百合子の冒険〜その7
イベリス……
それが五つ目の花の名前だ。
一つの株に、砂糖菓子のような花が肩を寄せ合うように集まっている。
甘い香りが特徴で、別名『キャンディタフト』とも呼ばれている。
百合子も大好きな花で、植物図鑑を見ずともその花言葉は知っていた。
『甘い誘惑』
まさに、この花にぴったりの花言葉である。
勿論それが何を示しているのかは、まだ分からない。
美術部の肖像画を経て手に入れた最終ヒント……
『園芸部部室で待つ』と書かれたメモからすると、そこで答えが明かされるのかもしれない。
翌日の早朝、昼休みと、百合子は一応部室に足を運んでみた。
当たり前のように、何の変化も無い。
やはり放課後まで待つしか無さそうだ。
放課後までの時間が長かった。
終業のチャイムと共に、百合子は教室を飛び出した。
園芸部に着くと、凪が扉の前に立っていた。
ワカメのように、体がユラユラと揺れている。
どうやら立ったまま、寝ているようだ。
「凪さん」
百合子が声をかけるが、起きない。
「凪さん」
袖口を引っ張ってみるが、まだ起きない。
「凪さん!」
腕を掴んで揺するが、まだねばっている。
「凪……アチョっ!」
百合子の空手チョップが首筋に炸裂する。
「ふぇっ!イソギンチャクちゃん……ボクの負け!?」
もはや定番となったセリフと共に、フヌケ大王が目覚める。
全く、よくこんなとこで寝られるなあ……
呆れるのを通り越して、感心してしまう。
「とにかく、中に入りましょう」
百合子は、気持ちを切り替えて言った。
一度深呼吸をし、緊張の面持ちで戸を開ける。
外から中を見回すが、誰もいない。
ゆっくり入室し、またあたりを見回す。
室内に変わった様子は無かった。
なんだろう……
誰もいないけど……
どうしたんだろう……
言いようの無い不安と焦燥感が百合子を包む。
本当に来るのだろうか?
挑戦状の送り主……
そして──
まどろっこしいほど遅く──
時が流れた──
その時──
「おっまたせー!」
突然、入口で声がした。
驚いて飛び上がる百合子の目に、大きなお皿を持って入って来る紀里香と泰葉の姿が映った。
皿の上にはイチゴのホールケーキが乗っている。
「紀里香!?」
思わず声を上げる百合子。
「なんで、あなたが……ここに?」
それには答えず、紀里香と泰葉はいそいそとケーキを机に運ぶ。
何!?
これは一体何なの!?
あまりの驚きに、百合子は次の言葉が出なかった。
「それが最後の花言葉……『甘い誘惑』の答えよ」
また声がした。
続いて入って来たのは美乃だった。
「どう?言葉通り、甘くて美味しそうでしょ」
そう言って、美乃がニッコリ微笑む。
三人は目で合図をすると、ケーキに蝋燭を立て始めた。
「……これって!?」
「せーのぉ……」
紀里香の号令で、皆大きく息を吸い込む。
「お誕生日ぃ、おっめでとー!」
室内に黄色い声が木霊した。
ワーっと歓声が上がる。
「えっ、な、何?そんな……えー!」
大きく目を見開き驚く百合子。
三人の笑う顔を見て、次第に落ち着きを取り戻す。
「まさか……この挑戦状って……!?」
「そ。何を隠そう、あなたのお誕生日のお祝いサプライズでしたー!」
そう言って、紀里香が派手に拍手をする。
美乃と泰葉もそれに同調した。
「ほら、あんたも……ぼーっとしてないで!」
あんぐり口を開けている凪に、美乃が声をかける。
何度も空振りしながら、フヌケ少年も拍手に加わった。
「あ、ありがとう。でも……どうしてわざわざ、こんなことを?」
やっと状況を理解した百合子が尋ねる。
「あなた、以前から自分の性格で悩んでたでしょ。すぐ人に頼ってしまうところが嫌いだって……だから、お誕生日のお祝いを兼ねて、あなたに自信をつけてもらおうと皆で考えたの」
紀里香が百合子に駆け寄り、嬉しそうに
「どうせなら、謎解き形式にしようって話になったの。私たちって、ほら……美乃探偵率いる美少女探偵団じゃない」
「誰が、美乃探偵よ!……ってか決めたのあなただし」
紀里香の言葉に、すかさずツッコむ美乃。
「それで百合子に挑戦状を送って、謎を解かせる事にしたの。宝探し風に一つ一つヒントを
紀里香が自慢そうに、変な忍者言葉を連発する。
「でも、四つ目の手紙は肖像画の中だったけど……」
「そう、そこは全面的に泰葉さんに協力してもらったわ。展覧会の作品を使ったのも、実は彼女の提案なの」
百合子の質問に答えたのは美乃だった。
「そうだったの……」
「
紀里香の後ろから、申し訳無さそうに泰葉が言った。
「紀里香からサプライズに参加しないかって言われた時、たまたま作品の陸奥亮子の姿とあなたのイメージが重なったの。初めて会った時から、綺麗な人だなって思ってたもんだから……それで美乃と紀里香に話したら、四つ目の手紙の場所は、そこにしようって事になって……キャンバスの裏側なら誰も気付かないから、少し切れ目を入れて手紙を隠したの。目印の紙片も付けてね。あなたに渡した三つ目の手紙にメモを付けたのも私よ。でもあなたが会場に現れた時は、本当にびっくりしたわ。すごい!ここまで謎を解いたんだって」
泰葉が目を輝かせて、称賛の言葉を口にする。
「ううん、そんな事ない。たまたま運が良かっただけ……」
百合子は否定するように、
「……でも、そもそもどうして花言葉なの?」
「そこよ!大変だったのは」
百合子の問いに、美乃が即答する。
「このサプライズで一番の問題は、あなたを今日、この場にいかに導くかという点だった。それには、あなたが自分の力で解けるヒントじゃなきゃいけない……そう考えた時に浮かんだのが、花言葉だった。植物に関してはあなたの右に出る者はいないから、きっと気付くに違いないと思ったの。あとカウントダウンも入れて、写真が全部で五枚だという事も強調した」
美乃が真顔で解説を続ける。
「勿論、それとなくアシストもするつもりだった。紀里香が画材担いで、あなたとスレ違ったのもそう……あなたに美術部の展覧会と作品の事を、それとなく伝えるためだった」
美乃の説明に合わせ、紀里香が片目を
「でも、あなたから凪が園芸部に来ていると聞いて、特にアシストは必要無いと思った。だってコイツがそばにいれば、フヌケレーダーで色々見つけるでしょ。きっと私たちより、役に立つと考えたから」
そう言って、美乃は凪を指差した。
フヌケ先生は、眠そうな目で宙を眺めている。
「もしあなたが今日に間に合わなければ、途中でやめようかとも考えていた。正直に話して、素直にお誕生日をお祝いしようと皆で決めていたの」
その言葉に紀里香と泰葉も頷く。
「でも、その必要は無かった。昨日の放課後、泰葉さんからあなたが最後の手紙を見つけたと連絡をもらった時は、正直ホッとしたわ……お見事よ!百合子」
満面の笑みで、美乃が称賛する。
その声は力強く、そして優しさに溢れていた。
「そうなんだ……私のために……ありがとう」
百合子の潤んだ目から、一筋の
「……でも結局、私一人の力じゃここまで来れなかったわ。植物図鑑にヒントがある事も、それぞれの手紙のありかも……凪さんのおかげで気付く事ができたから」
百合子の表情が、次第に曇り始める。
「私ってやっぱり、ダメね……」
そう言うと、百合子は
「ねえ百合子、イチゴの花言葉って知ってる?」
美乃の問いに、百合子はハッと顔を上げる。
「『尊重と愛情』よ。あなたは私たちに無いものを持ってる。豊富な植物の知識、育て方のイロハ、そして誰よりも花を
美乃の飾り気の無い口調が、それが真実である事を示していた。
百合子の胸に熱いものがこみ上げる。
紀里香と泰葉も同意の表情を浮かべた。
「誰かに助けてもらっても、いいじゃない」
美乃が、あっけらかんとした表情で付け足す。
「誰かに助けてもらいながら、何かを成し遂げるのは決して恥ずかしい事じゃない。ましてそれが親友なら当たり前よ」
「親友……」
思わず反復する百合子。
親友……
これほど嬉しく
これほど頼もしく
そして
これほど幸せな言葉があるだろうか
みんな私の……『大切な親友』
それはまさに、今の自分に最も相応しい花言葉だった。
「そう、親友……お互いの弱いところ、苦手なところを補い合うのが親友……だから、これからも、思い切り助け合いましょ!」
「そう……そうね」
百合子の顔に、輝きが蘇る。
自然と頬が緩んだ。
「ありがとう、みんな……そして……」
最後に、百合子の視線は凪を
「ありがとうございました!凪さん」
感謝と尊敬と……そして、熱い想いのこもった眼差しだ。
たちまち、フヌケ大王の顔がゆでダコになった。
「じゃ、さっそくケーキ分けますか。百合子、泰葉も手伝って!」
紀里香の号令に大きく頷くと、百合子はそばに駆け寄った。
そんな三人の様子を見ながら、美乃は凪に小声で呟いた。
「あの手紙ね……実はもう一つ、ヒントを仕込んであったのよ。簡単だから、絶対こっちの方を先に気付くと思ったんだけど……」
意味深な表情を浮かべる美乃。
トロンとした目で見返す凪。
「アンタなら、とっくに見抜いてたんじゃない?」
そう言って、美乃は凪の顔を覗き込んだ。
試すような視線だ。
フヌケ先生が照れ臭そうに頭を掻く。
「どう?いいから白状しなさいよ」
美乃が促すと、凪はぎこちなく頷いた。
そのまま机の方に向き直り、五枚の花の写真を手に取る。
そして机上に並べ始めた。
最初に見つけたものから順に……
バラ、アサガオ、スパティフィラム、デルフィニウム、イベリス――
「さ、最初の文字だけ読んでみてください」
その言葉に、美乃は声を出して読み上げた。
にっこり笑いながら……
バ・ア・ス・デ・イ
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます