第32話 不老の魔術師の正体
「どうしたの? あ、あの絵……」
ナディーヌ、ハスミン、グエンが描かれた絵にメイメイが近づき一心に見つめる。
「ジョゼ、アンリ様……この人、私の同胞デス!」
「え!?」
「お話ししましたよネ、穢人って。この顔の赤い入れ墨は成人した穢人の証。成人の儀が済むと入れるんデス」
東の小国イスファネアの穢人……!
ジョゼとアンリは顔を見合わせた。
だがメイメイはグエンの顔には見覚えはないという。
「二〇年前の絵じゃ無理ないわね。ところで成人の儀ってどんなことをするの?」
「お話ししてもいいんですガ、驚かれると思いマス」
ジョゼの問いにメイメイがどことなくぎこちなくなる。
こちらを見るその目はどこか諦めたような、悲しい色を帯びていた。
この目を自分も知っている。
どうせ話したら蔑まれるだろうとわかっている目だ。
だが、首を小さく振ってから話し始める。
「メイメイ……」
「あ、いいんデス。穢人の成人の儀はいたって簡単で、皆の前で、とある『特別な肉』を食べるんです」
メイメイの説明に皆一様に首を傾げた。
そんなことが何か特別な儀式に値するのだろうか。
一同を見回し、メイメイが気まずそうに続ける。
「特別って?」
「えっと……その、つまり、ずばり言うと同胞の肉デス」
「じんに……!」
リシャードの顔が色を失う。
居合わせた女官が青い顔になり、口を押さえてそそくさと退出していった。
ジョゼも小さく息を飲んだ。
「人間も共食いするの……」
「驚きましタ? これが穢人が穢れているとされる最たる所以なんですケド」
「少しね……。メイメイは食べたの?」
「私は幼い頃にイスファネアを出たので未経験デス!」
口を尖らせるメイメイを取りなすように、その肩にアンリが手を置いた。
「その風習については聞いたことがあります。確か、元々はイスファネアを襲った飢饉のために始まったとか。食人の風習は世界各地で意外とあるんですよ。戦だったり、飢饉だったり、理由は様々ですけど」
「ハイ。でも、穢人の食人文化はちょっと違いマス。『魂の継承』のためなんデス」
主人が自分を支えてくれていることで勇気が出たのか、おずおずとメイメイが説明する。
「魂の継承って?」
「簡単に言うと、死んだ人の肉を口にすると、その人の魂が今度は生きてる人に受け継がれていくんデス。もし食されなけレバ、死人の魂は未来永劫暗闇の中を彷徨う。穢人の村で一番重い刑って、死刑じゃないんデス。死してなお同胞の誰にも食してもらえないことなんですヨ」
「すごい風習ね……」
常人であればおぞましいことだが、穢人の村においては崇高な意味があるのだ。
死の後の未来を同胞に託し、自分の生きた軌跡を繋いでもらうという大切な儀式。
ジョゼは肉をほとんど食べない。
人間の肉も、妖魔の肉も。
けれど、だからといって穢人たちの行為が間違っているとは思えない。
しかし話を聞いていたリシャードは厳しい顔つきのままアンリに詰め寄った。
「アンリ殿下、このようなことは申し上げたくはありませんが、浮遊島ではどんな種類の人間を雇い入れておるのですか? ジョゼの側につくのであればしっかりした身の上の者にしていただきたい」
メイメイは咄嗟に首筋を押さえた。
空気にピリッと稲妻が走ったからだ。
それがジョゼから発されている圧だとわかると、オロオロと目を泳がせた。
アンリが何か言う前に、ジョゼがゆっくりとリシャードに向き直る。
「あなた、森でほかの動物の暮らしを見たことないの? 共食いなんて珍しくないわ。虫だってそうしてるし、鶏だって産んだばかりの卵を食べたりする」
「何を……人間を虫や動物と一緒にしてはいかん! 同族を殺して食すなど野蛮以外の何者でもないだろう」
「赤ん坊のわたしを殺そうとしたあなたに言われたくない」
ジョゼの瞳の水色が深みを増したようだった。
リシャードは思わず声につまる。
「人間は動物の中で最も野蛮よ。人間は人間も、ほかの動物もたくさん殺すわ。妖魔と同じよ」
「な……それは違う! 人間と妖魔が同じなどと!」
「同じよ。同族同士で殺し合い、動物を殺して食らう。人間が妖魔を忌避するのは同じ捕食者同士だからよ。それぞれ、生き物の頂点に立とうとしてる」
「だが……だが、人間は人間らしく生きなければならん!」
ジョゼはメイメイの手を取る。
その手は小さく、少し荒れていた。
働き者の小さな手をしっかりと握りしめる。
「人間らしさって何? あなたに人肉を食えと強要するわけじゃないでしょ。ただそういう人たちがいるってだけ。共食いする種類の動物もいればそうじゃない動物がいるのと同じ。どちらも同じ生命よ。ただ、そう『在る』だけじゃない」
「しかしおぬしは半分とはいえ人間だろう! 人間ならば超えてはいけない一線というものがある!」
「あなたに教えてあげる。この世には光が差さない場所って案外たくさんあるのよ。わたしは人間じゃないわ。そして妖魔でもないのよ、残念ながらね」
中途半端でどちらでもない存在。
怒りと悲しみの色に諦めの水を垂らして混ぜられたら、きっと今のジョゼの瞳の色になるだろう。
硝子球のような水色が、まっすぐにリシャードを射貫く。
「申し訳ないけど、わたしは自分を人間って思えないの。下町に住んでいた頃はあまり感じなかった。でも、成長すればするほど何か違うって思うの。あなたはわたしを受け入れると言ってくれたけど……」
「それはもちろんだ! 我が娘ナディーヌと狼王ロドルフォの忘れ形見なのだからな」
「それって、わたしがロディの娘だから……畏敬を集める狼の妖魔の血縁だから気持ち悪がってないだけでしょう。もし得体の知れない妖魔の娘だったら、それでもあなたはわたしを受け入れたかしらね」
「あ、当たり前だ」
ジョゼの目は「どーだか」と言っている。
アンリが二人を取りなすように間に入ったのはそのときだ。
「リシャード卿の言い分もわかります。同族殺しも共食いもバルディアでは禁忌。受け入れるのは難しい」
「ちょっとアンリ!」
アンリはジョゼを目で制し、「ですが」と続ける。
その顔は貴人然としていて、ジョゼとメイメイは彼が「よそ行き」用の仮面を被ったことを悟った。
つまり、怒っているのだ。
「ご存知の通り天翔族は様々な国に赴きます。そこでは異なる文化があり、そこで暮らす人々の価値観や生き方もまた多様です。俺の屋敷ではいろんな国の人間が働いてくれていますが、皆妖魔に家を焼かれたりして行き場のなくなった者たちです。メイメイはその中でも一番の働き者で、俺は彼女に全幅の信頼を置いています。ジョゼの側にいてもらうのにメイメイ以上の適任はいません」
「アンリ様……」
メイメイが顔を赤くする。
ジョゼとアンリにしっかりと囲まれて、メイメイはやっと顔をあげた。
「この世界はとても広い。ジョゼがこうして様々な価値観を学ぶのは悪いことではないはずです。もし今後セランで……いえ、人間の世界で生きるとジョゼが望むのであれば、そのときに改めて貴殿の言う『人間らしさ』というのを学べばよろしいでしょう」
「いや……しかし……」
ぶつぶつと口の中でまだ文句を言っているリシャードだが、これ以上表立って何かを言うつもりはなさそうだ。
「そろそろおいとましましょう。リシャード卿、それではまた」
ジョゼとアンリはメイメイの両脇を守るように固めると、その場を静かに辞した。
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