乞食先生
宇宮出 寛
*
大きな戦争に負けた次の年だったでしょう。私は小学校へ上がったばかりで、学校が退けたあと家の近所で遊ぶのが習慣でした。
田舎なので、遊ぶところはいくらもありましたが、すぐ近くのお寺へ良く行きました。そこには子どもたちが集まっていて、ガキ大将のクニオ君が威張っていました。
入り口には立派な門があり、そこから本堂へ向かってずっと石張りの参道が伸びています。門の上には大きなクスノキが枝を広げ、暑い夏の日にはたまらなく気持ちが良いのです。
私たちはその門の周りで、色々な遊びをしました。かくれんぼや鬼ごっこ、石墨で石畳の上に落書きもしました。
ある日、そこへ見慣れない男の人が現れたのです。「あっ、オコンジだ」とクニオ君が叫んだとおり、その人は三つ揃いの背広を着て、見たこともない黒い帽子をかぶっていましたが、全身が汚れきっていかにも乞食然とし、大きな枕みたいな布の袋を持っていました。
夜、両親に話すと、「そのオコンジさんは、前は学校の先生だったらしいぞ」と父が言いました。住職さんから聞いたところでは、戦争に負けて教師が嫌になったそうです。面倒を起こすようではないので大目にみてやりましょうか、と住職さんが檀家の衆に言ったそうです。お墓に上げられたお菓子くらいは食べても良いというのでしょう。
学校の後でお寺に行くと、オコンジさんが樹の下に座っています。子どもたちはすぐに慣れ、周りに集まって話を聞くようになりました。前が教師のせいか「大という字はね、両手と両足を一杯に伸ばした形らしいよ」と言いながら石の上に書いて見せます。漢字を覚え始めた私は興味津々でした。
また「ゾウの鼻はなぜ長いと思う?」と訊いたりしました。「水を飲むときしゃがまなくても良いからかな?」とか「背中が痒いとき便利だよ」などと子どもたちは答えます。それを聞くと、オコンジさんは「良い答えだね。もっと他にはない?」とみんなの顔を見回し、「答えは沢山あった方が楽しいよ。ゾウの気持ちになって考えてみて」と言いました。
門の側には六体のお地蔵さまが並んでいました。ある日、女の子が祖母とやって来て、お地蔵さまの古くなった涎掛けを交換しました。それは赤い布でできていました。
その私より年長の女の子が「なぜお地蔵さまは六つも並んでるの?ばあちゃんは、そういう決まりなんじゃというけど、オジさん知ってる?」と訊きました。
オコンジさんは真顔になって「うーん、良くは知らないけど、人間はね、死んだあと六つの国のどこかに生まれ変わるらしい。生きてるときの行いで、閻魔さまが決めるのかな?天国だったり地獄だったり、動物に生まれ変わったり、戦争ばっかりとか、食べ物がない国とか、今いるこの世界もそうだね。とにかくどこへ行っても、困ったときに守って貰えるように、お地蔵さまが六つあるんだそうだよ」と答えました。
するとクニオ君が「じゃあオジさんは、またオコンジに生まれ変わりたい?」と訊いたので皆が笑いました。「そうだね。乞食は三日やると止められないというけど、それは本当だ」とオコンジさんは笑って言いました。
毎日のように、子どもたちはオコンジさんと話すためにやってきました。それは皆がオコンジさんへの興味を失うまでは続くはずでした。
ところがしばらくして、子どもたちがオコンジさんを囲んでいるところへ、交番の巡査を先頭にして、住職さんと中年の立派な服装の男の人がやってきました。
「お父さん」とその人が言いました。オコンジさんは緊張したように全身を固めたまま黙っていました。それから男の人と巡査が脇に手を掛けて立たせようとしたので、仕方なく袋を掴んで立ち上がりました。
男の人は私の父と同じくらいの年齢で、灰色の背広に美しい縞のネクタイをしていました。「さあ帰りましょう」とその人が真面目な顔で促すと、オコンジさんは私たちの方を向いて、泣き笑いのような表情で「さよなら」と小さく言いました。四人の男たちはぞろぞろと通りの方へ歩いて行きましたが、そこには自動車が待っているようでした。
子どもたちはあっけに取られ、それから喋り出しましたが、何が何だか分からないまま騒ぐばかりです。
少しして父から聞いたところでは、オコンジさんが無人販売の卵を盗ったと苦情があったので、住職さんにしても放って置かれず、警察に身元を調べて貰った結果、息子さんが迎えに来たということでした。
鶏卵をざるに入れて置き、代金は瓶の中へ、という販売所が近所にあって重宝がられていました。その卵をオコンジさんが飲むのを見た、とクニオ君が言ったとかで、調べるとお金が不足していたそうです。
オコンジさんが否定したので、住職さんも巡査も疑いはしなかったようですが、捜索願が出ていたので息子さんに知らせたのだろうと父は言っていました。
それからも私たちはお寺で遊びました。しばらくは物足りなかったかもしれませんが、間もなくオコンジさんのことはすっかり忘れてしまいました。
それから七十年も経って思い出したのは、住んでいたアパートをマンションにするというので追い出されたのがきっかけでした。身寄りのない高齢者には部屋を貸す人がなく、ぐずぐずするうちにホームレスになってしまいました。田舎の親戚を頼れば、住まいくらいは何とかなりそうですが、寒くなるまで路上生活を体験してみようか、ふとそんなことを考えたのです。
それから幾日かして、縁の下ででも寝ようかと、あるお寺の門を入ったところで「六地蔵」に気がつきました。やはり赤い涎掛けをして、暗くなりかけた参道の脇に並んでいます。その時オコンジさんのことを思い出したのです。
クニオ君の問いに、乞食はやめられないと答えたオコンジさんはどの世界へ生まれ変わったろうか?風の便りでは、クニオ君も亡くなったそうで、またガキ大将になっているのかもしれません。
冗談半分で始めたホームレスですが、すぐにその考えの甘さを痛感しました。オコンジさんは本当に楽しかったのでしょうか?それとも時代が違ったのでしょうか?
もし生まれ変わるとしたら六道のどこかへと願っています。無駄に長生きした私に、輪廻を抜けられる道理がありませんが、極楽で安楽に暮らすよりは、苦しい世界でもお地蔵さまの助けを信じて、じたばたと生きるほうがましな気がするのです。
乞食先生 宇宮出 寛 @Kan-Umiyade
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