第5話 パリは解放された

 バスケットボールの試合中継や、美味しい料理とマグナ・カルタの情報トレードに見られるように——また、僕の好意に対する彼女の振る舞いにも見られるように、カズミは常に天秤の釣り合いを保とうと努力する人間である。その努力をもってすればクラスの人気と信頼など簡単に勝ち取れそうなものだが、学校内で僕が観察する限り、彼女はまず間違いなく周囲から煙たがられている。常々そのことは不思議に思っていたのだが、それについては、彼女自身が実に明確な答えを出してくれた。

「そんなの、誰も私を求めないからよ。あなたは私を求めた。そこの違いだわ」

 彼女によると、近年では、なにも求めないことがクールで良しとされているのだそうだ。その論理からすれば、世界で一番クールなものは——僕が考えるに——死体である。


 僕は死体ではないので、なかなかクールにはなれない。カッとなることも多いし、自分で自分が情けない思いをすることもしばしばだ。嫉妬心だってずいぶん強い。

 カズミが話す言葉の中に男の名前が混じるたびに、僕はどうしようもなく、その男を地下深い牢獄の中に詰め込んでやりたい気分になる。僕は一回りも歳が違う少年に対して嫉妬しているのだ。才能の無い画家でも、一人前に独占欲はある。

 それから、嫉妬ということならカズミに対してだって僕は嫉妬している。二度目の授業で、僕は生徒たちに静物デッサンをさせたのだが、そのときの彼女の絵と言ったら! 彼女の描いた広口ガラス瓶とテーブルクロスは、実に正確で鋭い視点でとらえられ、素晴らしく高度な技術によって表現されていた。

 カズミの絵に関する才能——これは間違いなく本物である。しかも、聞いて欲しい。進路指導の教師から聞いた話によれば、彼女の希望進路は地方公務員になって、市役所勤めをすることだそうだ。

 ひいひいと息切れしつつ、なんとか小手先と口先で仕事をやっつけている画家の目の前にいながら、なんたる才能の無駄遣い!


*


 つい先ほどまでカズミが僕の隣にいて、この文章をざっと読んでいた。彼女は僕を間抜けの王様には認定してくれなかったが、代わりにこんなことを言っていた。

「自分を蔑むのは大馬鹿野郎のすることよ。すごく不愉快。私帰るわ。しばらくここには来ないと思う」

 僕は彼女の言葉を胸に刻みつつ、しばらくの間一人の時間を堪能するとしよう。レイカーズのディフェンス・システムについて話し合える相手がいなくなったのは寂しいが、友達もいない人間が一人で椅子に座っていれば、文章だけははかどるはずだ。


*


 ついでに、彼女が去り際に残したもう一つの忠告を紹介する。

「まるっきり誰かさんの物真似じゃない」と彼女は言った。「優れた小説家は自分のスタイルを持っているものよ」

 彼女のこの言葉についてもちろん異論はないが、僕としては、ここで小説を書いているつもりはない。最初に書いた通り、これは一年間の歳月を説明するための、それだけの文章である。プラクティカルな歴史の記述——それこそ僕が欲したものだ。

 小説は想像力を必要とする。それに対して歴史に必要なのは、時間だけである。もしこの文章に起伏が無いと感じるのならば、それは時間というものが常に公平であるせいだ。

 僕はこれ以外に、世の中で真に公平であるものを知らない。ゆえに、僕は歴史の記述を繰り返す。

 公平! 公平!


*


 さて、そこで歴史の記述とやらに戻ろう。

 何度目かの授業が終わり、学校が夏休みに入る頃になると、僕はあの顔中の皺をぴちっと伸ばした校長に呼び出された。僕はどちらかというと上手くいかない未来を想像することが多いが、このときもてっきり講師不適格として事務的に解雇を言い渡されるか、そうでなければカズミとの関係——と言っても、そのときにはまだ二回ほど一緒に食事をしただけだった——を理由にセンセーショナルにクビを切られるのか、どちらかなのだろうと予想していた。特に講師の職を失って困るというわけでも無かったが(カズミの個人的な連絡先は既に聞き出していたからだ)、カズミの日常に触れられなくなるのは、少々寂しい。

 しかし、皺伸ばしの白頭男は「いやあ、あなたの指導は生徒の間でも評判が良いですよ」と前置きしてから、僕に一つの提案を持ちかけてきた。

「先生、再来週の月曜日から一週間、お時間は空いていますかな?」

「ええまあ」と僕は彼の頭の少し上を見ながら言った。「特に急ぎで何かをしなければいけないということはないですね」

「それは良かった」と彼は言った。「実に良かった」

「どういうことでしょう」

「お頼みしたいことが一つあるんです」

「なんです?」

「再来週の月曜日から一週間、うちの美術部の合宿に同行願えませんかね?」

「どうして?」

「あなたが素晴らしい画家であり、素晴らしい教師だからですよ。もちろんサイトウ先生もご一緒しますが」

「サイトウ先生?」

「ご存知ないですか? 美術教師で、美術部の顧問の先生です」

「ああ」と僕は言った。「知らなかったですね」

 彼は少し不愉快そうに眉をひそめてから、また何でもないというように皺をぴっちりと伸ばして、にっこりと微笑んだ。心底安心したというような、完璧な作り笑いだった。

「それで、ご了承してもらえますか?」と彼は言った。

「もちろんいいですよ」

「それは良かった」

「ええ。でも一つだけいいですか?」

「なんです」

「あのですね」と僕は言った。「ちょっとした疑問なんですけど、なぜ僕が素晴らしい画家で素晴らしい教師だと思うんですかね?」

 そのあたりのことが、僕にはどうしても分からない。


 僕が生徒たちに教えようとしたのはこういうことだ。

 三度目の授業のときに気付いたのだが、美術を教えるのはひどく容易い。描け。ただそれだけだ。あとは「空気の流れを意識するように」などという具合に、気の触れたようなことを言えば、だいたいの生徒は納得する。あるいは納得したつもりになる。技術はいらない、とでも言えば、「それこそ芸術」と手を叩き始める輩も出てくるかもしれない。

 それでも、ほんの一握りの頭の良い生徒はこう言うだろう。「先生、精神論はどうでもいいから、ちゃんとしたデッサンのやり方を教えてください」——もし請われたら、僕はこう答えるつもりだ。

「やあやあ、よく言った! もう僕に教えられることは何も無い。あとのことは君が全部知っているよ」

 僕が言いたいのは、何かをしようと思ったら意思も方法も両方必要だということだ。たいていの人間は、一般的に言って、方法が水準に達していないことが多い。そのことを知っていれば、少しはまともになれる。


*


 僕はいまや素晴らしい画家兼素晴らしい教師として、総勢五名の美術部員の前に立っていた。五人という数字が高校の美術部員として多いのか少ないのか、僕にはよく分からない。

 僕のご存知なかったところのサイトウ先生は、常に不愉快そうな表情を浮かべた、樽のような体つきの中年の男だ。彼はサイズの大きい紺のスラックスと、サイズの小さい白のポロシャツを着ていて、やや薄い頭にチューリップハットをかぶっていた。

 彼は合宿地に向かう電車がやって来る前から、不愉快そうに自分の教え子達に向かって何やら合宿中の心構えを説法していた。この合宿は普段と異なった環境に我が身を置き、それによって創作の意欲を云々。しかし僕が思うに、これから泊りがけの旅行に行く女子高生を黙らせるには、おそらくムッソリーニかヒトラーが必要である。

 僕はファシズムの敗北の歴史を思い出しながら、几帳面にも総勢五名の点呼を取るサイトウ氏のべとついた声を聞いていた。

「イワシタ、ヤマモト、クニミ、カナクラ、マノ」と彼は言った。

 マノ以外の四人は、パリが解放されたかのような元気の良い返事をした。

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