1—13 キス?

 車に乗り込むと、俺の家の住所をナビの行き先に設定してもらった。

 土曜日の夕方の横浜の道路は混雑していた。空は暮れかけていて、ヘッドライトとテールランプが浮かび上がってくる時間帯だ。車内には抑えた音でヒップホップ系の音楽がかかっている。

「さっきのチームをフラットってはなしだけど」

 運転席の花村さんが前を見ながら、斜め後ろに座っている美那に話しかける。菜穂子さんは当然助手席で、俺は花村さんの真後ろで、足元がちょっと狭い。

「はい」

 美那が少し体を前に乗り出す。

「山下、おまえがキャプテンだ」

「え、先輩じゃなくてわたし?」

「そうだ。おまえが首謀者だろ。リユ君と菜穂子もいいよな?」

 俺と菜穂子さんが、はい、と答える。

「よし、決まり。大丈夫だ、お前にはその資質がある。その代わりってわけじゃないが、チームの責任者は俺が務める。俺は4月の誕生日で20歳になったしな。チームじゃ唯一の成人だ」

「わかりました。ありがとうございます」

「それからフラットな関係っていうのは俺も賛成だ。3x3は俺もほぼ初めてだからちょっと調べたけど、5人制バスケと違って、役割分担はほとんどないんだろう?」

「はい。基本的に3人が自由に動いて、選手交代も選手同士の意思みたいな感じです。監督とかコーチもベンチに入れないし」

「しかしタメ語ってのはな……」

「航太さん、試合とか練習のプレー中はスピードが必要だからタメ語で、こういう話とか食事のときの雑談は臨機応変にしようって感じです」

「まあ、それならいい」

「わたし、美那ちゃんとはもっと親しくなりたいもん」

「わたしも!」

「あ、そうだ。せっかくだからユニフォームを作らない? 美那ちゃんがチーム名のロゴまで考えてくれたし」

「いいですね。ナオさんと一緒に考えたいっ」

「いや、まだ時期尚早じゃないか? すぐに解散なんてこともあるんだぞ」

「航太さん、そうなると思う?」

 ナオさんは大人しそうでいて、普段から言うときは言う人みたいだ。わりと好きなタイプ。

「……ま、今日練習した感じでは続きそうだな」

「じゃあ美那ちゃん、練習試合が決まったら、それに合わせて注文できるようにしようよ」

「いや、最初の練習試合はやめておこう。そこでチームの力を見極めてからだ。ユニフォームだけ立派でもみっともないし。それでどうだ?」

 ナオさんはちょっと不満げにオツさんの横顔をチラ見して、振り返って美那を見る。美那がうなずく。

「じゃあ、勝ったら作る、負けたら試合内容で判断する、ではどう?」

「そうだな。相手にもよるが」

「じゃあ、先輩、ちょうどいい練習相手をお願いします。わたしのほうも探しときます」

「おう。もし交渉が必要なら俺に任せろ」

 車は生麦の交差点を抜けて、産業道路のような道を通り、何度か曲がってから橋に入っていく。スマホで地図を見ると、どうやら横浜ベイブリッジの有料道路の下らしい。こんな無料で通れるところがあるのか。勉強になります。Z250に乗れるようになったら、来てみよう。

「山下」

「はい?」

「誘ってくれて、ありがとうな。正直、サークルじゃ息苦しくて、思い切りプレーができない感じでさ。特にナオ、いや菜穂子ともよそよそしくしないといけないし」

「先輩、普通にナオって呼んでくださいよ。普段はそう呼んでるんでしょ?」

 美那のツッコミに、ナオさんがくすりと笑う。オツさんが横目でナオさんを見る。ナオさんがバラしてしまったことがわかったらしい。

「ああ、そうだな。そうさせてもらうよ」


 家に着いたのは8時前だった。オツさんがトランクの荷物を出してくれる。

「じゃあ練習はしっかりしとけよ。早く練習場所を見つけてな」

「はい。きっちりやっときます」

「俺も頑張ります。ドリブルでオツさん、いや花村さんを抜けるようにしときます」

「頼もしい言葉だが、俺を抜ける程度じゃ困る。大会までにはミナを軽く抜けるようになってくれ」

「ハードル、たか」と俺。

「きっとリユ君ならできる。フェイントすごかったもん。わたしもジャンピング・キャッチのレベルを上げとく」と、ナオさんが小さくガッツポーズをくれる。

 美那と二人で車が見えなくなるまで見送った。

「なんか、楽しくなりそう」

「あのふたり、これからドライブかぁ」

「うらやましいんだ?」

「うるせえ」

 そのとき美那の瞳にかげが差した気がした。でも俺にはその意味がわからない。

「ただいま。ミナ、連れてきたぞ」

 かーちゃんが玄関に小走りでくる。

「あら、美那ちゃん、いらっしゃい」

 めちゃくちゃテンションの高い声音こわねだ。どれだけ美那のことが好きなんだ。

「すいません。遅い時間に」

「いいのいいの、何時でも。さあ、あがって」

「おじゃまします」

 かーちゃんはすぐに紅茶とケーキをテーブルに並べた。今や遅しと待ち構えていたのだろう。

 かーちゃんが、美那ちゃんのおかげで最近リユウが元気なってきて嬉しいとかなんとか話し始めたので、俺はケーキを食べ終えると、紅茶の残ったマグカップを持って、二階の自分の部屋に消えた。ふたりとも止めやしない。

 美那がプレゼントしてくれた白いナイキのバッシュを出して、紐をきちんと通し直す。そして足を入れてみる。めちゃ、カッコいい。なんかすごいプレーができそうな気がする。

 パソコンを開いて、カイリー・アービングの動画を探す。

 バスケを始めて、いくつかNBAの動画を見たけど、なんかみんなスゲーと思うだけで、ぴんとくるものがなかった。

 でもカイリーは違った。なにかわからないけど自分と共通のものを感じる。

 そして、シュートやドリブルはもちろん、パスの出し方、チームメイトの活かしかたがすごい。そしてなにより、動きの素早さやその創造性に圧倒される。

 とにかく、すごい。ぜんぜん、見飽きない。ドリブルで相手を置き去りにしてシュートまで持っていくときなんか、相手チームだけではなく、自分のチームの選手も、まるで時間を止められてしまったように、カイリーだけが動いている感じなのだ。

 ジャンプしてからボールを持ち替えたり、体勢を変えたり、でかいやつにブロックされても、最後までシュートを狙う。シュートのためにジャンプして、着地するまでがシュートチャンスなんだなとわかる。すげえ。

 自分と共通のものがあるなんて、今の俺のレベルじゃおこがましいけど、でも目指すべき方向であることはわかる。

 時間を忘れて観ていたら、ドアをノックする音がして、我に返った。

「リユ、入っていい?」

 美那の声だ。

 え、やばいものとか、置いてないよな?

「ちょっと待って」

 うん、大丈夫だ。

「ああ、いいぞ」

 ドアが開いて、美那が入ってくる。

「あ、もう履いてる」

 美那が嬉しそうに言う。

 しまった、脱ぐの忘れてた。

「それにエッチな動画」

「え?」

「うそ、カイリーの動画を観てたんだ?」

「あ、ああ」

 俺はうやむやに答えながら、パソコンを閉じた。

「なんで閉じるのよ。一緒に観ようよ」

「用事が済んだなら、もう帰れよ。そうだ、俺、明日、朝早いんだよ」

「バイクのスクールだっけ」

「そう」

「でもまだ8時半じゃん」

 俺はナイキを脱ぎながら、どう断るかを考える。

「試験も近いしさ」

「なんなら、一緒に勉強する?」

「やだよ」

「リユの部屋に入るなんて、超久しぶりじゃん。そんな邪険にしないでよ」

 美那はそういうと勝手にベッドに腰を下ろした。そして部屋の中をきょろきょろと見回した。

「なんか、殺風景な部屋」

「いいだろ、別に。ポスターとか貼るの好きじゃないんだよ」

「ねえ、カイリーのプレー、リユとちょっと似てたでしょ。自分で感じない?」

「そうだな。レベルは違いすぎるけど、共通性は感じる」

「でしょう?」

「でもああいうプレーに近づくには、もっと体幹とか足腰とか鍛えなきゃいけないし、ハンドリング? ボールの扱いもうまくならなきゃならない」

「へぇー、もうそこまでわかってるんだ。さすが、わたしが見込んだ男」

「たいした期待もしてねえくせに」

「そんなことないよ。それにオツさんからもメッセージが届いてる。ほら」

 美那は手を伸ばして、デスクの椅子に座っている俺にスマホを渡した。

――今日はサンキュ。完成すれば、すごいチームになるぞ。ただ時間がない。リユ君のスキルアップは頼んだぞ。

「期待してもらえるのは嬉しいけどな。このところ、誰かに期待されたことなんかなかったから」

「哀しいこと言うね。わたしはいつも、リユに期待しているけど?」

「滅多に話もしないくせによく言うよ」

「リユのほうが避けてるんじゃない」

「いや、だってさ、おまえ、人気者だもん」

「とにかく、動画、観ようよ」

 結局、美那に言われるままベッドに並んで座って、カイリーの動画を観る羽目になった。

 美那は、ホラ見て今のところ、とか、ちょっと戻して、とか、ほらこの体の使いかた、とか、いろいろうるさいし、画面に指をさすときに、いちいち俺に近づくから参ってしまう。おまえ、めちゃキレイなんだから、変な気になっちゃうだろう?

 10分程度の動画を2本観終えると、ようやく満足したらしい。観るのに倍以上の小一時間はかかったけど。

「じゃあ、そろそろ帰ろうかな」

「ああ」

「ほんと、素っ気ないの。せめて、夜だし送っていこうか? とか言えないの?」

「わかったよ。夜も遅いし――たいして遅くもないけど――送ってこうか?」

「うん。ありがと。送って」

「なんだよ。断んのかと思った。いや、でもマジで送っていくわ」

「ほんと? ありがとう」

 なんか美那はやけに嬉しそうな顔をしている。ほんと、わけのわからんやつだ。

「あら、美那ちゃん、もう帰っちゃうの? なんなら泊まっていけばいいのに」

「なに、言ってんだよ、かーちゃん。俺、明日早いし。じゃあ、送ってくる」

「残念ね。じゃあまた、近いうちに遊びに来てね」

「はい、またお邪魔します」

 なんでこいつらこんなに仲がいいんだよ。

 静かな住宅地の中を、横に並んで無言のまま歩く。なんか喋れよ、美那。気まずいだろうが。

 美那の家の近くまで来て、ようやく口を開いた。

「明日は1日つぶれるんでしょ?」

「ああ。スクールは9時受付で10時から4時半までだけど、片道2時間だからな」

「じゃあ、また、月曜日の朝練か」

「ドリブルの練習はしとくよ」

「うん、おねがい」

 やけに可愛らしく言う。

 と、美那の顔が急に俺の顔に近づいてくる。

 すると、俺の右の頰に美那の柔らかい唇が押し付けられた。

 これは、キ・ス、なのか?

 俺が固まっていると、少し離れてから、「じゃあ、明日、頑張ってね」と、ナイキの入った紙袋を持った手を上げて袋を揺らすと、低い柵を開けて家のエントランスに入っていった。

 なんだったんだ、いまの。

 俺はたぶん30秒くらいその場に立ち尽くし、それからようやく、クウェスチョンマークが渦巻いた頭とともに、家に向かって足を動かし始めた。

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