第2話 魔王、勇者のご機嫌を伺う

 気まずい。


 俺は隣を歩く女性にちらりと目を向け、すぐに視線を戻す。やばい。噴水広場を離れてからリーズリットがずっとむすっとした表情をしてるんだけど。


「い、いやぁ……部下達の様子を見てたらいつの間にかこんな時間になってしまったー」

「…………」

「も、もう少しあれだな。軍を整備して、効率よく治癒できるようにしなければならないなーうん。とは言っても、魔族は魔法で治癒が上手くできないからねー。人族が羨ましいなー」

「…………」

「そ、それにしても今日は負けてしまったなー。大敗だったわーはっはっは……」

「…………」


 ヘラヘラと笑いながら言い訳がましい世間話をしてみたら呆気なく無視されました。これは本気でまずいですぞ。警戒レベルで言ったら注意報イエローだ。だが、これが爆弾低気圧レッドアラートになれば取り返しのつかないことになるのは自明の理。ここはあれこれ言い訳するよりも素直に謝ったほうがいい気がする。


「すんませんしたリズさん!」


 その場で立ち止まり、誠心誠意頭を下げた。これで許してもらえなければ打つ手なし。部屋の隅で三角座りしてしょぼくれる日々が待っている。

 頭を下げている以上、見えるのは地面だけなのだが、痛いくらいに視線を感じるので、リズがこちらを見ているのが分かる。よかった……無視されてこの状態で放置されたら流石に心が折れていた。


「……七人」

「へっ?」


 やっと口を開いてくれたかと思えばよくわからない事を言われ、俺は眉をひそめながら顔を上げる。目に入った彼女の顔はかなり苦々しいものだった。


「あなたが来るまでに私をナンパしてきた人数よ」

「あっ……」


 リズが聞こえるか聞こえないかくらいの声でボソボソと呟く。そういう事か。確かにリズが一人であの場所にいればナンパされるのも頷ける。歴代の王女の中でも屈指の美貌を持つと言われている彼女を見て、何も感じないのは男じゃない。なるほど、彼女が機嫌悪い理由は分かった。とりあえずここはヨイショしておくのが吉な気がする。


「そ、そうっすよねー! リズはまじ可愛いから野郎から声かけられまくりっすよねー!」

「なにそのチャラい感じ。なんか腹立つんだけど?」

「すいません」


 目で人を殺すってあるだろ? リズの場合『悩殺』じゃなくてただの『殺』だからね。体の芯から震えが止まらない。


「とにかく! 私の見目麗しい姿に男どもが群がってくるのよ! だから、なるべく一人にしないでちょうだい!」


 リズがフンっと顔を背けながら言った。なんとなく理不尽な気がしないでもないが、リンクのメッセージに気づかず、二時間も彼女を待たせた俺に非があるので文句は言えまい。俺は気持ちを切り替えるために一つ咳払いを挟む。


「待たせて申し訳ない。リンクを見る暇もなくて」

「……魔王であるあなたが忙しいのはわかるわ。でも、演技とはいえ一戦交えてしまったのだから、連絡くらいくれてもいいでしょ?」

「それは……そうだな。ごめん」

「……会いたい、って思ったのが私だけとか悔しいじゃない」


 最後の方はほとんど聞こえないくらいの声だった。確かにリズの言う通りかもしれん。恋人同士なのにちょっと前まで戦ってたんだもんな。連絡の一つも取ろうとするのが普通だ。

 俺は謝罪の気持ちを込めて、優しくリズの手を握った。


「本当にごめん、リズ。俺も会いたかった」

「サク……」


 俺が真剣な顔で言うと、少し甘えるような声でリズが俺の名前を呼んだ。彼女は俺の事をサクと呼ぶ。魔王サクリファイスだからサク。そんな風に親しげな愛称で俺を呼ぶのは、魔族じゃ絶対にありえない。一応、魔王だからね。

 兎にも角にも窮地は脱した。顔を見る限り機嫌は直ったみたいだ。いやー、よかったよかった。助かったぜ。


「……そういえば、私の事を戦場で鬼とか言ってたわよね?」

「え?」


 素敵な笑顔とともに万力を持って握られる俺の手。痛い痛い痛い!! 折れるってかもげるっ!!


「鬼人族も裸足で逃げ出す、だったかしら? 随分と魅力的な口説き文句ね?」

「じょ、じょじょじょ冗談に決まってるじゃないか! こ、こここ、こんなに綺麗な女性を、き、ききき、鬼人族だなんて!!」

「そうよね。あまりにも失礼すぎるわよね」


 こんなにも可憐に笑っているのに、どうして俺の手はビキビキと悲鳴を上げているのだろう。もう二度とリズには軽口を叩かない様にしよう、二度と。


「……まぁ、いいわ。当然、今日は奢ってくれるんでしょうね?」

「イエス、マム! 奢りたくてうずうずしております!」

「よろしい。では行きましょうか」


 リズが手から力を抜き、そのまま恋人繋ぎにシフトさせた。ほっ……どうやら死線を越えたようだ。助かった。


「どのお店に入る?」

「うーん……これといって希望はないから、リズの入りたい店でいいよ」

「そう。じゃあお酒が飲みたいから適当な酒場にしましょ!」


 そう言って、リズが俺の手を引きながら大衆向けの酒場に入っていく。仕事を終えて盛り上がっている連中の合間を縫っていき、店の隅の方にある席に座った。


「……それにしてもすごい人ね。大丈夫?」


 店員に注文を終えたところでリズが少しだけ声を潜めて尋ねてくる。大丈夫、というのは俺の正体がバレないかどうかの心配だろう。

 なぜ、彼女がそんな心配をするのか。それは俺達がデートしているこの街は人族の街だからだ。とは言っても、リズが王女をしているジェミニ王国ではない。ここはジェミニ王国からも俺の領土からも遠く離れたカプリコーン王国。一国の王女が気軽に街を歩いていたら、相手が俺とか関係なく大騒ぎになるって話だ。


「それは大丈夫だっていつも言ってるだろ?」


 俺は自信満々に右手の薬指にしている指輪を見せた。


「このアーティファクトで魔力を制御している限りバレないよ」

「それはわかってるつもりだけど……やっぱり不安なのよ」

「だったら試してみればいい。最強勇者に見破れないのであれば、誰も見破れないだろ?」


 少しだけ挑発めいた口調で言うと、リズはむっとした顔になり、自分の目に魔力を集中させ始める。さて、試してみろとは言ったもののあんまり自信がないんだなこれが。なんせ勇者というのは魔を滅するために生まれた存在、ゆえに魔の臭いには人一倍敏感だ。特に、リズは勇者の中でも抜きんでた力の持ち主。その感覚は他の勇者よりもずば抜けて鋭い。

 少しだけ緊張しながら待っていると、リズが小さく息を吐いた。


「……凄いわね、そのアーティファクト。私でも違和感すら感じなかった」


 リズが安心したような悔しそうな口調で言う。どうやら勇者の力をもってしても俺が魔王である事を察することは出来ないらしい。本当に凄いな、この指輪は。


「それがアーティファクトでよかったわよ。そんなものが大量にあったら、人族の街に魔族が潜入し放題じゃない」

「そう言われてみればそうだな。他の魔族がどこまで人族を真似られるかは知らないけど」


 俺は魔族の中でも容姿が人族にかなり近い。肌の色は少し白いくらいで、頭が二個あるとか、手足が無数にあるとか、そういう人族との違いはない。強いていえば、犬歯が長く頑強である事と、背中に翼が生えている事くらいだ。どちらも俺の意思で隠したりすることができるので全く問題ない。


「ぞっとするわ。その指輪が他の魔王の手にあったらって思うとね。そういう意味だとサクが手にしたのは幸運ね。……こうやって会う事も出来るし」


 照れたようにリズがはにかんだ。惚れてまうやろ、それ。あ、もう惚れてましたわ。


「へい、おまちどうさま!」


 二人でもじもじしていたら、注文した料理が運ばれてきた。店員、グッジョブすぎる。


「コホン……とりあえず、乾杯しましょうか」

「そ、そうだな。乾杯」


 リズの持っているジョッキに俺のジョッキをぶつける。一杯目はビールか。そんなに好きではないが、やっぱり最初はビールにかぎ……。


「店員さーん! おかわりくださーい!」

はえぇな、おい!」


 こちとらまだ口すらつけてないんだけど!? コンマ数秒で空にしたの!? 運んできた店員も我が目を疑ってるじゃねぇか!!


「お、おかわりです」

「ありがとう」


 空になったジョッキを渡しつつ、二杯目を笑顔で受け取ったリズはジョッキに口をつけると、思いっきり上に向ける。そして、すぐに下ろしたジョッキの中は見事に何もなかった。新しい魔法かなにかですか?


「ぷはー! 生き返るわー!!」

「……なんかおっさん臭い」

「何か言った?」

「いえ、なにも」


 光の宿っていない瞳で睨まれ、即座に否定する。俺だって長生きしたい。


「さーて! 今日はサクのおごりなんだからとことん飲むわよー!!」

「……こりゃ財布が軽くなりそうだ」


 最近、懐事情が寒くなってきているのを思い出し、思わずため息が出る。でも、楽しそうにお酒を飲むリズを見ていたら自然と口角が上がった。


 まっ、リズが幸せそうなら何でもいっか。

 

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