第30話 ジョゼの父親

「もう、落ち着いた?」

「……ああ。すまなんだ。アンリ殿下にも恥ずかしいところをお見せしましたな」


 ジョゼに声をかけられ、リシャードは顔を上げた。

 目は真っ赤に充血し、頬はジョゼに張られた後が赤く残っている。

 

「酷い顔でしょうな。自分で見えないのが幸いです。少々失礼して顔を拭って参ります。お二人とも、どうぞ中へ。ぜひ客人として城に滞在していただきたい」

「そんなのいいわよ。どうせすぐに引き上げるんだから」

「ならん! マシュー! すぐに城の者へ伝えよ。お二人を心ゆくまでもてなすまで、決して帰してはならん!」

「承知しました、父上」 


 気迫のこもった声に、マシューが慌てて城内へ向かう。

 ジョゼはアンリをちらりと見やったが、アンリは頷いて招待を受け入れた。


 絶対に客人を返すなという厳命が城の者たちに通達されると、ジョゼとアンリはたちまち客室に押し込まれてしまった。

 この城で一番眺めのよい場所にあるらしく、大きな窓からは美しい山々の稜線がくっきりと見える。


「大丈夫ですか、ジョゼ」  


 まだ赤さの残る目で、ジョゼはアンリを軽く睨みつけた。

 

「あなた、こうなるってわかってたの?」

「まさか! こうなるといいなぁとは思ってましたけど」


 セランの街で事前に調査したときは、報告書にあった内容以上のことはほとんどわからなかった。


 実のところ、アンリはナディーヌの父であるセラン辺境伯リシャードが「不老の魔術師」側の人間である可能性も疑っていたのだ。

 怪しい魔術師などが出入りした形跡がないということを確認してから、正面から面会を申し込んだのである。

 それも、いざというときにはすぐに逃げ出せるようにジョゼを馬車に残してだ。


 今回、メイメイも浮遊島から連れてきていた。

 今は外に控えさせているが、何かあったらすぐにジョゼを連れて逃げるように命じていた。


「……あんな人間、いるのね。びっくりしちゃった」


 ジョゼがぽつりと漏らした。

 半妖でも構わないと言ってくれた老人の声がまだ胸に響いている。  


「よほどナディーヌおばさんへの後悔の念を強くお持ちだったのでしょう。俺が言いたいなぁと思ってたことは全部言われちゃいました」

「……? あなたが何を言いたいって?」

「いいいいえ! なんでもありません!」


 首をぶんぶんと振る姿は、先ほどまでの貴人然としたアンリとは別人のようだ。

 どうもアンリは場面によって残念男である素の性格を徹底的に隠し通すことができるらしい。


 若干の疲労感を覚えていると、アンリがそっと髪に触れてくる。


「本当にお疲れ様でした。頑張りましたね」

「ちょっ、撫でないでよ」


 そう言いつつもジョゼは大人しかった。

 優しく触れるアンリの手は大きくて気持ちがいい。

 張り詰めていた緊張が解けていく。


「失礼いたします」

「————っ!」


 扉がノックされ、身体が跳ねた。

 女官が入室するのに合わせて、アンリの側から素早く離れる。


 危ない。

 今、自分は何を思った? 

 このままずっと触れられていたい……と思いはしなかったろうか。


「お取り込み中でしたでしょうか?」 

「いいえ! 全然! まったく!」


 思わずぶんぶんと首を振る。

 女官はジョゼのことをちらりと見たが、すぐにリシャードが別の部屋で待っていると告げた。


 廊下を歩いていくと、人々があっという表情になりジョゼに視線を向けてくる。

 今のジョゼは变化の術を解いたままだ。

 金色の獣の耳が目立っているのだろうと気にしないようにしていたが、どうも様子がおかしい。

 

(……? 気持ち悪がられてるわけじゃないみたい……?)


 恐れたり蔑んだりするわけではなく、完全に羨望の眼差しである。

 首を傾げながらも城の奥まった一画に辿り着く。


 どうやら家族用の空間らしい。

 そこに待っていたのは着替えを済ませてこざっぱりとしたリシャード。

 頬はまだ少し赤かったが、氷で冷やしたのか大分ましになっている。


「お呼び立てしましたな。こちらにナディーヌに関するものが多少ともありますのでお見せしたかったのです」


 長椅子を勧められ、アンリとともに腰掛ける。


「改めて挨拶させてくれ。儂がナディーヌの父、セラン辺境伯のリシャードだ。おぬしの……祖父にあたる」

「…………ジョゼよ」


 肩書などないジョゼは、名前以外に告げるものはない。  

 だがリシャードは感慨深げにジョゼを見つめた。


「ジョゼ、か……。ナディーヌは赤子の名はジョゼフィーヌとつけたいと言っておった。おぬしの祖母の名だ。だが儂が……許さなかった」

「貴殿の妻君ですか。その方はどちらに?」

「すでに他界しております。あれは儂以上にナディーヌを案じておりました。表には出しませんでしたが、心の中では狭量の儂をどれほど責めていたことか」


 老人の目に再度涙が浮かぶ。


「申し訳ない。歳を取ってすっかり涙腺が緩くなっておるようで」


 リシャードは目の橋を拭うと、ジョゼに向き直った。


「おぬしとっては煩わしいことかもしれんが、ほんの少しでもいい。生きていた頃のナディーヌのことを教えてくれ。今のおぬしのことも」

「そうね。こちらの目的もはっきりさせたいし、情報交換しましょう」 


 ジョゼは硬い表情のまま言った。

 母が亡くなってから天涯孤独の身の上だと思って生きてきたジョゼである。

 降って湧いたように人間の祖父や祖母の存在が明らかになるのは不思議としか言いようのない感覚だった。


 説明はアンリが買って出た。

 ところどころジョゼが補足しながらも、ジョゼが幼い頃には母と都に住んでいたこと、アンリとはそこで知り合ったこと、その後迷いの森に移り住んだこと、ナディーヌが流行り病で亡くなったことなどを語って聞かせた。

 ジョゼが「不老の魔術師」に狙われていることや、ナディーヌがそれを予期していたらしいことにも言及する。


「なんと……それではジョゼには聖女の力が?」

「はい。妖魔に襲われたときに白い光を発したのをこの目で見ました」


 鳳凰帝が失踪していることは極秘事項のためうまく伏せつつ、ナディーヌ、「不老の魔術師」、鳳凰帝、そしてジョゼの父親との間の関係を探りにきたのだと、アンリは巧みに説明していく。

 するとリシャードがぐいと身を乗り出した。


「父親はわかっております」

「本当ですか!?」

「アンリ殿下には知らぬと申し上げましたが、あれは半分真で半分嘘でして。儂は確かにナディーヌの話に聞く耳持ちませんでしたが、あれはジョゼフィーヌには伝えていたのです」


 緊張の面持ちのまま、ジョゼはじっとリシャードの言葉を待った。


「ナディーヌの愛した相手は——狼王ロディ。最初は信じられませんでしたが……なにせ伝説のような存在ですからな」


 アンリの「狼王ロディ!」という叫びと、ジョゼの「誰それ?」という声が重なる。

 

「誰それってことないでしょう、ジョゼ。ファビオが話してたじゃないですか!」

「あ……ガロフにいたっていう狼の大妖魔?」


 かつて狼王と呼ばれた黄金色の狼の話をジョゼは思い出していた。

 

「確かガロフの山の頂上に狼王の居城があったはずです。しかし残念ながら、狼王はすでに滅んだと聞いています……」

「そう……いつ死んだの? 本当に狼王がわたしの父親なのかしら」

 

 硝子玉のような水色の瞳が無感情に瞬いた。


「ジョゼ、アンリ殿下。しばしお待ちいただけますかな。お見せしたいものがあるのです」


 リシャードが席を立つ。

 どこかに行ったかと思うとすぐに戻ってきた。

 手には革の表紙のついた小さな本を持っている。


「ジョゼフィーヌはなんでもかんでも書き留めておく女でした。ここにあれがかつてナディーヌとした会話が記されております」

「お見せいただけるのですか?」

「無論。何か手がかりがあるのならとくと調べてくだされ」


 ジョゼはリシャードから手記を受け取ると、そっと開いた。

 古い紙の匂いに混じって、花の香りがふわりと鼻孔をくすぐる。

 ジョゼフィーヌがつけていた香水の香りなのだろう。

 時代を超えて、会ったこともない祖母が側にいるような不思議さに包まれる。


「……ここに書いてあるわ。赤子の父はかの狼王ロディ。二人は妖魔討伐の戦地で偶然知り合ったんだそうよ。当時人間を襲っていた妖魔たちは別の派閥の妖魔たち。狼王ロディは人間を襲うことなく、人間の世界とはうまく折り合いをつけていた……」


 リシャードが頷く。


「厳しい冬でも乗り越える生命力。群れを統率する支配力。鋭い爪は山をも引き裂き、波打つ毛は太陽のように光り輝いたという狼王は、ガロフだけでなくセランでも崇められておった」


 ガロフやセランのように厳しい寒さと無骨な気風の色濃い土地では、強さというのはそれだけで崇拝の対象なのだという。

 ジョゼは先ほど廊下で羨望の眼差しを受けたことを思い出した。

 

「狼王はママが危ない目に遭いそうなところを助けてくれたんだって。彼は千年以上生きた大妖魔で、ママと結ばれてしらばくして寿命がきてしまった。狼王が滅びたことで配下たちは解散。生まれたばかりの赤子を連れたママは一人セランに帰郷……」

「その後はもう知っておるな。愚かな儂はナディーヌを拒絶したのよ」


 ジョゼはリシャードにちらりと視線をやったが、何も責めるようなことは言わなかった。

 最愛の娘が戻らなかったことで、この老人はすでに罰を受けているのだ。


 リシャードからしてみれば、ナディーヌは二度出奔したことになる。

 一度目は二〇年前、戦地で行方知れずになったとき。  

 二度目は赤子のジョゼを連れてセランを逃げ出したとき。

 そして今日、とうとう訃報がもたらされたというわけだ。


 考えを巡らせていたジョゼは、はたと顔を上げた。

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