1—10 バッシュ


 夕食後しばらくして、美那から遅い返信があった。


――>無事に帰ってきてホッとした。一緒にやってくれるメンバー2人が決まった。今度の土曜日の夕方に顔合わせと3x3用コートで練習をするから、空けといて。


 なんか、美那はバイクに関しては妙に冷たいよな。そのくせ、後ろには乗せろと言うし、ほんと意味わからん。

 でもZ250(アイツ)を手に入れられたのは美那のおかげだし。今日だけは〝美那さま〟とあがめたいくらいだ。

 あとのふたりってどんな人なのかな。勝つ気ならバリバリの経験者だろう。じゃあ、俺の存在は? 厳しい目にあってバスケをする意味は?

 俺は立ち上がって、自分の部屋の窓から下を見下ろす。ブルーシートに隠された俺のZ250。

 そうだ、土曜日といえば、日曜日はライディングスクールの1回目、初級コースだ。

 近場であればよかったけど、埼玉県まで行かなければならないから、丸一日つぶれる。

 バイクで行きたいけど、まだかーちゃんの許可が下りないし、時間的にも電車で行くのと変わらないか、下手すれば余計に時間がかかりそうだから、電車で行くしかない。最寄駅からの送迎バスにも、もう予約を入れてある。

 7時前には家をでなければいけないけど、朝練のおかげで楽勝だ。

 土曜日のコートでの練習に備えて、ゴールを使った練習をしたいところだが、いまだに早朝から使える場所は見つかっていなかった。

 いずれにせよ、俺の第一の課題はドリブルだから、木曜と金曜は、日曜日に行った東公園で美那からドリブルの特訓を受ける。静止状態だけではなく、美那がディフェンスに入るようになってきたから、がぜん面白さが増す。

 天気はぱっとしないけど、雨が降るほどでもないのはラッキーだ。

 学校から帰宅すると、Z250の暫定カバーを剥ぎ取り、エンジンを1、2分かけて止める。バイクをうっとり眺める。

 それから、家の前の来客用駐車スペースで、美那に教えてもらったYouTubeの5分間ひとりドリブル練習を2セットやる。難しいし、体力的にもきつい。けど、これができるようになったら一人前のバスケットボール・プレイヤーになれると美那から言われ、かなりやる気になっている。

 だけどまだ、30点程度だ。


 6月22日土曜日。

 夏至なのに朝から雨模様。

 でも降っているか、降っていないか程度で、強くは降らない予報だ。

 夕方からチームでの練習が入っているので、朝は会話しながらの軽いランニングだけ。それでも初日よりはずいぶんペースが上がっている。

「どう、バイクは?」

「どうも、こうも、ヤバイよ。彼女ができた感じ?」

「そりゃ、ヤバイわ、別の意味で……。さすがに昨日はどっかに行かなかったんだ?」

「ミナにはまだ言ってなかったっけ? 親の承諾書をもらうとき、かーちゃんに誓約書にサインさせられて、いろいろ約束させられた」

「誓約書って話は聞いたけど、たとえば?」

「教習所で免許を取らなかったから、ライディングスクールに4回行くこととか、成績が下がったら家庭内免停とか」

「家庭内免停とか笑える」

「笑えないよ。だからもう試験勉強を始めた」

「いやもう普通、始めてるでしょ。あと10日くらいじゃん」

「俺は二日前からとかなの」

「それでよく真ん中くらいの成績取れるよね」

「それからスクールに最低2回行ってからじゃなきゃ、バイクも乗れない」

「うわー、それはそれは。どのくらいかかるの?」

「とりあえず明日が1回目。2回目は7月14日」

「へぇー。じゃあ、夏休みには乗れるんだ?」

「そうだな。でもバイトもあるしな」

「ああ、有里子さんのやつね。そうだ、わたしも加奈江さんから承諾書をもらわなきゃ。今晩、いるかな?」

「え、承諾書? まさか俺をどう扱っても文句を言わない、とかじゃないよな」

「それはもう承諾済み」

「おい!」

「そうじゃなくて、試合の参加。18歳未満だから」

「そんなのいるんだ。たぶん家にいると思うけど、一応、聞いとくわ。っていうか、うち来るのかよ?」

「いいじゃん、たまには」

「ま、いいけどな」

 そんなこんなと話しているうちに俺の家の前まで戻ってきた。

「じゃあ、よろしく。あ、そうだ」

 美那が足踏みをしたまま、俺を引き止める。

「まだなんかあるのかよ」

「今日さ、コートを5時から2時間借りてるんだけど、4時にメンバーと待ち合わせしてる。先に顔合わせをしとこうと思って。時間、大丈夫? 無理ならいいけど。どうせコートで会うし」

「今日は1日空けてあるよ」

「と、思った。それからさ、今後、バスケ用のシューズが必要になるんだよね。室内専用のやつ。持ってないよね?」

「それは、ないな」

「じゃあさ、行く前に見に行こうよ。わたしも新しくしようと思ってるから」

「見るのはいいけど、バイクで貯金を使い果たしたから……」

「とりあえず付き合って。じゃあ、2時に迎えに来る」

「わかった」


 12時半に学校が終わって速攻で帰ったけど、昼飯を食い終わると、もう2時近くになっていた。

 待たせると怒るだろうから、急いで割と新しいTシャツとジーンズに着替えて、スポーツバッグにバスケットボールとテニスシューズと適当なウエアを入れて、外に出た。

 1時57分。

 美那はまだ来ていない。セーフだ。

 バイクに近づいて、カバーをどうしようか考える。U字ロックとかと合わせて、5000円はするもんな。

 バイトを入れようにも、ライディング・スクールにバスケの練習、それに前期末試験。かなり厳しい。有里子さんのバイトが終わってからか。

 美那にしては珍しく時間が過ぎても来なかった。しかたないから、汗をかかない程度にドリブルの練習だ。

「ごめん! 遅くなった」

 顔を上げると、そこにはワンピース姿の美那が……。

「なんだよ、おまえ、その格好?」

「え、かわいくない?」

「いや、まあ、かわいくなくはないけど」

 たしかに、かわいい……口紅まで塗って、大人っぽい。まさか、メンバーがカッコいいやつとか?

「なに、その回りくどい言い回し」

「いや、めずらしい、というか初めて見たかも」

「さ、遅くなっちゃうから、行こう」

 美那はさっさと駅に向かって早足で歩き始めた。俺はボールをしまって、後を追った。

 エアポート急行になんとか間に合った。土曜日の午後の京急線は割と混んでいる。

 上大岡で急行に乗り換えた。急行はもっと混んでいる。

 いやでも美那と近づく。

「ドリブルの練習してるとか、おどろき」

 美那が口を開くと、思わずルージュを塗った唇に目がいってしまう。

「ただの暇つぶしだよ。ところで、一緒にやるメンバーってどんな人なんだ?」

「ひとりは大学生でバスケ部のOB。もうひとりはその人のサークルの仲間」

「なんか情報少ねえな」

「会えばわかるし、いいじゃん。あと、そのサークルの仲間って人はバスケ未経験者」

「なんだよ、それ。バスケ未経験者ふたりとバスケ部ふたりとかバランス悪くね?」

「参加する大会の規定がバスケ経験者は二人までなの」

「へえ。でもバスケサークルなんだろ?」

「うん。だけどまだ1年生で試合に出たことがないからいいみたい。リユと同じようなものよ」

「なんかスポーツやってたのか?」

「なんとバレーボール。だからジャンプ力はすごいらしいよ」

「ほう。それは頼もしい」

「でしょ?」


 横浜駅で一度外に出て、駅から近いスポーツ専門店に行った。

 バスケットボールのフロアに上がると、シューズがずらりと並んでいる。

「ミナはどこの履いてんの?」

「ナイキ」

「ナイキか。この赤いやつ、シンプルでめちゃカッコいいじゃん。うわ、約2万かよ」

「さすが、リユ先生。お目が高い」

「いや、まあ、普通に高いしな」

「カイリー・アービングっていうNBAの選手のモデル」

「へー、知らんけど」

「実はリユのプレーってカイリーに似てるんだよね」

「いくら持ち上げても、買ってやれないからな」

「ほら、これ見て」

 美那は俺を無視して、スマホでYouTubeを開いた。そのカイリー・アービングのプレー集。

「うお、確かにすげえな。言われてみれば、ちょっとだけ似てるかもな」

「でしょ? わたしはリユにこういうプレーを期待している」

「いやいや。そこまで求められても」

「これ、カスタムモデルだから、たぶんお店では買えないけど。ほら」

 確かに、ナイキのサイトじゃないと買えないみたいなことが書いてある。

「この白いのなら、同じカイリーでも1万円くらいじゃん」

「うん。これもいいよね。予算的にも」

「じゃ、履いてみれば?」と、俺が勧めると、美那が店員に声をかけた。

 女性の店員さんが笑顔で駆け寄ってくる。

「あの、これの24・5か、25はありますか?」と美那。

「たぶんあると思います。ほかには何か候補はありますか?」

「リユはサイズ26・5だっけ?」

「26・5か、27。あ、でも俺は今日は買わないよ」

「とりあえず、サイズだけ見とけばいいじゃん。それでもいいですか?」

「ええ、ぜんぜんかまいませんよ」

 ほんとかどうかはわからないけど笑顔で答えた店員さんが、シューズのサンプルを持って早足で奥に消えた。

「今履いてるテニスシューズじゃ、やっぱダメなんだよな」

「機能的には大丈夫と思うけど、下穿きにしちゃったシューズは体育館とかだと絶対ダメだね」

「そうか」

「それに練習場所は外のコンクリートのところもあるから、最低2足は必要なんだよね。大会の会場は板張りの体育館だし」

 さきほどの店員が箱を四つ抱えて戻ってきた。

 ベンチシートに並んで座って、試し履きをする。

「どう?」

「俺はナイキだと27だな」

「両方履いて、ちょっと歩いたりしてみてください」と店員さん。

 買わないのに気が引けるけど、まあいいか。やっぱ27がいい感じだ。

「わたし、この24・5にします」と美那。

「リユは?」

「俺はまあ27がちょうどいいけど……」

「じゃあ、この27もお願いします」

「ありがとうございます」

 靴を箱にしまう店員に聞こえないように、「おい、俺は買えないって言ってるだろ」と美那に耳打ちする。

「8月23日だからちょっと早いけど、誕生日プレゼント。それにあの浮気親父が昨日、わたしの機嫌を取るつもりだろうけど、お小遣いを3万円もくれたの」

「でもさ、美那からプレゼントをもらう理由がない。俺は5月のお前の誕生日になにもしてねえし」

「一応、ちゃんと覚えてくれてるんだ」

「いや、まあな」

 店員が「では、こちらへどうぞ」とレジに案内する。

「だってわたしが無理やり引き込んだんだし、リユも頑張ってくれてるし、ドリブルだってすっごく上達してるじゃん」

「いや、でも……」

「じゃあ、来年の誕生日にはお祝いをちょうだい!」

「わかったよ……」

 誕生日プレゼントのやりとりなんて幼稚園以来だな。

 店を出て、新しいナイキの入った手提げ袋を楽しげに揺らしながら歩く美那を見ていると、もやもやした気持ちは徐々に失せていく。

 そうか、最初からそのつもりで俺を買い物に付き合わせたのか。必要ってことだし、来年のプレゼントを奮発するしかないな。そのころにはまた少しは金も貯まっているだろうし。

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