第二話 核

世界は下界と天界にわかれ、天界の者が下界を監視することで


乱れを察知し、コントロールしていた。



しかしここ数100年


下界は平和であり、乱れなど知る由もなかった。



天界も同様。そんなある日のことであった。



  

「兄様!アイを捕まえて!」




自分の胸に飛び込んでくるその子を捕まえ、


泣きじゃくり震える肩を抱き寄せる。




「アイ、何してるの。また泣いてるのかい?」



「だって、皆でいじめてくるんです」



「そうなの?」



「何言ってんだよ!誤解だ!

アイがすぐうじうじしだすから、ちょっと睨んだだけだろ」




部屋の奥から叫び声の主が息をあげ、頬を赤くし現れる。


よほど全力で走ってきたのだろう。




「君のその仏頂面で睨まれたらそれは僕でも怖いかもね」




自分の腕の中にいるその子を睨つける視線をおかしく思い、そう告げた。


からかったって余計怯えるだけなのに。




「イリーそんなにアイの事が気になるのー?」



「おいおい、もっとさぁ面白いことしようよ。

言い合っててもつまらないじゃん」




イリが走ってきた方向からまた声が聞こえる。


だだっ広い部屋に声が響いて跳ね返る。




「ああ煩い煩い!お前らは黙ってろよな!」




後から入ってきたうちの一人が服の袖を引っ張り、鎮の体を揺すった。




「兄様、一緒に遊ぼう!追いかけっこしよう!少しだけ!いいでしょ?」




甘えたような目でみつめ「お願い」とまた念を押すように言ってきたのはハルだ。


この子は本当にお上手だ。




「いいですね」




ご希望通りの笑顔で答えるとハルも釣られるように口角を上げた。




「じゃあそのままイリは鬼になれよ!ガクとアイ!逃げるぞ!」




そして他の子達に声をかけ、一目散に走っていく。


他の子達も我先にと走り出した。




「あ"?ちょ、こら、アイも待てよ!」




慌てて追いかけようと走るイリは前しか見えていないのか


足元の段差に気づいてないようだった。




「あ、イリ、そこは気をつけっ、」



ドン




鈍い音と共にイリが頭から床にに突っ込んだのが見えた。




「やれやれ。だから言ったでしょう」




フッと笑い、涙目で膝を抱えるイリの頭を撫でる。




この世界は穏やかだ。


下界も争いひとつなく、平和に時が過ぎている。



母様はこの世界を操作する神だ。



下界を直接見る術はない。


孤立された真っ白な空間には僕らしか存在しない。


残りの人間は皆下界で平和に日々を過ごしている。



そういつか母様に教えて頂いた。



僕の仕事は


ここで4人の末っ子達の面倒を見るのと、雲の動きを見ること。


ただそれだけ。


  

なんの変化も示さない雲を眺めるか、


いつも元気な4人の末っ子たちを眺めるか。



ハル


イリ


アイ


ガク



この子達は僕に無いものを持っている。


代わり映えのない退屈な日々を楽しめる感性を。



なぜこの世界はこんなにも揺るがないのか。



僕が面倒みてる4人は毎日のように喧嘩をし、じゃれ合い競い合っては


また肩を並べ温もりを求めるように抱き合い眠る。



下界には何千何万もの民が暮らしていると聞いた。




- 「下界にはさ、いっぱい人がいるんだろー?

皆でかけっこしたらもっと楽しいのになぁ」


- 「そんなに大勢人間がいたら、アイがビビってまた泣き出すって」


- 「泣き虫じゃないもん!」


- 「ほらそう言いながら涙目なってんぞ!」


- 「兄様はどう思う??」




- 「え?」




- 「もっと色んな人達に会ってみたくない?」




ここ数100年一切の乱れもなく平和に。



緩やかに流れる時のなかでは、自分の呼吸を感じることすら


忘れてしまいそうになる。



この退屈でつまらない世界に



- 飽きてしまったんだ。
















「失礼します」




気づいた時にはここにいた。


天界の真っ白な御所


加籃菜(からんな)。


ここの主であり、この世界を統べる御方。


僕でさえ、母様が住まう神域の扉の前に立ったことすらない。



初めて見上げるその扉から放たれる厳かな空気が呼吸を苦しくした。



ギーーー



重々しい音と共にひらく扉。




「どうしましたか?」



「母様」




広々とした空虚な部屋に進むと、どこからともなく


いや、脳や心臓に直接語りかけられるかのように声が響いた。




「私、母様にお頼みしたい事があります」




目線の先にある真っ白な壁に向かって話す。




「続けなさい」




僕の心の揺れなんて、とうに勘づいているはずなのに。



…なんて、ブレない方だ。




「下界を見せていただきたく存じます」




深々と頭を下げる。




「こちらへ」




その声が聞こえたのと同時に先程まで壁だった一角に扉が現れた。


招かれるままその扉へ向かって歩く。



奥の部屋に進むと、沢山の本棚に囲まれた部屋に続いた。


大量の分厚い本が数え切れないほど並べてある。



懐かしいと思った。



なぜか胸の奥がじんわり温められる。深く呼吸をすると心が安らいだ。




「貴方はここが心地よいと思いませんか」



「はい」




僕の気持ちをすぐさま読み取り言い当ててくる。


やっぱり母様には適わないなと心の中で笑った。


部屋を見渡し、懐かしさの理由を探していると


視界の隅に突然小さな少女が現れた。




「あれは…」




少女はそっと振り返り棚から一冊の本を取り出す。


それを愛でるように撫でこちらを見つめてきた。


その顔を見ようと凝視するもなぜか霞んでよく見えない。


僕の目が濁っているのか、それとも彼女自身が霞んでいるのか。



もう一度よく見ようとギュッと瞼を閉じた。


すると少女は消え、そこには同じように本を愛でるように撫でる


真っ白な服を身にまとった母様がいた。




「この世は平和なのです。知らなければ良いこともあります。

知らなければ良かったと貴方は思うでしょう」




朧気なその姿から表情を読むことなんてできない。


そっと瞳を閉じ、その心に訴えかける。




「それでも私には…、この世は退屈すぎる」




沈黙が続く。


あまりの無に耳の奥が酷く痛んだ。


怖い


無が、何よりも虚しく、恐ろしいんだ。



そしてこの世界には、やはり



…何かが足りない。




「…なにを」




気がつくと母様はその手を頭の上に置いていた。



 

「ならば、見なさい」




頭の中に無数の映像が流れ込んだ。


そっと目を閉じるとまるでその映像の真ん中に自分がいるような感覚に陥る。



真っ白な空間に真っ黒な人間。


いや、人間というには程遠い。


ただの影のような黒い物体。



大量のその影たちが何かに操られてるかのように


規則正しく歩く様は、まるで百足のようだった。



表情なんてものは無い。


喜怒哀楽、意思、その全てが奪われたその姿。



背中にひやりとした感覚。


何かが足元から這い上がってくるかのような鋭い嫌悪感に足が震えた。


身体中がこの目に映る世界に拒否反応を起こしているのが分かった。



気持ちが悪い。




「これは…なに?母さん…」




息が荒くなる。


これを平和と言ってのけた人物が、何を考えているのか理解に苦しんだ。



一向に返事をしない母様に嫌気が差したのと


機械的な動きをする黒い物体に囲まれ嘔気がし、頭に置かれた手を払い除けた。




「戻して!!!!!」




その瞬間意識が元の部屋に引き戻される。


心地よい匂いに酔い、足元から崩れ落ちた。


母様は依然私を見下ろし立ち尽くしたままだった。




「私は、あなたよりもずっと長くこの世界を見守ってきました」




さっき見た景色が頭から離れなくて母様が話す言葉が上手く入ってこなかった。




「あんなんじゃ、雲が乱れるはずがない」



「貴方はなにを求めているのですか」




僕がこんなにも動揺しているのが理解できないと


言いたげな言い様に悪寒がした。 

    

言いようのない怒りが込み上げてくる。


はじめての感覚に戸惑い、うまく言葉が繋げそうになかった。




「貴方ならわかってくれると思ってました。

私が紡ぐ言葉、そしてこの世界は全て、

貴方のためを思って作り出したものだと言うのに」




母上は平然と続ける。




「貴方はまだ子供です。貴方の何倍も長く生きてきた私の言うことが

間違いだとでもいうのですか?」



「っ」




自分の爪が掌にめり込むほど強く拳を握っていたことに気づく。


爪の間に滲んだ赤い色を見つめる。


右手からつーっと血が滴り落ちた。


それは手首をつたい、白い肌を汚していく。


二の腕まで到達したその血を静かに舐めとった。




「まずい」




舌でそれをしっかりと味わった。


痛覚と味覚で錯乱しそうになる脳を落ち着ける。


そして自分を見下げる母様を睨みつける。




「この世界を変える方法を教えて下さい」




そう言った瞬間、涙が頬を伝ったのを感じた。




「兄様?」




聞きなれた声がし、弾かれたように振り返る。




「…アイ」



(なぜここに…)



アイは本棚の陰から覗き込むようにこちらを見つめていた。




「ー。」




アイの視線を確認しつつ母様は告げた。




「…」




(アイの前でわざわざ…)

 



「兄様、血が…」




母様の意図が読めず、睨みつけているとアイがいつの間にかすぐ側まで来ていた。




「アイ、ここにいてはいけない。皆の所へ戻りなさい。

兄のいうことを聞きいれて下さい」




震えながら僕の手をとるアイの手を両手で包み、


その黒目勝ちな目じっとみつめて優しく諭す。


小さな唇をぐっと噛み小刻みに何度も頷くアイを


自分の子供のように愛おしく思う。



…わがままな兄をどうか許して下さい



髪に指を差し入れゆっくり解きほぐしながら心の中で呟いた。




「わかりました。兄様、すぐにお戻りください。

皆が探してましたから」




いつもは他の子達からからかわれて泣いてばかりのアイが


いつものように涙目になりながらも


丁寧に言葉を並べる様子を見て嬉しく思った。


走り去るアイの背中を見えなくなるまで見守った後


護身用に持たされていた剣を下から切り上げるように振り上げ


その勢いのまま右胸に剣を吸い込ませた。



護身用に持たされていた剣を始めて使う機会がこんな場になるなんて。




「なっ」




思わぬ感触に声が漏れる。


もしかしたらその姿は仮初で剣は空気をかすめるのではないかと思った。


しっかりと感じる生々しい感覚に目を剥く。


覚悟がなかったわけではないが、


まさかの事態に


決意を固めたはずの意思が簡単に崩れそうになる。


その瞬間視界がぐらりと揺れた。


走馬灯のように様々なシーンが勢いよく流れ込む。


そして、揺れていたと思っていたものは


視界ではなくこの地面であることに気づく。



砂地獄のように地面が吸い込まれあっという間に全てを呑み込んだ。



落ちてしまったことに対して、衝撃や動揺、物理的な痛みはあったものの


後悔は全くなかった。



堕ちてしまったんだ。





そう、悟った。













「千鶴ー!心配したぜ??どこに行って…た?」



「あぁ、茶吉が逃げ出しちゃって。って、なに?桜、この人知り合い?」




先程の場所から数歩ほど歩いた先に一際大きな声で叫ぶ男の姿があった。


千鶴は対して気にしてないかのように話を続ける


が、こちらはそうとはいかない。


鎮とその男はしばらく黙り込んで見つ合う。



(この人…)



「はじめまして鎮(まもる)と申します。

道中迷子になりまして、この猫さんと少しお話させてもらってました」




咄嗟に呆けた顔を締め、口角を引き上げる。




「あ…いや!こちらこそうちの猫を見つけてくれてありがとうな。俺は桜だ」




そう動揺を隠しながら言った男は


髪の色や身なり、雰囲気は違えど、 双子のように瓜二つの顔つきだった。


千鶴と同じ濃紺の衣類。


そして肩まで伸びたこげ茶色の髪の毛が秋風にサラサラと靡いている。





「桜、この人訳あって連れて帰る。

詳しい話は着いてからにしよう。日が暮れてしまう」



「え。ああ、そうだな」









「父さん、父さん!いる?」




千鶴と桜に連れられ着いた家は、道中にあった他の家よりも離れた所にあり


土地も広く大きな造りのものだった。




「チズか。どうした」




縁側からおりてきたその人は千鶴や桜と同じような


衣類を見に纏ったガタイのいい男だった。




「兄さん姉さん遅かったな!」



「姉さん見つけれたのー?」



「あ!茶吉だ!」



「おかえりなさい」




その男の後に続くように少年少女が顔を覗かせる。




「皆、ただいま。」




その子達は一斉に桜と千鶴を取り囲み、鎮を不思議そうに見つめた。




「父さん、この人道に迷ったらしくて。

今日泊めてやってくれない?もう日遅いし」




千鶴がそう告げると父さんと呼ばれているその人は


くしゃりと表情を崩し、柔らかく微笑んだ。




「千鶴が客人を連れてくるとは珍しいな」




すると千鶴はこちらをチラリと振り返り、


鎮の瞳を確認する様にじっと凝視する。




「この人真っ白なの。いや、真っ白というより透明に近いかな」




そう言われ、他の人たちと見比べると確かに服も髪の色も白かった。



でも、今見ていたのは目だった気がするけどなんのことなんだろう。



千鶴の言動を不思議に思い首を傾げてた。





「おぉ、そうだ。ちょうど今からみんなで夕餉にしようとしていたところだ。

君も一緒にどうかな」




問いかけられた時


依然として先ほどの千鶴の言動の謎に気を取られていたため、


いけないと、姿勢を正し挨拶をする。




「お心遣いありがとうございます。私、鎮と申します。本日はお世話になります」




自分の挨拶にビックリしたようでその人は目を見開いた。そして豪快に笑う。




「随分と大人びた少年だな。私の名前は平 昌宜(たいら あきたか)だ。

挨拶が遅くなってすまなかったな。さぁ、皆で移動しよう」




子供達を桜が引き連れ、昌宜も鎮の肩を抱き、先に進もうとした。


千鶴は一人辺りを見回す。




「父さん、真白(ましろ)は?」




千鶴がそう問うと昌宜は敷地内の隅にある建物を指差した。




「あの子ならまだ道場だ。

もう少し稽古をすると言ってたから後から来ると思うぞ」



「そう。あたし迎えに行くよ」




そういい千鶴は反対方向に進んで行った。










「ねえ、お兄さん、その髪の毛本物なの?」




先程、桜のことをお兄と言っていた少女が鎮の髪の毛を触りたそうに見ていた。




「ええ、本物です。引っ張っても大丈夫ですよ」




この子が一番欲しそうな言葉を投げかけると、


少女は花が開いたような笑顔になった。




「え!痛くないの?じゃあちょっとだけ…」



「こーら、花心(はなみ)!痛いに決まってるだろ!お前も手伝え!」




髪の毛を掴もうとした瞬間、花心と呼ばれた少女は桜に抱き抱えられ


小さな手は空気を切るように離れていった。




「うわ!分かったよ、お兄」




花心はバタバタと手足を振り、手が離れた瞬間一目散に逃げていった。




「あいつ…ごめんな。鎮だっけ?隣いいか?」




走り去る姿を見送った後桜は隣に座った。




「ええ、もちろん」



「後は姉さん達が来ればいいのにー。まだ来ないの?」




花心と戻ってきた同い年くらいの少年がそう呟いた瞬間襖が開いた。




「待たせました」




そういい、部屋に現れた少女は長い髪を高く結い上げ、汗ばんだ額を拭っていた。


綺麗な子だなと呑気に見ているとギロリと向けられたその大きな瞳と目が合う。


端正な顔立ちからは想像つかないほどの鋭い眼差しに驚く。



(…なぜ、そんなに睨むんだろう)



その訝しげな視線があまりにも分かりやすく、心の中でははと笑った。




「遅くなりました!皆ごめんね、食べよう!」




後から入ってきた千鶴の大きな声が響く。


賑やかな食卓に目をやりながら、ささやかに向けられ続けている


少女の視線が気になってしょうがなかった。










「あ、いたいた!」




今日は月が綺麗だと騒ぐ子供達につられて


少し離れた縁側に座り、一人で月を眺めていると


すごい勢いで走りながら近づいてくる影がそう叫んだ。



食後にそんなに全速力で走って大丈夫なのでしょうか…





「こんなところにいたんだな!探したよ」




にんまりと微笑みこちらを見つめる様子は、


ご主人様を見つけた子犬の様な愛らしさがあった。




「桜さん。どうしたんですか?」



「やだなぁ、大した用はない!ただ鎮と話がしたかった!それだけだよ」




桜はすぐ隣にあぐらをかき、月に目もくれず体ごと鎮の方へ向けた。




「なぁ、鎮、お前一体どこから来たんだ?」



「都の方からです」


   


返事をしながらも、自分の顔を眺めているようだと違うことを考えていた。


それに適当に都なんて言ったけどさっき千鶴と名乗った子が言ってたから


そう答えただけであって、そもそもどこなのかすらさっぱりわからない。




「都から?!遠かっただろう?これからどこに行くつもりなんだよ?」



「特にどこに行くとかは決まっていません」





それは事実だ。


なんせ目が覚めたら、あの田舎道の真ん中に立っていたのだから。


でもきっとこの世界のどこかに僕の望むものがあるのかもしれない。


そう思っていた。





「え!?そうなのか?」




桜の大きな声で現実に引き戻される。


気がつくと、桜は顔をグッと目の前まで近づけてきていた。


その瞳に写る自分の姿をしっかり確認できるほどの距離の近さに動揺したが


瞬きで誤魔化した。




「あ、はい。旅の途中でしたので」



「修行の身なのか?どうりで道士のような格好だと思ったんだ!

目的地もなく旅だなくて、これからどうするつもりなんだ?」




適当に旅の途中と答えたものの、道士服というのもよくわからないし


そもそもこれからの事なんて全く考えていなかった鎮は


返答に困り、何か良い返答はないかと頬を掻いて考える。




「やっぱりお前もここにいたのか」




その瞬時、背後から落ち着いた声が聞こえた。




「父様」




先程 平 昌宜と名乗ったこの人はどうやらこの家の主人らしい。


その割に少し若く見えるのは、この人の童顔のせいだろうか。




「どうも」




昌宜も隣に座り込んだので、挨拶をするとまた豪快に笑われた。



そんなに面白いことを言ったつもりはなかったけど…




「はは。君は堅いな。

そして桜は本当に人懐っこい。

君たちを足して割ったらちょうど良さそうだ」




嬉しそうに話す昌宜の言葉の後


桜とお互いの顔を見合わせ、ふっと笑った。


確かに驚くほど顔は瓜二つだが、性格や雰囲気はまるで違う。


ほとんどが対照的だ。


同じ形のようで重ねて見ると全然違う花札のようだと思った。




「お、やっと笑ったな」




そう言われて、今まで自分が笑ってなかったことに気づく。




「君は笑顔が可愛いな」




男なのに可愛いなんて言われると喜んでいいのか


なんとも複雑な気持ちになるが、


そう言われて無意識に肩の力が抜けた気がした。


この人の情調は不思議だ。


初対面なのに隣に居ると気が休まる。




「なあ鎮少年、桜と何を話していたんだね?」



「それは、」



「あ!そうなんです!父様!

鎮ったら、このご時世にあてもなしに旅をしていたらしいんですよ!」




鎮の肩を掴んで桜が話に割って入ってくる。




「そうなのか?」




代弁してくれた桜の話を聞いた後に、昌宜は鎮の顔を見直し問いかけた。


 


「はい。あの、このご時世というのは」




桜のその一言が気になり問い返す。




「都は警備がしっかりしているから知らなかったのかな。

半年ほど前からここらの田舎じゃ動物や、民が襲われる事件が多発しているんだ。


そのせいで皇家に対して反発する輩も出てきた。

治安がいいとは言えないな。


男だからといっても一人旅なんてとてもおすすめはできないな」




なるほど。民や動物達が襲われるというのは確かに由々しき事態。




「両親は心配してないのか?」



「事情がありまして、僕の両親はもういません」




どうとでもいえたが、嘘をついたってしょうがないと思い正直に告げた。




「そうだったのか…すまない不躾だったな。旅というのは、なんの目的で?」



「ただの宿無しです。親戚もいないので、田舎でひっそり生きようと。」



「そうなのか…」




鎮の答えに対していちいち自分の事のように


悲しげな表情を浮かべる昌宜を見て何だか不思議な気持ちになった。



こんなにもいちいち他人の気持ちに寄り添う人間がいたのかと。


呆ける鎮に対して、何やらうーんと頭を抱える昌宜。




「なあ鎮。もう、ここにいたらどうだ?父様、どうですか?」




そんな二人の間にまたもや桜が割って入ってくる。




「え」




その突拍子も無い一言に間抜けな声が出た。




「おお、そうだな!今更家族が一人増えようが大したことは無い。

兄妹達の面倒も見てくれるってゆうならむしろ大歓迎だぞ」




二人は戸惑う鎮を置いて目を輝かしながら話していた。


確かに、この家は他の家より大きい。


情報量も一人で探るよりか多いだろう。


下手に単独で動き回ってその攻撃運動の輩だと


間違われても面倒だし、野宿も危ないだろう。



となれば、答えは一つ。




「よろしいのですか」




昌宜の方に姿勢を向き直し告げる。




「もちろんだとも!今日から君も私達の家族だな」




(また、自分の事のように喜ぶんだな…)





無骨な手で鎮の手をとり、包み込む。


その手は血豆やささくれで荒れていてチクチクと痛んだが、


手よりもどこか違う所に針を刺されたような痛みが走った気がした。




「良かったな!鎮!なぁお前、呼名(こめい)はなんて言うんだ?」




後ろから抱きつくように桜が飛びついてきた。




「…こめい?」




耳慣れない言葉に戸惑う。




「ああ!都のやつは呼名がないのか?」




いけない。僕はこの世界の知識が無さすぎる。


住み着くのならそれを誤魔化す理由を考えなければ。




「すいません、言ってなかったのですが

旅の道中転んで頭を強く打ってしまったんです。

それから色々記憶があいまいな事がありまして」



「そうなのか!?鎮少年、怪我はもう大丈夫なのか?」




昌宜は大袈裟に鎮の頭の怪我を探そうとする。


咄嗟についた嘘なのにこんなにも親身に心配されると戸惑う。




「それはもう平気です」



「そうか、ならいいのだが」




慌ててそう告げると安心したように微笑んだ。




「あ、ちなみに呼名ってのは

親しい仲や親族の間で呼び合う時だけに使う名前のことだ。


授名(じゅめい)ほどでは無いけど、

外部の人間に名乗る時に使うことはほとんど無い。


皆、俺の事をサクと呼んでいる。花が咲くのサク、それが俺の呼名だ」



「じゅめい?」




桜が分かりやすく説明してくれたのに


またわからない言葉が出てきて話が進まない。


異世界に住み着くというのは思っていたより苦労しそうだ。




「ああ、そっか!そうだよな!普通は苗字と、名が3つあるんだ!

俺で例えると、苗字は平、字は桜、呼名は咲、


授名はー、秘密だ。授名は母と主人、そして

自分だけしか知らない特別な名だ。


字と呼名は類似してる事が多いな!

この決まりは神皇家(じんのうけ)が制定した事だ。


占術やら呪いやらそういった物に利用されるのはそいつにとってより特別な名。

だから字よりも特別な授名と呼名を作らせるようにしたってわけだ。


って、急に沢山話したが、わかったか?」




呪いや陰陽師などは何かの本で見たことがあったが


この世界にはそういったものが実在するようだ。



(というか、僕の名前ってひとつしか無い)




「はい。理解出来ました。

ただ、それなら僕が名乗った名前は何にあたるのでしょうか」




思ったことを素直に問う。


多分この世界だけの決まりだから、僕にはそもそも


呼名も授名も存在しないのだろうけど。




「その名しか知らないのかい?」



「…はい」



「それならその名が字じゃなかった場合を想定して

新しく作ろう。もし、鎮が授名だったら、今後色々面倒になるだろうからな」




確かに本当に呪いを生業にする者が存在するのなら


いくら僕が別の世界の人間とはいっても危険だ。




「いいですね!父様!何がいいかな〜?」




そう言いながらサクは鎮をまじまじと見つめる


昌宜はさっきの千鶴と同様に鎮の瞳をぐっと見つめてきた。



…なぜ、目を。




「君はとても純粋に見える。まだ知らない事が沢山あるのだけろう

ただ、芯はとても強い子だ。そうではないか?」




じっと鎮を見据える瞳はどこか寂しげだった。


その含みを不思議に感じながらもあながち間違ってはないと思った。




「はい」





その返答に桜も鎮をじっと見つめた。




「これから知っていこう。自分も、今も。

ただ、その心を自分の信じたもので染めてくれ。

君の字は仁(ジン)。今日からそう名乗りなさい」




月明かりに照らされ、夜風が髪を揺らした。


この世界で生きていく、新しい自分を授かった。


鎮という存在は純粋ではあるが


きっと無垢ではない。


何もかも捨て置いてきたとはいえ、僕の手は既に錆び付いた鋼のように



落としても落としきれない穢れがまとわりついている。



仁。新しい名。





たったそれだけで


何か別の者に生まれ変われた気がしたんだ。

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