Dandelion ―たんぽぽ―
「おばあちゃーん!」
孫のチカの声に香山シズ子はハッとした。
このごろ時折若かかりしときの思い出に浸ることがある。
今も、女学校時代のことを思い返していた。
「ちぃちゃん、どうした?」
「ほら、おばあちゃん、おひたしできたよ」
チカとシズ子は公園の片隅でおままごとをしていた。
たんぽぽの葉をほうれん草に見立てたおひたしが皿の上に乗っている。
「上手にできたねぇ」
「ちぃちゃんね、おばあちゃんのおひたしが一番好き!」
あどけない笑顔でチカが言った。
シズ子は息子夫婦と住んでいる。
嫁の真知子は週3回レジ打ちのパートに出かけていた。
その間、チカの面倒をみるのがシズ子の役割だ。
子どもと遊ぶのはいい。明るい笑顔を見ていると、自分のこれまでの人生が全て肯定されたような気がしてくる。
「おひたし、身体にいいんだよね!?」
チカが元気よく話す。
「そうだよー。また作ってあげるからね」
真知子のパートが遅くなるときはシズ子が夕食を作る。
「うん!」
「そうだ、このおひたしにおかざりしようか?」
皿に乗ったたんぽぽの「おひたし」を持ってシズ子は言った。
「おかざり?」
「ほら、見ててごらん」
たんぽぽの花弁をちぎり、おひたしの上にばらまいた。
「わあ、綺麗!」
チカが声をあげる。
「綺麗だろう、おばあちゃんが子どものころはよくこうやったもんだ」
いつも一緒に遊んでいたあの子。近所に住んでいて、女学校まで一緒だった、
名前は松恵。「マツちゃん」「シズちゃん」と呼び合っていた。
チカくらいの年からの幼馴染だった。
女学校を卒業して、戦争が始まって、大きな嵐に巻き込まれているうちに互いに連絡をとる術をなくしてしまった。
彼女は今、どうしているだろう。
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「シーズちゃーん!」
松恵はいつも元気がよく、シズ子の姿を見かけると大きな声で呼びかけてきていた。
「マツちゃん、おはよ、今日も元気だねー」
「だってこんなにポカポカ暖かいんだよ!……シズちゃんは眠そうだねぇ」
「だってこんなにポカポカ暖かいんだもん」
松恵の口真似をしてシズ子が答える。
ふたりして、あはは、と笑った。
「あ、たんぽぽが沢山咲いてる」
松江が道端の草むらを見て言った。
「もうすっかり春だねぇ」
「ねね、子どものころのこと、覚えてる?」
松恵が言った。
「子どものころ?」
「よくさ、おままごとでたんぽぽのおひたし作ったよね」
「あぁ、そうだったね。最後に花びらを飾ったっけ」
「そうそう。最近さ、たんぽぽを見るとその頃のことを思い出すの」
松恵は懐かしそうに目を細める
「あの頃は、まだ将来のことなんて何も考えてなくて」
そう言って松恵は少し立ち止まった。
「なんにだってなれる、なんてそう思ってたな」
「マツちゃん、なんかあったの?」
「学校卒業したらね、結婚することになった」
「え! そうなの? おめでとう」
「んー……」
「結婚したくないの?」
「学校の先生になりたい、って思ってたけど、きっとだめね」
「……そっか……」
「シズちゃんは、学校卒業したらどうするの?」
「んー、やっぱり学校の先生になりたいかなぁ」
単なる漠然とした夢だが、シズ子はそう答えた。
「そっかぁ」
「うん……」
小さな沈黙。
「とりあえず、さ、結婚おめでとう」
「まだ1年先のことだけれどね」
たんぽぽの花を摘んで松恵が微笑んだ。
「わたぼうし……」
小さな声で松恵が呟く。
「え?」
「子どもはたくさん産もうっと。わたぼうしみたいに。世界中に私の子どもが飛んでいくのよ」
「大きく出たねぇ」
とシズ子。
「ねえ、たんぽぽを見たら私を思い出して」
「え?」
「結婚したら遠くにいくことになるの。もう……会えないかもしれない」
「そう……なんだ」
「まあ、一年先のことだけどねっ!」
明るい声で松恵は言い、再び歩き始めた
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「おばあちゃん?」
チカの声にはっとした。
また昔のことを思い出していた。
松恵との思い出はたくさんあるが、たんぽぽの季節になるとあの会話を思い出す。
「おばあちゃん、どうしたの?」
「ちょっとね、昔のことを思い出してただけだよ」
そう言ってチカの頭をそっとなでた。
シヅ子は学校を卒業後、家業を少し手伝い、2年後に結婚した。そして戦争が始まった。
学校の先生になることはなかった。
子どもは5人。わたぼうし、とまではいかなかったが、子ども達はそれぞれ独立して社会で元気に羽ばたいている。
孫は7人。一番下の孫がチカだ。
この子も自分の血をひく「わたぼうし」の一人だ。
チカはこれからどんな人生を送るのだろうか。
できれば平穏であってほしい。
そう願って空を見上げる。
「たんぽぽを見たら私を思い出して」
松恵の声が聞こえたような気がした。
Lotus 遠野麻子 @Tonoasako
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