第2話 彼女は神様だ!

 カズミは決して美しくはない女性である。顔の輪郭はおそろしく丸い。それに加えて、それぞれのパーツが互いに「とんでもない奴と出会っちまった」とでも言いたげにバラバラに居座っているために、結果としてひどくパンケーキに似た顔をしている。そういうものに似てしまう人間というのがいるのだ。

 それから内面的なことを挙げると、よく意味もなく不機嫌になるし、性格はうじうじしているくせに攻撃的である。少ししつこいヒステリーの気があって、一度正気を失うと一週間ぐらいは何事もまともにこなせなくなる。口のきき方はおそろしく生意気だし、反省というものをあまりしないし、基本的なところで「世界は自分に対して借りがある」と思っているフシがある。出会ったころからそういう人間だったし、今でもそうだ。

 たいていの人間は、もちろん最初に会ったときから彼女のことを嫌う。あるいはもう少し穏便に、以降の彼女とのコンタクトを慎ましくご辞退申し上げる。彼女の教師や、クラスメイトもそうした。

 しかし、もしあなたが稀に見る忍耐力の持ち主で、彼女とのファースト・コンタクトに我慢できたとしたら、二度目は食事にでも誘ってみるといい。僕はそうした。


「このスズキ、美味しいわ。私、美味しい料理って大好き」

「それは良かった」

「そう。良かった。ところであなた、マグナ・カルタが西暦何年だったか知っている?」


 もし運が良ければ、あなたもこのような会話にありつける。

 ノー・サンキュー? そんなことを言わずに、もう少し続きを聞けって!


 僕が彼女の問いにどう答えたかはよく覚えていない。だいたい、マグナ・カルタが西暦何年だったかさえ、僕は思い出せない。マグナ・カルタがどういうものであるのか、説明できるかどうかも疑わしい。そういうわけで、僕が彼女の質問に正解できなかったことだけは確かである。

 カズミは質問の答えは教えてくれなかったが、質問の意図は教えてくれた。

「私は今、『美味しい料理が好きだ』っていう私に関する情報をあなたに与えたんだもの。私もあなたのことを何か一つ知らなければ、公平じゃないわ。今の質問で、私は『あなたはマグナ・カルタが西暦何年だったかを知らない』ということを知った。これで公平というものじゃない?」

 彼女の論理はすばらしい。いまや、彼女は僕が与えた好意に対して、完全に公平な態度でもって応えてくれている。もし、あなたがカズミに好かれていないと感じるのなら、それはあなたが彼女を好いていないせいだ。

 この状況に良く似た言葉を僕は知っている。

「Heaven holds a place for those who pray.」

 彼女は神様だ!


*


 しかし、カズミが現実的に誰かを救ったという話はあまり聞かない。どちらかと言えば——あるいはどちらかと言うまでもなく、彼女の言動は人を滅入らせる方に向いている。

 事実、初めて彼女に出会ったとき、僕は危うくそれからの一ヶ月を、自分の殻に閉じこもって過ごしてしまうところだった。彼女は校外学習で僕の絵を見にやって来た生徒の一人で、見学を終えた後、手紙を書く時間も惜しんで僕の作業場(アトリエなんてそれらしい言葉を使うつもりはない。そのぐらいはわきまえている)に殴り込んで来たのだ。


 僕の作業場は外国人向けの住居をそのまま転用したもので、リビングとダイニングの他に部屋が五つと、屋根裏部屋まである。当然僕の住居も兼ねているのだが、彼女が我が家にやって来たとき、僕は自室にしている屋根裏部屋でうたた寝をしているところだった。何かをするのが罪に思えてくるほどの、よく晴れた五月の午後のことである。

 カズミはまず、我が家の呼び鈴をなかなか死なない虫けらを叩き殺すかのように連打し、それから僕が出てこないとなると、今度はやや大きめのトカゲを虐殺するような要領で分厚いオーク材のドアを蹴り始めた。彼女にとって幸運なことは、我が家の周りは午後になると人気がまったく途絶えてしまうことだった。しかし、後になって考えてみるに、もし僕の家が都心のど真ん中にあって、通りすがる人々がみな彼女をじろじろ眺めていたとしても、彼女は全く同じことをしただろう。

 屋根裏部屋のベッドの中、彼女の容赦ない殺戮によって、僕は夢うつつの状態から強制的に現実へと引き戻された。それからしばらく黙って何が起こったのかを考え、最終的には、ついに騙されたことに気付いた美術館の担当者が、怒り狂って僕の絵を返品しにやって来たのだろうという結論に至った。その方が良かったのかもしれない。

 とにかく玄関まで下りて行き、ドアを開けたところに立っていた女を見たときに僕が考えたのは、「どうして美術館の担当者が高校の制服を着ているのだろう」ということだ。うたた寝の途中だったこともあって、判断力は五月の陽炎の向こうに霞んでしまっていた。

 僕は眠い目を二、三度こすり、それから女に向かって「なんで制服なんだ?」と尋ねてみた。女は眉を吊り上げていた。

「あのとんちきな物を作った人間はあなた?」と彼女は言った。

「どのとんちきだい?」と僕は言った。

「市立美術館にある『青の光』よ。口にするのもおぞましいタイトルをわざわざ思い出させてくれてどうもありがとう」

「ああ、あれなら——」

「ありがとう。どういたしまして。感謝をされたら礼を返すのが常識でしょうに、あなた、そんなこともできないわけ? ロクなもんじゃないのは作るものだけじゃないのかしら?」

「文脈から言って、今のは感謝されたわけじゃない」と僕は反論したが、そんなものは彼女が完璧に無視した。

「あなたがあれを作ったのね?」

「ああ、そうだ。たしかに僕が作った」

「じゃあ聞きなさい。いい? 私がわざわざ貴重な時間を割いて、美術館からみんなの制止を振り切ってここまでやって来たのは、あのとんちきをこの世に送り出した人間に向かってこう言うためよ」

「なんて?」

「おめでとう。あなたは世界まぬけコンテストのチャンピオンよ。あと十年はその座も安泰ね」


*


 僕はまだこの文章をカズミに見せてはいないが、彼女がどういう反応を示すか、だいたいの予想はつく。おそらくこうだ。

「おめでとう。あなたは世界まぬけコンテストのチャンピオンよ。あと十年はその座も安泰ね」

 彼女にとって、僕は出会ったときからそういう人間であり、今でもそうである。

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