第37話 決着

「言ってみろ」

  

 クローヴィスの眼が、品定めするように光る。


「案は色々ありますけど……。人間対妖魔、そして人間に味方する天翔族という構図がそもそも時代遅れになるんじゃないかなと」

「なんだと?」


 思ってもみなかった言葉に、皆アンリに注目する。


「天翔族の活躍により妖魔たちはどんどん数を減らしています。このまま討伐がなされていけば、いずれ死に絶える。これから妖魔たちは考えるでしょう。このまま死にゆくか、または人間たちと手を組んで力を取り戻すか」


 ジョゼはセランの人々を思った。

 狼の妖魔限定ではあるけれど、妖魔に対してさほど忌避感のない人間たちも存在する。

 アンリによる未来予想図はあながち的外れとも言えないだろう。


「どちらにしても、天翔族の役割は変わるでしょう。妖魔が絶滅してしまえば天翔族の存在価値は低下する。そうしたら今後は人間同士の戦争に駆り出されるかもしれません。その陰には生き延びた狡猾な妖魔たちがいるというわけです。それではもはや世界の守護者とは言い難くなる」


 つまり、とアンリは言葉を切った。


「俺たちは転換点に来ている」

「……話が見えんが、一体何を言いたい?」


 アンリは父王をまっすぐに見つめた。

 

「俺はいずれ妖魔と不可侵条約を結びたいんです」


 クローヴィスははっと息を飲んだ。


「……それは、俺も何度か考えた。だが、妖魔ってのはそもそも全体の統率が取れてない。不可侵条約ったってなぁ……」

「だから新しい妖魔の王が必要となるでしょうね。ここに適任がいます」


 アンリは視線をノクトゥルに移動させる。

 ノクトゥルは橙色の瞳を見開いた。


「僕ぅ!?」

「はい。かつての狼王ロディの腹心のあなたであれば、元配下たちをまとめることができるでしょう。王として旗揚げすれば各地からも妖魔が集まってくる」

「お前なぁ……敵を強くしてどうするんだよ!?」

「だからこその不可侵条約です」

「兄さん〜、妖魔が条約なんか守るとでもぉ?」


 ノクトゥルが困ったように手を広げたが、アンリはあっけらかんとしている。

 

「それほど長い期間条約が守られるなどとは端から期待してませんよ。人間同士の条約ですら恒久的に守られるものなどありませんからね」


 あまりに達観した意見だが、的を射てもいる。


「妖魔たちが集まるとねぇ……かなり大所帯になるよぉ。妖魔の国を興すとなったら、一体どこにするぅ?」


 ノクトゥルがにやにやと笑いながら口を開いた。


「浮遊島の浮かぶ砂漠地帯。砂漠といってもオアシスはありますし、北の方には緑もあります」

 

 アンリはすでに答えを用意していた。


「妖魔をこれ以上追い立てるのではなく、あえて棲み家を用意してやると?」

「ええ。人間に棲み家を追われた妖魔がやぶれかぶれになって人里を襲うという事例が多いですからね」

「だが、人間たちとの守護条約はどうする!?」

「守護条約には天翔族が妖魔と不可侵条約を結んではいけないなどとは一言も書いてありません。もちろん妖魔討伐が減れば守護条約を継続しない国も出てくるでしょうが……」


 天翔族の豊かな財源は、妖魔から人間を守ることで得られる守護料による。


「ですので、事業の転換が必要になるでしょうね」

「あっ……。貿易?」


 ジョゼは思わず口に出していた。

 アンリが新しく進めている仕事。

 すべて天翔族の未来を見通してのこと……!


「いずれ人間たちとは護り護られるという関係ではなく、商売相手になるかもしれません。何にせよすべて構想段階です。ミハイル宰相閣下と少しずつ進めてはいるんですが」

「お前、いつの間に……」


 あ然とするクローヴィスに、アンリは心の中にしまっていた思いを突きつける。


「父上、あなたは強い。兄皇子殿下たちも。ですが、力を追い求めるあまり内政には無頓着です。武力は天翔族の象徴であり存在意義というのはわかります。けれど、武力だけが平和への道ではないと、俺は信じています」


 ジョゼはアンリから目を離せなかった。

 堂々と自分の意見を述べる姿には、いつもの残念な面影はまるでない。


「さ、ここまでにしましょう。まずは現実に戻りませんか? グエンを邪気から解放してやりましょう。続きはそれからです」

 

 誰にも異存はなかった。


 ジョゼはもう一度ナディーヌのほうを振り返った。


(……ママ。夢だとしても会えてよかった)


 目を覚ます直前まで、ジョゼは瞬きもせずに母の姿を目に焼き付けていた。





※ ※ ※


 グエンは夢を見ていた。


 かつて東の小国イスファネアの穢人であった頃の夢。

 夢も希望もない村で育ったグエンだったが、魔術の才能は抜きん出ていた。


 やがて国を出てバルディアで傭兵となったグエンは、ナディーヌとハスミンという美しく強い女たちの従者となった。


 優しく、ときに頑固で譲らないナディーヌ。

 奔放で、明るいハスミン。


 グエンの心の中に女たちへの黒い欲望が渦巻くまで時間はかからなかった。

 だが、二人はそれぞれ、もっと強くたくましい男たちのものになってしまった。


 ガロフの大妖魔、狼王ロドルフォ。

 天翔族の長、クローヴィス。


 狼王の腹心のノクトゥルによくぼやいたものだ。

 ああ、この世は不公平だ、と。


 大蜥蜴を倒したとき、真っ黒い邪気がその身体から噴出した。

 そのときに声が聞こえた。


 ——力を、やろう。


 邪気は自分に向かってきた。

 否、自分が呼び寄せた。

 

 グエンは知らずしらずのうちに強大な力への憧憬を募らせていたのだ。

 美しい女たちへの醜い慕情の念も。

 そんなあさましい心を、黒い邪気に読まれた。


 黒い邪気はグエンの内側を這い回り、右眼と左腕をたちまち喰い破ってそこに棲みついた。

 何もないように見える眼と腕は、「狭間」と繋がっていて黒い邪気は滔々とグエンに力を注いだ。


 邪気はすぐにグエンの人格をも乗っ取った。

 精神は崩壊し、そこにあるのはかつてグエンと呼ばれた人間の抜け殻と、わずかに残った思念のみとなった。


 邪気はこう言った。 

 狼王を殺せ、と。

 聖女を犯せ、と。

 子供を攫って喰え、と。


 グエンの身体はその通りに動いた。


 狼王を殺すことには成功したが、こちらも深手を負い、十数年もの間「狭間」に籠もらなくてはいけなかった。 


 出てきたときには、聖女の気配はすでに消えていた。

 だが、娘はまだいた。

 狼王ロディと聖女ナディーヌの子、半妖の聖女ジョゼ。

 

 ナディーヌ亡き今、娘を我がものに。

 そして、邪気の次の宿主に。

 宿主となる資質を持たせるために、人肉をたらふく喰わせて……!


「それは無理よ」


 グエンの耳が鈴のような声を捉えた。

 意識が鋭敏になり「狭間」から出ていこうともがく。

 

 グエンは粘りつくような邪気の幕を押しのけ、現実世界に戻った。


 グエンの身体が現れたのは、狼王ロディのかつての居城、玉座の間だった。


 そこにいたのは光に包まれたジョゼ。

 周りには鳳凰帝クローヴィスにその息子のアンリ。

 狼王ロディの腹心であった妖魔ノクトゥルもいた。


 グエンは吼えた。

 「狭間」で溜め込んだ邪気をこれでもかとばかりに放出する。

 クローヴィスが巨大な破魔の陣を展開した。

 凄まじい量の邪気が、みるみるうちに吸い込まれて消えていく。

 ジョゼの元に向かおうとするも、アンリがそこに立ち塞がる。

 剣を抜き払い、凄まじい速度で斬りかかってくる。

 破魔の力を込めた剣撃に、グエンはよろめいた。


 そこにノクトゥルが進み出て、空間を歪めて魔術を防ぐ。 

 その首元には、使い魔の鎖はすでにない。


 グエンはもう一度吼えた。

 すでに人間の叫び声ではなかった。


「もう、いいでしょ。そろそろ眠りなさい。あの世で皆あんたのこと待ってるはずよ」


 グエンは顔をあげた。

 きらきらと鱗粉が舞うように、光が空中を飛びかっている。

 その中に一際強い光を放ちながらジョゼが佇んでいた。


 神々しい光がジョゼを照らす。

 硝子玉のような水色の瞳がまっすぐに自分を見つめていた。

 その手にはかつてナディーヌが愛用していた古めかしい弓が握りしめられている。


 空気を震わせるような音が響いた。

 ジョゼが放った矢が、グエンの空虚な右眼を勢いよく貫く。

 矢の刺さった場所から光が溢れ、グエンの身体全体を満たしていく。

 

 それで終わりだった。

 黒い邪気は光に飲み込まれ、やがて完全に消滅した。


 邪気が抜け、空っぽになって崩折れるグエンの身体に、ノクトゥルがゆっくりと近づいた。

 

「ナディーヌ……お嬢様……」

「あーあ。やっぱり君も好きだったんだぁ。報われないねぇ。…………お互い」

  

 最後の言葉はごく小さな声。

 それでも、グエンはかつての盟友の声に片目だけを動かす。


「お前……なのか、ノクト……」 

「そうだよぉ……やっと正気に戻ったのかい」


 ノクトゥルを使い魔にしていた「不老の魔術師」の凶暴な人格はすでに消えている。

 薄れゆく意識の中で、グエンは友の声を聞いた。


「イスファネアの穢人ってのは、死んだあとの肉を食べてもらわないと魂が未来永劫暗闇の中を彷徨うって信じられてるんだっけぇ? 同胞のあの子……にはちょっと酷すぎるから、僕が代わりに喰っといてあげるからねぇ」


 いつか酒の席で語って聞かせただけの穢人の風習を、ノクトゥルは覚えていた。

 死してなお同胞の誰にも食してもらえないことが、死刑よりも重い罪だと。

 

 赦してくれるのか。 

 主を奪った自分を。

 ノクトゥルを傷つけた自分を。

 ナディーヌを、ジョゼを殺そうとした自分を。


「くくく。君は憐れにも宿主にされちゃっただけだよ。もう気にせずお眠り。ロディ様とナディーヌとハスミンによろしくねぇ」


 ————ありがとう。

 声にならない言葉を発し、グエンは目を閉じた。


 その死に顔は、穏やかだった。

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