1—16 灯台下暗し

「オツさんは次の試合の結果を見てからって言ってたけどさ、無視して先に注文しちゃおうかと思って」と、美那が説明してくれる。

「それでね、今度の練習試合が終わったら、みんなに渡そうと思ってるの」

 ナオさんはワクワクを抑えきれない感じだ。

「大丈夫なのかよ。オツさん、ブチ切れたりしない?」

「秘策は考えてあるの」

 と、ナオさんが微笑む。

「それに勝てば問題ないでしょ。どのくらいの相手かわからないけど、とにかく勝つしかない。わたしはどんな相手でも負けるつもりはない」

 美那はやけに強気だ。

「そしたら、俺とナオさんは相当レベルアップしなきゃいけないじゃん。これから試験もあるし、試合まで時間ねえぞ」

「わたしだって大学生だから前期試験とかレポートとかがあるのよ。でもね、昨日初めてチームで練習して、サークルとはなんか違って、バレーのころの勝負への執念が戻ってきちゃった」

「実は俺もなんかメラメラ燃えてるんだけど……」

「まさかリユが試合の話を持ってくるとはね。だから余計じゃないの?」

「かもな。カイリー・アービングの影響もあるのかも。それにバッシュも」

 美那が俺をちら見して微笑む。

「なに? そのカイリーなんとかって」

 美那がナオさんに説明しながら、YouTubeで動画を開く。でもスタバの回線は混み合っているらしく、ほとんど動かない。

「ダメみたい」

「じゃあ、わたしに参考になりそうな選手は?」

「カイリー・アービングって選手はわたしと同じポジションだからよく知ってるんだけど、ナオさんの場合は違うからなぁ。オツさんに聞いたほうがいいかも」

「そうか。じゃあ、航太さんに参考になる選手を聞いてみる」

 すぐ近くだからと、ナオさんが住んでいる女子寮に案内してくれた。

 男でも玄関にあるロビーまでなら入れるとのことで、謎めいた秘密の園を覗いてみたくて、入らせてもらった。とはいえ、別に女子大生がさかんに行き来しているわけでもなく、美那がナオさんの部屋を見せてもらっている10分ほどの間に、ほんの数人が通っただけだった。

 オツさんもここで、大きな体を小さくしてナオさんを待っているのだろうか? 笑える。

 ナオさんはわざわざ建物の外まで出て、手を振り見送ってくれた。

「なんかあっという間にナオさんと仲良くなっちゃったのな」

「だってナオさん、すっごく素敵じゃない? 柔らかいのに芯が強くて。いずれオツさんが尻に敷かれそう。九州の女の人ってあんな感じなのかな」

「いや、それは人によって違うんじゃね? 横浜だっていろいろいるし」

 例えば、香田さんと美那とか、と思ったけど、口には出さない。

「ただねぇ、まだバスケの体の当たりに慣れてないんだよなぁ」

「それは俺だって同じだよ。バレーとテニス、同じネットを挟んだスポーツだったし」

「ところがリユは違うの。男というのもあるのかもね。それに相手をかわす体の使い方がうまい」

「そうか?」

「だからナオさんにはナオさんに合ったスタイルを確立してもらわないと」

 市ヶ谷から山手線で品川に出て、京急に乗り換える。

 美那は黄色いTシャツに緩めの濃紺のジーンズ、白いローカットのスニーカーと昨日とは打って変わってカジュアルな格好だ。

 今日はナオさんから一緒にユニフォームのデザインを考えようと連絡があったそうだ。ナオさんもかなりやる気になっていることは確かだ。


 6月24日月曜日。

 朝から雨だ。試験も近いし、朝練は中止。どうせ起きたので試験勉強をした。なんて健全な高校生なんだ! 勉強に疲れると、美那にもらったボールで遊ぶ。手に馴染んできたのがわかる。

 バスケ部の部活は今日から試験前の休みに入るらしい。とはいうものの、バスケ少女の美那は、仲間と1時間くらい軽く汗を流してから帰宅すると言っていた。

 帰り際、気づかれないように体育館をのぞいてみたけど、美那はお揃いの白いナイキを履いていない。美那はいつでも学校で使えるのだろうけど、俺はあれをいつ下ろせるんだ? 練習試合が初めてじゃ、まずいだろ。

 帰宅して、カイリーの動画を見てから、また試験勉強。いままでサボってきた分、取り戻すのが大変だ。でもZ250に乗るためだ。頑張らんと。

 雨も上がったので、気分転換がてら自宅前でドリブルの練習をしていたら、美那が来た。

「おっす!」

 なんか今日は機嫌がいいな。

 明るいグリーンのポロシャツにアウトドアっぽいショートパンツ、足元はアディダスのスタンスミスだ。バスケで鍛えた脚はスッと伸びていて、見ていて爽やかな気分になる。

「ちょっと散歩にでも行かない?」

 もし2週間前にこんなことを言われたら超絶違和感だったはずだけど、いまやただの日常の出来事と感じる。

「ああ」

 俺がボールを置きに戻ろうとすると、「ボールも持って行こうよ」と言う。

 家の鍵とスマホは家の中だけど、まあいいか。

 玄関から、「ちょっと美那と出てくる。鍵とスマホは持っていかないから」と、かーちゃんに一声かける。奥から「はーい」と返事があった。

「ナオさん、例のユニフォームを注文しちゃったらしいよ」

「へぇ」

「次のチーム練習はどうしようか? タナカさんのチームとの練習試合は13日の土曜日になりそう。試験のあと3日しかない。かといって試験の前も厳しいよね」

「大学も試験があるってナオさん言ってたよな」

「うん。オツさんもナオさんもわたしたちと同じ7月上旬で、ナオさんは2日から10日だって」

「試合をもうちょっと後ろにしてもらうとか?」

「あんたのバイトがあるし、夏休み期間に入ると、休暇を取るメンバーもいるみたいで、夏休み前がいいみたい」

「ほぼほぼ13日決定か。じゃあ練習は土日か平日の夜しかないな」

「さすがに試験期間中の土日は無理でしょ?」

「だな」

「次の練習は体育館でやりたくない?」

「ナイキ?」

「うん。履き慣らしたほうがいいし、一回くらい板張りで試しておきたいでしょ?」

「そうなんだよ。実はさっき体育館をのぞいたら、お前もまだ履いてなかったな」

「あれはこっちのチーム専用にしようと思って」

 前を向いていた美那が俺のほうを向く。微妙ではあるが嬉しそうな目と口の動きだ。

 俺はなんか面映おもはゆくて、持っていたボールを5本の指の上で回転させたり、両手でタップしたりした。

「あ、うまくなってんじゃん!」

「これ? 暇つぶしに遊んでるからな。ま、ハンドリングの練習の動画とかも観といたけど」

「ね、区の体育館のキャンセル待ち、リユも入れといてくれない?」

「ああいいよ。そんなのあるなら早く言えよ」

「ああ、うん」

「なんだよ、遠慮すんなよ、そんなことくらい」

「うん、ありがと」

 なんだ? 美那のやつ、ちょっと挙動不審キョドってるぞ。


 西の空は雲が切れて、夕焼けになっている。明日は久しぶりに少しは晴れそうだ。どこに向かうわけでもなく、ぶらぶらと歩いた。

 住宅地から緑道公園に入って歩いていたら、アスファルトのちょっとした広場があって、もう濡れていなかったし、ほかに人もいなかったので、覚えた技を織り込みながらドリブルとパスをして遊んだ。

「あ、リユ、人が来た」

 美那がボールを止めたので、俺は振り返った。

「あ!」

 歩いてきた老夫婦は、俺が10歳くらいのころによく遊びに行っていた杉浦さん夫妻だった。

「あら」

「杉浦さん、こんにちわ」

「里優ちゃん、こんなところで会うなんて珍しいわね」

「お、バスケットボールかね。里優くんはテニスじゃなかったか?」

「最近、始めたんですよ」

 美那が俺に近づいてきて、二人にお辞儀をした。

「だれ?」と、耳元で囁く。

「ほら、最初に練習した日だっけ? 大きな家の犬の話、覚えてない?」

「サスケ、だっけ?」

「あら、お嬢さんもサスケをご存知なの?」

「彼から聞いたことがあって」

「まあ、そうなの! 里優ちゃん、高校の入学式以来だったかしら」

「ええ。すみません、ご無沙汰しちゃって」

「あら、いいのよ。高校に入ったって報告に来てくれただけでうれしいんだから」

「そうだ、おまえ、せっかくだから、ちょっと寄ってもらって、お茶でも出したらどうだ。ほら菓子もあっただろ」

「そうね。お時間はある? よかったらどうかしら。ちょうどお菓子をたくさんもらっちゃってどうしようかと主人と話してたのよ。遠慮しないで、寄って行って」

 俺と美那が顔を見合わせる。アイコンタクトでOKと美那が言う。

「じゃあ、すみません。ちょっとだけ」

「あら、うれしいわ。ひとり息子が1年くらい前に海外赴任になって、孫も連れて行っちゃたから、寂しくてね」

「そうなんですか」

 杉浦家はそこから歩いて5分ほどのところにある。

 和風の門の前で、美那が目を見開いている。

「さ、どうぞ、はいって」

 大きな門の横の、人だけ通れる大きさの扉をくぐる。

「すっ、ごい」と、美那がつぶやく。

 たぶん最初に来た人は驚くと思う。門を入っても、すぐには家が見えないから。

 木立に挟まれたコンクリートのゆるやかに曲がった道は車が余裕で通れる広さで、2分ほど歩くと、庭がひらける。右手には車が3台以上並べられそうなシャッター付きの大きな車庫があって、その前は水はけが良さそうな広い舗装になっている。左手に住居である日本家屋がある。

 玄関を上がって、廊下を左に曲がって進む。ボールは玄関の三和土たたきに俺と美那の靴に挟んで置いておいた。

 ゆったりとしたリビングルームに案内された。ここは床張りでちょっと洋風な作り。大きな布張りのソファセットが置いてある。勧められて座ると、めちゃくちゃ座り心地がいい。沈み過ぎず、ふんわりと包まれる感じだ。

「もらったお菓子はこれなのよ」

 奥さんが個包装になったフルーツケーキらしきものを大量に持ってきた。ただ、真空パックではなく、アルミをコーティングしたような紙で包んである。おしぼりも置いてくれた。

「あの業者、ほんとうに気の利かんよな。年取った夫婦でこんな油っ気の多い菓子をこんなに食えるわけないのに」

 ご主人がやって来て、不満をこぼす。

「まあまあ、わざわざ持ってきてくださったんですから。息子たちが海外に行ったのもご存知なかったんだし。どうぞ、お好きなのを召し上がって。紅茶がいいかしらね」

「はい」と二人で答える。

 ご主人が向かいの一人がけに座る。

「息子たちは横浜の中心のほうに住んでいたが、しょっちゅう遊びにきてくれていたから、前なら持って帰ってもらえたんだが」

「そうなんですか。それはお寂しいでしょうね」

 美那が大人びた口調で言う。

「そうなんですよ。お、バスケットボールといえば息子も学生時代にやってましてね、里優くんは知らないかな、庭にバスケットのゴールを付けてたんですよ。車庫の前の駐車スペースの外灯のところに。本当はゴールを付けられるポールを立てたついでに外灯も付けたんですが」

「そういえばなんとなく記憶が。テニスボールを投げて、入れていたような気が……」

「いまはもうないんですね……」

 美那が残念そうに言う。

「それが、息子が孫にも教えたいといって、ちょっと前に子供用の高さに取り付けてやったんだが、少なくとも数年は戻れんとかで、はずして倉庫にしまいました。劣化してしまうとかで」

 奥さんが紅茶を並べて、ご主人の隣に腰を下ろした。

「そうだわ、あなた。里優ちゃんがバスケットボールを始めたなら、練習場所に使ってもらったら」

「おお、そうそう。それはいい考えだ。あ、でも部活動なら学校に練習場所があるか」

「僕は部活じゃなくて学校の外のチームなんです。実はこれといった練習場所がなくて、ちょうど探していたんです。だからもし使わせていただけるならほんとうに助かります」

「でも、もしリユ、あ、森本くんがひとりで使うとしても、それなりに本格的にプレーするので結構、音がしますよ」

「どうせわたしらは早起きだし、夜はさすがにあれだが、朝とか夕方なら大丈夫ですよ。幸い周りの家の心配もいらないですし。息子が使っていたから、どんな感じかはだいたいわかっています。わたしらはよくわからんから、自分で取り付けてくれれば、使ってもらってかまわんよ」

 俺と美那はまたまた顔を見合わせる。美那はちょっと躊躇ちゅうちょがあるようだ。それと美那も一緒に使うことが伝わっていない気がする。

「ほんとにいいんですか。それと、ひとりで使わせてもらえるだけでも助かるんですけど、彼女も一緒に使えるとうれしいんです。彼女は僕のコーチなので」

「あら、そうなの! なんかスポーツウーマンって感じだものね。大歓迎よ。そうしてちょうだい」

 奥さんの言葉にご主人も強くうなずいてくれる。

 よっしゃ!

「ただあれだな。老人ふたりだけの家だから、やたらと人が出入りされても不用心ぶようじんだ。だから使うのは君たちふたりだけということでいいかな?」

「はい。もちろんです」

「うん。じゃ、今日はもう暗くなったし、よければ明日の夕方にでも取り付けに来たらいい。脚立とか工具とかはあるから使って構わないよ」

 美那のやつ、なんか嬉しくて泣きそうな顔をしてやがる。

 明日の夕方にふたりでゴールを取り付けに来ることになった。メモ用紙を借りて、ふたりの携帯と自宅の電話番号を書いて渡した。

 それから美那が3x3のことやチームのことを楽しそうに説明した。おまけに俺にどれだけ才能があるかということまで。ちょっと話を盛っている気もしたが。

 残ったお菓子をたくさん持たされて、杉浦さんの家をあとにした。

 並んで歩いていると、何も話さない美那がどのくらいうれしい気持ちでいるのかが伝わってきた。

「袋、かして」

 俺が「サンキュ」と言いながら、美那のがわの左手に下げたお菓子の入った紙の手提げ袋を渡すと、美那はそれを左手に持ち替えた。

 すっと手が伸びてきて、俺の手を握った。

 俺はびっくりして、美那を見た。

「昔はこんなふうにしてよく歩いてたよね」

「そうだったけ?」

「うん」

「でも、誰かに見られたら困るじゃん」

「今日だけ。ね、いいでしょ?」

「まあいいけど。でも家の近くになったら離せよ。かーちゃんが見たら、ぜったい誤解するからな」

「うん、わかった」

 俺の手を握る美那の力が強くなる。

 俺もまた美那の手を握り返した。

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