第三話 真白

夜明けと共に目が覚めしんとした部屋から出ると


心地よい秋声が耳をくすぐった。


目を閉じその音を楽しむ。


真っ白な部屋でずっと生きていた鎮にとって、


この世界の全てが五感を喜ばせるものであった。





「あの子たちが見たらどれだけ大騒ぎするでしょうね」




咄嗟に漏れた一言に自分でも驚く。



いけない…また。




「忘れなくては」




そう、呟くと家の奥の方から大きな声がした。


しばらくするとその声の主はすぐに現れる。

   



「おっはよー!ジン!起きてるかー?!」




明らかに起き上がってる人物に対して


そう問いかけるサクをおかしく思いふっと笑う。




「ええ、起きています。おはようございます」



「早起きだな」




サクは顔を見るなりにっこりと嬉しそうに微笑む。


昨晩だけでなんとなくサクの性格が理解出来た気がする。




「サクさん、貴方こそ早起きですね。

ところでそのたんこぶはどうされました?」



「ん?ああこれか!今日は俺が負けたんだ!」



「負けた?」




昨晩はなかったはずの額の大きなたんこぶが気になって聞いたものの、


当の本人は大して気にしてないようだった。




「ああ!とりあえず、昨日のことまだ皆に知らせてないから朝餉終わってから

父様が皆を集めるそうだ!ひとまず行こうぜ!」




そういいジンの手をグッと引っ張り走り出す。


途中にこにこと振り返りながらこちらの手を力強く握ってきた。



この人は本当に…小型犬のようですね…



今にも、元気に振ってる尻尾が見えてきそうだ。


そうして朝からサクと共に全力で廊下を走って


居間に着いた時にはもう既に全員揃っていた。



四人の末っ子たちは部屋の中で走り回り、千鶴はこら、と声を上げてはいるが


止める気はなさそうだ。



目を瞬かせながらその状況を見守っていると、突然その輪の中にサクが入り込み


一番元気に暴れていた男の子を追いかけ出した。




「よっしゃ!お前たち!兄ちゃんも混ぜろー!」



「あんたは止める側でしょう!」




座ったままだった千鶴もさすがに立ち上がり、呆れ声でそう叫んだ。


どうすればいいのやらと眺めていると


部屋の戸が開き現れた人物を見てホッと息を吐く。



きっと止めてくださるだろう。…これで落ち着くかな


そう思ったのもつかの間…




「皆今日も朝から元気でいい事だ!」



そう言いにっこりと笑みを浮かべながら


部屋に入ってきた昌宜はうんうんと頷く。



ああもう駄目だ、と周囲を見渡すと部屋の隅で、


昨日の少女が正座をし静かにその様子を見守っていた。


あまり気にしていない様な素振りを見せてはいるが


目線はずっと子供たちを追いかけていた。



(ふうん)



面白いものを見れたことに満足し、口端をあげると突然肩に手を置かれる。


ハッと振り返った。




「では皆、改めて今日から家族になった仁だ。仲良くしてやってくれ」




さっきまで見守っていた昌宜が突然大きな声をあげ話し出す。


皆の動きが一瞬でピタリと止まった。




「改めまして仁です。これからよろしくお願いします」




慌てて背筋を伸ばし、呆けた顔でこちらを見つめる皆に向かって告げると


末っ子達が目を輝かせながらこちらへ駆け寄ってきた。




「えー!旅のお兄ちゃん家族になったの!」



「良かったねハナ。沢山遊んでもらいな」 



「なぁ!ジンちゃんって呼んでもいいか?」



「こら、お前たち騒がしいよ。」




先ほどまで一緒に暴れていたサクも一番小さな少女の手を引き、


落ち着いた声色でそう告げる。




「千鶴からも挨拶してやれ」




昌宜に言われ、千鶴もこちらへ歩み寄って来る。




「よろしくジン。あたしの呼名は千寿(チズ)。千に寿とかいてチズ。

あー後、家族になるならその固さ少しは何とかしなよ」





えっ。



昌宜に似た屈託のない笑みの後、なぜか拳を鳩尾に入れられそうになり


咄嗟に手で受け止める。



え、なぜ



いや、これ僕が止めれてなかったら胃の中のもん全部吐き出してますよきっと。



思わぬ力強さに止めれなかったらどうなっていたかと冷や汗が出た。




「あーチズも、もう少し優しく言えないのか?

ジンが怖がったらどうするんだよ」




サクがチズの肩を組みやれやれと声をあげた。




「うるさい。サクこそ初っ端からそんな犬みたいに尻尾ふると警戒されるよ」



 

サクの腕を払い除け二人は睨み合う。



(犬…)



やはり皆同じことを思っているのだと思い、心の中でふっと笑う。



 

「はぁ!それはお互い様だろ!」



「なによ!またゲンコツ食らいたいの?!」



「いいぞ俺は今朝の勝負の続きしてやっても」




いつのまにやらヒートアップしている二人のやりとりを


先程まで一緒に暴れていた末っ子達や昌宜も呆れながら見ていた。



今朝のたんこぶはそういうことだったのか



朝の謎がここで一つ解けた。




「まあ…あっちはあっちで仲良くしてもらおう。真白、おいで。挨拶しなさい」




呼ばれた少女はこちらを一瞥し、歩み寄る。




「……真白(ましろ)だ。」




大きな目でジンの目を覗き込むように見つめ深く礼をし、そう名乗った。


顔をあげても尚、十にも満たない幼い容姿からは


想像もつかない程の眼力でこちらを見据えてくる



修羅を潜った眼差し、ですね



ふと、そんなことを思った。


真白がたち去り、昌宜が他の子達を手招きすると


再び我先にと勢いよく走ってきた。



「俺!海道(かいどう)!呼名は懐(カイ)だ!」



「私!私はね!花心(はなみ)だよ!お兄ちゃん英(ハナ)って呼んでね?」



「僕は林之助(りんのすけ)です。凛(リン)と呼んで下さい」



「…風優花(ふうか)」




一番最初に声をかけてきた少年は輪の中でも 一際元気に騒いでいた子だ。



二番目の少女は昨日髪の毛を触りたがっていた子。



三番目の少年は他の子達とそんなに歳は離れてないように見えるが、


礼儀正しく落ち着いた印象に思えた。



最後に名乗った小さな女の子は


リンの後ろに隠れてこちらをひっそりと見つめている。


 

リンがその子に呼びかけようと振り向くと、


背後にいたサクがその子を抱き上げ諭した。




「フウちゃん、ちゃんとご挨拶するんだ」




(いつの間に喧嘩は終わったのだろうか)



先程までとは別人のような優しい笑みを湛え


抱き上げたその子と共にこちらに歩み寄る。


ぎりぎりまで懐に顔を埋めていた少女を引き離し、そのままジンに手渡した。





「おっと」



 


ジンに抱えられた少女は腕の中で静かに顔を上げた。




「福(フウ)って呼んで、ね」




林檎のように顔を真っ赤に染め、次はジンの懐に顔を埋める。


フウの短い猫毛を優しく撫で他の子達に視線を移す。




「ええ、もちろん。皆さんよろしくお願いします」




一部始終を見守り、昌宜が再びジンの肩に手を置いた。




「さぁ、挨拶も済んだところだしそろそろ道場に行こう。

ジン、君も着いてきなさい」



「はい」









「やーー!!!!!」




パーンッと木刀の弾かれる音が鳴り響いた。



 

「一本!」



「あの、サクさん。稽古をつけるのはチズさんなんですか?」




中央の方で試合稽古をするチズ達を眺めながら問いかける。




「今日はそうみたいだな。普段は父様が指導している。

チズのやつ、いつもはふらっと稽古場に来て

皆をボコボコにしてすぐどっかにいくからな。


あいつは併技流(へいぎりゅう)の免許皆伝(めんきょかいでん)なんだよ」



「っ、併技流?免許皆伝?」




サクの木刀を受けながら答える。




「併技流(へいぎりゅう)ってのは

紳皇家に仕える二代武家、槍や薙刀の様な長物を得意とする原田家と

刀での接近戦を得意とする藤堂家の流派を

どちらも兼ね揃えた平家独自の流派だ。


免許皆伝ってのは師匠から奥義や技術、

その全てを教わり習得しているということ。


ジン、少し打ち込んできな!受けてやるから」



「はい!」




互いに間合いを取り、正眼(せいがん)に構える。


加籃菜(からんな)で剣術は教わっていた。


少し構え方や剣の形が違うだけで


相手に目掛けて振り下ろすという行為そのものはなんら変わらない。



要は、斬りかかればいい。



木刀といわれる剣の形をした木の棒は意外と重く、


剣と重さは然して変わらない。


恐らくサクは僕のことを初心者だと思ってるだろうから気を抜いてる。


誤って怪我をさせないようにだけ気をつけよう。



サクの木刀がピクリと動いたのをきっかけに勢いよく木刀を振り上げた。



パーーンッッ



難なく受け止められた木刀にグッと力を込め押し込む。




「意外と力あるじゃないか」




サクは余裕を含んだ笑みでニヤリと笑う。


押し込んだ木刀は少し押し返されたが、力はほぼ互角のようだ。



(思っていたより、洗練されてますね)



一つ一つの動きに無駄がなく軸が一切ブレていない。


そして剣と違い刀は片方にしか刃がないから動きが限られる。


それでも剣術にはそれなりに自信があったからいけるかと思ったけど…



無駄だと諦めたジンはサッと引きさがり、


すかさずがら空きの胴に向けて木刀を振る。




「くっ」




目掛けた木刀は難なく交わされたが流れた勢いのまま腰を低くし、


足元に木刀を滑らせる。



(今はひとまず、軸をぶらすことに意識を集中させる)




「おっと」




予想外の流れに驚いたようだったが、すんでのところでかわされた。


攻撃はかわされたものの、余裕だった構えにほんの少しの乱れがみえた。




「サクさんは免許皆伝では無いのですか」




突然話しかけられたサクは少しばかり体制を崩す。




「俺は、…って」




一瞬の隙を見逃さず、腰を低くしたまま背後に周りこみ


サクの肩に手を置いた。





「…俺は、違う。というかジン!いつの間に背後にいたんだ!?」




置かれた手をしばらくじっと見つめ状況を把握したサクはそう叫んだ。




「少しばかりずるを…」




ははと頬を指でかきながら誤魔化した。




「あ、話を戻しますが、サクさんは免許皆伝じゃないんですか?」



「ああ。俺はまだ父様から一本も取れてない。

最終的に習得したかどうかは、それで決まる。」




サクは額に滲む汗を袖で拭いながら前髪をかき上げた。


悔しそうに歪む目元が一瞬見えたと思ったが、


こちらを向いた時にはいつもの戯けた顔に戻っていた。




「チズは半端ない度胸と身体能力をもってる。

俺でさえ父様と試合をした時、気迫に押されてちょっとチビッたっていうのに」




サクはわざとらしく肩をだき震えて見せた。




- 「やぁ!!!」



パンッ!!!



木刀が弾かれる音とドンと尻もちをついた音が聞こえ振り向く。




「太刀取り。勝負あり!」




審判をしていたリンの声が響いた。




「くっそ…チズ姉!少しは手を抜いてくれよな!」




カイが小言をいいながらお尻を大袈裟にさすり、立ち上がる。


その向かい側には木刀をニ本持ってるチズがいた。




「煩い。うだうだ言うな!」



「…やれやれ。流石に太刀取りなんて見せつけられたら

他の奴らの勝機が失せちゃうだろってな。

本当にチズは加減ってのが苦手だなー」




そういいサクはチズ達のほうに歩み寄る。




「皆、お疲れ様!今日の試合稽古はここまでにしよう。

後は各々で鍛錬してくれ。チズも、今日はもう終わりにしようぜ」




   






「神皇家に仕える藤堂家と原田家、そして平家。

併技流に、十代にして免許皆伝の腕を持つ少女。戦、呪い、呼名に、授名…」




部屋で一人横になるも、頭の中を情報が動き回る。




「だめだ。動こう」




部屋を出て縁側に出ると数日前とは違って線の細い月が白い光を放っていた。


微かな光も夜闇の中だと良く映え、美しく見えた。




「大体のことは本に書いてた通りですね。

神話だと教えられたけど、動物が話すこと以外は本当に存在するみたいだ」




初めて目にした太陽、月、そして朝と夜、動物達に、森や川


毎度感動と動揺で騒ぎたい気持ちを抑えるのに苦労する。



しばらくぼうっと夜空を眺めていた。


この世界で、これから何が起こるのか


何もない平和でのんびりとした世界になんて墜されないはず。



ただ今は、あんなにも嫌だった退屈で平和なこの時間が


心地良かったりする。


あの世界の平和と、この世界の平和じゃ居心地の良さが違うんだ。






「何を考えてる」





背後に人影がいることに気づいてはいたが、


かけられた声がひどく深く低い事に驚く。




「君は」




振り向くと、声の主が行燈を片手にこちらをじっと見ていた。




「何をしているんだ。こんな時間に」




仏頂面の少女に手招きをし、微笑む。




「こっちに来てください。そうしたらお話しますよ」




一瞬体が強ばったが、静かにこちらに歩み寄り少し間隔をあけて座る。




「来てくれると思わなかったです」



「お前が来いと言ったんだ。」




相変わらずの態度で話す様子をおかしく思いクスリと笑う。




「真白さん」



「呼び捨てで呼べ。

目上のものにさん付けされると気持ちが悪い。敬語もやめろ」




間髪入れずにそう言われる。




「…わかった。真白」




依然として真っ直ぐ庭先を見つめたまま真白は満足したように頷く。


ジンも同じように視線を庭先に向けた。




「僕は旅の途中で怪我をして頭を打ってしまったんだ。

その時にところどころ記憶が抜けてしまって。

この家の事やこの国の知識や情報が一気に入ってきて、

なんだか疲れたから頭を冷やしに来たんだよ」



「そうか。…難儀だったな」




その声色が先程よりほんの少し柔らかくなっているのを感じた。




「真白、君はなんでそんなに僕を警戒してる?」




表情を伺うように顔を覗き込みながらそう聞くと


真白は目線だけこちらに動かし、すぐに元に戻した。


意地悪な質問だったと自分でも思った。少し直球すぎたかな。




「警戒してる訳ではない。そもそも誰も信じれないだけだ。

それにお前にだけじゃない。私はこうゆう人間だ」




少し息を吐いた後に真白は言う。



ふうん




「そうか。僕は真白が好きになった」




ある意味予想通りの返答だと安心し、ジンは告げる。


真白は眉をピクリと動かした。




「解せぬな」


「君はなんだか猫のようだ。信用は出来てないけど

好きなんだろ?家族が。だからこうして新入りの偵察に来た」




初めて会った日、じっと僕をみてあからさまに警戒していた様子や


末っ子達が暴れてる時に怪我をしないか心配そうに見守っていた様子を思い出す。




「お前の推測に過ぎない」




その言い草が拗ねた子供のようで微笑ましく思った。


この子は見た目より単純なようだ。




( ああ、あの子たちは今何してるのかな )




少しだけ、掌の傷が疼く。


僕は自分でこの道を選んだ。


あの子たちよりも自分の好奇心と探究心を優先した。


身勝手だ。何を考えてるんだ。


忘れようと思えば思うほど胸の片隅に、釘を打たれたように残り続ける。



ここに来て、もう何度忘れろと自分に言い聞かせたことか。




「そうだね。でもきっと人と人との関わりなんてそんなものさ。

本当の自分でさえ分からない人間もいるんだから

他人にどう思われてるかなんて相手の自由に想像させておけばいい。


僕は君を猫みたいで好きだと思った。それだけだ」




自分の胸の内を少し織り交ぜながらそう吐いた。




「チズさんのことは」




そう問われハッと意識を戻すと、真白がこちらを


じっと見つめていることに気づいた。


吸い込まれそうな程の大きな瞳に長い睫毛。


結い上げている時とは違い、解かれた靡く黒髪は肌の白さと相反して


美しく月夜に照らされていた。




(いつもそうやって普通にしていたらいいのに) 




思わず息を呑んでしまうほどの美しい顔立ちに素直にそう思った。




「…チズさんは真っ直ぐだね。剣術にも性格が出てる気がしたよ」




何故チズのことを聞かれたのか戸惑い、いつかの稽古でみた姿を思い出した。




「…そうか。」




今までに無い満足気な言い方に驚き、振り向くと


真白は立ち上がりこちらをじっと見ていた。




「私は寒さが苦手だ」



「え?」




眉を顰めると、突然着ていた羽織をジンの頭に投げかけた。




「寝る」




そう一言告げ行灯を置いたまま真白は闇に消えていく。


頭に被せられた羽織に、まだほんのり温もりが残っていた。


行灯からも微かに火の温かさを感じる。


そこでようやく自分が薄着で肌が冷えていたことに気づいた。



ハッとし、闇に目を向けるがもうそこに真白の姿はなかった。




「…おやすみ、真白」




その声は、静かな夜に溶けて消えた。










「なぁージン!さっきのはなんだ」



「え?どうしました?」




突然サクが問いかけて来たのは朝餉を食べ終わり、


庭で茶吉を愛でている時だった。




「なんで真白にタメ口だったんだよ!俺は聞いたぞ!

真白に、おはようございます、じゃなくて!おはようって言ってたの!

俺にはその前におはようございますって言ってたのに、どうしてなんだ!!」




(怒ってる…?)



分かりやすく項垂れ眉尻を下げたサクに慌てて弁解する。




「あ、それは、真白から敬語は気持ち悪いと…」



「は!真白って言ったな!」




そういいジンの手をガシッと掴む。



(やっぱり怒ってるのでしょうか)




「申し訳なかったです。少し馴れ馴れしかったですね」




眉間に皺を寄せ、グッと顔を目の前に近づけたサクに思わず目をそらす。



(顔が…近い)




以前も思ったが、サクはどうやら人との距離感というのが頗る近いようだ。


それも無意識に。




「ちーがーう!そうじゃない!ジンが馴れ馴れしいだなんて言われてたら

俺は一体どうなるんだ!俺たちにも敬語はやめてくれって事だよ!

なんで真白には親しげにするんだ!俺の方が沢山話してるじゃないか!

はっ、まさか…ジン…真白のこと」



「違います!!」




わなわなと口元に手を当て慌てだしたサクをすかさず制する。


危ない…


あらぬ疑惑をかけられるところだった。




「暇の日くらい静かにしたらどうなの」




他に弁解の言葉は無いか必死に考え頭を抱えていると


縁側の方からいつもの呆れ声が聞こえた。




「あぁ!!噂をすれば真白!それにチズまで!」




振り返ると声をかけてきたチズの背後に隠れるように真白が立っていた。




「煩い」




ちらりと顔を覗かせた真白はチズと同様、呆れた口調でそう言い放った。





「チズ!俺は、ジンに呼び捨てで呼んで欲しいし

敬語もやめて欲しいって話をしてたんだよ!」




そんな二人の所に自ら駆け寄ったサクは身振り手振りで現状を伝える。




「ふ」




「おい真白、今笑ったな?!」




鼻でせせら笑ったのを聞き逃さなかったサクは真白に詰め寄る。


真白は怒ってるサクを無視し、近くを通ったうさぎを愛でていた。


白いうさぎに真白。


どちらも、大きな瞳に無表情。


面白い組み合わせだ。




「サクがそこまでムキになってる意味は

わからないけど、確かにもう敬語はやめたらどう?私少しむず痒いよ」




そんなふたりを背にさっぱりとした口調でチズは言う。




「わ、わかった、チズ」




敬語が普段の口調だったジンは少し吃りながら返答した。




「後、もう私たちは家族。他人じゃないんだから遠慮も無用。

少しでも遠慮したら一発入れるよ」




そう言い拳を掌に打ち付けた。


その様子にいつかの拳を鳩尾に入れられそうになった出来事を思い出す。




「あ、ああ。きっともう二度としないよ…」




額に汗を滲ませ口元を引き攣らせながら答えると、


真白に構ってたサクが会話聞きつけ飛んできた。




「あぁ!おいジン、今チズって言ったな?

俺はっ?俺の名も読んでくれよ!」



「ええ、サク」



「ジンーー!ありがとうなジン!俺は嬉しいよーー!」




そう言いジンの髪の毛をわしゃわしゃと崩しながら抱きつく。




「おっ、ちょ、サク?!」




サクの抱きしめる力が強く二人揃って倒れそうになる。




「男色野郎と勘違いされそうな人懐っこさだな。

真白、行こう。うさぎは置いていきなよ」



「はい」




名残惜しそうにうさぎを離し駆け足で千鶴の後を追う真白。




「ああ、ジン。あんたも来なよ」




チズは思いついたようにこちらを振り返りそう言った。




「どこに行くので…行く、行くの?」




咄嗟の事に普段通り敬語で返答しそうになり慌てて訂正する。




「麓の街よ」



「いいな!俺も行く!ジン!一緒に行こうぜ!」




チズの返答に隣で騒いでいたジンが反応し共に山を降りることになった。




「街には何しに?」


  


下山途中、前を歩くチズに問いかける。




「刀が折れてしまったから新しいのを頼んでたの。それを取りに行く」



「そうなんだ」




山道での時間は癒しをくれた。


道中、相変わらず騒がしいサク


呆れながらもなんだかんだ耳を貸すチズ


時折見かける動物達にさりげなく視線を向ける真白



賑やかな声に、優しい木々と風の音が重なり錆び付いた心が浄化されていく。


そんな気がした。



いつかサクが教えてくれた。



この世界の生命の起源を辿ると二人の神の存在に行き着く。



ほとんどの民はこれをただの伝説としているが


平家では伝承として受け継がれてきたもので、歴とした事実なのだと。



神は土地を生み、月や太陽、海や森を守る神を生み


そして地に降り立った神が我々の讃える神皇家の先祖であると。



だからこそ神皇家は祀られ、代々その神皇家に使える武家は


国と神皇家を守るという自らの宿命を誇り、修行に邁進するのだと。




「神、ね」




ため息と共に吐き捨てると、目の前を歩く千鶴が


突然ピタリと足を止め危うくぶつかりそうになる。




「ここだよ」




チズは町の入り口で一度振り返り、少し歩いた先の店に入っていく。




「主人、刀を取りに来ました」



「おぉ、はいはいお待ちしておりましたよ」




店の主は腰の曲がった白髪のお年寄りで、


チズの声を聞くなり愛想良く返事をした。




「うん!見事な刀だね」




目を輝かせながら端から端まで刀を眺める。



ふうん




こんな子供のような顔もするのかと、意外な一面に関心していると


店の隅の方で男たちがわざとらしく大きな声で雑言を吐き始めた。




「おい、あいつ。女のくせに刀なんか見てるぞ」



「あの細っこい腕見ろよ。刀に振り回されるのがオチじゃないのか?」




チズは対して気にしてなさそうだが真白はそいつらを刺すような目つきで


じっと睨みつけていた。



…うわあ



その男たちの言動があまりにも煩く、ジンも横目でじっと見てはいたが


真白の鬼の形相を見ると面白さの方が勝って少し笑ってしまった。



真白の鋭い視線を浴びながらも罵詈雑言をやめない男たちの声は


更に大きくなっていった。



やっぱり煩いな…



そう思った瞬間、真白の手が刀に触れ今にも男たちに飛びかかりそうになる。


その瞬間チズが真白の手を掴んだ。




「やめな真白。せっかくのいい顔が目つきで台無しになる。

あんな見るからにひ弱そうな男たちの言葉をいちいち気にするな」




ハッとし、顔を上げた真白だったが


チズは視線を刀から動かさないままそう吐き捨てる。




「はぁ?!聞き捨てならねえな女!」



「誰がひ弱だって!?」



「この店には、素晴らしい刀鍛冶の店主と刀

そして、それに釣り合う剣士しかいないはずだと思っていたんだけれど、

どうやら鼠が少し紛れ込んでいたみたいだね」




男たちを一瞥し、にぃっと口角を上げるチズの瞳には


怒りの色が隠し切れてなかった。



あ、怒ってたんだ。





「表出ろ女!調子に乗りやがって」



「糞女!そこまで言うなら勝負してやろうじゃないか!」



「サク、これは」




ジンの背後で一部始終を見ていたサクに止めに入ろうと視線を送る。




「しー。大丈夫だから、面白いもん見れるぞ」




ジンの肩に手をおき、耳を寄せ話したサクの声色は


心配するどころか少し楽しげだった。



再びチズ達の方向に目をやると


既に男たちは店の外にでて怒鳴り声をあげていた。





「主人、大事にはしない。手短に済ませるよ」



「はっはっは。刀は使わないようにな」




店主もいつものことのようにチズに笑いかける。

 



「わかってます」




店主にそう告げ店を出たチズ達に続いて外へ出ると先程の男達の仲間なのか


五、六人威勢のいい輩と、騒がしい声を聞きつけた町人達も集まっていた。





「昔からチズはああゆうタチの悪い男たちをねじ伏せるのが

趣味みたいなもんだったからな。


まあ、少し前までは煽るんじゃなくて問答無用で殴りかかってたから

それに比べれば今は落ち着いてる方だよ」




「へ、へえー」





さらっとした口調で語るにしては凄まじすぎる武勇伝に少し慄く。




「さあ来なよ。こちとら新しい刀の手入れをしたいの。さっさと済ませよう」




中央に立つチズが男たちとは対照的に嬉しそうに言い放つ。




「くっそ小娘。舐めやがって」




男の一人が刀で切りかかろうとする。対するチズは構えもせず丸腰だ。



 

「もらった!!!!」

 



男の刀がチズの頭上から振り下ろされようとした瞬間


右に避け足を出し、倒れ込む男の首に一発突きを入れ刀を奪った。




「はぁ。威勢の割に型はお粗末だ。おまけに刀の手入れもなっちゃいない。

武道を舐めてるのか」



 


町の人々や男達はなにが起こったのかと呆気に取られ静まりかえっている。


そんな中倒れ込む男の傍でチズは長々と説教していた。





「チズ、そいつ伸びてんぞ。これ以上説教こいても無駄だ。早く行こうぜ」




サクにそう言われて初めて男が気を失ってる事に気付いたチズは「そうね」と


一言吐いて立ち去ろうとする。




「このクソガキ共…」



「なんだよおっさんたち。俺にも喧嘩売ってくれるのか?

こいつ同様道の真ん中でお昼寝でもしたいのかよ」




奥の方で睨みつけながらそう零す男にサクは指を鳴らしながら言う。




「…覚えてろよ!!」




倒れた男を置いて他の輩は走り去っていった。




「よくもまあ恥ずかしげもなくあんな捨て台詞吐けるよな」




サクは、呆れたと息を吐く。




「チズ、大丈夫?」




ジンが声をかけると、少し前を歩くチズが足を止め振り返る。




「あーあせっかく楽しもうと思ってたのになぁ。

こんな腑抜けを相手にしてたと思うと阿呆臭くなった。

何か甘味でも食べに行きましょ」




隣でまだ少し浮かない顔をしている真白の頭を


ガシガシと撫で「ね?」とチズが優しく促すと


真白は眉尻を下げ、「はい」と頷いた。




「いいな!父様と弟達の土産も買って帰ろうぜ」




夕暮れで真朱色に染まる町の中並んで歩く四人の影が愉しそうに揺れる。


いつかみたこの空はあの日と違って穏やかな温もりをくれた。









「いーや!今日は俺の勝ちだったな!」



「うるさい!額にコブできたでしょうが!サク!あんたモテないよ!」




( 今日も朝から賑やかだな… )




「ジンちゃん、おはよう!」



「ジン兄迎えに来たよ!」



「おはようございます」



「お兄…」




チズとサクの喧嘩の声で起き、布団をしまおうと立ち上がると


末っ子達が勢揃いで迎えに来た。



ジンのことをジンちゃん呼びするのは次男のカイ


それから、カイの双子の妹ハナ


いつも礼儀正しい長男リン


そして末っ子で人見知りなフウ




「みんな迎えありがとう。サクたちはまだ喧嘩してるの?」




ジンを取り囲むように集まった末っ子達に問いかけると、リンが返事をする。





「喧嘩の流れでそのまま試合稽古をすると言って道場へ行きました」




こんな朝起きてすぐから稽古だなんてどれだけ元気が有り余ってるのだろうか。




「そうなんだね。父様は?」



「父様が二人は放っておいて朝餉にしようってさ。

だからジンちゃんを呼びに来たんだ!」



「なるほど、ありがとう皆。じゃあ、行こうか」




そう言った瞬間カイが廊下に飛び出し一目散に駆け出した。




「よっしゃあハナ!先に着いた方が今日の飯おかわりできることにしようぜ!」



「ああ!カイ!それはずるい!!」




ハナも負けじとカイを追いかける。




「あ、こら二人とも!走っちゃダメです!」




聞く耳を持たず走り去るふたりにリンは軽くため息をつく。




「リン、怪我をしたら手当してあげたらいい。

幼い頃は少しやんちゃな方が経験になる」



「ジン兄さん、あの二人はいつまでもああなんだ。もう十になるって言うのに」




リンも十二でまだ甘えたい年頃のはずなのに


下の子たちを叱る時も普段の振る舞いも誰よりも気をつけているようだ。


今だって寝癖のままの他の子達とは違って、


身なりを整え背筋を伸ばして話している。




「リンは優しいんだな。あ、ほらフウ抱っこしてあげるからおいで」




まだ眠たそうに目を擦るフウを抱き抱えると、


リンもほんの一瞬ちらりとこちらを見た。




「リンも」



「うわあ!兄さん!?びっくりしましたよ!」




軽い体をふわっと持ち上げ肩に乗せた。




「たまには、肩車もいいでしょ?あの二人に追いつこう!」




ジンがそう言いリンに微笑んだ後「うん」と嬉々とした返事が微かに聞こえた。







「おや、リンにフウ楽しそうな遊びだな。ジンお兄さんにお願いしたのか?」




茶の間に着くと昌宜が嬉しそうな目線でこちらを見ていた。




「ああ!2人ともずるいぞ!」



「後でハナもしてね!ジン兄!」




先についていた二人が目を輝かせながら言う。




「ああ、わかったよ」




返事の後、部屋の片隅に座っている人物に気づく。




「真白、おはよう。隣いいか?」



「好きにしろ」




相変わらずの口調で吐き捨てる。


間合いに入れば目で刺されそうで近づきにくいと


カイとハナが話してたのを思い出した。



真白はただでさえ見た目が良すぎて近寄りがたいのに、


それに加えて鋭い目つきに回りくどい口調。


年上の子達から恐れられるなんて、大したものだ。




「ありがとうね」




なんとか誤解を解かせたいといい案がないか考える。


そして、思いついた悪戯を試してみようと思った。




「真白は漬物が好きなのか?」




いつも一番最初に食べてしまうのを見ていたジンはそう問いかける。




「…」




ここまでは想定内。




「僕も漬物は好きだ。特に沢庵はね。フウも沢庵好きだもんね」




隣に座っていたフウにも話しかける。




「うん…」




いつのまにか騒いでいたカイとハナがこちらの様子を静かに見守っていた。




「…」




未だに無視を続ける真白をみてニヤリと笑った後、


ひそひそとフウに耳寄せする。




「なぁ、真白。こっち見てみなよ」




真白の肩をトントンと叩き、こちらに視線を向けさせる。


真白の眉がピクリと動いた。


この間のうさぎが鼻をピクピクさせていたのを思い出す。


仕草まで似てるとは…


この子は猫よりうさぎの方が合ってるかもしれない。




「なっ…」




視線の先には、自分の漬物皿を両手で持って真白に差し出すフウの姿があった。


間抜けな声を出した真白は、びっくりしたのか固まってしまった様だ。




「フウ、それじゃあ駄目みたいだよ。直接食べさせてあげな」




じっとお皿を差し出したままだったフウにそう言い聞かせる。




「お、おいジンちゃん…」


「兄さん…?!」


「フウちゃん、それは…」




他の子達がその様子を見て慌て始める。




「フウこっちにおいで。真白にアーンしてあげな」




未だ硬直して動けずにいる真白の目の前に漬物を持っていかせる。




「…ん、マシ」



 

真白はフウが差し出した漬物をしばらくじっと見つめた後


黙って顔を近づけ視線を逸らし食べた。




「…ありがとう」



「はっはっは。フウ、良かったじゃないか」




昌宜の呵々とした笑い声が響き、真白の耳がじわびわと真っ赤に染まっていく。




「マシが、あーんされたよ」


「…今から大雪になるのでしょうか…」


「ジンちゃんやるな…」




少し賭けではあったけどやっぱりこの子は見た目より単純でわかりやすい。


慌ててご飯をかきこむ姿を見つめ、ふっと笑った。

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