第一章 八百万御堂珍品編
第1話 神楽、蟲で弄る 其ノ一
誰がそう呼び始めたのか、この世界の名は無間界。
決して仏教で云うところの無間地獄ではなく、どちらかと言えば桃源郷の雰囲気である。
望める者だけ行ける特殊な世界で、住んでいるのは人間だけに限らない。
人の形をした獣もいれば、幽体のような存在もあり、いろんなもの達がのどかに生活をしている。
どうも争いごととは無縁の世界のようである。
特に人の往来があるのは、夢幻の里と呼ばれる町である。
人口は一万人と、里にしては大層な規模であるが、どうやら住民の方針のようである。茅葺屋根や板葺、石瓦の民家が所狭しと並んでいる。
無間界とは別の世界にあった、日本と呼ばれる国の古風な出で立ちである。
繁華街では商店が並んでおり、この日も魚屋や八百屋が威勢よくいらっしゃい!と言う、平和そのものな空気。
そんな町の繁華街から少し離れたところに、民家に挟まれてとある店がある。
店構えは町の雰囲気から少し浮いて、これまた無間界とは別の世界の意匠をところどころに取り入れた、雑多でサイケデリックなデザインである。
周囲の民家が引き戸なのに対して、こちらは木製の取っ手付きの扉。
ショーウィンドウからは、古風な置時計や彫刻物、焼き物から書物までごちゃごちゃに並べられている。
取るにも困りそうな配置の奥に、女性が二人いるようだ。
これはその一人、この古物商の店主を中心に動き回る物語である。
「神楽さん、いつも申している通りお店に立つ時はもっとちゃんとした服装をして下さい!」
背の高い、オレンジ髪の女性がぴしゃっと言う。
凛としてスーツを着こなし、赤縁眼鏡が決まっている。
対して事務机に向かって座っている、神楽と呼ばれた店主は、はっきり言うとだらしない姿である。
手入れすれば美髪と言える筈なのにアホ毛のせいでもっさり見える赤いロングヘアー、無地の半袖白Tシャツ、黒のスウェットといかにも部屋着の恰好に、首にヘッドホンをかけている。確かに接客の恰好ではない。
更に右手全体には紋様のようなものが描かれている。
「いつもの事じゃーん、これも
眠そうに欠伸しながら答える神楽。
「同じ現世の服でも全然違います!」
スーツ姿の女性、美知瑠は畳み掛ける。
「せめて髪の毛だけでも整えて下さい。こんなにだらしないと亜跎流さんに嫌われますよ」
美知瑠のこの言葉は効果があったのか、神楽はマジメな顔になり、
「洗面台行って来ます!」
と叫び、売り場からそそくさと退散した。
「全く・・・」
美知瑠は呆れ気味に溜め息をつき、店内の開店準備をすべく店の入り口に立つ。
「あれ、もうお客さん?」
出ようとしたところ、店の玄関口に来客がいるのに気付いた。
初老であろうか、少し白髪交じりではるがどこか精悍な顔立ちをした男が扉を開けて来た。
「すまんが、どんな物でも引き取ってくれる質屋はここでいいのか?」
男が問う。手に白い布で包み込んだ、白い木箱を携えている。
「質屋ではないですが、古美術商になります。まずはお話を伺いますので、こちらへ」
美知瑠が男を中へ促すと、髪を直したのか神楽が店に勢いよく戻って来た。
髪はしっかり真っすぐになっており、右手の紋様を見えなくする為か、薄紫のパーカーを羽織っている。
「はーい、いらっしゃいませ!何でもお引き受けしまーす!」
元気よく神楽が声をかけるが、
「神楽さん、もうちょっと店長の自覚を持って下さい」
美知瑠は頭が痛そうに眼鏡の縁を抑える。
「はは、元気いいじゃねえか嬢ちゃん。まあいいからまずは話を聞いてくれ」
男は朗らかに返した。神楽の激しいノリに特に気にしていないようだ。
「はい、恐れ入ります。・・・それでは、お飲み物をお出ししますので神楽さん、お話を伺って下さい」
美知瑠はそう言い残して退席し、神楽と男は対面席に座った。
「随分見た事ない物ばかりが置かれてるね、無間界にはないだろう」
周囲に、雑多に置かれている古物の数々に、男は圧倒されていた。
「ええ、元々趣味だったのが高じてお店開いちゃいました」
悪戯っぽく神楽が笑みで返す。
「そうかそうか・・・、それでこういうのはどうなのか」
そう言った男は、テーブルに置かれた木箱の布を解いた。
布地で見えていないが、木箱の側面に何やら難解な文字が幾つか書かれていた。
「またとんでもない物をお持ちなんですね」
神楽の顔から笑みが消える。
真剣な表情ではあるが、この木箱が危険な代物だと言う直感が働いたのか、何故か右腕を咄嗟に押さえている。
「嬢ちゃんはわかるのか、これが」
男も先程とは打って変わり真剣な表情に案瑠。精悍さが漂っていた為、表情が凄く険しく見える。
「文字を見てわかりました。これ無間界の物じゃありませんね。
現世から持って来られた物です。どうしてお持ちなんですか?」
神楽が質問する。
傍で美知瑠が飲み物の準備を終えそれぞれに配膳し終わり、目線を木箱に移していた。
「これは俺の親父が死ぬ直前に、これを薄めるまでは人目に触れてはならん、もし手に負えなくなったら、ここに行けと言われた」
男が返す。
「先に名乗らずに申し訳ない。私は鈴田恒造と言う。親父のカンゾウは何を生業にしてたか聞かされた事がなかったが、仕事で得た物で、手に入れたのを後悔したと言っていた」
恒造の言葉を聞きながら、神楽は木箱を手元に寄せ、木箱の文字をよく見た。
「これ・・・、蟲毒ですね。これを・・・、どうされたいですか?」
神楽の表情に戦慄が走る。
「中の蟲はおそらく死んではいるが、呪いはまだ残っている筈。
だからこれを然るべき方法で処分してくれないか?」
恒造は先程の柔和な表情に戻った。
「これは私達の分野ではなく、神社やお寺にすべきでは?
そちらの方がもっと確実に処分して頂けるかと」
美知瑠が返答する。
確かに神楽の店は古物商、古美術商であって、いくら価値のある品物でも呪いがあれば話は別だ。
「謝礼金は言い値でいい、小切手があるから好きな数字を言ってくれ」
「受けます!!」
恒造のこの提案に、神楽は間髪入れず快諾してしまった。
美知瑠はまた眼鏡の縁を押さえていた。
恒造は神楽の言い値で小切手を切った後、結果をまた教えて欲しいと連絡先の書いた名刺を渡し、そのまま退店していった。
「どうするんですか、こんな物私達の手には負えないですよ!」
美知瑠は憤慨している。
「大丈夫だって。今まで避けてたけど呪いの品物ってのも興味あったし、一応除霊とか対呪の知識もそれなりにあるからねー」
神楽が呑気に答える。
「え、今まで呪いの類は後々面倒だから嫌だって言ってたじゃないですか」
「謝礼が言い値なんて次いつ来るかわからないでしょ!受けるしかないじゃんー」
これが理由だった。
確かに古物商で成り立たせる為にはそこそこ高額な取引がないと店の運営が出来ない。
そこに諸刃の剣とは言え言い値でいいという依頼が来たから、神楽からしたら断わる理由がなかった。
「単純に報酬額に目が眩んだだけですね」
美知瑠は呆れてまた眼鏡の縁を押さえる。
「でもそれだけじゃないですよ。
専門外の古物商に、呪いの品物を言い値で渡してくるのは何か変ですよ」
「そう?優しそうなおじさんだったけどねー」
ニカっと神楽は微笑む。
「さってと、久しぶりにやっちゃいますか」
神楽はパーカーを脱ぎ捨てる。
「え、久しぶりって何を」
美知瑠が問うと同時に、それは始まった。
神楽の右腕の紋様が青く光り、スパークが走っている。
暴発を恐れてか、神楽は右手首を左手で抑えるように握っている。
「このぐらいのレベルなら私でもやれちゃうよ。まあ見ててねー」
手首を握りながら、神楽は右手で木箱の蓋を取り払った。
すると、木箱から青い光に包まれた、黒い虫のシルエットが浮かび上がってきた。
「ひゃ!虫!!」
美知瑠の叫びが反芻する。
「あれ、美知瑠、虫嫌いだったっけ?」
神楽が意地悪そうに笑う。
「嫌いです嫌いですそんな多関節で足の多い生き物見た目だけでも無理ですって近づけないで下さい!」
美知瑠が怯む。
神楽は右手の先に虫のシルエットを掲げるように、手に触れずに持ち上げていたが、いたずらっ子のように虫のシルエットをぐいぐいと美知瑠に押し当てようとしていた。
「またまたー、美知瑠ちゃんもやっぱ女の子だなー」
「神楽さんが頓着なさ過ぎなんです!」
堪り兼ねた美知瑠は、勢い良く店の玄関口へ飛び出した。
「ありゃりゃー、そんな大した物じゃないのに。まあいっか」
神楽は虫に向き直り、何かを小声で呟いた。すると虫のシルエットは、徐々に薄くなり出した。
「・・・あるべきところに、還れ」
神楽が最後にそう呟くと、虫のシルエットは完全に消えた。
「美知瑠ー、もう大丈夫だよー!」
神楽の声掛けに、美知瑠はおそるおそる玄関口を開ける。
「もうほんとにやめて下さい虫だけは・・・」
美知瑠は涙目になって恨みがましく神楽を睨み付ける。
「ごめんごめんちょっとしたイタズラだってー」
またニカっと笑う神楽。相変わらず美知瑠は眼鏡の縁を押さえている。
「さてと、こりゃ依頼主に聞きたい事出来たねー」
神楽は不敵に笑う。
「後どれだけ隠し持ってるのやら」
無間界奇想 MAGI @magi2021
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