第6話 往日〈おうじつ〉(6)

 花桜梨かおりに会う覚悟を決めた政幸まさゆき真司しんじ達の部屋の前でずいぶんな時間待たされていた。


 当然だ。本来大人しく目立つような行動を避けている花桜梨かおりが校内の注目を一身に集めるとなった当事者である政幸まさゆきが訪ねたらどの様な気持ちとなりどの様な反応をするか想像しがたかった。


 中では真司しんじ花桜梨かおり政幸まさゆきが謝罪したい旨を説明してくれていることだろう。


 だが時間は刻々と経っていき、すっかり日も落ちアパートの2階の廊下の蛍光灯には虫達が集まっていた。

 政幸まさゆきは虫達の行動をずっと目で追っていた。

 あまり思考を巡らせたくなかったのである。


 仮に真司しんじの説得がうまくゆき、花桜梨かおり本人に会うことが出来たとしてもどうせ頭が真っ白となり本来言うべきであった台詞は頭から抜けてしまうことだろう。

 とにかく今は花桜梨かおりに対して誠意を見せること、たとえ許されなかったとしても、嫌われ続けようとも、これだけに集中しようと決めていた。


 待たされる時間が長く、思考停止していた事からか政幸まさゆきは思いのほか冷静であった。

 アパートの扉が開き真司しんじが顔を出したとき、冷静さはわずかながら動揺にかたむいたが、それでも政幸まさゆきの気持ちは割と落ち着いていた。


「まあ、上がってくれ。」


 真司しんじから部屋に入るよう声を掛けられ部屋に入った。


 玄関というにはいささか狭い空間ではあったが置かれている靴は秩序良く整理されていた。

 目の前には台所が広がり古めかしい造りながらも清掃が行き届き清潔感すら感じられた。

 左側にはおそらく風呂とトイレ、正面にはふすまがあり、ふすまの向こうの部屋に花桜梨かおりが居るのだろう。


 真司しんじに先導されふすまの奥に通される政幸まさゆき


 部屋の奥の角に花桜梨かおりは座っていた。


 真司が花桜梨かおりに話しかける。


花桜梨かおり、さっき話した、矢野やの政幸まさゆきだ、気まずいかもしれないが、話だけでも聞いてやってくれ。」

「兄ちゃんいたら、おまえ花桜梨政幸まさゆきも話し辛いと思うから兄ちゃん席外すから。」


 部屋から出て行こうとする真司しんじを目で追い少し不安そうな表情をする花桜梨かおり

 真司しんじは気を使ってくれた様だが、花桜梨かおり真司しんじにはこの場にいてもらいたかったのであろう。

 少し瞳が潤い何かのきっかけがあれば泣き出してしまいそうな不安を隠しきれない表情をしていた。


 真司しんじが部屋から出て行き、取り残された二人の間にはしばらくの間会話は全くなかった。

 花桜梨かおりはうつむいたまま、政幸まさゆきとは目を合わせようともしなかった。


 事件を起こした犯人と被害者のみが同室にいる状況である。

 釈明を行わなければいけないのは当然犯人の立場である政幸まさゆきの方である。


 政幸まさゆきは落ち着いた声で最初の一声を発した。

 とにかく感情的な話し方になるのだけは避けたかった。


花桜梨かおりちゃん・・・。」


 お互いの事を何も知らな状態で自己紹介もせず名前を呼ぶのはどうかと躊躇ってはいたが真司しんじの事だ、ちゃんと説明してくれている事だろう。


「昨日の事なんだけど、本当にごめん。」


 頭を深く下げ落ち着いた声で会話を続けようとする政幸まさゆき


「俺が勝手にしたで、校内で変な目で見られただろうね・・・。」

「でも、そんな嫌な思いをさせたくてあんな事をいったのではない事だけは解ってほしい。」

「結果、君を傷つけてしまった事をものすごく後悔している。」

「だけどね・・・、だけど、あの勢い任せで君に言った言葉も全く偽りはない。」

「今も気持ちは全く変わっていない。」

「とにかく今日は君に謝りたい、それだけを考えてここに来た。たとえ君に嫌われ続けられようと・・・。」


 何も喋ってくれない可能性もあると覚悟をしていた政幸まさゆきであったが、意外にも花桜梨かおりから返答が返ってきた。


「嫌ってなんていませんよ・・・。」


 花桜梨かおりから政幸まさゆきが想像をしていなかった、意外な言葉が発せられた。

 ちいさな声で、しかしはっきりと聞き取れる声だった。


 政幸まさゆきは少し頭を上げ花桜梨かおりの表情を窺った。


 あきらかな泣き顔、うれし涙などではない。

 そして泣き顔のまま無理に笑っているのが痛々しかった。

 政幸まさゆき花桜梨かおりの顔を初めて間近で見た。

 それが無理に笑う作り笑顔だったのだ。

 胸が少し痛かった・・・。


「生涯わたしの事を愛し続けてくれるのですよね?」

「そう言ってくれる人の事を嫌う訳ないですよ。」


 政幸まさゆき花桜梨かおりに気を使われていた。


 泣き出したい気持ちの中政幸まさゆきへの気遣いが政幸まさゆきの気持ちを一層暗いものに変えた。


「わたしはもう大丈夫です。もう気にしないでください。」

「今朝もクラスで、事を噂されていたのですけど、私の友達がものすごい剣幕で噂していた子たちと口論してくれて、その後は誰も噂する子は居なくなったんです。」

「噂していた子達も後でわたしにあやまってくれる子もいて、すごく嬉しかった・・・。」


 政幸まさゆきは、『わたしの友達』『ものすごい剣幕』『口論』この3つのワードで確信した。

 きっと、蛍子けいこの事だ。


「それって木原きはらさんの事?」


 花桜梨かおりとした表情をした。


蛍子けいこの事ご存知なんですか?」


「実は今日の昼時間、俺を訪ねてきて色々話したんだよね。」


 花桜梨かおりの表情が何かを理解したような表情に変化した。


「だから、蛍子けいこ矢野やのさんの事を、『本人も謝りたいだろうから、その時は聞いてやってほしい』なんて話していたのですね。」


 蛍子けいこは約束を守ってくれていた。

 大変結構、良い奴だ。

 だが政幸まさゆきの関心は蛍子けいこの事より花桜梨かおりに名字とはいえ名前で呼ばれた事に関心が向いていた。

 自分の存在を花桜梨かおりに認識してもらえた事が何よりも嬉しかった。



 蛍子けいこの話題が発端で政幸まさゆき花桜梨かおりの間には自然な会話が交わされていた。

 花桜梨かおりの無理な表情も消え自然な笑顔を垣間見ることも出来た。

 非常に心地よい時間である。


 このままこの時間が続けばいいとは思ってはいたが、この貴重な時間を提供してくれた真司しんじが気を使い外で待っている。

 惜しむ気持ちを抑え政幸まさゆき花桜梨かおりに真司の事を伝え帰宅の途につくことにした。


花桜梨かおりちゃん、迷惑かけてごめんね。」

「今度からは良く考えてから行動するよ。」


「もう気にしないでくださいって言いましたよ?」


 花桜梨かおりはすまし顔で答える。


「ああ、そうだったね。」

「じゃあ、言い直すよ。今日はありがとう、とても楽しかった。」


「そちらの方が素敵でわたしは好きです。」


 彼女花桜梨の笑顔がとても眩しかった。

 ずっとその笑顔を見続けたいと、心の底から思っていたが、友情真司の方も無視できない。

 互いに笑みを浮かべ別れを告げた。



 政幸まさゆき真司しんじ達の部屋から出ると、真司は廊下の蛍光灯の虫を見つめていた。

 先程の政幸まさゆきと同じで何だか少し可笑しかった。


 政幸まさゆきの存在に気付いた真司しんじ政幸まさゆきに話しかけた。


「終わったか?」


「すまないずいぶん待たせてしまったな。」


「いやいいさ。」

「で守備はどうよ?」


 政幸まさゆき真司しんじの求めている回答をあえて言わなかった。


花桜梨かおりちゃんって、いい子だな・・・。」


 その言葉を聞いた真司しんじは全てを察した様だった。


「そうか・・・、良かったな政幸まさゆき。」


 真司しんじは笑顔になり、言葉数こそ少なかったが、本気で政幸まさゆきの事を喜んでくれている様に感じた。




 時は昭和の終盤。

 バブル景気の真っ只中、一億総中流と言われ日本中に元気があった時代。

 英国皇太子夫妻が来日し皇太子妃の容姿とファッションが注目され、銀幕はスポーツカーデロリアン型のタイムマシンが過去に飛び歴史を修正する話が話題となった年の出来事。

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