない事が多すぎる。


 ― 分からぬは夏の日和と人心 ―


 ふとこんなが頭に浮かんだ。


 だが思春期の茉莉まつりの事は良く知らないが知っている限りの茉莉まつりに関してはこのは当てはまらない事だろう・・・。


 ― 女心と秋の空 ―


 同じ意味か・・・。


 政幸まさゆき茉莉まつりの事を最近考えすぎだと感じている。


 そうだ茉莉まつりの伯母である蛍子けいこから、娘同然で面倒を見ろと言われたばっかりだ。


 これは親が子を心配する感情なんだと自分に言い聞かせていた。

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