観音寺君登場〜その7

「賞状を持ち出したのは、人ではありません……です」


さらりと答える凪。

そのあまりに想定外な返答に、その場の全員が一斉に凍りつく。


「か、カラス……だとっ!?」

口をパクパクしながら、声を絞り出す学斗。

「はぁ」

「カラスって……あ、あのカラスか!?」

「はぁ」

「あ、あの鳥の……!?」

「はぁ」

「黒くて、カァと鳴く……!?」

「いえ、鳴き方はカァ〜です」

「カ〜……こ、こうか?」

「もう少し心をこめて」

「く、くわぁ〜……」


「……んなこたぁ、どうでもいい!」

凪と学斗の会話にブチ切れる美乃。


全く、コイツらときたら……


「それにしても、なんでカラスなのよ?」

叱られて涙ぐむ凪を、美乃が問い詰める。


「あ、あの校舎の裏手は山が近いためか、よく鳥が飛んできます。しばらく観察してみたのですが、書道部の換気窓にとまるのはでした。どうも、山へ帰る途中の休憩場所にしているみたいです」

「観察って、アンタ……昨日の昼休みに来なかったのは、そのためだったの?」

呆れ顔で尋ねる美乃に、凪はコックリと頷いた。


「僕は棚橋さんに、ある質問をしました。換気窓がと……すると、頻繁にあると教えてくれました。そのたびに、拭き取るのが大変なのだと……それで確信しました」


「だからと言って、カラスが持って行ったとは限らないじゃないか!ただ、窓にとまっただけかもしれないし……第一、鳥なんて臆病な生き物が、わざわざ窓から中に入ってくる理由が無い」

凪の言葉尻を取り、学斗が吠える。

とても信じられないといった顔だ。


「確かに鳥というのは用心深い動物です。しかしカラスは、それ以上にな生き物でもあるのです」


「食いしん坊な生き物……?」

学斗は眉をひそめ、その台詞を繰り返した。


「初めて書道部を訪れた時、僕は棚橋さんの袖口がのに気づきました」


「袖口……ああ、墨汁が付いたとか言って……」


「あの汚れは墨汁ではありません。あれはの汚れです」


「ち、チョコレート!?」

驚きの声を上げたのは紀里香だった。


「咄嗟に棚橋さんが墨汁と言ったので、皆そうだと信じ込んだんです。書道部で墨汁が付いたと言っても、誰も不思議に思いませんから……でも、僕はすぐにチョコレートだと分かりました」

その味を思い出すかのように、目を閉じるフヌケ少年。

「そういやフーちゃん、チョコパン好きだもんねー」

感心したように呟く紀里香に、凪は親指を立てイェイのポーズをとる。


「そこで僕は、二つ目の質問をしました。棚橋さん……アナタはあの朝、んじゃないですか……と」

凪の言葉に、皆の視線が文に集まる。

それまで下を向いていた少女は、真っ赤に染まった顔を上げた。


「……はい……食べてました」


「なんで……そんなこと!?」


ポツリと呟く文に、カオルが問いかける。

その顔にチラリと視線を送ると、少女は意を決したように口を開いた。


「早朝ミーティングの日は、いつもより早く家を出ないといけないんです。でも私、朝が苦手で……朝食を食べずに出る事も度々たびたびあって……そんな時、いつも手近にあるお菓子を持って飛び出すんです。クッキーとか、チョコレートとか……」

誰も何も言わず、文の話しに耳をかたむける。


「あの日は、ブラックチョコレートを持って出ました。そして皆が退室した後、いつものようにそれをかじりました。その時ふと、袖垣部長の賞状が目にとまったんです。いつもは額縁に入っていますが、その時は半紙ケースに置いてあったので……私、間近で見たくなって……つい食べながら手に取ったんです。でも、そのせいで……こんな……」

そこで言葉を詰まらすと、文は両手で顔を覆った。

かすかに肩が震えている。


「棚橋さんが賞状片手にチョコを食べている時、思わぬ事が起こりました」

すかさず、凪が後を続ける。

そこからの展開は、すでに分かっているようだ。


「部室の外で、誰かが近づくがしたのです。驚いた彼女はうっかり、チョコレートを賞状の上に落としてしまいました。欠けた粉が散らばり、棚橋さんは慌てて手ではたこうとしました。でも運悪く、溶けた部分が染みになってしまったのです」


「それで、袖口が汚れて……」

隣のカオルが、納得したように呟く。


「棚橋さんは焦りました。一体、誰だろう!?すると机の上に、見覚えのある筆記用具を見つけました。親友の谷本カオルさんのものです。ああ、彼女がこれを取りに戻って来たんだ。それに気づいた棚橋さんは、その筆記用具を手に取ると、急いで戸口から外に出ました。なんとしても、谷本さんを室内に入れる訳にはいきません。賞状を見られたら、自分がこっそり食べていた事を知られてしまうからです。だから筆記用具を谷本さんに渡すと、早々に部室を施錠しました」

そこまで語ると、フヌケ少年はへなへなと椅子に座り込んだ。

どうやら喋り過ぎて、酸欠状態になったらしい。


「でもその後、賞状はどうするつもりだったの?」

クルクルと目を回す凪を横目に、美乃が文に尋ねる。


「……部長に話して謝るつもりでした。カオルが戻って来た時は気が動転してしまって、つい隠してしまったんですが……でも放課後の部活で、賞状が無くなったって大騒ぎになって……それで私、結局言いそびれてしまって……」

文は、そこで言葉を詰まらせると涙ぐんだ。


「そんな事……全然気付かなかった」

そう言って、カオルは文の肩に手を置いた。

「ゴメンね。驚かせちゃって……」

「そんな……私こそ、黙っててゴメンなさい」

顔を見合わせ、手を取り合う二人。

相手への思いやりが、体から滲み出ていた。


「じゃあ、そのチョコレートの付いた賞状を狙って、カラスが室内に……?」

百合子が怖がるように胸に手を当てる。

その顔を見て、凪は小さく頷いた。


「ご存知のように、カラスは雑食です。食べられそうな物は、片っ端から口にします。その時も、たまたま窓からチョコレートの染み付いた賞状を見つけてしまったのです。換気窓の隙間から人気ひとけの無い室内に侵入し、賞状をくわえ、再び窓から外に出る……小さくて軽い紙片なので、持ち出すのにさほど苦労はいりませんでした」


「むわったく、話しにならない!」


苛立たしげに言い放ったのは学斗だった。


「一から十まで、全てが君の想像だ!裏付けとなる物証や根拠が全く無い。たとえチョコレートの件が事実だとしても、それをカラスが取って行ったなんて飛躍が過ぎる。悪いが、とても信じられんね」


やれやれといった感じで、両手を広げる学斗。

それには答えず、凪はゴソゴソとポケットを探り何かを取り出した。


「なっ……それは!?」


思わず叫ぶ学斗。

大きく見開いた目が、それに釘付けとなる。


凪の手にあるのは、紛れもなくだった。

ところどころ、食いちぎられたように欠けている。


「そ、それを……一体どこで!?」


続いて声を上げたのは文だった。


「裏山で見つけました」


そう言って、凪は賞状の残骸を差し出した。

恐る恐る、受け取る文。


「よく見つけたわね」


美乃も驚きを隠せないようだった。


「カラスというのは、を好んで寝床にするそうです。それで、あの山に小さな神社があるのを思い出して……もしかしたらと帰りに行ってみたら、拝殿の裏にこれが落ちていました。とてもラッキーでした」

淡々と語るフヌケ少年の顔を、皆が放心のていで見つめる。

その場の全員が、凪の推理の正しさを確信した瞬間だった。


「でも……良かった……」


安堵で涙ぐむ文の肩を、カオルが優しく支えた。



************



賞状の残骸を渡された棚橋文は、そのまま袖垣部長に事情を話した。

退部も覚悟の謝罪だったが、意外にも部長からの叱責は無かった。


「よく正直に話してくれたわね」

部長は賞状を半紙に包むと、文の顔を見た。


「でも、部室での飲食はルール違反だからね。罰としていつも以上にから、覚悟なさい」

そう言って、袖垣部長は笑いながら片目をつぶった。

部長は部を良くしたいだけ……という文の印象は当たっていたようだ。



************



「ぐっ……ま、負けた……この……僕が……くうぅ」


放課後の園芸部──


学斗が悔しげな顔で、うめいていた。


「……なぜだ……分析に間違いは無い……僕のプロファイリングは完璧だったはず……なのになぜ……?」

「プロファイルするのよ」

ワナワナと震える学斗の背後から、美乃が言い放つ。


「プロファイリングの弱点はね、ところよ。ヒトの行動パターンは分析できても、については機能しない。ご自慢の統計学データが無いからよ……アナタの敗因は、ね」

美乃の言葉に、ハッとしたように顔を上げる学斗。


「それに対して凪は、物事をみる時いっさい先入観を持たない。ありのままを感じ、自分の直感に従って行動する。だから、皆が気付かない事も見抜ける……まあ、これもフヌケ体質特有の特技かもしれないわね」

そう言って、苦笑いを浮かべる美乃。

しかし、その顔はどこか自慢そうだった。


学斗はまわりを見回すと、突然子供のように嗚咽し始めた。


「こ、今回は僕の負けだ、ううっ……約束通り、ヒック……今後一切、ヒック……君たちにチョッカイは、ヒック……出さない……ううっ」

虚勢を張ったセリフとは裏腹に、目と鼻から水滴が垂れ落ちる。

負けた事が、よほどショックだったと見える。


「そんな事言わずに……」


その様子を見ていた凪が、おもむろに口を開く。


「良かったら、また一緒にお昼食べましょう」


その言葉に、学斗は驚いたような顔で凪を見た。


「し、しかし……僕は君に、あんなヒドイ事を……」

「アナタと話してると、楽しいっス」

屈託のない笑顔を浮かべるフヌケ少年。


「なんか、他人の気がしません。もっと色々教えてくらはい、カンノンサマ!」

「カンノンジだ!き、君ってヤツは……ううっ」

しっかり訂正しながらも、学斗は感動に声を震わせた。


「今日から僕らは、親友っス!」

「ふ、フヌケきゅん!」

思わず凪の手を握りしめる学斗。

「そこはなのね」

すかさず美乃がツッコむ。


「よーし!君がそこまで言うなら仕方ない。明日の昼食は、がおごってやろうじゃないか。感謝したまえ!」

たちまち上から目線の態度に戻る学斗。

涙まみれの顔が、だらしなくニヤけている。

「そうと分かれば、こうしちゃおれん!さっそく買い出しに行かねば……」

そう言い残すと、学斗は教室を飛び出して行った。


明日の昼食を今から買うとは……


まあ、よっぽど嬉しかったという事か……


学斗の去った戸口を眺め、美乃は苦笑いを浮かべた。



「それにしても、アイツがあんなにとは意外だった……アンタ、最初から知ってたの?」

いぶかしげな表情を浮かべる美乃に、凪は笑いながら頷く。


、ホントは友だちが欲しかったんだと思います。僕が美乃さんらと食べているのが、羨ましかっただけなんです……だから、勝負に勝っても負けても、僕は彼の友達になろうって決めてました」

その言葉に、目を丸くする美乃。


「それで、こんな勝負を受けたのか……でもアイツが友達欲しがってるなんて、どうして分かったのよ」

美乃の問いに、フヌケ大王は照れ臭そうに頭を掻く。


「か、彼のような学者タイプには、ので……」

「多いらしいって……一体どこから、そんな……」

言葉を詰まらせ、まじまじと少年の顔を見る美乃。


「まさか、それって……プロファイリング!?」


「いえ、ネットの……ただの『』です!」


そう言って、凪は満面の笑みを浮かべた。


ウソかホントか分からぬその答えに、美乃は肩をすくめるしかなかった。

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