第26話 期待なんてしちゃだめ

 女性はすっと立ち姿を整えると、にっこりと微笑んだ。

 艶やかで自信に満ちた笑顔。

 ジョゼが可憐な冬の蕾だとしたら、真夏の大輪の花を思わせる。


「久しぶりね、アンリちゃん。こんなに立派になっちゃって、おばさん嬉しいわ」


 ジョゼのものとは異なる、落ち着いた低い声。

 いつの間にか力の放出をやめたアンリは、口をぽかんと開けて目の前の女性を凝視した。

 ヒュベルトも目を丸くして言葉を失っている。


「えええええ! ジョ、ジョゼ!? じゃない、ナディーヌおばさん!?」


 母、ナディーヌに变化したジョゼは栗色の髪をわざとらしく掻きあげて片目を瞑ってみせる。


「いやだわ。目の前で变化したんだから中身はジョゼに決まっているじゃないの」


 官能的な仕草にアンリはたじろいだ。

 姿形だけでなく、中身まですっかり変わってしまったように思えるのだ。


「こんな高度な变化の術を使えるなんて聞いてないですよ!」

「もちろん、使えなかったわ。さっき突然力が漲って、もしかしたらと思って試してみたのよ」

「これはすごい。身体だけでなく、服やちょっとした言葉遣いまで変えるなんてね」


 慌てるアンリの側で、ヒュベルトは感心しきりだ。

 

「ふふ、そうねえ。服や口調は变化した対象に合わせるっていうのは、基本中の基本。ママはいつもそんなこと言ってたっけ…………」


 話している内容と裏腹に、後半はジョゼの言葉遣いに戻ってしまっていた。

 ナディーヌに扮したジョゼは両腕を身体に巻きつける。


 懐かしい母の姿に変化した自分自身をきつく抱きしめているのだと気がついたアンリとヒュベルトは、しばしそのまま無言になった。


 やがて自分自身を解放すると、ジョゼは变化の術を自ら解いて顔をあげた。

 栗色の髪が亜麻色に、濃紺の瞳は水色に、ワンピースは東方風の衣装に戻る。

 

 感傷的な姿を見せたことで気まずそうにするジョゼだったが、アンリは相好を崩して手を叩いた。


「お見事でした、ジョゼ!」

「……なんだか妙な感じ。……力が溢れてくるの」

「四つの力がうまく混ざり合って好反応を起こしているのかもしれませんね。もともとは、妖魔の力と聖女の力とが反発しあってたんじゃないでしょうか。だから術がうまく発動しなかったのかもしれませんよ。今は人間の力と天翔族の力まで混ざったことで逆に正の方向にいったってことなんじゃないでしょうか」

「なんかうまい言い方をしてるけど、要するにあっちこっちの力がめちゃくちゃに混ざり合って、偶然良くなったってことよね……?」

「まあいいじゃないですか。結果的にあなたの力は強化されたわけですから。しかも破魔の力も効かないんですよね、あなたって」


 薬草園でドリューゲルトに攻撃された際に破魔の陣が使用されたが、ジョゼにはなんの影響もなかったのだ。

 誇らしげにするアンリに、ヒュベルトがつい苦言を吐く。


「ここは浮遊島ですよ。ジョゼちゃんは危険な存在じゃないってわかっていますけど、あんまり妖魔の力が強くなりすぎてもいかがなものかと思いますけどね」

「彼女は俺の使い魔だってことを忘れてませんか? 契約がある限り術者には逆らえないんですから、危険なわけがありませんよ」


 ヒュベルトはどう返答するべきかしばし逡巡した。

 なにせ、実際はジョゼに大甘になりそうなアンリの言うことである。

 

「えー、それもそうですが……アンリ殿下のほうがジョゼちゃんに逆らえないってことになりそうなんですけど……」 


 ぼそぼそとしたヒュベルトの小言だったが、アンリは聞いていない。

 思いついたように、ひとつ手を打つ。

 

「そうか! いいことを考えつきましたよ。あなたの変化の術が使えるかもしれません」 

「どうしたの?」

「セラン領に行きましょう、ジョゼ」


 突拍子もない提案にジョゼは目を丸くした。

 

「え……それって……?」

「これは勘ですが、セラン領には何かがある気がするんですよね。考えてもみてください。もともとジョゼが『不老の魔術師』に狙われていた理由ってなんだと思いますか?」

「だから、半妖の生き胆なんじゃないの?」

「俺もその話を聞いたときはそうなんだと思いました。でも、よく考えたら半妖だったら探せばほかにもいるはずですよ。そりゃあ少しは苦労するかもしれませんが、何もわざわざ『あなた』である必要はない」


 ジョゼは押し黙った。

 その通りだ。

 いくら半妖が珍しいといっても、まったくいないということはないだろう。


 ここまで大がかりに手を回すのはなぜなのだろうか。

 普通の半妖にはなくて、自分にだけあるものとは……。

 

「やっぱり……狙いは聖女の力よね」


 思わず声が小さくなるが、アンリは力強く頷いた。

 金の瞳が光を増している。


「そう思います。そもそも、陛下は不老の魔術師がジョゼを狙おうとしていることに気がついてたわけですよね。少なくとも予想していた。そして、それはおそらくナディーヌおばさんも。だからこそ迷いの森の隠れ家には結界が施してあったんだと思います。あなたは陛下が夢に現れ出したのはおばさんが亡くなってからと言ってましたよね。もしかして、おばさんは陛下からも姿を隠していたのでは?」


 あっとジョゼは口を押さえた。

 母には夢魔には自分の居場所を話さないようにと厳しく言い聞かせられていた。

 あれは、自分が亡くなった後にベルメロがジョゼの夢に現れると予想してのことだったのかもしれない。


「ママが亡くなってベルメロが夢に出てくるようになって……それから結界が切れて、『不老の魔術師』にも見つかった……?」

「はい。二人とも、あなたの正確な場所はわからなかったみたいですけどね」

「ベルメロったら、わたしが『不老の魔術師』に狙われているってわかっていたなら夢で教えてくれればよかったのに」

「あなたを動揺させないようにしたか、もしくは口に出せない事情があったのかもしれません」

「何よ、その事情って?」

「さあ。可能性を考えるとそうかもしれないと思うくらいなんですけど……」

「何よそれ……あなたの頭って一体全体どういう構造になってるのかしら」

「いやぁ、ごく普通ですよ」


 文句を言いつつも、アンリに口から次々に紡ぎ出される可能性の話はジョゼにはいちいちもっともらしく聞こえてしまう。

 ばらばらの情報を集めてここまでの話を組み立てられるアンリの能力にジョゼは内心では舌を巻いていた。


「それでどうしてセラン領に行くっていう話になるんですかね、アンリ殿下」


 ヒュベルトが話の続きを促すと、アンリは一息ついてから指折り数え始める。

 

 忽然と消えた鳳凰帝クローヴィス。

 鳳凰帝とつながりのありそうなジョゼの母、ナディーヌ。

 娘のジョゼは、不老の魔術師という謎の人物に狙われている。

 母はバルディアの元聖女で、父は狼の妖魔だということ以外はわからない……。


「陛下とナディーヌおばさん、それに『不老の魔術師』には一般には知られていない、なんらかの関係があったんじゃないかと思うんです。それに、もしかしたらジョゼのお父上とも」

「…………」

「今現在、陛下の行方は依然わからないままです。こちらは兄皇子殿下たちが捜索にあたれるよう手配しましたが、俺は嫌われているので現場のほうは手出しできません」


 無感情に見えるアンリだが、その横でヒュベルトは苦虫を嚙み潰したような顔になる。


「なので、俺の方ではナディーヌおばさんの方面から調査をしたいんです。陛下の失踪に直接関係している可能性は少なそうですが。それでも『不老の魔術師』が水面下で暗躍しているのは間違いないと思うんですよね」

「それでセラン領なのね。でもママのことをうまく探れるかしら? 辺境伯の城に直接行くわけじゃないわよね」

「城にもいずれ行きたいですが、まずは街で聞き込みですかね。この報告書の裏取りからやってみましょう。城で長年働いてて辞めた女官とか、ナディーヌおばさんを直接知っている方なんかをまずは探しましょう。何せまだまだわからないことだらけですから、セラン領にはこの謎を解く欠片でもあるといいなと。幸いなことにこちらにはあなたがいますからね」

「……それってどういう意味?」

「もしかしたらセラン辺境伯が赤子のあなたを始末しようとしたことや、ナディーヌおばさんを追い出したことを悔やまれているかもしれないじゃないですか。その姿で目の前に現れたらどれほど驚くでしょうね」

「あなたったら底抜けの能天気ね! そんなのありえないわよ」


 ジョゼは目を剥いたが、アンリは平然としている。


「そうですかね? セラン領はガロフにほど近い。領民たちは狼の妖魔に対してさほど忌避感を持っていないのでは? 辺境伯がナディーヌおばさんを拒絶した後で、後悔したって可能性もあると思うんですけど」


 そうだった。

 ガロフでは狼の妖魔というのは畏敬の対象だという話だった。

 地図を見ると、セラン領はガロフに国境を接している。


「ありえないわよ……」


 ジョゼは力なく呟いた。


 そんな人間いるわけがない。 

 ありえない期待などしないよう、ジョゼは気を引き締めるかのようにひとつ身震いをしたのだった。

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