第26話 奮励〈ふんれい〉(4)

 政幸まさゆきは高校を卒業していた。

 既に進路は決めており進学をする事が決まっていた。

『立派な人間になる』これが政幸まさゆきの目標である。

 だが目標があまりにも漠然としたものである。

 立派な人間の定義は数多くあると思う。


 貧乏でも人々の為に自らを犠牲にする立派な精神を持つ人間か?


 これは政幸まさゆきには当てはまらない。

 政幸まさゆきは愛する人と共に幸せになりたいのである。


 歴史に名を残すような偉人になる?


 これは論外である。

 その様な人間になれる気は全くしない。

 これは政幸まさゆきの思い込みに過ぎないであろうが、その様な人間になるには家族の犠牲を払っているケースが多々あるのではないか?


 衣食住を満足させ、用入りになった際も金の心配をさせない人間?


 これは普通だろう。

 一定の収入があり、ある程度生活に余裕がある。

 家族サービスを行えるくらいの甲斐性があればいい。

 問題はの価値観が人それぞれ異なる事であろうか。


 結局普通が一番なのかもしれない。


 よく勉強して、良い学校に入って、良い会社に就職する。


 反発心の強い少年達が嫌がる台詞であろう。


 それが嫌なら何になるというのだ?


 ミュージシャンにでもなるのか?

 余程の実力と運がない限りまともに食っていけるとは到底思えない。


 子供の頃夢見ていた宇宙飛行士にでもなるのか?

 これこそ狭き門である。

 仮になれたとしても組織に所属するはずだ、結局サラリーマンみたいなものだ。


 ならば職人か?

 これが一番現実的かもしれない。

 自らの腕一つで仕事をこなす職人。

 大変立派な職業だと思う。

 だがこれも腕と信用が伴っていないと意味が無い。

 それに最近は職人の世界も労基が適用されているところもあり、サラリーマン化が進んでいるケースもある。


 大半の人間はどこかの組織に所属しており結局普通が一番現実的だと思い知らされる。


 政幸まさゆきは結局普通の道に進むことに決めた。


 少しでも良い収入を得る為に大学卒くらいの肩書は欲しかったのだ。


 だが大学に行くのは親に頼らなくてはならない。

 両親に頼りたくは無かったのだがこればっかりはどうにもならない。


 政幸まさゆきは両親に頭を下げ大学進学を許してもらった。


 ただし条件が2つあった。


 1つは4年間で必ず卒業する事。


 これは当然であろう。

 学費を出すのは親である。

 4年で卒業するのが普通なのだから5年も行くのは余計な出費となる。


 もう一つは車で移動して、朝出発したら昼には到着できる距離の大学に行く事。


 これは完全な親心であろう。

 何かあったとしても駆け付けられる様に考えてくれているのであろう。


 政幸まさゆきは結局九州にあるとある大学に入学する事にした。




 真司しんじは地元の自動車会社に就職が決まった。

 これからどんどん稼いで母を助けると意気込みを見せている。

 本当に親思いの立派な息子だ。

 友人として非常に誇らしい。

 蛍子けいこ真司しんじと付き合っている様だ。

 もはや家族公認の仲である様だ。




 そして花桜梨かおりは・・・。

 政幸まさゆき花桜梨かおりは卒業式以来会っていない。


 真司しんじの家に電話した時、花桜梨かおりが出た場合は時を忘れるくらい会話をしていた。


 だが姿は一度も見てはいない。


 政幸まさゆきは九州に旅立つ前に一目だけでも花桜梨かおりに会っておきたかった。

 既に会う約束はしている。

 その日が待ち遠しい。






 花桜梨かおりと会う約束をした当日、政幸まさゆき花桜梨かおりと会う為約束した場所に来ていた。

 真司しんじが以前家族事を話してくれた河川敷である。


 花桜梨かおりはどのように成長して居るだろうか?

 昔は可愛らしい少女だったきっと美しく成長して居るに決まっている。


 政幸まさゆきが様々な思考を巡らせていると一人の少女の姿が確認できた。

 政幸の姿に気付いたのか政幸まさゆきの居る場所へ近づいてくる。


 政幸まさゆき花桜梨かおりに早く会いたいといった一心でその少女へ駆け寄っていった。


 少女の前で静止する政幸まさゆき

 少女の姿を確認した。

 間違いなく花桜梨かおりであった。


 花桜梨かおりの姿は政幸まさゆきの想像以上に美しく成長して居た。

 政幸まさゆき花桜梨かおりの姿から目を離せなくなっていた。


 普通ならこんな時は男から声をかけるべきだろう。


 だが最初に口を開いたのは花桜梨かおりの方であった。


「矢野さん?」


 政幸まさゆき花桜梨かおりの声に反応した。


「うん、矢野だよ。」

「本当に久しぶりだね・・・。」

「3年ぶりだね・・・。」


 政幸は気の利いた言葉一つ出てこない。

 花桜梨かおりに出会えた感動で胸がいっぱいだったのだ。


「お久しぶりです・・・お元気でしたか?」


 花桜梨かおりはにかむ様な笑顔を見せていた。


花桜梨かおりちゃん、俺はもうすぐここを離れ九州の大学に行く・・・。」


 花桜梨かおりは驚いた様子はない、真司しんじから聞いているのであろう。


「だから今日はお別れに来た。」

「最後に花桜梨にどうしても会いたかったんだ・・・。」

「覚えてくれているかな、俺達の中学の卒業式の日、花桜梨に『気づかせてくれたのは花桜梨なんだ』と話した時の事を。」


 花桜梨かおりは小さく頷いていた。


「俺はね、あの時から変わろうと必死に努力したつもりだよ。」

「あの時の俺からは想像できないだろ? 俺が大学に進学するんだよ?」

「もう本当に必死だった。」


花桜梨と会わなかったのも『立派な人間』になってからだと決めていた。」

「でも今日くらいは許してほしい・・・三年も我慢したんだ・・・。」

「俺はね、あの時からかおりに対する気持ちは少しも変ってはいない。」

「でも会えないってすごく辛かった・・・。」

「会おうと思えばいつでも会える距離に花桜梨が居るんだよ?」

「会えるのに会わないってバカな奴だと思われるだろうけど、自分に対しての戒めで君に会わなかった。」

「向こうに行っても頑張るよ。」

かおりに会う資格が出来たと自信が持てたらかおりに会いに行く。」

「だからその時、俺にチャンスが残っているなら、君にプロポーズするつもりだ。」


 花桜梨かおりは笑顔だった。

 以前の様に泣き顔ではない。


矢野やのさん。」

「わたしって結構すごいですね。」

「まだ高校生なのに予告とはいえプロポーズされちゃうなんて・・・。」

「わたし、嬉しいって思ってるのかな?」

「それとも、嫌がっているのかな?」

「よくわからないのです。」

「でもわたしは貴方政幸に愛されているのは感じています。」

「それはすごく嬉しい感情です。」

「わたしは正直まだ自分の感情をよく解っていません。」

「わたしは気持ちが固まるまで返事は出来ません・・・。」

「わたしって成長しませんね。」

「わたしはいつになったら大人になれるのかな・・・。」


 花桜梨かおりこの言葉を最後にこの話題に触れなくなった。

 政幸まさゆきもこの話題を出そうとはしなかった。

 花桜梨かおりへの返事は気長に待つ覚悟を決めた。

 そして大学に行く4年間花桜梨かおりに会わない決心をした。

 それはとても辛い事である。



 政幸まさゆき花桜梨かおりに4年間合わないという決心も以外にも早く崩れ去る事にこの時の政幸まさゆきは想像もしていなかった。





 時は平成の時代。

 前年には東西の戦いの東側の陣営が崩れる大きな事件となるベルリンの壁が撤去されていた。

 年末には社会現象となった地方から中央に乗り込んだ葦毛の競走馬怪物の感動のラストランがあり競馬に興味がない人々にもその知名度が浸透していた。

 実弾の飛び交う戦いこそ巻き込まれてはいなかったが、日本中を巻き込む大きな事件出来事がこの年の末に起こる。

 バブル経済の崩壊である。

 長い長い冬の始まりが訪れる年の出来事。

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