第18話 帰省〈きせい〉

 政幸まさゆきは仏壇の前で手を合わせていた。

 仏壇の位牌は全部で三つ。

 香の香りが鼻につく。

 政幸まさゆきは長時間そこに座っていた。

 故人にささやきかけているのだ。

 生前の故人との懐かしい思い出と共に・・・。




 政幸まさゆきは十分に満足したのか目を開け顔を上げた。


 部屋の左手を見ると壁には三つの遺影が飾ってあった。

 今ではあまり遺影を飾る家庭はあまりないがここには遺影が飾られていた。


 一番右に真司しんじ花桜梨かおりの母。

 真ん中に真司。

 そして一番左に花桜梨かおりの遺影が飾られていた。


 真司しんじは交通事故で亡くなった。

 歩道を歩いていた時暴走してきた乗用車が真司しんじの居る歩道に乗り上げて来たのだ。

 乗用車の運転手は飲酒運転だったらしい。

 真司しんじは即死だった。

 苦しまず逝けた事が幸いだったのかもしれない。

 だが真司しんじは愛する家族に死に目をみとられていない、それどころか別れの言葉すら交わせていない。


 どちらの逝き方が真司しんじにとって幸せだったのだろうか?

 いや不幸が起こった時の選択肢を『幸せ』と表現するのは適切ではない。

 この『幸せ』というワードはと表現するべきなのかもしれない。

 だがあえて表現を使わせてもらうなら、政幸まさゆき真司しんじなら後者の方が幸せに逝けたと思う。

 真司しんじはそんな男だった。




 政幸まさゆきは目を細めて三人の遺影を眺めていた。




 政幸まさゆきが遺影を眺め続けていると部屋のふすまが静かに空いた。

 丸いお盆を手に持っている女性が部屋に入ってきた。

 お盆の上にはお茶と茶菓子。


「センパイお茶でもどうぞ。」


 政幸まさゆきの事を『センパイ』と呼ぶ女性は、下野しもの蛍子けいこ

 政幸まさゆきの親友である真司しんじの未亡人でもあり、生前の花桜梨かおりの親友、そして茉莉まつりの育ての母でもある。


「ありがとう蛍子けいこさん。」


 蛍子けいこ真司しんじの死後も真司しんじ達と過ごしたこの借家で生活している。

 子宝に恵まれず、実子以上に可愛がっていた茉莉も今はここでは生活していない。

 一人で過ごすには少々広い生活空間であろうが、思い出の詰まったこの借家いえから離れたくないのであろう。

 元々裕福な家庭で生を受けた蛍子けいこ真司しんじの死後実家に帰れば不自由のない生活を送れただろう。

 だが頑として実家には帰らなかったのである。

 蛍子は昔からそんなとこがあった。

 蛍子けいこの本質は昔から変わってはいないのであろう。

 変ったものと言えば人生を重ねたことで様々な経験をしたゆえの成長と小綺麗にはしいるが年齢を重ねた結果少々老けた事、トレードマークだったポニーテール束ねても馬の尻尾をを思い起こさせる程長かった髪をおかっぱショートボブにしている事くらいなのかもしれない。



 政幸政幸は出されたお茶を啜っていた。


「そうそう、茉莉まつりってちゃんと会社でうまくやってます?」


 蛍子けいこは義理の娘とは言え目の中に入れても痛くないほどかわいがっていた茉莉まつりの会社での生活を聞いてきた。

 親心というものであろう。


「うまくやってるんじゃないかな?」

「入社した時、社内の男達が騒いでいたよ、まああの容姿だからね・・・。」


 蛍子けいこは首を上にあげていた。

 視線の先は花桜梨かおりの遺影であった。

 親友でもあり茉莉の母であった花桜梨かおりに愛娘の現状を報告しているのだろうか?


「センパイ成長した茉莉まつりの姿をみてビックリしたでしょ?」

茉莉まつりってば大きくなればなるほど花桜梨かおりに似てくるんだよね。」

「あたしですら錯覚するくらいにね・・・。」


 そう言って花桜梨かおりの遺影を見続ける蛍子けいこ

 花桜梨かおりの遺影は現在の茉莉まつりにそっくりである。


 蛍子けいこは成長して実母花桜梨に似ていく茉莉まつりの姿を見続けどんな思いだったのだろう?

 茉莉まつりの姿を見る度、親友花桜梨との思い出を思い起こしていた事だろう。

 中学生になった茉莉まつりを見た時は中学の思い出を思いおこし、高校生になった茉莉まつりを見れば高校時代の思い出を・・・、そして現在の茉莉まつりを見れば親友花桜梨の死を思い出す事だろう。


 そんな姿の茉莉まつり義母蛍子の前より巣立っていった時の気持ちはどうだったのだろうか?


 蛍子けいこは首を下げ政幸まさゆきの顔を見ていた。


「社内の男達が騒いでるって言ってましたけどそんなにあのって人気あるのです?」


「大人気じゃないかな? 社内の男共をまくってるって噂があるくらいだし。」


「そうですか・・・。」


 蛍子けいこは少し心配そうな顔をしている。


「でも、センパイがいるから少しは安心ですよね?」

茉莉まつりた男の逆恨みとかあっても守ってもらえますもんね!」


 蛍子けいこは両腕を水平に上げ両掌てのひらを見せていた。


 相変わらずのジェスチャーである。

 茉莉まつりの普段の行動もこの母蛍子があってこそのものだろう。


「でも俺は茉莉まつりちゃんとは他人だしな、そんな権利は俺には無いと思うな・・・。」


「またまたぁー、花桜梨かおりの娘をセンパイが面倒見ない訳ないでしょ?」


 蛍子けいこは肘を曲げ腕を垂直にしてのひらを左右に振っていた。

 しかし真面目な表情をし、座卓の上に両肘を当て掌で頬を包んでいた。


「今でも花桜梨かおりの事好きなんでしょ?」


 本音を悟られ少し気恥ずかしさはあったが蛍子けいこ政幸まさゆきがかつて起こした事件告白の当事者以外で一番近しい立場であった。


「うん・・・。」

「女々しいと思われそうだけどね・・・。」


 蛍子けいこは顔の前でてのひらを左右に振り続け笑っていた。


「思わない、思わないってーっ、あたしだって似たようなもんだし・・・。」


 そう言うと今度は真司しんじの遺影を見つめていた。

 まるで真司しんじとの思い出を懐かしむ様に・・・。


一緒結婚にはなっていないにせよ茉莉まつり花桜梨かおりの娘だもの、センパイにとっても娘みたいなものでない?」

「センパイも以前茉莉まつりの事を娘って言ってたことあたしは知ってるしねーっ。」

「だから茉莉の面倒見てくれるってあたしは信じてるな・・・。」

「でもね・・・。」


 蛍子けいこは座卓に両手をつき腰を浮かべで前のめりになっていた。


茉莉まつりの一番の親はこのあたしだからね!」

「センパイが茉莉まつりの事を娘と思うことは別に否定しないけど、この立場だけは譲れない!」


 でた、蛍子けいこの親馬鹿ぶり・・・。


「わかった、わかった! ・・・、茉莉まつりちゃんの一番の親は蛍子けいこさんだって・・・ そんな事は解りきってるって・・・。」


 蛍子けいこは頷き満足そうな表情をしていた。


「だから茉莉まつりの事は娘同然と思い、しっかり面倒見てあげてくださいね!」


 蛍子けいこは人差し指を立て前後に振っていた。


「わかったよ、娘同然として面倒みるよ!」


 蛍子けいこは両腕を組んだ。


「よろしい! 鋭意努力したまえ!」


(もっともあの子茉莉の方はセンパイには娘扱いしてほしくはなさそうだけど・・・。)




 政幸まさゆき蛍子けいこは昔話に花咲いていた。

 今だからこそ話せる会話もあり、昔話とはいえ蛍子けいこの本音を垣間見ることも出来た。


 蛍子けいこは部屋の時計を気にしている様だった。

 政幸まさゆきは空気を読み帰ろうと思った。


蛍子けいこさん、今日はありがとう、そろそろ御暇おいとまさせてもらうよ。」


 政幸まさゆきが立ち上がろうとすると、蛍子けいこは両腕を突き出してのひらを広げそれを左右に振っていた。


「いやいや、センパイ、もっとゆっくりしていったら?」

「晩御飯も用意するから食べてから帰ってってよ。」


「いや、しかし近所の目もあるだろうし、見知らぬ男が長居するのはあまり好ましくないと思うけど・・・。」


 蛍子けいこは今度は肘を曲げ顔の前でてのひらを左右に振っていた。


「いやいや、そんなの気にしなくていいって・・・。」


 蛍子けいこ政幸まさゆきを引き留めたそうにしていた。何か引き留めたい理由があるのだろうか・・・。

 嫌な予感がする・・・。


 すると玄関方向より物音が聞こえた。


「ただいまーっ!」


 どこかで聞いたことのある声・・・。

 間違いない茉莉まつりの声である。

 どうやら嫌な予感は的中の様である・・・。


 政幸まさゆき蛍子けいこを睨んでいた。


 蛍子けいこは乾いた笑いを浮かべ玄関に駆け寄っていった・・・。

 そう、まるで政幸まさゆきから逃げるように。


 玄関から茉莉まつりの元気な声が聞こえる・・・。


「伯母さんただいま!」

「おじさん中にいる? ちゃんと引き留めててくれた!?」


 どうやらこの二人はだった様である。

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