第28話 ありえないことほど起こるもの(2)

 応接の間にて、セラン辺境伯リシャードは天翔族の第五皇子を名乗る男と対峙していた。


「お初にお目にかかる。アンリ皇子殿下……と申されたか。このような辺境に何用でしょうかな」

「突然お伺いしまして申し訳ありません。なに、お手間は取らせませんので」


 浮遊島から来た天翔族だというが、一族の証である翼はなく、自分たち人間と変わらない姿である。

 疑問がありありと顔に出ていたらしく、「翼はいつも出しっぱなしなわけではないんですよ」などと穏やかに声をかけられてしまう。


「これは失礼した。何せ我が国は浮遊島と交流がないものですから。天翔族の方というのもこれまで数えるほどしかお見かけしたことがないのです」

「いいえ、お気になさらず。バルディアとは守護契約がありませんからね。残念なことではありますが、国によって事情は異なりますから。俺たちの方こそもっと対外的な周知に力を入れていかないといけないですね」


 男は如才なく答える。

 その優美な外見にリシャードは注視せずにはいられなかった。

 雪のような長い純白の髪に、細縁の眼鏡の奥から覗く甘く垂れた金の瞳。

 すらりと背が高く、バルディアの貴人らしい装いを颯爽と着こなしており、王都にでも出ればさぞかし貴族の令嬢たちが色めきたちそうな人物である。


 だが、元武人の勘とでもいうのだろうか。

 優男のようにも見えるが、その隙のない立ち振る舞いから、この皇子は相当の剣の使い手ではないかとリシャードは感じ取っていた。


「領地の管理はすでにご子息にお譲りになったとか?」

「ええ、先ほどお会いになられましたかな。長男のマシューが次代のセラン辺境伯となります」

「お子様はお一人ですか?」

「そう……。いや、実は娘がもう一人おりました」


 言葉を濁そうとしたリシャードだが、金の瞳にじっと見つめられ、気がついたときにはナディーヌの存在を明かしていた。

 今はどこでどうしているかも知れぬ愛娘。

 あのとき、なぜもっと真摯に話を聞いてやれなかったのか……。

 

 天翔族の皇子はしばらくリシャードを観察するような視線を向けていたが、やがて切り出した。


「実はここ数日街の方にも逗留させていただいていたのです。そこで妙な噂を耳にしました。なんでも貴殿のご息女には『少し変わった』赤子がいらしたと」

「……! 天翔族の皇子殿下は、我が領地に妖魔退治にいらしたのですかな?」


 ナディーヌの子は半妖だ。

 鋭い警戒の気配が往年の武人より湧き上がるが、アンリは手を上げてそれを制する。


「誤解なさらないでください。天翔族とて誰彼構わず妖魔を捕まえて退治して回っているわけではありません。今俺たちは『不老の魔術師』と呼ばれる恐ろしい男を追っています。この地を訪れたのは、貴殿のご息女が何かご存知なのではないかという話がある筋から入ったからです」

「……ナディーヌがなぜ?」

「バルディアの聖女でいらしたでしょう? あまり公になっていないようですが」


 緊張のためか、リシャードの瞳が一瞬揺らいだが、すぐに冷静さを取り戻す。


「なるほど。天翔族の情報網とは凄まじいものですな。すべて調べておられるなら隠すことはございませぬ。おっしゃる通り、我が娘ナディーヌは聖女の力を持っておりました。ですが、今はもうセランにはおりません」


 それからリシャードは観念したように話し始めた。

 初対面の、それも天翔族の皇子などに語って聞かせるようや内容ではないと自覚しつつも、一旦心の内を吐露すると止まらなかった。

 

 ナディーヌが聖女として妖魔討伐に出立したこと。

 そのまま行方知れずになり、戻ってきたときには妖魔の子を連れていたこと。

 子を始末しようとして、ナディーヌが逃亡してしまったこと。


 苦しい心中を打ち明けるリシャードに、アンリがそっと声をかける。


「貴殿は後悔しておられるように聞こえますが……?」

「その通りです。娘が人生で最も困難を抱えていたときに、儂は突き放したのですからな。今になって、やっとあれの気持ちがわかるのです。半妖とて、ナディーヌにとっては愛しい我が子だったのだと。あの頃の自分にはそんな簡単なことさえ見えなくなっておったのです。あの赤子が生き延びることができたのか……ナディーヌが無事でいるのか……この十七年、考えなかった日はありません」

「ナディーヌ殿は赤子の父親についてなんと……?」

「それは……多くは聞いておりません。いや、あれは話そうとしておったんでしょうがな。儂のほうが聞いてやることができなかった」


 うなだれるリシャードに同情の視線を送りつつも、アンリは「本当にこんなことってあるんですねぇ」と誰にも聞こえないほどの小さな呟きを漏らした。


「リシャード卿、今日お伺いしたのはほかでもありません。貴殿にぜひ会っていただきたいご婦人をお連れしたのです」

「なんですと?」

「城に入ってもらうと騒ぎになりそうでしたので、その方には外の馬車で待っていただいています。よろしければご案内しても?」

「どういうわけですかな、そのご婦人とは、一体……?」

「多くは申せませんが、貴殿が長年会いたいと望んでおられた方かと」


 もの言いたげな金の瞳にじっと見つめられ、リシャードの胸にまさか、という思いが押し寄せる。

 

「どうします? お会いになられますか?」

「無論! 馬車はどちらに!?」


 わけがわからない。

 そもそもその婦人がナディーヌであるという保証もない。


 だが、リシャードはすでに立ち上がり、扉の前まで移動していた。

 セラン領の男は、せっかちなのである。


 足早になる自分を必死で押しとどめながら、城外へ向かう。

 このような辺境ではついぞ見かけない秀麗な青年と、血相を変えた辺境伯という組み合わせはよほど奇怪に映ったのだろう。

 城の者たちが何事かとざわめくのが耳に届いていたが、リシャードは構わなかった。

 

 広い城をあっという間に闊歩し、正門に横付けられた馬車の前までやって来たリシャードは早口でアンリに問いかける。

  

「この馬車ですかな?」

「はい。では少々お待ちを」


 あくまで穏やかに微笑むと、アンリは側にいた年若い侍女に伝えて馬車の扉を開けさせた。

 

 東方風の顔立ちの少女がそつない振る舞いで扉を開けると、アンリに道を譲る。


 「ありえないと思っていたことが起こっちゃいましたよ」とアンリが中に向かって声をかけるが、リシャードにはその意味がわからなかった。

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