ピエロ・ダンス

宮上拓

第1話 空飛び火星人

 カズミは僕のライバルである。

 それはつまり、彼女は僕にとって敵であり、羨望の的であり、そしてこういうことを言うには勇気が要るのだが、憧憬の的でもある、ということだ。我々は一年前に知り合い、それからの期間をだいたいそのような関係で通した。付け加えるならば、カズミは十八歳の高校生であり、僕は三十歳の一社会人である。僕がついさっき「勇気が要る」と書いたのは、つまりそういうことだ。


 僕はたしかに三十歳である。そのことはすでに書いたが、僕は一社会人であるという部分は訂正した方がいいかもしれない。少なくとも社会に何か貢献しているとはとても言い難いし、社会的な活動をしているとも思われない。大人しく税金や保険料を払っているぐらいのものだ。

 数少ない友人がこんなことを言っている。

「オーケー、オーケー。君は立派に社会人だ。火星人が空を飛ぶぐらい、それは確かさ」

 僕が本当に火星人は空を飛ぶのかと尋ねると、彼は続けた。

「火星人なんてものはいない」


*


 そういうわけで、僕は自他ともに認める非社会人である。僕の母は、僕のことを贔屓目に「芸術家」と呼ぶ。最初のうちは母なりの皮肉だとも思っていたのだが、どうやらそういうわけでもないようだ。まあなんと呼んでくれても構わない。言われてみれば、たしかに画家という職業は芸術家の仲間に入らないでもないような気はする。


 画家!


 そう。僕は絵を描き、それを売って物を食べていた。地元高校の校外学習の見学コースに入っていた程度には有名だ。

 はたして、高校生に僕の絵の価値が理解できるのだろうか? もちろんできるはずもない。僕の作品を鑑賞した高校生からの手紙を読めば、それは一目瞭然だ。ここにもちょうど一通。

「先生の作品を見て、目からうろこが落ちる思いでした。私は学校で美術部に入っているのですが、今までは上手く描くことに躍起になっていました。でも、美術の本当のところって、そういうものじゃないんですよね。先生の作品は私にそれを気付かせてくれました。あの一見無秩序な線が何を語っているのか——あれこそ美術だと思いました。何を描くかではなく、何を訴えるのか。これからはそれを常に頭の中に置いて、頑張っていきたいと思います。それではお体に気をつけて。 ○○高校 三年二組 ○○○○」

 ああ、なんと分かっていないことか! 僕の作品にはなんの価値もない。ここであなただけに教えるが、僕は代表作である「青の光」を三十秒で描き上げた。手順? それもお教えしよう。まず真っ白なキャンバスを用意して、その上に溶いた絵の具をバケツからぶちまけたのだ。かかった三十秒というのは、キャンバスを床に置いて、バケツに絵の具を溶くのに要した時間である。

 僕は絵が描けない。誓って、現在評価されている僕の作品は、三歳の女の子が自分の顔に塗りたくる母親の口紅と同じぐらいの価値しかない。もしもその子の母親がブランド好きであったなら、もう完全に僕の負けだ。


 ところで、我がファンである高校三年生は、僕の仕事を見て目からうろこが落ちたらしいが、それぐらいでは大したことはない。僕が絵の道に入るきっかけになったのは、トマス・ライダーという現代アートの作家だったが、初めて彼の作品を美術館で見たときに、僕は目から大量の涙と、鼻から大量の血を噴出すことになった。彼のあまりにお粗末な「アート」が、突然僕の顔面めがけて倒れ掛かってきたのである。

 僕の作品は、見る人間に危害を加えないという点から見て、トマス・ライダーを上回ることはなんとかできたようだ。良きかな、良きかな。


*


 さて、インチキ画家であることについて良心が痛むことはないのか、と僕に質問したのはカズミである。この質問は、彼女が僕にした質問の中でもっとも愚かなものだと言わざるを得ない。

 これは僕の答え。

「放射線技師であることに良心の呵責を覚える人間がいるか?」

 インチキ画家は芸術家ではない、ただの職業である。そういう意味だ。カズミはそれですぐに納得した。


*


 よろしい! そういうわけで、そろそろ話を前に進めることにする。自己紹介にも飽きてきた。彼女と僕がいかなる意味においてライバルであるのか、きちんと説明してみよう。すなわち、十七歳の高校生の女の子と二十九歳の青年がどのようにして出会い、どのようにして打ち解け、どのようにしてお互いを「まあ悪くはないじゃないか」と思うようになったのか。

 この小説はそのための文章である。わずか一年の歳月を説明するための、ただそれだけの文章だ。みなさまご期待の「歳の離れた二人の恋愛物語」なんかでは全然ない。

 けっして! けっして!

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