第25話 溢れる力
「アンリ殿下、ジョゼちゃん……さっきから何をいちゃいちゃしてるんですか」
「いちゃいちゃなんかしてないわよ! ただこの人がからんでくるの」
「それは誤解です。俺はジョゼを守ろうとしているんですから」
なぜか胸を張るアンリである。
世界の守護者である天翔族の皇子が半妖の娘にここまで心を奪われたとあってはしめしがつかないと、ヒュベルトは心中で溜息を吐いた。
「おふざけもいいですが、さきほどジョゼちゃんの母上を調査した報告書が上がってきました。よければ読み上げましょうか?」
「見せて!」
ヒュベルトが差し出してきた数枚の紙を、ジョゼはほとんどひったくっていた。
大陸共通語で書かれたそれに目を走らせると、しばし呆然となる。
「え……これ、本当に?」
「俺にも読ませてください」
アンリがジョゼの手からひょいと報告書を取り上げる。
内容を確認するうちに、眼鏡の奥の金色の瞳が一瞬濃くなったようだった。
「へぇ……。この報告書によると、ナディーヌおばさんのご出身はバルディア北部のセラン領。ジョゼのお祖父様にあたる方はセラン領を代々治める辺境伯爵家の御血筋……。つまり、おばさんは辺境伯のご令嬢だったということになりますね。お祖父様はジョゼの存在をご存知なんでしょうかね?」
「バルディアに生家があるのに迷いの森に棲んでたっていうことは……わたしの存在を知らせなかったのか、知らせたけど拒絶されたかのどっちかしかないわよね」
「……ここに、続きが」
ヒュベルトが別の書簡を差し出してくる。
どことなく気まずそうな様子から、あまり楽しい内容ではないのだろうと予想がついた。
ジョゼは書簡を受け取り、静かに目を通した。
「……その昔バルディアに妖魔が溢れ、ナディーヌ嬢は聖女として妖魔討伐に赴いた。ナディーヌ嬢は戦乱に巻き込まれて、そのまま行方知れずに。亡くなったものと思われていたが、十七年前突然セランに赤子を連れて現れた。噂によるとその赤子は妖魔との間にできた半妖。父であるセラン辺境伯リシャード卿はこの事態に激高し、赤子を始末しようとしたと言われる……。ナディーヌ嬢はその後失踪」
「……ジョゼ」
「大丈夫」
心配そうなアンリの視線を受け、ジョゼは苦笑する。
「半妖の子が生まれたらだいたいそうなるから。ママに何があったかわからないけど……。おそらく生家を頼ってみたけれど、やっぱり赤子を始末しようって話になったんでしょうね。ママはわたしを守ろうとして逃げたんだわ」
「貴族の世界のことですからね。醜聞を嫌ったのかもしれませんが……。そうだジョゼ、あなたのお父上はどんな方なんですか?」
「それが、全然知らないのよ。ママは多くを語らなかったし。でも、その……無理やりそういう行為をしてわたしが生まれたわけじゃないはずよ」
アンリとヒュベルトは顔を見合わせた。
ジョゼの言わんとすることを理解したのだろう。
半妖が出生するのにはしばしば妖魔が人間を無理やり手籠めにするという原因があるのだが、その場合には生まれてすぐに殺されてしまったり、運よく生き延びたとしてもまともな生活が保障されなかったりするのが常だからだ。
けれど、ジョゼの場合は違う。
ナディーヌが下町でほかの子供たちと変わりなくジョゼを育てたのも、半妖とばれてからは人里離れた場所で隠すように守ってきたのも、どうやって手に入れたのかはわからないが、多数の書籍をジョゼに与えて高い教育を施したのも、愛があってこそのことだ。
「ええ、俺から見てもおばさんはあなたを大切に慈しんでいた。あなたが優しいのはきっとおばさん譲りなんでしょうね」
「わたしは別に優しくないわよ。でも、そうね。ママは……優しかったわよね」
アンリは口の中だけでひっそりと笑った。
何か言ったらすぐにジョゼがむくれてしまいそうに思えたからだ。
その様子を不審そうに見ていたジョゼだが、ふと何かを思いついたように言う。
「ここのところ、変化の術が本当にかかりづらかったの。人間の姿になる時間も短くなったし、すぐに解けてしまったし。でも、アンリの使い魔になったら急にうまくかかるようになったのよね。天翔族の力と何か関係があるのかしら?」
「うん? どうでしょう? あ、もしかして……」
アンリは眼鏡を押し上げると、手を胸の前で組んだ。
押し寄せるような力がアンリから湧き上がる。
「人間の魔術師が使う呪力と、天翔族の力って本来相容れないんですよ。俺、子供の頃に母に仕込まれたんで普通に術を使えるんですけど。合いの子だと呪力もうまく流れないわ、かといって天翔族の力も出せないわで本来は大変らしいですね。人間の血が入るとよくないっていう純血主義はそこから来るんでしょう」
「それがなんなの?」
「まあつまり、俺が二つの力を組み合わせるのに長けているので、ジョゼにもその能力が伝播したんじゃないかと」
しれっとそんなことを言う。
「わたしの力って、妖力と……」
「人間の魔術師が使う呪力と、さらに聖女の力と、もしかしたらアンリ殿下の力まで流れていっているかもね」
指折り数えるヒュベルトにアンリも同調する。
「そしたらすごいですよ、ジョゼ。妖魔の力と人間の力と聖女の力と天翔族の力のすべてを手にしているってことになりますから」
そんな半妖いないですよーと、アンリの声はあくまでも能天気だ。
「聖女の力って、あの破邪の光よね……」
「ええ。あれだけなら天翔族よりずっと強力でしょうね。あとは癒やしの力なんかが有名ですけど……。使えます?」
ジョゼは首を振った。
聖女の力の代名詞となっているのは癒やしの力のほうだが、その力はジョゼにはない。
妖魔としてだけでなく、聖女としてもやはり半端さが残る。
「戦乱の世であれば重宝されたでしょうが、今は妖魔も少なくなってきていますからね。むしろそのほうがよかったのかもしれません。聖女としての力が強ければ人間に望まれるかもしれませんが、その分利用されないとも限りません」
「……人間に破邪や癒やしの力をもたらして貢献したとしても、どっちみち半妖じゃあ受け入れてもらえないわよ。わたしは……やっぱり妖魔よ」
アンリが力を放出し続けているからか、ジョゼの胸の鎖から底知れぬ力が注ぎ込んでくるのを感じる。
(わたしには聖女って器はないわね。人間に奉仕したい気持ちがこれっぽっちもないもの……。それより、变化の術を使えるようになって平穏に暮らしたいかも)
力が溢れる。
勢いに任せて、ジョゼは胸の前で手を組み、妖力を放った。
「……変化しろ……!」
えっ、とアンリとヒュベルトが声がかける暇もなかった。
次の瞬間、ジョゼの輪郭がぐにゃりと歪み、それからゆっくり元通りになっていく。
ただ獣の耳を隠すだけとはわけが違う。
正真正銘の上級の变化の術だった。
(できた……!? ママみたいな、上級の術が……。妖力がきちんと扱えるだけじゃなく、威力も増している……?)
ゆらゆらとした身体の線が収束し、やがて一人の人間の形になる。
艶やかでしっとりとした妙齢の女性の姿だ。
さきほどより、背が少しだけ高い。
身体全体の印象も、ずっと肉感的である。
亜麻色の髪は豊満な栗色、水色の瞳は濃紺に変わっていた。
さらに服装まで変化している。
ゆったりとした東方風の衣装だったのが、バルディアでよく見るようなロングのワンピースになっていた。
胸の辺りは革のビスチェで締め上げ、腰から下はふわりと広がるスカートで快活な印象である。
「ジョゼ……!? その姿は!?」
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