第3話 魔王、堅物に説教される

 魔王の朝は早い。昨晩、恋人からしこたま酒を飲まされても、それは変わらない。うっぷ……とりあえず、色々と気持ち悪いから顔洗って歯を磨こう。

 いやー、まいったわ。リズまじ酒強すぎ。結局あの店の酒、ほとんど一人で飲み干したからな。酒の化身か、あいつは。まったく……俺はそんなに強くないから次の日きっついんだよ。

 ぼーっとしながら歯を磨いていたら、突然俺の部屋のドアが開いた。でも、そっちに顔を向けるようなことはしない。ここは魔王である俺の居室だ。そんな場所に気軽に入って来れる奴など限られている。っていうか、多分あいつだろう。


「おはようございます、魔王様」


 やっぱりだ。声からしてこんなにも堅物感が漂う魔族など一人しかいない。


「朝っぱらから何か用か? マルコ」


 俺はビシッとタキシードを着こんだ魔族の男を横目に、コップで口の中をすすいだ。この甘いマスクを備えた男はサクリファイス軍四天王の一人にして、俺の軍を支える参謀。魔王の右腕として人族から恐れられる"冷血"のマルコキアスだ。ちなみに俺は長いから略してマルコって呼んでるぞ。


「えぇ。昨日は苦労して占領した街から撤退させられたというのに、どこかの誰かさんがのうのうと朝帰りしてきたので、寝坊されては困るという事でここまで参った次第です」

「相変わらずはっきり言うなぁ……ちゃんと起きて朝の身支度を整えているだろ」

「はい、私も安心いたしました」


 マルコが胸に手を添え、にっこりと笑みを浮かべた。


「恋愛にうつつを抜かして魔王としての責務を蔑ろにすることがあればすぐに別れていただく、という私との約束を守っていただけているようでホッとしております」

「お前……本当、いい性格してるよな」

「お褒めに預り光栄にございます」

「褒めてないって」


 俺がジト目を向けるも、マルコは涼しい顔をしている。こいつは魔王軍の中で最も付き合いが長い魔族だ。それこそ、俺が魔王になる前からの仲でもある。だから、マルコは俺に関する事を熟知していた。当然、俺の恋人が誰なのかも魔族の中で唯一知っている。


「それにしても……」


 マルコが口元に手を当て、何やら考える素振りを見せてきた。

 

「なんだよ?」

「朝に弱い魔王様がお酒をたらふく飲んだ翌朝にちゃんと一人で起きる事が出来るとは……余程、約束をたがえてお別れしたくないようですね」

「なっ……!」

「それ程までご執心できるお相手を見つけられた事、嬉しく思います。……まぁ、相手に関してはいささか物申したい事がございますが」

「も、物申したい事ってなんだよ?」


 俺がお仕事着に袖を通しながら聞くと、マルコがぎろりと視線を向けてくる。あ、聞かなきゃよかったかも。


「どうしてよりにもよって隣国の姫君と恋に落ちてしまったのですか?」

「いやお前、どうしてって言われても……」

「お相手が人族であるのはこの際どうでもいいです。ですが、なぜよりによって我が領土が唯一面している人族の国であるジェミニ王国の王女と恋に落ちてしまわれたのですか?」

「うっ……」


 詰め寄ってくるマルコの圧に押されて、その場でのけ反る俺。こいつの言いたい事は分かる。お前が隣のお姫さんといい仲だと戦争できないだろうが、って話だ。えーっと、あれだ。うん。全く持ってその通りです。


「魔王様が手近な女性に手を出したせいで、私も頭を悩ませているのです」

「その言い方止めてくれないかな?」

「魔王軍として人族の領土に攻め入りたい。しかし、魔王様の思い人がおられる国を攻めることは出来ない。とはいえ、魔王様の恋人が人族の王女などと言えるわけもなく……まさに八方塞がりなんですよ」


 マルコが自分の眼鏡を拭きながら大きくため息を吐いた。なんというか、えらく苦労をかけている気がする。


「あの人族の町を占領する時もどれほど気を遣った事か。人族を殺してはならない、という厳命を出し、極力建物などに損害を出さず、町の者達を降伏させる。……それほどまでに苦労して得た領地を呆気なく取り返されてしまいましたがね」


 乾いた笑みを浮かべるマルコを見て思った。マルコの奴、大分ストレスたまってるな。本当に申し訳ない。


「……ですが、悪い事ばかりではありません」


 罪悪感でお風呂に浸かり過ぎた手のようにしおしおになっている俺を見て、マルコが眼鏡をクイッと上にあげた。


「リーズリット・ローゼンバーグ……彼女の実力は勇者の中でも目を見張るものがあります。恐らく、私が本気を出しても勝てる確率は低いでしょう。まさに魔族キラーと言っても過言ではありません。そんな彼女が我が軍と剣を交えても、こちらに死者が出ないのは魔王様のおかげだと言えます」

「……!! そ、そうだよな! 俺とリズが恋人関係だから、仮に戦ったとしても死ぬ奴は出ないんだよな!」

「かといって、このままジェミニ王国と茶番を繰り広げていたら、他の魔族との差が着実に広がっていくでしょう。うちの軍のフラストレーションも溜まっていく一方です。その辺、分かっておいでですか?」

「はい……」


 調子に乗りかけたところで思いっきり釘をさす。うちの参謀はすこぶる敏腕なのです。


「もし真剣にお付き合いをしていくつもりであれば、魔王として我々サクリファイス軍の行く末を本気で考えなければなりませんよ」

「行く末、ねぇ……」


 マルコの言いたい事はわかる。年々魔族の数が増え、領土拡大が必要事項である事はよく理解しているつもりだ。これでも魔族達の上に立つ魔王なんでね。


「正直な話、魔王様がその気になればどんな領土も占領することが可能です」

「……おだてるな」

「お世辞を言うような間柄でもないでしょう。客観的な意見です。魔王様の頭脳やカリスマ性には一切の期待をしていませんが、戦闘力の高さだけは評価していますので」

「なるほど。煽ててるわけでも褒めてるわけでもない事はわかった」


 着替えを終えた俺は吐き捨てるように言った。正直な話、魔王の知り合いは二、三人しかいないから自分の戦闘力とかよくわからん。まぁ、流石に自分の部下よりかは強い自信はあるが。


「手近な人族の街を攻められない以上、我々に選択肢は殆どありません」

「……他の魔族の領土って事か?」

「その通りです」


 マルコにきっぱりとした口調で告げられ、俺は押し黙った。確かに、ジェミニ王国以外でうちが隣接しているのは他の魔王の領土だが……攻めいるのは気が引ける。


「先程も申し上げた通り、魔王様であれば他の魔王になど遅れは取りません。私が断言します」

「それは心強いな」

「そうはいっても侵攻するつもりはないのでしょう?」


 マルコが俺の顔を覗き込んできた。俺は少し迷いながら静かに口を開く。


「魔族同士の争いは暗黙のうちにタブーとされている。己の領地欲しさに戦いをけしかけるのはルール違反だろ?」

「魔王様ならそうおっしゃると思いました。ですが、そのタブーは遥か昔の話。現在、魔族が他の魔族を相手取らないのは、魔族よりも人族の方がぎょやすいからというシンプルなものです」

「まぁ、そうなんだけどさ……」


 こういうのって一番最初にルールを破った奴が叩かれるのがお決まりだろ? 陰口とか勘弁なんだよな。メンタル強くないし。


「……この件に関しましては魔王様が答えを出さなければなりません。ですが、必ずしも一人で悩む必要もないでしょう」

「どういう事だ?」

「配下の者達に話を聞いてみてはいかがでしょうか? 人間と戦うのはどう思っているか、魔族と戦うのはどう考えるか。下の者の声に耳を傾けるのも上に立つ者の義務かと存じますが?」

「んー……」


 マルコの言う事も一理ある。部下の魔族達の意見を参考にして答えを出すのは魔王として間違ってる事じゃないだろ。むしろ、それが正解ですら思えてくる。


 部下全員ってのは流石に厳しいから、とりあえず四天王の奴らに話を聞いてみるとするか。

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