アガリ
回転寿司屋の真ん中で私は途方に暮れていた。しがらみは何もない。回転寿司屋というのはレールがありそこをぐるぐるぐるぐる回転する寿司らがあるから、つまりこれは私はレールの中にいるからして、私は寿司を食べる側ではなく寿司を握り生産し提供する側にいるのである。私の仕事は寿司職人だ。寿司であり職人だ。子供の頃からの夢だったからこれはとても嬉しいことだったが回転しない寿司の方が本当は良かった。寿司は、回転するべきではない。
父親もそう言っていた。「寿司はな」と父親は言っていた。「回転するべきじゃないんだ。寿司は回転するとどうなると思う」当時弱冠6歳にして寿司を愛していた私は答えた。「寿司は回転すると、崩れてしまう」私の言葉を聞くと父はにっこりとして、平手打ちをかました。左頬に走った鈍痛を今も覚えている。「回転しても崩れないよう、しかと握ってやる。それが私たち寿司職人の役割なのだよ。それをまだわかっていないようではお前はグズだ。間抜けだ」怒鳴るでもなくそう諭す父親の目はしっかりと私を見据えていた。右頬を差し出すほど大人でもなかった私は静かに頷いた。そういう、ことなのだ。
そうして私は父の下修行を重ね回転寿司屋に勤め始めた。齢18からのことだった。正直なところ寿司は機械がぴかぴかとランプを点灯させながらシャリの形に米をうまいことやってネタを合わせていくので私自身がするべきことは何もないのだ。おい、どういったことだよ、と私は自嘲した。私なんていらないじゃないか。回転しても崩れないように?馬鹿じゃないか。機械に指令を出すだけの役割に落ち着いてしまったこれが人間なのか。これが私の目指した職人か、愛の行き着く先か。
今、私は、25にもなろうという私はただ呆然と立ち尽くしている。ゴウンゴウンと鳴り響くレールの音、これは回転寿司を運び大事なお客さんに届けるためのものだが、火花を散らさんばかりに猛烈な速度で暴走している。客は逃げ惑い、ムラサキが散る。ここでの阿鼻叫喚の様相に絶句する他に私にできることはなかった。何を間違えてしまったのだろう。機械に指示を出すだけの従業員はそう要らないとして私だけがここに居た。責任は私にある。なぜ突然こんなことになってしまったのだろう。おあいそを示すものはもはや居ない。
6歳当時、私は食い下がった。「でも、やはり、どうしても、崩れてしまう時はある」父親はそんな私の言葉を聞いて眉を顰めた。私は続けた。「軍艦は、どうです。いくらやウニが乗った軍艦。あれを握ってしまってはぐちゃりと崩れる。回転に耐えられは、しない」父はそれを聞くとさらに眉を寄せ、しばらく思い詰めたようにどこか遠くを見やった。しかしふっと表情筋を弛緩させて長いため息をつくと、「お前は、優しい子に育ってくれた」と私の右頬にビンタした。驚きと痛みに目を見開く私に、父は「そうならないよう、寿司を守るのが、職人の役割なのだ。お前はそれをきっともうわかっているね」と言ってくれた。父に、認められたのだと感じた。
認められてたまるか。こんな惨めな、どこからも殴られるようなふざけた目に遭うくらいならいっそこのレールに囲まれる中央に座するこの場など要らない。もう差し出す頬など残っていないのだ。遠心力に弄ばれてそこらじゅうに散らばる銀とムラサキ、あとアガリとガリは無重力に放り出され行き場なく狼狽えている。誰が望んだのだろうか。父も、私も、お客さんたちも、誰も彼も望んでいたはずがなかった。いくらは潰れぬめぬめと光り、大トロは生臭く脂を撒き散らす。海苔もサビも全て不時着した。誰が守ると言ったのか。誰が守るべきだった。機械に乗っ取られた回転寿司屋の真ん中で、彼らを握りもしなかった私だろうか。ああ、そうだ、私は職人なんかじゃなかったのか。さっきからモーターをくるくるぎりぎりと回している彼こそが職人であったのだ。では私はなんなのか。私こそ機械、だろうか。何をしていて何を目指しているのか。こうならそうだ、こんなことなら私がむしろ機械になりたい。私は帽子を脱ぎ、もはや誰もが逃げ出した空っぽの回転寿司屋の中で、遠心力の働く中心で、どうにもならず宙を見た。飛ぶ寿司と充満する魚の匂いが私を軋ませる。あぁ、とひとつあくびをして、腹が減っていることに気づく。
「大将、おすすめを」
空転する機械に声掛けた。指示を待つばかりの彼は、ただ呆然と点滅する。
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