1—17 サスケコートと前期末試験

 6月25日火曜日。幸い、今日は晴れて、雨の心配はなさそうだ。

 夕方に杉浦さんの家にいくので、朝練の代わりに試験勉強だ。忙しいはずなのに、いままでになく確実に試験勉強が進んでいる。

 授業中も美那の顔がやたら明るい。そりゃまあ、念願の練習場所が手に入るんだもんな。やる気に溢れる俺だってうれしいぜ。

 また俺の家の前で待ち合わせだ。美那が来るまでの間、ドリブルの練習を続ける。

 杉浦家に到着すると、仕舞われていたリング付きのゴールボードとその台座、脚立やはしご、必要そうな工具は、すでに車庫前の舗装の上に出されていた。リングのネットも状態はよさそうだ。ご夫婦に挨拶して、すぐに作業にとりかかった。

 パーツから取り付け作業を検討すると、それほど難しくはなさそうだった。ベースとなる外灯のついたポールはかなり太くてがっちりしたもので、しかも取り付けする範囲はパイプがたいらになっている。一度取り付けているので金具の跡も残っていて、おおまかな設置位置もすぐにわかった。

 脚立に登って、だいたいの位置に仮止めをした。これがメインの作業。巻き尺でリングの正確な高さを測る。305cm。少し調整してボルトをしっかり締める。リングの延長線を目分量で引いたので、1cm未満の誤差はあるかも。地上でボード裏にでも印を付けておくべきだった。時間もないし、下にいる美那からOKが出たので完成とする。


 なんだかんだと1時間以上はかかったけど、日暮れ前に完了だ。

 美那とふたりで下から眺める。なんか不思議な気分だ。

「やったね」

 と、美那が俺を見る。瞳が輝いている。それから何か思いついたように、冷静な顔に戻った。

「一応言っとくけど、このゴールではダンクは禁止。できないと思うけど」

「え、なんで? まあ、まだできないけど」

「これは固定式のボードだから。ダンクはショックを吸収できる構造になってないとダメなの」

「そうなんだ……たしかにぶら下がったりしたら、ぶっこわれそう」

「まあ、ジャンプしてリングに届くようになる練習をするぶんにはぜんぜんOK」

 もちろんボールは持ってきていて、杉浦さんに作業が完了した報告をしてから、軽く練習をしてみる。

「すごいね。床面もきっちり平らだ」と、美那が指摘する。

 たしかにボールが変なバウンドをしない。

 ご主人が家から出てきた。

「おお、ちゃんと付いたみたいだね。どうだい、練習に使えそうかい?」

「ありがとうございます。もうばっちりです」と、俺が答える。

「じゃあ、自由に使ってください。そうだな、時間は朝6時から夜は7時まで。来る前に電話をして、また帰るときは一声かけてくれればいいから。あと、うちが不在のときや都合が悪い場合には里優くんに連絡を入れるから。それでどうかな?」

「わかりました。それで結構です。ありがとうございます」

 それから俺たちはセットシュートやジャンピングシュート、ドリブルからのレイアップシュートなんかを練習した。

 試験勉強もあるので、6時半ごろに練習を切り上げ、縁側で冷たい麦茶をいただいてから、家に帰った。

 家の固定電話に連絡がある可能性もあるし、かーちゃんも杉浦夫妻とは面識があるので、練習場所の件を話した。


 そもそも初めて杉浦家に行ったのは、父親の暴力を受けて家から飛び出して、ふらふら歩いて、緑道公園近くの別の小さな公園でひとりしくしく泣いていたところ、夫妻に「どうしたのか」と、声をかけられたことがきっかけだ。

 夫妻はサスケの散歩の途中だった。サスケが俺を慰めるようにぺろぺろと顔を舐めた。

 当時10歳の俺は犬を飼いたくてたまらなかったのだが、親、特に父親から強い反対を受けて、飼うことができなかった。サスケのおかげで俺はすっかり泣き止んでしまい、家の嫌なことも一時的にではあるけど、すっかり忘れてしまった。

 ふとした拍子に俺の体のアザに気づいた奥さんが、一度俺を杉浦家に連れて行き、俺から事情を聞き出して、俺の家に電話を入れた。そのとき父親が電話に出ていたらまた違った展開――警察沙汰――になっていたかもしれないが、父親はどこかへ出かけてしまったあとで、かーちゃんが電話に出た。とりあえずの安全が確認できたので、夫妻が俺を家まで送ってくれたのだ。

 翌日、かーちゃんが杉浦家に手土産を持って俺と一緒にお礼に行った。かーちゃんが家のデカさに驚いたことは言うまでもない。

 あの広い庭でサスケと嬉々として遊ぶ俺を見た夫妻が、かーちゃんにときどき遊びに来させなさいと提案してくれたのだ。あのころも、息子さん家族が転勤で北海道に行っていたと記憶している。


 6月26日水曜日。

 引き続き天気が良く、杉浦家のコート――サスケコートと呼ぶことにした――で、部活が休みに入った美那と朝と夕方に練習。


 6月27日木曜日。

 午後から雨模様だったので、朝だけサスケコートで美那と練習。

 この日の晩、オツさんから大事な連絡があった。

 田中さんのチームと練習試合が7月13日土曜日に決まったこと、それに先立って7月10日水曜日の午後に東京都の体育館のバスケコート半面が3時間確保できたこと――を知らされた。

 水曜日って平日じゃ? 慌てて美那に連絡すると、「その日は試験休みじゃん」と言われた。そうだった。ナオさんも午前中で試験が終わるので、参加できるとのこと。

 はやくナイキでプレーしてー!


 6月28日(金)と29日(土)のサスケーコートでの美那との朝・夕練を経て、30日の日曜日は昼頃に晴れたので、美那と連絡を取って、またサスケコートに。


 7月に入っても、空はぜんぜんすっきりしない。

 雨の降っていない朝か夕方にサスケコートで美那と練習をする。

 コートの舗装は排水性とかで、ある程度までの降水量であれば水たまりはできない。

 すげえ助かる。

 7月1日(月)は朝練のみ、2日(火)は夕練のみ。

 それでも1日1回はコートを使った練習をできるのだから、ありがたい。


 7月3日水曜日。

 試験前日。

 朝は晴れた空の下、サスケコートでの練習。気分が上がるぜ。

 ジャンプが高くなってきて、レイアップシュートの決まる確率も上がってきた。美那も俺の上達に満足そう。時間さえあればカイリーの動画を観てるし、最初はまったくかなわなかった美那との1on1(1対1の対戦)も、たまにロング以外のゴールを決められるようになってきた。真剣に悔しがる美那がかわいい。10ポイント先取ではまだ勝てないけど。

 水曜だから午前中で学校が終わり、曇っているけど雨の気配はなし。だけど、試験を明日に控えているので、美那と相談して、自宅で自主練にした。

 すでにテニスシューズはぼろぼろで、ソールが減って穴がきそうだ。かーちゃんがそれに気づいたらしく、「試験が終わったら新しい靴を買いに行きなさい」と、1万円くれた。俺があっけに取られてると、「試験、がんばりなさい」と、笑った。中学以降で俺がこれだけまじめに勉強しているのを初めて見ただろうからな。


 7月4日木曜日。

 いよいよ前期末試験開始だ。中等部は午前で、高等部の俺たちは午後から。雨がけっこう降ってるけど、今日は練習しないし、天気は気にならない。

 初日の科目は、現代文Bと世界史B。読書量は少なくないし、小説も下手なりに書いているが、現代文はわりと苦手。世界史は勉強量に比例して手応えは十分だ。


 5日の金曜日は、日本史Aに数学ⅡとBの総合。苦手だった(単なる時間不足)日本史は楽勝だったが、数学は基礎がおろそかになっているからいまいちの出来。それでも簡単な問題は確実に解けた。


 6日土曜日は試験はなし。つまり学校に行かなくていい。

 だけど朝は雨。昼近くになって雨は止んだ。

 杉浦さんに電話してみると、コートの雨はけてるとのこと。

 美那に連絡してみると「やる、やる!」と文字通りの二つ返事が返ってきたので、サスケコートで軽く汗を流した。


 7月7日日曜日はしとしと雨。せっかく七夕なのに。

 俺は思うんだけど、元々の旧暦なら8月のはずなので、もっと晴れる日が多いはずだ。織姫と彦星が可哀想すぎる。ちょっと気になって調べてみたら、国立天文台に「伝統的七夕」のページがあって、今年2019年ならちょうど一カ月後の8月7日だ。もしかすると晴れるかもしれない。

 午後になって、美那からお茶の誘いがあった。いつもの喫茶店で落ち合うことに。今日に限っては悩みとかなさそうだ。

 予想通りほとんど雑談で、単なる試験期間中の気分転換に俺を付き合わせただけみたいだ。俺も美那の笑顔で癒される。

 帰り際になって、美那は思い出したように、17日水曜日の夜に川崎で行われるプロの3on3の試合の観戦に行こうと誘ってきた。ルールは3x3と若干違うらしいけど、上手い人のプレーを生で見ておいたほうがいいということだ。それはそうだ。

 考えてみれば、まともな生のバスケの試合なんて美那が出場した公式戦くらいしか観たことがない。テニスだってテレビで観るのと生で観戦するのではえらい違いだったもんな。


 7月8日月曜日。

 今日は、古典Bに地理A、物理基礎。古典はわりと得意で楽勝、地理も勉強してあるのでまあまあだった。

 物理は嫌いじゃないんだけど、基礎ができてないから不得意で、いつも成績は悪いのだけど、勉強したぶんだけ今回はマシな感じだ。


 7月9日火曜日。

 ついに試験最終日。科目は英語総合のみ。

 試験の終了はいつだって待ち遠しいもんだけど、今回はちょっと違う。

 早く終わってプレーしてえ!

 かーちゃんが翻訳をしていて基礎をしっかり教わっているから、もともと英語は得意。いままでは英語と古典、暗記系の科目で総合得点を稼いできた。今回は勉強時間をたっぷり取ったから、英語の高得点を期待できそうだ。

 3時に試験終了。終わったー! トータルでいつもよりできた予感だ。

 そして、この開放感。最高だぜ‼︎

 クラスメートは仲のいいグループで、「どこそこ行こうぜ!」とか盛り上がっている。美那たちのグループも「カラオケ行く?」とか「スイーツ行こう」とか喋りながら、教室から出ていった。

 俺のところにはかろうじてヤナギが来て、「お前どうだった?」って言うくらい。「まあまあかな」「俺も」と内容のない会話だ。すぐにヤナギはほかのやつのところに行ってしまう。

 雨は降ってないけど、曇り空。さすがに今日はちょっと疲れを感じている。でもひと眠りしてひとりでサスケコートに行くか。

 1時間ほど家で寝て、それからZ250を奥から出す。エンジンをかけて、少しだけアクセルを開けてから、奥に戻す。14日のライディングスクールを終えれば、ようやく乗れる。もうちょっとの我慢だ。


 夕方の5時半から練習開始。サスケコートでのひとり練習は初めてだな。

 ドリブルは毎日の練習の成果で、利き手の逆の左手でもだいぶうまくなってきた。でも左手でのシュートはまだ全然ダメだ。だから今日は左手でのシュートを練習だ。美那相手の実戦的な練習だとつい右手に頼ってしまうから、今日はちょうどいい。

 左手のレイアップを集中的に練習する。しかしぜんぜん入らん。結局日暮れまでやって、左手で入ったのは3本だけ。いやはや。いまごろ美那はカラオケでも楽しんでいるのだろうか?

 家に帰って、飯食って(最近はかーちゃんに作らせてばかり)、ソファでひさしぶりにテレビを見てたらいつの間にか眠っていて、かーちゃんから起こされて気がついた。

「美那ちゃんから電話。あんたの携帯に何度もかけたけどでないって」

 そりゃそうだ。自分の部屋に置きっぱなしだった。

 かーちゃんから家電いえでんの子機を受け取る。

「ごめん、すっかり寝てた」

「起こしちゃった?」

「いや大丈夫、ソファでうたた寝だから」

「今日はごめんね。なんか連絡できるタイミングがなくて」

「え、別にいいよ。サスケコートでひとりで練習したし」

「今日も行ったんだ?」

「早くプレーしたくてうずうずしてたしな。おまえは?」

「わたしたちはカラオケ行って、スイーツ食べて、カフェでダベって今帰ってきた。帰り道に電話したんだけど」

「わりい。部屋に置きっぱなしだった。なんか用事?」

「別に特にないけど、明日どうする? 何時頃出る? 1時半からだから11時半ごろ出れば間に合うけど」

「それだと昼飯食う時間もないな。あ、そうだ。外用のテニスシューズがぼろぼろになってるのを見兼ねたかーちゃんが買いなさいって1万円くれた。買うの付き合ってくれる?」

「え、いいよ、べつに」

 と、美那はちょっと驚いた感じで答える。

「俺はよく知らないし、こないだの店かな?」

「そうだね。どうせ横浜を通るし。じゃあお昼も食べるとなると、9時ごろ出る?」

「ああ。朝練はどうする?」

「午後に3時間あるし、体力を温存しておいたほうがいいかも。オツさんもだいぶ火が入ってきたみたいだから」

「わかった。じゃあな」

「うん。おやすみ」

「ああ。おやすみ」

 なんか美那のやつ、ずいぶんしとやかじゃねえか。おやすみ、とか言われたの最近じゃ初めてかも。また好きな男でもできたのかな。それともナオさんの影響か?

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る