1—15 ユニフォームと抱擁
霧のような雨が降り始めていた。路面はまだドライだけど、午後の最初から、雨具を着ての乗車だ。
午後の一発目は、教習所のようなコースを使った普通のコーナーリング。これは比較的スムーズに行く。午前中にブレーキングやライディングフォームをきっちり教わったのが生きているようだ。「なかなかいいよ」と初めてインストラクターに褒められた! それと同時にブレーキのリリースやライン取りについて詳しく教えてくれる。
いくつかのR(コーナーの回転半径)の違うコーナーで、何度もトライする。ブレーキングから前輪に荷重を残したリリース、車体のバンクと体重移動、アクセルオン、ライン取り。それらがどんどんスムーズになっていく。
でも雨で路面が濡れてきて、だんだんバイクを傾けるのが怖くなってきたと思ったら、変なところでフロントブレーキをかけて、コケた。考えてみると、濡れた路面をバイクで走るのは初めてだ。体が硬くなっていると指摘された。滑りやすいウェットにビビっていたらしい。
最後は、「コーススラローム」というジムカーナと同じようなコース。パイロンで教習所の内側のような複雑なコースが作ってあって、そこをいかにスムーズに抜けていくかを学習する。ジムカーナのようにスピードを競うわけではない。
こんなもん、できるかよ! っていうくらい難しい。おまけにウェット。何回転倒したかわからない。ただスピードも大して出ていないから、せいぜい軽い打ち身程度だ。でもこれだけ何度も
終了後、チーフ・インストラクターの吉田さんから総評と個々の評価をもらった。
「最後は森本さん。最初はどうなるかと思ったけど、最後はかなり上達したと思います。でもやっぱり免許を取る前の練習が不足していたと思われます。今日覚えた基礎をしっかり頭と体に叩き込んで、親御さんに心配させないライディングをできるようになってほしいと思います。だけど、それは口で言うほど簡単ではないので、ここに何度か通うなりして、きちんと身につけてほしい。そして、これから始まるバイクとの人生を充実したものにしてください」
インストラクターの最後の言葉に反応したのか、受講者から盛大な拍手が起こった。たしかに俺の抱負の言葉を受けた、最年少の俺にふさわしいいい言葉だ。ちょっと感動してしまった。
解散するとイトウさんが近づいて来て、「ほんと、うまくなってたよ。公道では転けるなよ。またな」と、俺の肩をぽんと叩いていった。
タナカさんも来てくれて、「いや、びっくりするくらい上達してたよ。やっぱり若いってすごいな。バスケも楽しみにしているよ」と言って、握手してくれた。
吉田さんというインストラクターも何かを思い出したように、わざわざ戻って来て、「正直言って、公道で安全に運転するにはまだ不十分だから、ここじゃなくてもいいから、せめてあと1、2回は講習会に参加したほうがいいよ」とアドバイスをくれた。俺が「今度は7月14日に初中級コースに来ます」と答えると、「そうか。もう1回くらい初級を受けたほうがいいけど、うん、それでもいい。センスは悪くないから、頑張れよ」と言って、笑顔で去っていった。
なんか、バイク乗りって、基本みんな優しいのか?
シャワー設備があることは知っていたので、速攻で汗を流した。
シャワーを浴びていたら、次回の〝7月14日〟が頭に浮かんだ。なんか、あった? 前期末試験のあとの最初の日曜日だろ? 予定がないことを確認して予約したはずだけど……。
オツさんの顔が迫ってくる。そうだ、試合。タナカさんの同好会との試合が入るとしたら、その週末の可能性が高いじゃん! やばい。
俺はすぐに美那に電話を入れた。
「ミナ、試合の予定決まっちゃった?」
「リユ、すごいじゃん。持ってるね。まだだよ。どうして?」
「実は14日の日曜日に次のライディングスクールを予約してあるのを忘れてた。というか、試合とそのことが頭の中でぜんぜんリンクしてなかった」
「まだ、大丈夫。わかった。14日はリユはダメなのね? それより、もしかして帰りに東京を通る? 実は今、オツさんに内緒で、ナオさんとユニフォームのデザインを考えてるの。来ない?」
「いまから? 俺、けっこう……」
疲れてると言おうとしたら、送迎バスが間もなく出発するとアナウンスが。
「わかった。場所、送って」と思わず答えてしまった。
すぐに服を着て、バスはギリギリセーフ。美那からはすでにメッセージが届いていた。場所は市ヶ谷のスタバ。ほんとあいつスタバ好きな。スマホで調べると、1時間ちょっとで着く。まあ、いいか。でもなんで
あやうく乗り過ごしそうになったけど、電車の中で熟睡したおかげで、疲れはだいぶ取れた。しかしこんなに疲れるとは思いもしなかった。美那のしごきがなかったら、1日持たなかったかもしれない。バイクってスポーツなんだぁっ! って叫びたい気分。
スタバは駅の近くで、すぐに見つかった。この辺りはもう雨は上がったようだ。
奥のほうの席で美那とナオさんが赤いノートパソコンを開いて、楽しげに話している。
「こんちは」と俺は声を掛ける。
「おかえり」と美那。
「こんにちわ」と笑顔のナオさん。
二人席だったから、カウンターでの注文のついでに椅子を頼む。
美那が少し
「ふぅ、疲れた」
つぶやくように言いながらストローをくわえ、シロップをたっぷり入れたアイスコーヒーを二口飲む。喉乾いたし、今日はトール。あとで100円のおかわりもしよ、っと。
「バイクのスクールはどうだった?」
「いやもう、へたっぴで疲れるのなんのって。最低でも20回は転んだし」
「え、体は大丈夫なの?」
「まあスピードは大して出てないし、バイクも完全には倒れないようになってるし、肘とか膝にはプロテクター貸してくれたし、大丈夫。ただ雨具がかなりやぶけた」
「なら、よかった。ところで、だいたい完成したんだけど」
「なにが」
「ユニフォームのデザイン」
「ああ、そうだった」
「ほとんどナオさんがデザインしてくれたんだよ」
「ベースはミナちゃんが考えてくれたし、わたしはウェブショップのテンプレートみたいので細かい部分の配色とか決めただけだから」
「そうなんだ。で、どんなの?」
「見てびっくりするなよ、リユ」と、美那がにやける。
「なんだよ、そんなもったいぶるなよ。ナオさん、見せてよ」
美那とナオさんがアイコンタクトすると、ナオさんが画面を俺に向けてくれる。
そこには……。
「なんだよ、これ、すげーじゃん!」
なんとグリーンをベースに、ゼットを配したデザイン。まるで俺のバイクのためのユニフォームじゃん!
え? バスケなのにバイク? でもそうか、ゼット・フォーのZは俺のZ250から来てるんだからな。
「どう、気に入った?」と、美那が満面の笑みで俺を見る。
「うわー、ありがとう、ナオさん」
俺は思わずナオさんの両手を取り、握手をしてしまった。こんなとこ、オツさんに見られたら殺されるな。
「でもリユ君、元のアイディアはミナちゃんのこの写真だからね」
ナオさんが画面をウェブブラウザから画像再生ソフトに切り替えた。すると、そこにはこの間美那に送った俺のZ250の写真が!
「え、じゃあミナが?」
「そうよ。ミナちゃんがリユ君のバイクをモチーフにしたいって」
美那がドヤ顔で右手を差し出す。が、俺は思わず隣の美那に抱きついた。つよーく、抱き締めてしまった。
「え?」
美那の戸惑った声が頭の後ろで聞こえる。
「ミナ、ありがとう。俺、チョーうれしい。最高だよ、ミナ。ありがとう」
なんかしらんけど、涙が出て来た。
「ちょっと苦しいよ、リユ。もしかして泣いてんの?」
うわー、すげーいい匂いだよ、美那。え? やばい俺、なにやってる?
「ご、ごめん。うう、なんかほんとうれしくて。人生の5大うれしいのひとつだ!」
俺は慌てて美那から離れた。
くそ、まだ涙が止まってない。うわ、なんか周りのお客さんに見られまくってるじゃん。
「ほかの4つはなんなのよ?」
と、美那はぶっきらぼうに言いながら、スタバの紙ナプキンをくれる。涙を吸い取る。
「い、いや、適当に言っただけ。ま、ひとつはバイクを手に入れたことだな」
「じゃあ、あと3つはこれからってわけね?」
「そうしないと計算が合わないな……」
「じゃあ、次は今度の大会での優勝だね!」
と、ナオさんが言ってグーを差し出す。俺と美那がグータッチで応える。
「ああ、わたし、なんかすごい燃えてきた! 絶対、優勝したい!」
美那の瞳がギランギランしている。
こんなに輝いている美那の瞳は久しぶりに見るような気がする。もう例の男のことなんか吹っ切れちゃった勢いだな。
だけどそれには俺の奇跡的なレベルアップが必要だ。
カイリーみたいなプレーができるのか? この俺に……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます