匣の中の画伯〜その2

「まんまとしてやられた……」


美乃は物憂げに呟いた。

結局、泰葉と栞の依頼を受けてしまったのだ。

紀里香のささやいた【密室犯罪】という言葉が、魔法のように美乃の首を縦に振らせた。

分からない事を放っておけない自らの性分を恨むしかない。


やるしかないか……


大きくため息をつきながらも、美乃の瞳がキラリと輝いた。


二人が聴いた異音の件については学校には報告済みらしい。

誰かの悪戯いたずらというのが学校側の見解で、被害が学生の絵一枚という事もあり警察沙汰にはなっていない。

犯人がどうやって部室から逃げたかも含め調べるらしいが、忙しそうな教師陣を見る限り期待は薄そうだ。

泰葉もこの点が気になり紀里香に愚痴をこぼしたところ、この手の事件に豊富な経験(?)を有する美乃と凪の名があがったという訳だ。

「とりあえず現場検証してみないと分からないわね」

美乃が昼食の場から立ち上がって言った。

「お、出たね、専門用語。やっぱ事件の鍵は現場にありって事っすか」

「茶化さないの。じゃあ放課後、美術部の部室前に集合でいい?」

ふざける紀里香をいさめながら、美乃は泰葉と栞に確認した。

二人とも真剣な顔で頷く。

「それと……こら、凪!いつまで寝てんのよ。さっさと起きて教室戻るわよ」

「うう……卵はもうムリ……ほ、ほぇぇーっ!?」

寝ぼける凪の頬を思い切りツネり起こし、昼食会はお開きとなった。



美術部は別棟の二階にあった。

隣は授業で使う美術工作室だ。

泰葉と栞、紀里香と百合子、そして美乃と凪の六名が部室の前で話し込んでいた。

「このドア越しに聴こえたのね。その異音」

美乃が入口のドアを指差して言った。

「最初は栞さんが気付いて、そのあと泰葉さんも聴いたと」

頷く泰葉と栞。

「それって何回くらい聴こえたの?」

「私は一回だけかな」

「私も……一回」

泰葉の答えに同意するかのように栞も続く。

「なるほど。で、入ろうとしたら鍵が締まっていたと……ちなみに施錠はいつもどうしてるの?」

「毎朝の清掃と部活の時以外は締まってるわ。鍵は職員室に保管されてて、その都度美術顧問の先生に言って貸してもらうの。終わったらまた返しに行く。あと念のため高山部長がスペアキーを持ってる」

「なるほど。じゃあ部員以外の誰かが鍵を借りたとしたら、先生に分かっちゃう訳ね」

「ええ。でも今朝部室の鍵を借りに来たのは私たちだけだって言ってた」

泰葉の説明に美乃は眉をしかめた。

じゃあ誰にも気付かれずに出入りできたのは……高山部長だけか……


「もしかしてその不審者、昨日から室内に隠れてたとか」

紀里香がしたり顔で呟く。

謎解きが嬉しくてたまらないといった様子だ。

「それは無いと思う。昨日私が最後に施錠した時は異常は無かったから」

珍しく栞がしっかりとした口調で否定した。

「それにどうやって入ったかより、の方が問題よ」

美乃の言葉に紀里香は不満そうにそっぽを向く。

室内に沈黙が流れた。


ぎいぃぃぃ……


「きゃあー!」

ふいに聴こえた怪音に全員が飛び上がる。

「な、何!?今の音」

紀里香が百合子に抱きつきながら叫んだ。

咄嗟とっさに辺りを見回した美乃が、小さくため息をつく。

「ごめんなさい。きっと原因はあのアホよ」

そう言って隣の美術工作室を覗き込んだ。

工作台に置かれたジャッキを回す凪の姿があった。

天板が伸縮するたびにキャッキャとはしゃいでいる。

「よ、美乃さん。これ……面白いっす」

「あんたは幼稚園児かっ!」

美乃はつかつかと歩み寄ると、凪の額に強烈なデコピンを食らわせた。

ほへぇと言ってのけぞる凪。

「おかげで皆がビックリしたでしょ。まったく……」

そう叱責する美乃の表情が変わった。

眉間に皺を寄せて泰葉と栞の方に振り返る。

「……ひょっとして、あなたたちが聴いた音ってこの部屋でしたんじゃない?」

美乃の問いに泰葉と栞は一瞬顔を見合わせたが、すぐに首を振って否定した。

「それは無い。ドアに耳を当ててたから。間違いなくこのドアのすぐ向こうから聴こえた」

泰葉の答えに栞も同意の表情を浮かべる。

美乃は納得したように頷くと、名残惜しそうな凪の襟首を掴んで工作室を後にした。


部室の中はかなり薄暗かった。

栞がドアの横にある室内灯のスイッチを入れ、やっと見渡せるようになった。

すかさず泰葉がカーテンを開けに窓に向かう。

「カーテンはいつも閉めてるの?」

その様子を見て美乃が質問する。

「ええ。用心のため部活の時以外は閉めてるわ」

泰葉がカーテンを開けながら答える。

「今朝も閉まってた?」

「ええ。中に入った時、一番に私が開けたから確かよ」

泰葉の返答を聞いた美乃は、窓際まで行き施錠を確認した。

しっかりロックされている。

窓の下は昇降できるような手すりも無い。

ここからの侵入は無理か……


それからしばらくは、各々で辺りを物色して回った。

紀里香は周囲の壁を確認している。

抜け穴か何かがあると思っているようだ。

百合子は机上の画材を興味深げに見ている。

美乃は中央に立って、室内全体をぐるりと一瞥いちべつした。

調度類はさほど無い。

工作用の作業台と事務机が一つずつ。

小さなキャビネットにはトロフィーが飾られている。

カバーのかかったキャンバスが四脚。

見る限り人が隠れるような場所は無かった。

美乃は何気なく凪の方に目を向けた。

ドアのすぐ横に掛かった風景画をボーっと眺めている。

あいつ絵の事なんて分かるのかしら?

今のところフヌケレーダーに引っ掛かるようなものは無さそうだ。


「あら、どなたかしら?」

突然戸口でした声に全員が飛び上がる。

「あっ!」

驚いて振り向いた百合子の手が、手近のキャンパスと接触した。

慌てて支えるが間に合わず、キャンバスは台上の道具を巻き込みひっくり返った。

飛び散った絵の具で百合子の手が緑色に染まる。

「あぁっ、大丈夫っ!?」

それを見た戸口の女子が叫びながら駆け寄って来た。

「と、とにかく消毒を!」

「あ、いえ……大丈夫ですから」

慌てて手を振る百合子。

「どこも怪我はありませんし、絵の具は洗えば落ちますので」

「……そうなの……良かった」

百合子の言葉でその女子は安堵の息を吐き出した。

「それより、すみません。大切なキャンバスを……」

百合子は泣きそうな顔で頭を下げた。

「いいのよ、そんな事……まだ白紙だし。気にしないで」

女子は微笑みながら手を振った。

「高山部長!?」

騒ぎに気付いた泰葉が近寄って来る。

「どうしたんですか。体調が悪いので今日は早退されたんじゃあ……」

「ええ、そのつもりだったんだけど……やっぱり絵の事が気になって……」

苦しそうな声でその女子――高山部長は答えた。


高山美月たかやま みづき――

三年生で美術部の部長。

今回の一件の被害者だ。

色白で痩身のなかなかの美女だった。


「それより皆さん集まって何してるの?」

そう言って高山部長は不思議そうに首をかしげた。

「部長の絵をダメにした犯人を探そうと……」

「今朝この部屋にいた不審者について調べています」

泰葉の言葉に重ねるように栞が言った。

悔しそうに唇を噛み締めている。

「……そうなの……ありがとう」

部長はそう呟くと、全員の顔を見回した。

「でも、もういいのよ。作品はまた作る事ができるから……それより、危ない事はしないでちょうだい」

少しやつれ気味の表情に心配そうな色が浮かぶ。

「調査は先生方がしてくださるから」

「勝手な事してすみません。私たちどうしても真相が気になったもので」

後方にいた美乃が声を上げ前に進み出た。

「あなたは……?」

そのまま美乃は自己紹介し経緯いきさつを説明した。

その後紀里香と百合子も自己紹介に加わる。

高山部長は一人一人に丁寧に会釈を返した。

最後に部長の目が凪の方を向く。

美女に見つめられフヌケ大王の顔が真っ赤になる。

「はぁ」

「あら、変わったお名前ね」

「い、いや、コイツは……彼は滝宮凪と言います」

なんで「はぁ」が名前に聞こえるのか不思議に思いながら美乃は訂正した。

なんか前にもこんなやり取りあったな……

「決して危ない事はしませんので安心してください」

美乃の決意のこもった口調に、高山部長は苦笑いを浮かべた。

「……そう、それならいいんだけど」


「部長、また絵を見てお体は大丈夫なんですか?」

栞が心配そうに胸の前で手を組んで言った。

「やめておいた方が……」

「……大丈夫よ。ありがとう」

高山部長は手を上げて制すると笑顔を浮かべた。

そのやり取りを聞いて、美乃はキャンバスの並んだ一角を睨んだ。

そう言えば肝心の絵をまだ見てなかった。

「私たちも見せてもらっていいでしょうか?」

唐突な美乃の依頼に高山部長はハッとしたように振り向く。

そしてその場の全員を見回すと小さく相槌を打った。

「ええ……どうぞ」

そのまま白いカバーで覆われたキャンバスの一つに歩み寄る。

前に立ち一瞬躊躇ためらった後、カバーをまくり上げた。

現れたのはロングヘアの美しい瞳を持つ少女だった。

胸から上を描いた肖像画だ。

今にも動き出しそうな独特のオーラを放っている。

素人の美乃にもその見事な画力は感じ取れた。

だがせっかくの名画も状態としては最悪だった。

刃物で裂いたような傷が縦横に走り、特に鼻から下の部分は完全に欠落している。

「……ひどい」

百合子が口を押さえてうめいた。

紀里香もごくりと喉を鳴らす。

涙をこらえる栞の肩に泰葉の手が触れる。


そして


重苦しい空気の中ただ一人……

凪だけが目を輝かせていた。

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