美乃のフヌケ日記

十月三日 快晴


もうすぐ学園祭だ。

お祭り気分で浮き立つ生徒らと異なり、クラス委員は舞台の設営、プログラムの作成、会場の見回りと目が回る忙しさだ。


私……矢名瀬美乃やなせ よしのも例に漏れず多忙の真っ只中にいる。

にもかかわらず、先程からポカンとしていた。

なぜかって……

私以上にポカンとしている人物を見つけたからだ。

かれこれ五分近く金槌かなづちを握ったまま突っ立っている。

とろんとした目は焦点が合っておらず、体が小刻みに揺れていた。


間違いない。


此奴こやつ立ったまま寝ている。


誰かって……


クラス委員の私の相方、フヌケの凪こと滝宮凪たきみや なぎだ。

無口、無関心、無意欲で何を聞かれても「はぁ」としか答えない保証書付きのフヌケ大王だ。


「ちょっと凪!この忙しいのに信じられない特技披露しないでくれる」

顔の前で手を叩くと見事に鼻提灯はなちょうちんが割れた。

「は、はにぁ〜!?」

恐らく「はぁ」と言ったのだろう。

目をこすりながら手に持った金槌を不思議そうに眺める。

「何初めて火を見た原始人みたいな顔してるのよ。今日中に舞台設営しないと間に合わないんだから急いで」

私はイラつきながら手を叩いて追い立てた。

凪はこっくり頷くと、足元の釘を手に取り口にくわえた。

あら、本格的じゃない。

……と感心するのはまだ早い。

コイツにはこれまで幾度となく裏切られてきたのだ。

最初の一本を打ち始めるまで安心でき……


「…………!?」


突然大粒の涙を流しながら凪が振り返る。

開いた口から血が垂れていた。


なんじゃ、そりゃあ!


できないなら口なんぞに入れるなアホ!


「何やってんのまったく……ほら口開けてみなさい」

目の前にあんぐり開いた口内を見渡すが、どうやら唇を少し切った程度のようだ。

「どうする。保健室に行く?大した事は無さそうだけど」

私の言葉に凪は首を横に振った。

そして意外にも片足を板に乗せると、釘を立て金槌を振りかぶった。

なんと続けるつもりらしい。


おかしい、いつもの此奴こやつではない。


一体どうしたと言うのだ、凪!


何がお前をそこまで駆り立てる!?


空から釘が降ってくるのではと思わず天を仰いだ。


でもよく考えたら

珍しくやる気になってる事だし

今後のためにもここは一つ大きな心で見まも……


「…………!?」


またも凪が振り返る。

今度はこの世の終わりみたいな顔をしていた。


またかい!


見ると金槌の一振りは見事に釘をれ、板の方を真っ二つにしていた。


「ええいっ、まどろっこしい!ちょっと貸しなさい!」

どうにも我慢出来なくなった私は、凪から金槌と釘を奪い取った。

「いいこと、釘を打つ時は最初は小振りで打ち付け、刺さったら大きく打ち込んでいくの」

小気味良い音と共に釘が綺麗に板に収まる。

たまに家の修繕をする経験が役に立った。


お〜というどよめきが起こる。

振り返ると他クラスの男子らが感心したように頷いている。

「いや、見事なもんだ。特に腰の使い方が絶妙だ」

いや、釘打つのに腰はいらんだろ。

だが、まんざら嫌な気分でも無かった。

「Cクラスの矢名瀬さんだっけ。良かったらこの角の打ち付け方教えてくれないかな」

一人が舞台の支柱を指差して言った。

「えっ、あぁ、この場合は……」

釘を傾け器用に打ち付ける。

またどよめきが起こった。

「こりゃ凄い。まるでプロだ」

「ごめん、矢名瀬さん。悪いがこっちも手伝ってくれないか」

また、違う男子から声がかかる。

行く先々で釘を打ち、感心されてはまた呼ばれる。

気付くと舞台設営の大半の箇所に美乃の手が加わっていた。


日もどっぷりと暮れ、礼の言葉を残し男子らは去って行った。

美乃は放心状態でその場に座り込んだ。

人生でこんなに釘を打ったのは初めてだ。

豆のできた手はほとんど握力が無くなっていた。


こりゃ今日は勉強は無理だな。

まあ、感謝されて悪い気はしないし。

なんだかんだで設営も間に合ったし。

たまには……いっか。


よっこらしょと立ち上がると、いつの間にかかたわらに凪が立っていた。

ニコニコ笑ってる。

その顔を見てハッとする。

まさか……こいつ!?


「やい、凪!あんた、!私が釘打ちしたくなるようしたんでしょ……あっ、逃げるな、コラっ!!」


こぶしを振り上げ追いかける私の前を、フヌケの詐欺師野郎は蒟蒻こんにゃくのようにくねりながら逃げ回った。

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