第27話 落命〈らくめい〉

 政幸まさゆき生まれ育った故郷を離れほんの少し時間が経った頃の話である。

 桜はとうに散り、草木達は新緑の季節を迎える為成長を行っていた。


 政幸まさゆきは新幹線の中にいた。

 向かっている方向は政幸まさゆきの故郷の方向。

 大型連休で帰郷している訳という事ではない。

 大学を辞め帰郷している訳でもない。





 政幸まさゆきは午前の講義を終え現在暮らしている親から借りてもらっているアパートへ帰っていた。

 1Kでバストイレ付の一般的なワンルームである。

 親元を初めて別れた息子政幸が暮らすには妥当な広さであった。


 少々小腹が空いていたのだが、外食するのも勿体ないし、かといって自炊は出来ない。

 多少不健康ではなるがインスタントカップ麺を取り出し電気ポットのお湯が沸くのをまっていた。

 出来たカップ麺を啜って完食したところ、少し物足りないなと感じつつ午前に受けた講義の整理を行う為机に座っていた。


 その時政幸まさゆきの電話のベルが鳴り始めた。

 電話に出てみると相手は政幸まさゆきの母であった。


「あんた、午前にも何度か電話かけてたんよ?」

「学校行ってると思ったからまたかけなおしたのよ。」

「あんたに伝えないといけない事があったからね。」


 政幸まさゆきは夕方以降には確実にこの部屋にいた。

 電話をかけるならそのタイミングにかける方が確実に連絡を取れる。

 朝と現時刻である昼にかけてくるなんてよっぽどの用事があるのではないのか?

 政幸まさゆきは黙って聞いていた。


「あんたの友達の真司しんじ君のおかあさん、亡くなったらしいよ・・・。」


 一瞬母が何の冗談を言っているのか解らなかった。

 冗談にしては悪質である・・・。


「母さん・・・それって本当?」


 政幸まさゆきは母に再度聞き直した。


「昨日の晩通夜をやって、今本葬儀告別式をやっているみたいよ。」


 政幸まさゆきは頭が真っ白になってしまった。


 真司しんじが就職が決まりこれで母を助けられると喜んでいた姿を思い浮かべていた。


(何でなんだ・・・やっと母を助けられるって言ってた真司しんじなのになんですぐに死んじゃうんだ・・・。)

花桜梨かおりちゃんなんてまだ高校生だぞ・・・。)

(高校生で親を亡くすってこれから一体どうやって生きて行くのだろうか?・・・)


 政幸まさゆきは居た堪れなくなった。


「母さん!お願いがあります!」

「今からそっち故郷に戻って良いかな!?」

真司しんじ達の事が心配なんだ!」

「頼むよ!」


 政幸まさゆきの母のため息が受話器の向こう側から聞こえて来た。


「全くこの子は・・・。」

「母さんの想像通りの事を言うのね・・・。」

「今から帰ってきても葬式には間に合わないから、一度家に寄りなさい。」

「それが条件・・・。」

「あんたどうせ正装も葬式のマナーも知らないでしょ?」

「まあ真司しんじ君のお母さんには遺骨の状態でしか会えないだろうから顔は見れないだろうけど。」

真司しんじ君の友達のあんたが来てくれたら嬉しいと思うからそうしなさい。」


 政幸まさゆきは帰省する事となった。

 予定よりずいぶん早い里帰りに・・・。





 政幸まさゆきは実家に帰り父の物である礼装に着替えていた。

 ダブルタイプの正装は何とも堅苦しく動き辛い。


 政幸まさゆき真司しんじ達の母の事を考えていた。

 一度しか会った事はなかったが愛想が良く好感の持てる人物だった。

 母の話によると過労死だという話だ。

 死ぬまで働く・・・今の政幸まさゆきには想像もしがたい。

 それだけ息子真司花桜梨の事を思う気持ちが深かったのであろう。

 今の政幸まさゆき花桜梨かおりの為にここまで出来るであろうか?

 口先だけでは『出来る』と言えるだろう。

 だが死ぬほど働いている時、もう死ぬかもしれないと思っている時その様な行動が取れるだろうか?

『生涯貴女を愛し続けます』と誓った花桜梨かおりに対してその様な行動が取れるだろうか?

 真司しんじ花桜梨かおりの母はまさにそれをやってのけた・・・。

 本当に敵わない・・・。

 だがが原因で母が亡くなる事となった残された真司しんじ花桜梨かおりの気持ちはどうなのだろうか?



 早く真司しんじ花桜梨かおりに会いたい。

 とても不安で心配だ・・・。

 逸る気持ちに対して目一杯ブレーキをかけていた。





 家から真司しんじの向かおうとすると母は政幸まさゆきに香典袋を手渡した。


「これを真司しんじ君に渡しなさい。」

「中には十万円入っています。」


 政幸まさゆきは冗談だと思った。

 普通不幸時にはあまり多くの金額を渡すのは失礼だと聞く。


「渡す時こう言いなさい『矢野やの家の家訓で息子の親友の母が亡くなった時は通常の金額より多く香典を包む事になっていると。』」

「『だからこれは故人が亡くなった事を祝っている訳ではない』と」

「『後、矢野やの家の宗教上の決まりで香典返しは受け取れない」この2つは必ず言いなさい!』


 そんな家訓も聞いたことないし家は無宗教である。

 母なりの真司しんじ達への気遣いなのだろう。





 政幸まさゆき真司しんじ花桜梨かおりの住むアパートに居た。

 真司しんじ達の部屋には明かりがついていた。


 何度か呼び鈴を押したが反応がない・・・。


 政幸まさゆきはドアをノックしていた。


真司しんじ俺だ! 政幸まさゆきだ! 居るなら開けてくれ!」


 中から物音が聞こえドアが開いた。


 花桜梨かおりである。


 花桜梨かおりは目の周辺を真っ赤に腫らしていた。

 夜通し泣いていたのであろう。

 花桜梨かおり政幸まさゆきの姿を確認すると泣き出してしまった。


 自分の目の前で泣き出してしまった政幸まさゆきにとって『生涯愛し続ける』対象である花桜梨かおり

 政幸まさゆきはどう接していいか解らない・・・。

 だが花桜梨かおりの悲しむ泣き顔を見ていると居た堪れなくなり思わず花桜梨かおりを抱きしめてしまった。


花桜梨かおりちゃん泣かないで!」


 それは無理な話である。


「・・・いや、泣いてもいい!」

「でもずっと悲しみ続けないで!」

「今日はたくさん泣いて、泣いて、泣きまくって涙を枯らしちゃおう!」

「でも明日とは言わない!」

「近い内に必ず笑顔を見せてほしい!」

花桜梨が悲しみ続けると天国のお母さんが心配しちゃうよ?」

「俺なら好きな人には笑顔でいてほしい、花桜梨のおかあさんだってきっとそうだよ!」

「悲しい時はいつでも俺が胸を貸すから!」


 政幸まさゆきは最後の発言を発した時花桜梨かおりを抱きしめている事に気付いた。

 抱きしめているとはいっても体の接触はそれ程多くはない。

 ペアで行うストレッチの方がよほど接触箇所が多いだろう。

 冷静さを取り戻し少し慌てたが、離れたくなかった。

 政幸まさゆきの腕の中には政幸まさゆきにとって大切な大切な者を抱きかかえている。

 今まで経験した事のない感触だった。

 絶対に壊したくない・・・。




 しばらく政幸まさゆきの胸を借りて泣いていた花桜梨かおりだったが、冷静さを徐々に取り戻していった。


矢野やのさん、ごめんなさい。」

「変な所見せてしまって・・・。」


 政幸まさゆきは首を左右に振った。


「中に兄が居ます。」

「上がってください。」


 政幸まさゆき花桜梨かおりを離したら壊れてしまうのではないかという気持ちとなりとても不安だった。

 だが離さない訳にはいかない。


 政幸まさゆき花桜梨かおりに案内され奥の部屋のふすまを通り中へ入っていった。




 部屋の中には真司しんじが居た。

 まるで生気が感じられない程落ち込んでいる様だ。

 部屋の中央に置かれた折り畳み式の座卓の上に母の遺骨が置かれていた。

 真司しんじはその白い布で包まれた箱を焦点の合わない瞳でじっと見つめている。

 政幸まさゆきはその白い箱の前に座り黙祷した。



 政幸まさゆきは目を見開き真司しんじの顔を確認した。

 まるで生気が感じられない真司しんじには似つかわしくない表情である。


 政幸まさゆきはどう話しかけていいのか解らなかった・・・。

 政幸まさゆきが思い悩んでいると真司しんじが口を開いた。


政幸まさゆき来てくれたのか・・・。」

「ありがとう、母ちゃんもきっと喜んでくれていると思う・・・。」


 政幸まさゆき真司しんじのこんな弱々しい声も聞いた事が無かった。


真司しんじ・・・ごめん俺・・・こんな時なんて声かけていいか解らないんだ・・・。」


 本心から本当にそういう思いだった。



「いいさ、おまえ政幸は本当に心配してきてくれた。・・・そんな事はわかっているさ・・・。」

「昼間さ会った事もない親戚らしい人間が昼に来たよ・・・。」

「家に財産ないの解ったらいつの間にか居なくなっていた。」

「そいつらは母ちゃんが死んだ事を何も思っていなかったんだ。・・・」

「その点、おまえ政幸は遠いとこから駆けつけてくれた・・・。」

「血のつながった親戚よりお前が来てくれた方が母ちゃんも嬉しいと思うよ・・・。」


 本当に真司しんじらしくない発言だ。


「しっかりしてくれよ!真司しんじ!」

「今は無理だって俺も思うし今言う時ではないのも解ってる!」

おまえ真司は会った事もない親戚のこと話していたな!?」

「そんな奴は親戚なんかじゃない!」

「ならおまえ真司花桜梨かおりちゃんは世界で唯一血のつながった存在なんだよ!」

「それにさ、今は真司しんじしか花桜梨かおりちゃんを守ってあげられないんだ!」

「今こんな事言うなんてお前からすれば何をバカな事を言っているんだと思われるかもしれない。」

「しかし俺はそんな立場に居るおまえ真司が羨ましい!」

「変わってもらいたい位だ!」

「だが今の俺ではダメだ!」

「だから頼む!花桜梨かおりちゃんを守ってやってくれ!」


 真司しんじは表情はそのままであったが、口元が微笑んでいるかのように見えた。


「わかってるさ政幸まさゆき・・・。」

花桜梨かおりは責任をもって卒業まで面倒を見るよ・・・。」

「なんならその後も見るさ・・・おまえ政幸の言う通り唯一の肉親だもんな・・・。」

「俺、社会人なんだぜ?」

「お前と違って働いて社会に貢献してるんだぜ?」

「給料はまだまだ安いが、まあ何とかなるだろ・・・二人で頑張ってみるよ・・・。」


 政幸まさゆき真司しんじの言葉を聞いて信じるしかないと思った。

 目標が無くなった真司しんじはその事によって覇気が亡くなっただけだ。

 きっと妹である花桜梨かおりを守るという目標が出来たのだから絶対に立ち上がれる。

 真司しんじはそういう男だ。


 二人の会話を聞いていた花桜梨かおりは下向き加減になり泣いていた。

 元々小柄だった花桜梨かおりだったがその姿が更に小さく見え不安になった。






 時は同じく平成初期のバブル景気。

 日本中を沸かせた大景気であったが、気付く者は少なかったがその景気にも不穏な影が見え始めた。

 西側と東側の冷戦という対立も徐々に西側優勢に傾きつつある世界情勢。

 激動と言われた昭和から移行した時代であったのだが目に見える戦いこそ無けれどもその戦いの形態が大きく変わっていた。

 その平成はどんな時代なのだろうか? 希望? 絶望?

 誰もが生活に大きな変化をもたらす前兆を含んだ時代の話。

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