第9話 おばあちゃんが死んだみたいに

 五日前には、素晴らしい画家兼素晴らしい教師として総勢五名の美術部員の前に立っていたというのに、いまや僕は世間を欺いた詐欺師として、三人の美術館員とテーブルを挟んで座っていた。

 彼らは揃って、怒ったような申し訳ないような、ひどく曖昧な表情をしていた。実際、本人たちもどう思っていいのか分からないのだと思う。過ちの元凶は僕だが、それを評価して世間に向かってばらまいたのは、彼らの仕業なのだ。

 彼らは制服は着ていなかった。その代わりに、三人とも仕立てのいいワイシャツを着ていた。向かって右に座っていた痩せた神経病みのような青年は、薄いグレーのワイシャツのボタンを、几帳面に喉元までしっかりとかけていた。

 彼らはこれから、僕に対して死刑宣告をしようとしているのだ。

「これを見てください」真ん中に座っていた初老の男が言った。彼は市立美術館の館長だった。「今週出た美術評論誌のコピーです」

 僕は差し出されたコピー紙を受け取って、書かれている記事を視線で撫でた。

 そこにはまるでゴシップ誌のような文章で、とある絵の描けない抽象画家のことが書かれていた。だいたい、このような調子である。


 ……ところで、私はここである画家を紹介したい。彼の絵は、ときに一枚百万円単位で売れる。彼の画風は脱リアリズムであり、彼の評価されている点は、その徹底的な抽象表現にある。一見何も語らないかのようなその絵が、実はおそろしく深遠な意味を秘めているのだ。そして、バイヤーはその深遠な意味に対して金を払う。絵の鑑賞者たちは皆、その絵が何を語るのかを探るために、こぞって彼の展覧会へ出かけている。彼は一流の職業画家である——と言われている。

 私は先日、彼の代表作(縦二メートル×横四メートルの巨大なものだ)をニューヨークのとある画廊のバイヤーに見せる機会があった。彼の反応はこうだ。

「もし君がこの絵の評価を求めているんだとしたら、この番号に電話をかけてごらん。だいたい五十ドルの値がつく。君が受け取るんじゃないぜ? 払うんだよ。なんたって、これは粗大ゴミ回収業者の番号だからね」

 私はもう少し控えめに表現しようと思う。彼の作品は、彼がキャンバスに乗せた絵の具の分の価値すらない。なぜなら、この世界には減価償却という制度が存在するからだ……


 以下延々と続く。

 僕がコピーをテーブルの上に置くと、館長は沈痛な面持ちで話し始めた。

「この記事があなたについての記事だというのは、誰にでも分かります。あなたはこの記事の書き手によって批判されている。もっとはっきり言ってしまえば、あなたの描く物に価値はないと言われている。それはお分かりですね?」

「よく分かります」と僕は答えた。

「よろしい。もしこれがそのあたりの三文ライターの書いたような記事であれば、我々は鼻で笑い飛ばして言っていたでしょう。『評価されているものに喰らい付くのが賢いと思ってる奴がいるんだ』とね。しかしこれはそうではない。この記事には影響力がある。おそらくそれほど長い時間をおかずに、あなたの絵の評価はガタ落ちです」

 彼は額の汗を拭った。

「マノヨシコの影響力は絶大です。こうなってしまっては、我々も堂々とあなたの作品を展示しているわけにもいかない。他の美術館も同じでしょう。あなたは画家として、死刑宣告をされたも同様です」

「つまり」と僕は言った。「返品希望ということですね?」

 三人が沈痛に頷いた瞬間、神経病みの灰色の襟元から、ぷちんと小さなボタンが弾けて飛んだ。


*


 ところで、一度だけだが、僕はカズミの母親と会ったことがある。カズミを家まで送っていったときに、玄関まで出てきた彼女と出くわしたのだ。マノヨシコは、四十二という年齢にはまるで似つかわしくない女性だった。華奢で小さな体の上に乗っかった顔はやはりパンケーキによく似ており、白髪の混じったストレート・ヘアーを中学生のバレーボール部員のように短くしていた。

「あなたがカズミの友達だというのは、あまり気に入らないわね」と彼女は言った。

「今初めて知りましたよ。僕が彼女の友達だったというのはね」と僕は言った。

「どういう意味かしら?」

「さて」と僕は言った。「僕たちはいったい何なんでしょうね? それがよく分からないんです」

 マノヨシコは娘を家の中に入れるとドアを力任せに閉め、僕を巨大な玄関の前に一人取り残した。ドアの向こうからは、「とっとと出て行け、このとんちき野郎!」という罵声が聞こえていた。

 思うに、マノヨシコは四十二という年齢にはまるで似つかわしくない女性である。彼女には子供っぽい部分が目に付く——というよりは、ほとんど子供の部分しか残っていない。


*


 美術館からやって来た死刑執行人が帰ってしまうと、僕は一人で屋根裏部屋に上がり、ベッドの上に転がり込んだ。ベッドは柔らかだった。ベッドは何物をも柔らかく受け止めるために存在している。死刑宣告を受けた画家を受け止めるぐらいは朝飯前だろう。

 僕もまだ朝食をとっていなかった。というわけで、十分ほどベッドの上で目を閉じていると、確かな空腹が僕をじわじわと襲撃し始めた。

「お腹が空いた」と僕は口に出してみたが、もちろんそんなものには誰も返事をしなかった。そこで、その後は黙って台所まで下りて行き、食パンと、冷蔵庫にあったチーズで簡単なサンドウィッチを作った。サンドウィッチはとても良い出来だった。

「だからなんだ? なんでもないさ」僕はサンドウィッチを齧りながら呟いてみた。

 たしかになんでもない。僕は仕事と名声を失っただけだった。食欲だって、食料だって、寝床だってきちんとある。別に、素寒貧になるまでひん剥かれたわけではない。

 僕にはもう一つ失いかけているものがあった。カズミだ。

 その時点で目下一番の心配事は、カズミから出された宿題についてだった。実際僕は、美術館が僕の作品を返品しようとしてくれたおかげで、カズミの問いに対する答えを準備する猶予期間ができたとさえ思っていたほどである。出来の悪い小学生が先生に立たされているときに、思いがけなく祖母の訃報が舞い込んできたようなものだ。

 先生は言う。「分かりました、早く家に帰りなさい。残りは宿題にします」

 よくやった、僕の恥さらしな作品たちよ! 安らかに眠れ!


 今では僕の恥さらしな作品は、全てサイトウ氏の所有物になっている。合宿中の課題の代わりに、一枚残らず彼に送りつけたのだ。サイトウ氏がそのキャンバスの山をどうしたかについては、僕の知るところではない。


 僕はカズミの怒りに対する答えを保留したわけだが、その最も明確な答えは、もちろんレジナルド・コーウェンの著書に記されている。しかし僕がそれを発見するには、カズミが合宿から帰り、学校の夏休みが明け、休み明けのテストが終了するのを待たなければならなかった。その間、彼女は僕と一度も顔を会わせようとしなかった。

 僕がなかばふてくされながらベッドの上で発見したその箇所は、こう始まる。

「さて皆の衆! 用意ができたなら聞くがいい! 私が魂を記す方法を教えてやろう!」

 さてみなさま、用意はできただろうか?

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