第4話 二等辺三角形についての見解

 カズミの通う高校は、僕の家から電車で四つ向こうの駅のすぐそばにある。車でなら、だいたい三十分。ちなみに、僕と彼女の邂逅のきっかけとなった市立美術館は、我が作業場から歩いて二十分かかる。この三つを地図上で結べば、底辺の短い、きれいな二等辺三角形ができあがるだろう。

 僕は一度、二等辺三角形について絵を描こうとしたことがある。だが結局、二等辺三角形についての絵なんて、到底描くことはできなかった。幼稚園児でも分かりそうなものだが、二等辺三角形についての絵を描こうと思ったら、二等辺三角形そのものを描くしかない。

 これはだいたい、絵に限らずどんな物にでもほぼ普遍的に適用できる。例えば一年の歳月について文章を書こうと思ったら、一年の歳月をそのまま書き写すしかない。

 僕はそうしている。


*


 さて! 続き、続き!


*


 だいたい一通りの身だしなみチェックを終えてから、僕はカズミの学校まで、自分のチンクエチェンタをすっ飛ばした。世界中にこの車のファンがいるのがよく理解できる車だ。走るのにはおそろしく向かないが、自分の手で動かしているという感覚を深く味わえる車である。

 僕は運転中、ギアをかくかくと上げ下げして遊びながら、彼女の言ったことを頭の中で何度も復唱していた。僕は世界まぬけコンテストのチャンピオンだ。それも、あと十年は安泰らしい。

 これはいかなる事実を指し示すものか? 一つには、あの年端もいかない少女が紛れもなく本物の目をもっているということ。そしてもう一つには、僕は少なくとも「まぬけ」と評されるぐらいには彼女の心を動かしたのだということだ。

 しかも僕はまぬけの王様だ! 

 そういうわけで、学校に到着するころには、僕の気分はかなり良くなっていた。駐車場に車を止めて、親切な事務員と窓口越しに対面するときなど、両手で握手まで求めたものだ。彼女は電話のときと変わらぬ親切さでもって僕の握手に応え、とても礼儀正しく僕を校長室まで案内してくれた。


 校長は五十過ぎの白髪の男で、僕を見るなり顔中の皺をぴんと伸ばして、とても好意的な笑みを浮かべた。人を出迎えることに慣れた人間の顔つきだ。決まりきった挨拶と追従が終わると、彼は威厳たっぷりに黒い革のソファに身を沈めた。

「それで、今日はどういう用向きなのですか?」と彼は言った。

「そうですね、就職活動といったところです」

「就職活動? どういうことですかな?」

「そのままの意味です」と僕は言った。「僕をここで雇っていただきたい」

 何事も、押しの強い人間がなにかを得る——世の中の鉄則である。そのことを嘆く権利は、世界中の何人たりともこれを有していない。だいたいそのようにして僕は女子高校への潜入に成功し、また、校長を上手く丸め込んだ結果、美術の特別講師を務める名誉を得た。


 特別講師!


 世の中には教えるのが得意な人間と教わるのが得意な人間がいるが、僕は明らかに前者である。それも、あまり有用とは言えないことを教えるのにかけては、目を見張るべきものがあるだろう。

 例えば、ミッション系の女子高に通っていた女の子は、僕のレクチャーを受けた結果、大学受験を蹴って作家になる決心を固めてしまった。先生が表現の方法を教えてくれたのよと彼女は言うが、それは違う。僕が教えたのは、いかに自分が才に恵まれた人間であるかを信じる方法だけだ。

 僕は、なにかしら素晴らしいものが、その素晴らしさを発揮する機会すら与えられないままに埋もれていくことを、この上なく悲しむ。僕はおそらく自分の両親が亡くなっても特に惜しいとは思わないだろうが、才能のある人間が、本人はそれと気付かぬまま、なしくずし的に世間の枠の中へと進んではまりに行くようなことがあれば、真剣にそれを惜しみ、できる限りの尽力をするだろう。

 これはスノッブな芸術至上論ではない。これは、僕がいかに講師という実際的な仕事に向かないかという告白である。しかしまあそれでも構わないだろう。なんといっても、僕はカズミにもう一度会うためだけにここにやって来たのだ。


*


 そういうわけで、初めてのコンタクトから一週間ほどの後、僕とカズミは二度目の邂逅を果たした。最初の授業の後に僕は彼女を食事に誘ったわけだが、それについては既にあなたの知る通りである。

 とは言え、もちろん始めから彼女が乗り気だったわけではない。その日の僕とカズミの会話をご覧にいれるとしよう。小さな美術準備室で我々は向かい合い、彼女はまるで大嫌いな親戚に出くわしてしまったような、ひどい顔をしていた。

「つまり」と彼女は言った。「あなたはわざわざ私を誘うためだけに、特別講師なんていう、どしゃ降りの日の靴下みたいな仕事をかってでたわけ?」

「だいたいそういうことになるな」と僕は言った。「それと、特別講師はどしゃ降りの日の靴下ほどひどくはない」

「ひょっとして、この間の私の言葉を侮辱とは受け取らなかったのかしら」と彼女は僕を無視して続けた。

「もちろん、僕だって君の言葉には多かれ少なかれ傷ついた。でもそれは大した問題じゃない」

「どうして?」

「傷ついたらどうだというんだ? もちろん、自分の中の傷が癒えるまでじっとしている人間もいる。それはそれで構わない。でも、それは僕のやり方じゃない」

「じゃああなたはどうするの?」

「簡単だ」と僕は言った。「まず起き上がる。それから髭を剃って、歯を磨いて、身だしなみを整えたら、何が僕を傷つけたのか、その正体を見極めに行くんだ」

 これは楽観論である——あるいは空元気でもある。しかし人生において、この二つが効力を発揮する場面のなんと多いことか!

 今回も上手くいった。彼女は余裕のある態度で沈黙を鮮やかに使いこなし、まず僕の誘いを承諾すると、それから先日の非礼を簡潔に詫びたのだ。良い兆候。まずは第一関門クリアといったところだろう。


*


 今、僕を傷つけた張本人は、僕の家のリビングのソファーに寝転がりながら、テレビでバスケットボールの試合中継を見ている。もともと特に興味があったわけではなかったらしいのだが、あるきっかけで、レイカーズの試合観戦は、彼女の大切な儀式となったのだ。

「これも公平な態度の一つよ」初めて中継を観戦した日、カズミはそう言った。「なんでも一度は試してみなくちゃ」

 僕が面白いかと訊ねると、彼女は横目で試合の様子を逃さないようにしながら、「私こういうの、結構好きよ」と言った。それ以来ゲームのある夜になると、彼女はうちにやって来て、中継を二時間見てから帰っていく。折しもちょうど今、彼女から「どうせ世に出ることのない書き物なんか止めて一緒に観戦しないか」というお誘いがかかったところだ。

 そうすることにしようと思う。それでは、ちょっと失礼。

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