匣の中の画伯〜その5

「あの朝の流れを再現してみましょう」


美乃はそう言いながら部室の前に立った。

泰葉、栞、紀里香、百合子そして凪がそれを取り囲む。

密室のカラクリを説明すると言う美乃の言葉に、放課後皆が美術部に集合したのだ。

「まず鍵を開けようとした栞さんが奇妙な物音に気付く」

そう言って美乃はドアに手を掛けた。

「それを聞いた泰葉さんも聴き耳を立てる。すると確かに音がする。この時扉は施錠されていた。その後、鍵を開け二人が入室するけど中には誰もいなかった。あるのは切り裂かれた肖像画だけ。これで間違いない?」

泰葉と栞の顔を見ながら美乃が確認する。

二人が同時に頷く。

「泰葉さん、悪いけどどんな風に聞き耳を立てたのかやってみてくれない」

美乃の依頼に泰葉は不思議そうな顔をしたが、言われた通りドアに耳を当てて目をつぶった。


シャァァァー


微かな異音が周りにいる美乃らにも聴こえた。

何かを裂くような摩擦音だ。

「きゃっ!」

悲鳴を上げて飛び退く泰葉。

顔が真っ青になっている。

「な、何!?今の音」

紀里香も驚いたように叫ぶ。

「泰葉さん、今の音どこから聴こえたかしら」

何食わぬ表情で尋ねる美乃に、泰葉は震える指先で指し示した。

「このドアの……すぐ向こう」

「そう。じゃあ入ってみましょう」

そう言って美乃はポケットから鍵を取り出した。

「高山部長さんにお願いして、事前に借りておいたの」



部室に入ると薄暗かった。

栞が電灯を点けると、泰葉がそそくさとカーテンを開けた。

「カーテンはいつも泰葉さんが開けるの?」

「大体そう。私、暗いの嫌いだから」

窓から差し込む陽光を浴びて、ホッとしたように泰葉が言う。

「ところでさっきの音は何だったのかしら?」

怯えた表情の百合子が声を震わせた。

「音?……ああこれ」


シャァァァー


そう言う美乃の言葉に続いて、また例の異音が響いた。

全員が驚いた顔でキョロキョロとあたりを見回す。

「驚かせてごめんなさい。音の正体はこれよ」

美乃はそのままドアまで歩み寄ると、

ほどなく取り出された手にはが握られていた。

「このスマホに、事前にさっきの音を録音しておいたの」

「え……それって……まさか」

言葉を詰まらせる紀里香の目が見る見る丸くなる。

「そ。あの日泰葉さんたちが聴いた異音の出所はこいつ。前もって録音されていたキャンバスを裂く音が風景画の後ろで鳴ったの。ドアのすぐ横だから二人が室内の音と思うのは当然ね」

「でもどうやって?タイマーセットしたにしてはあまりにもタイミングが合い過ぎだわ。二人が別々に聴いてるのよ」

たまらず泰葉が声を上げる。

皆の顔にも同意の色が浮かぶ。

「その答えはこれよ」

そう言って美乃はポケットに入れていた左手を外に出した。

そこにはもう一台、スマホが握られていた。

「着信音よ」

美乃が静かな口調で答える。

「着信……音!?」

泰葉がハッとした表情で繰り返す。

「そ。鳴ったんじゃなく。仕掛け自体はさほど複雑なものじゃない。二台のスマホがあれば可能よ。一台の着信音を事前に録音したキャンバスを切り裂く音に設定しておいて、もう一台で電話かメールを発信すれば好きなタイミングで鳴らす事ができる」

「……でも……それには」

なおも何か言いかける泰葉の言葉が途中で詰まる。

何かに気付いたようだ。

「そう。それには。そしてあの場でそんな事ができる人は一人しかいない」

美乃はそこで一旦言葉を切ると、顔面蒼白となっている人物の方へ向き直った。

「これってあなたの仕業でしょ……栞さん」



全員の視線が集まる中、小宮山栞はなお反抗的な表情を浮かべた。

「そんなの単なる憶測でしょ。第一、私がスマホを二台持っているかどうか分からないじゃない」

「そう言うと思った。でもね、あなたが二台持っている事はここにいる皆が知ってるのよ」

挑戦的な口調の栞に、美乃は抑揚を抑えた声で答えた。

「一つ目は私たちと初めて会ったあの日……泰葉さんが電話をかけたため、あなたはを耳に当てながらやって来た」

その時の状況を思い出したかのように、息を飲む音が広がる。

「二つ目はあなたから肖像画の写真を送ってもらった時。あの時あなたが持っていたのはだった」

栞は驚いた顔で美乃を凝視した。

「そう。あなたは白と水色の二台のスマホを周知にさらしてるのよ。とんだうっかりミスね。たぶん、今あなたのポケットには二台とも入ってるんじゃないかしら。そしてその一つには録音した切り裂き音が入ったままになっている……違う?」

助けを求めるように泰葉の顔を見る栞。

だが泰葉はそのまま何も言わずうつむいた。

それは美乃の指摘が的を得ている事を表していた。

一瞬放心状態となった栞は、おもむろに顔を上げた。

何かを決意したような輝きがその目には宿っていた。

「そう……私がやったの」



「この絵のモデルが羨ましかった」

カバーをかぶった例の肖像画のそばに立つと、栞は淡々とした口調で語り出した。

高山部長が出品用の肖像画を描き始めた頃から、少女の中にドス黒い嫉妬の念が芽生えたらしい。

日頃目をかけてもらっているだけに、部長が他の者を自身の集大成である作品のモデルにえた事が許せなかった。

何とかしなければ……

このままでは誰とも分からぬ奴が、高山部長と栄誉を分かつ権利を得てしまう。

一度ともった嫉妬の炎はとどまること無くふくれ上がっていった。

何とか出品できないようにしなければ……

ひと気の無い時を見計らって、絵をダメにしてしまうのが最も手っ取り早い方法だ。

だがこれだと顧問に鍵を借りた際、顔を知られてしまう。

あくまで自分に嫌疑がかからぬよう、第三者がやった事にしなければならない。

そして試行錯誤の末、考案したのが今回のトリックだった。


破損した絵が発見された前日──

部活が終わり、栞は自分が職員室に鍵を返しに行くと言って皆が退去するのを待った。

誰もいなくなると手持ちのカッターで絵を切り裂き、その音を水色のスマホに録音した。

その後その音を着信音に設定し、ドア横の風景画の裏にセロテープで貼り付けた。

もう一つの白いスマホでメール送信し、着信音が鳴る事を確認するとそのまま部室を後にする。

翌日、泰葉と共に掃除当番として部室に来た栞は、異音がすると泰葉に告げる。

勿論、彼女をアリバイ工作に利用するための嘘である。

聞き耳を立てる泰葉に気付かれぬよう、ポケットの中でスマホのメール送信ボタンを押す。

風景画裏で鳴るスマホの着信音を、泰葉は誰かが室内で出した音と錯覚する。

鍵を開け中に入室すると、泰葉がカーテンを開けている隙に風景画の裏からスマホを回収する。

暗いのが苦手な泰葉が進んでカーテンを開ける事を知った上での行為だ。

その後、切り裂かれた肖像画を発見した二人は通報し、犯行は不審者によるものと判断されるという筋書きだった。


最終的には誰かの悪戯として未解決で終わると踏んでいたが、まさか泰葉が紀里香に相談を持ちかけるとは思わなかった。

おかげで美乃と凪とかいう訳の分からぬ奴らが介入し、やれ当時の状況を説明しろだの、肖像画の写真をよこせだの、やたら小うるさい事を言ってきた。

余計な疑惑を抱かれぬよう素直に従ったが、結局それがこんな結果を招いてしまった。


コイツらさえいなければ上手くいっていたのに……

そう

コイツらさえいなければ……

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