1—09 俺のバイク
俺は床に転がしておいたモルテンのボールを拾った。
バスケットボールは結構重い。
まえに体育の授業がバスケだったとき、試しに転がっていたボールを蹴ってみたら、危うく足を痛めるところだった。
そしてバスケ部の柳本からも怒られた。そりゃそうだよな。俺だってテニスを熱心にやっていた頃にボールを蹴飛ばされたり、ラケットをバット代わりにされたらいい気持ちはしなかったと思う。だから俺はすぐヤツに謝った。
考えてみるとそれ以来だな、柳本が割と俺に話しかけてくるようになったのは。
そんなことを考えながら、ボールを上に放り投げてキャッチしたり、左右の手に渡してたりしたら、美那からメッセージが届いた。
——>明日も6時半に迎えにいく。
うちの学校は、週6で土曜日も授業があるから、土曜の明日も朝練のあることは覚悟していた。了解、と短く返信した。早めに寝て、明日に備えよう。
6月15日土曜日。
また梅雨空に戻っている。今にも雨が落ちてきそうだ。
美那は朝から元気だ。俺が5分前に玄関を出て準備運動をしていたら、「おっはー」と叫びながらダッシュして、体当たりしてきやがった。
「いってーな。ラグビーじゃないんだぞ!」
「このくらいでガタガタいうな。あんなバイクが手に入れられるのは誰のおかげかなぁ?」
「わかったよ。今日も南公園行く?」
「雨が降りそうだし、近場で済ませよう」
そういえば美那はボールを持ってきていない。不吉な予感。
「というと?」
「リユ、お待ちかねのランニングと筋トレ」
「マジか」
「まあ最初はジョギング程度から。昨日、リユの体力のなさを思い知ったから」
「俺だって思い知ったわ」
「そうでなきゃ困るけど」と言いながら、美那はすでに走り出していた。
早足程度の穏やかなジョギングだ。
「そういえば、昨日、かーちゃんにお
「そうだな、もうすこし落ち着いてからのほうがいいかも。そのタイミングが来たら、お願いします」
「ああ、わかった」
「リユは加奈江さんと仲いいよね」
「なんか運命共同体みたいなところがあるからな」
「うちはそんなふうになりそうもない、かな」
「ま、いろいろだろ」
「うん。気にしてくれてありがとね」
「まあ、別にな」
隣で美那が微かに笑むのがわかる。
「そろそろペースを上げようか?」
「いや、このくらいで」
「これじゃ、散歩と変わんないよ」
「じゃあ、ちょっとだけなら」
美那はため息をつきながらも、少ししか足を早めなかった。
「バイクは水曜だったよね?」
「そう。有里子さんに学校の近くで拾ってもらって、一緒に手続きに行く」
「それ、帰りにバイクを譲り受けてくるんじゃないの?」
「まあ、そういうことになるだろうな。水曜日にはいよいよ俺もライダーだぜ」
「校則じゃ、制服で乗ることとか、通学とか、ダメだったよね。ヘルメットとかどうすんの?」
「あ、そうか。忘れてた。ヘルメットとかはスポーツバッグに入れるとしても、着替えもか。どこで着替える? さすがに有里子さんの部屋は無理だよな」
「一回、家に帰れば? 学校は昼までだから、間に合うんじゃないの?」
「そうか。そうだな。変更してもらおう」
「だいじょうぶかな……昨日は授業で爆睡してたし、今度の水曜日は朝練は免除してあげる」
「そうか、サンキュ」
「基本的に休みはなしね」
「えー、それはないだろう。筋肉だってちゃんと休ませたほうが成長するんだぜ」
「口だけは達者なんだから。ま、疲労度合いを見ながらね」
そんな掛け合い漫才みたいなジョギングを30分ほどしていたら、雨が降り出した。今日はここで切り上げ。筋トレはなし。ラッキー!
早く寝て、朝から軽い運動をしたせいか、頭も冴えていて、1時限目の地理A、2時限目の英語演習、3時限目の古典Bと快調にこなしていった。古典に至っては、珍しく挙手して発言したほどだ。
4時限目は体育だが雨なので体育館でバスケ! とはいえ、まだほとんど練習していないわけだから、そんなに上達しているはずもない。
だけど俺はレイアップシュートとドリブルを集中的に練習。素人相手(⁉︎)とはいえ試合で大活躍だ。
美那は女子の試合を応援していて、こっちは見てなかったみたいけど。
6月16日、日曜日。晴れ。
今日は夏らしくなりそうだ。
休日なので8時に朝練開始。まだバスケの練習場所が見つからなくて、ちょっと離れた大きな東公園までのランニングと、そこのアスファルトでのドリブル練習だ。
利き手の右はまだマシだけど、左手は下手だし、筋力も右に比べて弱い。バウンドさせて、左右の手にボールを移したりもする。中腰姿勢も辛い。腕の筋肉も徐々に悲鳴を上げる。低い位置でのドリブルは指の力も要求される。
美那は口数少なく見守っている。ボールが転がっていってしまうと、拾いに行ってくれる。なんか優しすぎて怖いくらいだ。でも俺が真剣になってきていることをわかっているのだろう。
そうなんだよ、きついけどだんだん楽しくなってきた。
日曜日だから10時半ころまでやって、最後は家まで軽いランニング。美那の家の前で別れた。
美那が「じゃあね」と言って玄関に消えてしまうと、俺は家を見上げた。
最後に美那の家に入ったのは中2のときだったかな? ちょうど父親の浮気が発覚して、美那の息が詰まりそうになっていたころだ。そして、いまがその第2章。
午後になると、美那から、筋トレメニューと、見ておくべき動画サイトのリストが送られてきた。動画は3x3の女子の国際試合が2つ。それとドリブルの練習方法。これは結構難しそうで、しかも体力的にも厳しそうなやつ。とりあえず見て、なんとなく覚えておいてくれとのことだった。
試合を観ていると、徐々に自分もプレーをしたくなってくる。さすがに家の中でボールを床に突くわけにはいかないから、ボールを手にシュートの格好をしてみたりする。
前期末試験も近づいてきたので、その準備も始める。
なんか久しぶりに充実した日曜日だぜ。
6月17日、月曜日。
早起きもだんだん慣れてきて、苦ではなくなっていた。
学校帰りに区役所に寄って住民票を取って、銀行のATMで15万円を引き出した。
6月18日、火曜日。
朝練は日曜日に行った公園まで美那と競争。勝てるわけないどころか、完全にペースをコントロールされて、追いつけそうで追いつけない状況はめちゃキツかった。
さらに公園でドリブルとパスの練習。少しはボールが手に馴染んできて、ドリブルもときどきはリズミカルにできるようになってきた。
6月19日。
ついにお待ちかねの水曜日がきた!
曇り空だけど、予報では今日はなんとか天気は持ちそうだ。
朝練は美那の温情で休みだけど、早起きの癖がついてきたので、朝から試験勉強だ。成績が下がるわけにはいかないしな。
授業は、数Ⅱ、現代文B、英語コミュニケーション、地理Aと比較的重要な科目が多かったが、もちろん身が入るはずもなかった。
結局、有里子さんとは午後2時に彼女のマンション前で待ち合わせた。その10分ほど前に、着いたことをインターフォンで告げると、有里子さんはすぐに降りてきて、俺を駐車場に案内した。
車はシックな赤のマツダCX―5。我が家のくたびれたホンダ・フィットとはえらい違いだ。
室内も上質感が漂う。エンジンからはディーゼルっぽい音が小さく聞こえてくる。
念のため、二人で必要な書類を確認する。おおむね有里子さんが事前に用意してくれていて、残りの空欄は陸運局で俺が記入することになっている。
地下駐車場からゆっくりと道路に出る。
「水曜日は学校が午前中で終わりって、珍しいわね」
「
「まあ、サボったんじゃなければいいわ」
「なんかすごいイイ車ですね」
「取材で遠出することも多いし、ディーゼルで力強くて、燃費もいいから、結構助かってる。ボディカラーも素敵だし」
「夏はこれで取材に行くんですよね?」
「うん」
「スケジュールは固まったんですか?」
「まだ調整が必要ね。もうちょっと待ってくれる?」
「あ、はい。俺のほうは大丈夫です。ただ、美那が、あ、この間一緒に来た松山さんのいとこの」
「もちろん覚えてるわよ」
「あいつ、学校のバスケ部なんですけど、3x3(スリー・エックス・スリー)という、半分くらいのコートで3人対3人でするバスケがあるじゃないですか。部活とは別にその大会に出たいらしくて、なぜだか素人の僕をメンバーにする気で、それで夏の間、あいつにしごかれることになってるんですよ」
「へえ、うらやましい」
「羨ましくなんかないですよ。あいつ、厳しいから。有里子さんのZ250は松山さんの紹介でしょ? わたしのおかげでバイクが手に入るんだから、参加しろって。ほんと意味わかんないんですけど」
「じゃあ、Z250はやめとく?」
「いやいや、有里子さん、冗談きついです」
「ふふ。あの子もリユ君に乗って欲しいみたい」
「ほんと奇跡です。しかもアクロポビッチまで装着してあって」
「いい音よね。そうだ、わたしのZ400が来たら、一緒にツーリングに行こうよ」
「僕なんかでいいんですか? まだ免許とって全然乗ってないから、下手だし。あ、それと今回、母から承諾書をもらうとき、いくつか誓約させられて、ライディング・スクールを最低2回受講しないと、乗っちゃダメと言われていて。実は免許は教習所に行かないで、試験場のいわゆる一発で取ったものですから」
「試験場か、すごいわね。だけど今日はどうするの? メットも持ってきてるし、乗って帰るのかと思ってた」
「あ、今日は特別に許可をもらっています。そのかわり、出発する時に母に連絡を入れないといけないんですけど」
「理解のあるお母様なのね」
「ちょっと変わってはいますけど、そうですね、たぶん理解はあるほうだとおもいます」
「ふぅん、いいわね。うちは……あ、そうだ、美那ちゃんのバスケと取材旅行となんの関係があるんだっけ?」
「別にそんなに律儀に付き合わなくてもいいんですけど、練習のスケジュールを立てるのに必要らしいです。コートを借りたり、別のメンバー――まだ決まってないみたいですけど――その人たちとの日程調整とか。あと、僕の事情ですけど、バイクのスクールの予約とかもあって。すみません」
「謝らなくていいわ。わかった。早めに決める。そのほうが効率的に回るのにも都合がいいし」
「お願いします」
ナンバーの変更も不要だったし、書類が整っていたので、陸運局での手続きは滞りなく終わった。
それから、任意保険加入のために、軽自動車届出済証と運転免許証をスマホでスキャンして、母親から教えられた保険会社の担当者に送信した。
車に乗り込むと、有里子さんはZ250のキーを俺に渡してくれた。
ついにやった。バイクを、しかも理想的なZ250を!
俺はいそいそと現金15万円の入った封筒をリュックから取り出して、有里子さんに渡す。
中身を確認した有里子さんは、「じゃあ、バイトのほう、お願いね」と、小さく頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお願いします!」
有里子さんのマンションに戻り、Z250と再会だ。
駐輪スペースから、有里子さんがZを出してくれる。それから、自分で押して、とりあえず歩道に止める。
傾きかけた日差しを浴びて、Z250が光っている。
思わず笑顔が
キーをひねって、電源をオン。セルスターターボタンを押す。
エンジンに命が宿る。アクロポビッチが息を吹く。
「じゃあ、気をつけてね」
「はい、ありがとうございました」
「お母様に連絡を忘れないでね」
やば、すっかり忘れてた。
スマホを取り出して、SMSをかーちゃんに送る。フルフェイスのヘルメットを被り、グローブを着ける。ひと通りスイッチ類を確認。
車道までバイクを押す。
いよいよZ250に
少し離れた有里子さんのほうを向き、小さくお辞儀をする。有里子さんが手を上げる。
ニュートラルのまま2度ほど小さく空ぶかしをして、回転の上がり具合を確認。ミラーを調整する。
クラッチレバーを握って、シフトレバーを踏み込んで一速に。ギアからこつんと音がする。
サイドスタンドを上げ、もう視界には入っていない有里子さんに向けて今一度頭を下げる。
右足をステップに乗せ、右ウインカーを出してから、振り返って安全確認。前を向き直って、アクセルを開けながら、クラッチをミートさせる。
後輪が地面に力を伝え、Z250が動き出す。左足を地面から浮かしてステップに。
徐々にアクセルを開け、二速にアップ。もう有里子さんを気にする余裕はなかった。
バイクがぐんぐん進んでいく。
うわー、なんて気分だ‼︎
俺は頭の中に叩き込んだ地図を頼りに、慎重に運転する。信号で停止すると、思わずタンクを愛でる。
すげえ。俺のバイクだよ。
速く走る必要なんてない。いま、このときを、しっかり楽しむんだ。心に刻み込むんだ。
タンクは満タンにしてくれてあった。
グーグルマップでは40分もかからない行程だったが、途中で道を間違えたりして、家に着くまで1時間近くかかった。でもなんという充実した時間だ。
6時過ぎ。まだ陽は残っていた。
家の前にZ250を停車させ、サイドスタンドを出す。ほっと一息ついて、エンジンを切る。疲れてはいたけど、まだ降りたくなかった。ヘルメットをはずす。
音を聞きつけて、かーちゃんが家から出てきた。
「おかえり」
「ただいま」
いつものやりとりが、いままでとは違う気がする。
かーちゃんは黙ってひと通りバイクを眺めると、俺の顔を見て微笑んだ。「ご飯、できてるわよ」と言い残して、家の中に戻っていった。
5分ほどして、ようやく満足した俺はバイクから離れた。
それからふと思いついて、スマホで写真を撮る。
かーちゃんにカーポートのフィットを少し前に出してもらってあったから、その後ろにZ250を入れる。
保管用カバーと強力なロックも買わないといけない。今日のところは、家にあったブルーシートと自転車用のチェーンロックがその代用だ。
家に入る前に、有里子さんには無事に帰宅したとメッセージを送り、少しだけ迷って、写真付きのメッセージを美那に送った。
※エンジンをかけた状態のバイクを歩道で押して歩くのは、道路交通法違反の可能性があります(危険です)。
また、教習所で習ったと思いますが、サイドスタンドは跨る前に上げましょう。筆者はそれをさぼって、一度、危うく
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