匣の中の画伯〜その1
「まったく……」
その人物は舌打ちしながら薄いカバーを
現れたのは十号サイズのキャンバス。
誰かの肖像画が描かれている。
「こんなくだらないもの……」
毒気のこもった口調で吐き捨てる。
「こんなものがあるから……」
そう言ってポケットから何やら取り出す。
鋭利なカッターの刃が蛍光灯で
一瞬の
肩で息をするその人物の顔に不気味な笑みが浮かんだ。
「それで大騒ぎらしいわよ、美術部」
校舎屋上の一角で
「今朝部室に入った部員が見つけたらしい……はい、フーちゃん、あ〜ん」
自分の弁当箱からウィンナーをつまむと、隣りに座る少年の口に持っていった。
その少年――
「それって県主催の展覧会に応募するやつでしょ」
そう言って
「どうぞ、凪さん」
五本ものウィンナーを
「部長の会心作らしいわ。完成まで二ヶ月かかったんだって……はい、あ〜ん」
今度は卵焼きが口に運ばれる。
凪は慌ててお茶を
すでに涙目だ。
「今の美術部の部長、あちこちの大会で賞を獲って、そっち方面ではかなり有名らしい。さぞかしショックでしょうね……はい、唐揚げいきま〜す♪」
トドメの唐揚げで凪の口内は限界に達した。
ハムスターのように膨れ上がった頬で、もはや容姿が別人と化している。
「まるで
向かいに座った
昼休み、例によって話があるという紀里香の口車に乗り、こうして屋上で
今回は何故か百合子も同席していた。
理由を聞くと、前回の事件で世話になったのでその恩返しがしたいらしい。
だが紀里香同様、凪に対しこまめに世話を焼いている姿からも魂胆は見え見えだった。
なんか邪魔が増えたわね……
美乃はサンドイッチを頬張りながらげんなりした。
「それで話って言うのは?」
気を取り直した美乃が紀里香に問いかける。
「ああ、それならもうすぐ来るから……はぁい、お口拭きまちょ〜ね〜」
「あんたは母親かっ!」
凪の襟首を掴んで口を拭こうとする紀里香に、美乃がツッコむ。
「も、もぁぁ……」
口の中が冷蔵庫状態になった凪が、白目を剥いて首を振った。
いつもの「はぁ」がほとんど牛の鳴き声になっていた。
「大丈夫ですか、凪さん!?お気を確かに」
百合子が慌てて背中をさすろうとする。
いやいや、その前に紀里香の強引な餌付け止めろよ!
美乃はやはり呆れ顔でその様子を眺めた。
見た目と違ってこの百合子……かなりの天然だ。
何故この二人(紀里香と百合子)が親友同士なのか、美乃は何となく分かったような気がした。
「ごめーん。待ったぁ」
ふいに美乃の背後で声がした。
振り返ると一人の女子が小走りで向かって来るのが見えた。
「お、噂をすれば……オーイ!」
紀里香が手を振る。
「ごめんね。部室の片付けに手間取っちゃって」
「いいって、いいって」
ショートヘアの利発そうなその女子の言葉に、紀里香が手を振って答える。
「あそうだ。皆に紹介するわね。この子は
紹介されニコリと笑う泰葉。
それにしても、紀里香って一体何人親友がいるんだ……
「あれ?もう一人いるって言って無かった」
「そうなの。職員室に鍵を届けに行ってるんだけど……電話してみるね」
紀里香の問いに泰葉が赤いスマホを操作する。
「……ごめん!遅くなっちゃって」
ほどなく、白いスマホを耳に当てた女子が走って来るのが見えた。
「先生が……席にいなくて……」
息を切らしながら、その女子は説明した。
「この子は私と同じ美術部の
少女が落ち着くのを見計らって泰葉が紹介する。
度の厚い丸眼鏡にお団子ヘアの女子――栞がペコリと会釈する。
「オーケー。これで揃ったわね。じゃこっちも紹介と……この子は園芸部の朝霧百合子。それとこの二人が話してた例の名探偵よ」
そう言って紀里香は美乃と凪を指し示した。
ちょっと待て、なんだその紹介は!?
誰が名探偵だって!
「ちょ……紀里香!また勝手に……」
「こっちの少しキツそうなのが矢名瀬美乃」
「こんにちは。少しキツい美乃です……って何言わすの!」
思わず釣られそうになった美乃が慌てて否定する。
「だから私たちは探偵とかじゃ……」
「そしてこっちが滝宮凪。ワタシの……ふふ♡」
美乃の言葉を
いや、人の話聞けよ!
てか、何が「ふふ♡」だ!
「だからそんな紹介は迷惑……」
「まぁ紀里香ったら、もうそんなとこまで……チっ!」
百合子が横から恨めしそうに睨む。
いや、「チっ」て何だ「チっ」て。
一応お嬢様設定なんだからイメージ大事にしろよ百合子!
全く、こいつらときたら……
「ちょっと紀里香!ふざけてないでどういう事か説明しなさい!」
美乃の剣幕に押され、紀里香がやっと凪から手を離す。
「おお、そうだった。実はね……」
ケロッとした表情で紀里香が話し始める。
「この子らが例の犯人と遭遇したらしいの」
あまりにさりげないその台詞に全員が言葉を失う。
「犯人……って?」
暫しの沈黙の後、美乃が口を開いた。
「勿論、今話してた美術部の絵を切り裂いた犯人よ」
「それ、私から話した方がいいわね」
紀里香の後を引き継ぐように泰葉が言った。
意思の強そうな瞳がキラリと輝く。
「私と栞は今朝、部室の掃除当番だったので職員室で鍵を受け取ってから向かったの。そしたらドアの前で栞が、中から変な音が聴こえたって言うのよ。布を裂くような音がしたって……それで私もドアに耳を当ててみたら、確かにそんな感じの音がしたの」
泰葉が身振り手振りをまじえて説明する。
隣の栞はそれを神妙な面持ちで聞いていた。
「最初は誰か用事があって早く来てるんだと思ったの。それでドアを開けようとしたんだけど鍵が掛かってた。なんで中から掛けてるんだろうと思ったけど、とりあえず鍵を開けて入ったの。そしたら……」
ここで初めて泰葉の表情が曇った。
その瞬間が脳裏に蘇り、急に怖くなったようだ。
「そしたら……肖像画が……高山部長の絵がグチャグチャに切り裂かれていて……」
泰葉が言葉を詰まらせるが、誰も続きを
皆が辛抱強く待つ中、再び話しが再開した。
「その時、さっきの音はこの絵を裂いた音だと分かった。でも……その時部屋には誰もいなかった。念のため二人であちこち確認したけどやはり見つからなかった。不思議だったけど、とりあえず誰か呼ばないといけないと思って二人で職員室に走ったの。それからは大騒ぎになって……」
そこまで言い終えて、泰葉はため息をついた。
気を利かせた百合子が、泰葉と栞の前に紙コップのお茶を置く。
「その絵って部長さんの作品なの?」
美乃がさりげなく質問する。
確か紀里香は、部長の会心作とか言ってたが……
探偵になるつもりは無いが、話自体には食指が動いた。
「ええ。肖像画なんだけど、部長はモデルが誰かは教えてくれないの。完成してからのお楽しみだって笑うだけで。二ヶ月も前から描き始めて、あと少しで完成だったのに……」
泰葉が悔しげな口調で言い放つ。
「今朝登校してから、作品を目にした部長の姿が未だに頭から離れなくて。凄く悲しそうな顔だった……」
「部長さんも、さぞやショックだったんでしょうね」
美乃のその言葉に、泰葉の隣で沈黙していた栞が手で口を
目に涙を浮かべながら
「高山部長は……一生懸命だった……これが自分の高校生活最後の作品だって言って……それなのに……こんな……」
泰葉がそっと栞の肩に手を置く。
「ごめんね。彼女、部長からとても可愛がってもらってたの。だから余計に悔しいんだと思う」
泰葉のフォローで、皆の同情の目が一斉に栞に集まる。
「でも奇妙な話ね」
栞が落ち着くのを見計らって美乃が
「あなたたちは絵が裂かれる音を聴いてから、すぐに中に入ったのよね」
美乃の質問に泰葉と栞が同時に頷く。
「でも部屋の中には誰もいなかった。それにドアには鍵が掛かっていた」
美乃が続け、二人が再び頷く。
「それってまるで……」
「そ。これがあなたとフーちゃんに来てもらった理由よ」
「これって……どう見ても密室犯罪でしょ」
紀里香のその言葉に、美乃は大きく目を見開く。
密室犯罪……
推理小説に興味のない美乃でもよく知るフレーズだ。
出入り不可能な空間の中で起こる犯罪──
またややこしい事件に私たちを引き込むつもり!?
いつもいつも言う事を聞くと思ったら大まちが……
同意を求めるように凪に目を向けるが無駄だった。
我らがフヌケ大王は、口に卵焼きを咥えたままノビていた。
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