観音寺君登場〜その4

書道部に入ると、どんよりとした空気が漂っていた。

すでに部活の時間だが、誰の筆も動いていない。

皆、消えた賞状の事が気になっているのだ。

いや正確に言うと、ショックを受けた袖垣部長の事を気にしているのだろう。

勿論、身を案じているのではない。

登校してきた時、どんな八つ当たりをされるか……

皆、それを恐れているのだ。

萎縮した気持ちでは、いい字など書けるはずもない。


コホンと一つ咳払いし、学斗は室内を見回した。

部員が全員女子だと知ると、たちまち相好が崩れる。

の血が騒いだようだ。

「失礼する」

そう言って、勝手にスタスタと入室する。

仕方なく、美乃らも後に続いた。


「おやおや、これは……」

一人の部員の前で立ち止まり、書きかけの半紙に目を落とす。

「ぬわんと!実に見事な『あ』ですね」

「違います。これは『毎』という字です」

「え?」

部員の速攻の切り返しに、学斗の目が揺れる。

「あ、あー……そ、そうね。よく見ると『毎』だね」

そそくさと、その場から離れる学斗。


今度は、見るからに大人しそうな女子の前で立ち止まった。

「ぬわんと!『つる』とはまた風情ふぜいがありますね』

「あ、いえ……これは『さい』という字です」

「あ、あれ……?」

また否定され、学斗の顔が真っ赤に染まる。

「ぷーっ……」

思わず吹き出す美乃。


コイツ……


知ったかぶりして、結局墓穴掘ってしまった……


「い、いや、書道というのは実に奥深いもんだね……ニホンゴ トテモ ムズカシイ」

「いやいや、急に外人のフリしてもダメだから」

美乃の容赦無いツッコみが飛ぶ。

「オー カンノンサマ キモチ ワカリマース」

突如、凪が肩をすくめて声を上げる。

「ヘイ ワタシ カンノンサマ チガーウ」

つられて反応する学斗。

「オー ゴメンナサーイ ダレデーシタカ」

「カンノンジネ シッカリオボエロ コノヤーロ」

「ゴメンアルネ ゴメンアルネ」


べしっ!ぼこっ!!


「変な外人コトバ使うなっ!……てか最後、中国人になってたし!」

美乃の強烈なチョップを食らい、凪と学斗が頭を抱える。


この二人……


案外似てるのかも……


「これ……草書体だから、仕方ないと思います」

申し訳無さそうな声がした。

声の主は、例の大人しそうな少女だった。

「書道で使われる字体は、主に『篆書てんしょ』『隷書れいしょ』『草書』『行書』『楷書』の五種類あります。このうち、私たちの部で練習するのは『草書』『行書』『楷書』の三つです」

唐突に始まった解説に、学斗と凪は即座に襟を正した。

直立不動になり、ふむふむと首を振る。


やっぱ……似てる……


結局、コイツ(学斗)も単なるアホなのでは?


美乃が振り返ると、紀里香と百合子も苦笑いを浮かべていた。


「中でも『草書』は、とても判読しにくいものです。これはより速く書くために、省略部分が多いからです……一種の【走り書き】だと思って頂くと、分かりやすいかもしれません」

そう言って、少女は手元の半紙を持ち上げた。

確かに見ようによっては、『采』が『つる』という二つの文字に見える。


「あなたは……?」

首を傾げて尋ねる美乃。

「あ、私……棚橋たなはしふみと言います。一応この部の……副部長をしています」

その女子──文は、そう呟くと下を向いてしまった。

余計な事を喋ったと、後悔している顔だ。


「副部長?そりゃ丁度いい!ちょっと話を聞かせて欲しいんだワン!」

すかさず話に割って入る学斗。

勢い込み過ぎて、セリフの語尾が犬になっていた。

「話……?」

「例のについてさ」

その言葉を聴いた途端、文の表情がさっと曇る。

触れられたくない話題である事は、すぐに分かった。

「私は……何も……」

「なくなっている事に最初に気付いたのは誰だい?」

口ごもる少女の態度を無視し、学斗は質問を放った。

「それは……部員の子……です」

「その時の状況を教えて欲しいんだワン!」

また犬になっている。

「状況と言われても……」

話したくないオーラが、体から溢れ出る。

「賞状は、何処に置かれていたんだニャー?」

今度は猫だ。

(なんなんだ……コイツは!?)

その問いに、少女はハッとしたように顔を上げた。

暫しの沈黙の後、微かに震える指を窓辺に向ける。


窓の前には、長机が置かれている。

その上に、黒い半紙ケースが一つ乗っていた。

すぐさま、スタスタとそれに近寄る学斗。

蓋はされておらず、中身は空だった。

新しい額縁が来るまで、ここに仮置きされていたようだ。


そのまま顔を上げると、今度は窓を調べ始める。

裏山が見渡せる大きなそれは、全て内側からロックされていた。

上方には、換気用小窓がこぶしほどの隙間を開けている。

「念のため聴くけど、この部屋が無人の間は窓はロックされていたんだね」

学斗の問いに、文は渋々頷く。

「朝のミーティングが終わって、換気窓以外はロックしました。二、三人で確認したので確かです」

「ふむふむ……ぬわぁぁるほどね……いや、ぬわぁぁる……」

学斗は顎に手を当て、異様に間延びした『なるほど』を連呼した。


「どっちにしたって、これじゃあ無理ね」

そう言って、窓外を見下ろしたのは紀里香だった。

持ち前の好奇心を、抑えきれなくなったようだ。

他のメンバーも、つられて窓に顔を近付ける。


校舎の壁面に、手が掛けられるような凹凸は無かった。

樹木やつたなども生えていない。


「三階のここまでよじ登るのは不可能よ」

紀里香のダメ出しのひと言に、反対する者はいなかった。



「とっころで、と直接話がしたいんだが……」

ついに、専門用語まで飛び出してきた。

悦にいった学斗の目は、興奮で輝いている。

「放課後、部室の鍵を開けたのもその子なんだろ?」

答え辛そうにする文に構わず、学斗は質問を続けた。

「は、はい……」

「今、この部屋にいるのかな?」

「は、はい……」

「それは誰だい?」

「そ、それは……」



「ちょっと、いい加減にしてよ!」

突然、背後で声がした。

振り返ると一人の女子が、睨み顔で立っている。

「フミちゃん、嫌がってるじゃない」

背の高いその女子は、声を上げ抗議した。

「……君は?」

特に動ずる様子も無く、学斗は問い返した。

「谷本カオル……ここの部員よ。鍵を開けたのは私よ。当番だし」

「当番?」

「鍵当番よ。皆より少し早く来て鍵を開けるの。室内が散らかってないか、確認するため」

しっかりとした口調で答えるカオル。

文よりも、はるかに気が強そうだ。


「ほー、事前確認とは……えらく慎重なんだね」

「部長が……その……厳しいのよ。汚れた部屋で、良い字なんか書けないって……」

「ほほー、徹底してるね。君が来た時、賞状が無い事に気付いたんだね」

「私と一緒だったもう一人の子が、部屋に入るなり『あっ』て叫んだのよ。それで気付いた」

「もう一人の子?」

「鍵当番は二人一組なのよ。掃除が必要な時もあるから……その子、今日は家の用事で帰ったけど」

「ぬわるほど……ちなみに朝の部活も当番制かい?」

「早朝ミーティングのある日は、副部長のフミちゃんが開けてくれるわ。誰よりも早く来て確認してくれるし、終わったら最後の施錠もしてくれる。ホント、助かってる」

「そんな……これが私の役目だから」

カオルの言葉に、文が恥ずかしそうに首を振る。

「じゃあ、今朝も棚橋さんが施錠を?」

学斗の問いに、少女は小さく頷いた。


「施錠し忘れたという事は、絶対に無い?」

ふいに、横から美乃が口を挟んだ。

学斗と凪の勝負はともかく、密室事件そのものには彼女も食指が動いたようだ。

「間違いないわ。ミーティング終わって退出した後、私すぐに部室に戻ったから……その時、部屋から出てくるフミちゃんと鉢合わせしたの」

即答したのはカオルだった。

「戻った?それはなぜ?」

「筆記用具忘れたのよ、部室に……でも気付いたフミちゃんが持っててくれたの。私に渡すために」

そう言って、カオルは文の顔を見た。

文は照れ臭そうに、微笑んだ。


「部室に戻って来た時、賞状はあったの?」

「あったわよ。入口から半紙ケースの中に収まっているのが見えた。派手な賞状だから、すぐに分かったわ。その後、フミちゃんが施錠して、一緒に教室に向かったの」

そう語るカオルの態度には、なんの迷いも感じられない。


美乃には、この少女が嘘をついているようには見えなかった。

窮地に陥った文を助けようと、自ら名乗り出たのだ。

きっと日頃から、仲が良いのだろう。

その毅然とした物腰からも、人をだますような人物とは思えない。


でも、それなら……


文とカオルの話が本当だとすると、賞状はのだろう。


早朝ミーティング後、施錠を行なったのは文だ。

退室する際、彼女は持ち出してはいない。

その事は、すぐに引き返してきたカオルが証言している。

放課後に、部室を解錠したのはカオルだ。

賞状の紛失はペアの部員と同時に発見しているので、カオルが何かする時間は無い。

つまり唯一鍵を扱えた二人には、があるという事になる。


今回ばかりは、美乃にも皆目検討がつかなかった。


はどうなのかしら?


学斗の方は……


タブレットを見ながら、何やら考えこんでいる。

例のプロファイリングデータの詰まったアイテムだ。

時折見せる薄ら笑いから察するに、何か目星がついているのかもしれない。


一方、我らがフヌケ大王はと言うと……


窓から空を眺め、大きなあくびを繰り返している。

ぼんやりとした瞳には、まだ何の輝きも無かった。

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