第23話 夢魔の正体
「ちょっと待ってください。夢魔とは?」
「ママが亡くなってから、よく夢に現れるようになったベルメロっていう奴よ。一体どこに行っちゃったのかしら……。何よ、その顔? どうしたの?」
凍りついたようになるアンリを訝しんでいると、突如として両肩をつかまれる。
「まさかとは思いますが、夢の中で、その……いかがわしいことなんてされてないでしょうね!?」
「はぁ!? されてないわよ!」
「本当に?」
「されてないったら! ……まあ、なんとなく顔はいやらしい感じだけど」
アンリの金の瞳が底光りする。
夢魔といえば若い女性や、ときに男性の夢に現れては淫らな行為をしようとするので知られる。
ジョゼが淫魔に拐かされるなど到底許せることではない。
「よし、そいつをただちに討伐しましょう!」
「なんでそうなるの!? そんなに悪そうな奴じゃないってば!」
なぜ自分がベルメロを庇わなければいけないのか釈然としないものの、すぐにでも妖魔討伐の指示を出しかねないアンリをなんとかなだめる。
「それに、なんとなく妖魔っぽくないのよね。ベルメロからは全然妖気も感じないし。夢だからかなのかなぁって思ってたけど、さっきの黒い触手にはものすごい邪気を感じたわ」
思えば、ベルメロはいつも自分は夢魔ではないと否定していた。
ジョゼのほうが勝手に妖魔に違いないと決めつけていたのだ。
だがアンリは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
「そいつはどんな外見なんですか?」
一般的には夢魔には角が生えているとされているが、人間の姿を借りて現れることもあるため一概には言えない。
ジョゼはベルメロの容姿を「目つきが悪くて、いつも人を食ったような表情のおじさん」と端的に述べた。
「ベルメロは……ママが亡くなってから、たまに夢に現れては助言をくれたりしたわ。いつも違う風景で現れるの。最近まで南の海みたいなところだったんだけど、さっきは北の山に変わってたわ」
「南の……海?」
「ええ。そういえば、天翔族が迷いの森に討伐隊を派遣するっていう話が出たときには助けを送ってくれるって言ってた。てっきり仲間の妖魔でも来るかと思ったのに、結局誰も来ないんだもの。拍子抜けしちゃっ……た……」
アンリがあまりにも驚いた顔をしたので、最後の方は思わず声が小さくなってしまった。
「今……なんて?」
「だから、助けを送ってくれるって言われたの。でも妖魔は来なくて、来たのは……」
ジョゼの視線がアンリに注がれる。
「————俺ですか?」
妙な雰囲気に居心地の悪さを感じつつもジョゼが首を縦に振ると、アンリはなんとも言えない顔になった。
「ベルメロという名はその夢魔……じゃない、夢の人物が名乗ったんですか?」
「ううん。わたしが勝手にそう呼んでるの」
ガロフ語で「赤色」の意である。
アンリはがしがしと頭を掻いた。
ファビオに言って、もっと真面目にガロフ語を練習しないといけないと本気で考える。
「あなたと直接やり取りをしている可能性になんで気がつかなかったんでしょう……?」
「……アンリ?」
「ジョゼ、もうひとつ訊きますけど、その人物は、目つきが悪くて、いつも人を食ったような表情で、かと思うとすごく情に厚くてなおかつ燃えるような赤髪で黄金色の瞳をしていませんか?」
「……なんで!?」
呆気に取られたジョゼの表情から、その質問の答えは明らかだった。
アンリは目まぐるしく何かを考える表情になり、やがてはーっと大きな溜息を落とした。
「俺、今までジョゼに黙っていたことがあるんです。これを見てください」
アンリは懐から鳳凰帝からの走り書きを取り出した。
密書扱いだったため、常に身に着けていたのだ。
手紙を渡されたジョゼはその内容に目を通してあ然とした。
「『不老の魔術師 迷いの森 半妖 守れ』って……何これ?」
「鳳凰帝陛下からの手紙です。『不老の魔術師』を探しに森に行ったのはこのためです。あなたへの助けっていうのも、つまり俺のことですね」
「アンリは最初からわたしを助けるために森に来たってこと?」
「いやぁ、これだけの指示じゃあさすがによくわからなかったんですけどね。とりあえず不老の魔術師を追おうとして森に入ったら本気で迷ってしまって。そしたら偶然……」
「半妖のわたしに会ったってわけ?」
「はい。半妖という時点でまさかとは思ってましたけど……」
アンリはすまなそうに頷いた。
「黙っていてすみません」
「黙ってること多すぎ! まあ、あなたが来たから助かったのは確かだけど……。でも、ベルメロって鳳凰帝とつながってるってこと?」
なんだか力のありそうな夢魔だと思っていたが、まさか鳳凰帝に直接掛け合うことができるなんて信じられない。
だがアンリは首を振った。
「じゃあなんでよ……。あ、でも変よね。実際には迷いの森に天翔族の討伐隊が来るっていうのはデマだったんだから、鳳凰帝ならそれを知ってたはずじゃないの?」
「ええ、陛下は天翔族の討伐隊からあなたを守ろうとしたわけじゃありません。あなたを取り巻く不穏な気配を感じ取って俺にこれを命じたんでしょう。野生動物のごとく勘が鋭い方ですから」
一人ですべてわかってしまったようなアンリの様子に、ジョゼは思わず焦れる。
「ねえ、どういうこと?」
「わかりませんか? あなたが夢で会っていたベルメロという人物こそ、鳳凰帝クローヴィス陛下その人なんですよ」
ジョゼは絶句した。
一瞬思考が止まり、そして大量の疑問と困惑が湧き出してくる。
思わず叫んでいた。
「————はあっ!? ほ、鳳凰帝って夢魔なのっ……!?」
「違います……。違うと思いたいです。もし父上がジョゼに淫らなことをしていたら、俺はどうしていいかわかりませんよ……」
苦虫を嚙み潰したような表情で頭を抱えるアンリにジョゼははっとした。
そうか。
ベルメロが鳳凰帝ということは、彼はアンリの実の父なのだ。
ジョゼはアンリをじっと見つめた。
ベルメロの赤髪はアンリに受け継がれなかったようだが、少し甘く垂れた瞳の形と、その金の輝きはしっかりと継承している。
それに、アンリの心根の優しさと世話焼き好きは、考えれば考えるほどベルメロと共通している。
「なんですか? 俺は父上と似てないですよ。瞳だって天翔族なら皆金色ですし……」
「ううん。気がつかなかったけど……似てるかもしれないわ、あなたたち」
「ええっ? そうですかねぇ? 俺ってあんなに傍若無人じゃないでしょう」
心底意外そうにするアンリだが、ジョゼは真剣だった。
もちろん、「優しいところが似ている」などとは決して口に出せなかったが。
「本当に変なことされてないでしょうね!?」
「もー、しつこい! されてないったら!」
一通り押し問答を繰り返して、やっとアンリは納得したように大きく息を吐いた。
「はぁ、それにしても……あなたも妖魔と天翔族の違いくらいはわかるように鍛えないといけないですね」
「う……なんか変だなぁとは思ってたんだけど……。でもこう言ったらなんだけど、あの人天翔族の長には到底見えないわよ」
あまりにもポンコツであるのは自覚しつつも、ついそう反論してしまうジョゼだった。
窓から射し込む光が、いつの間にか夕暮れの色に染まってきていた。
随分冷えてきたので、アンリはジョゼを抱き上げて長椅子に移動する。
「ねぇ、もういい加減離してくれても……」
「だから、駄目です」
「なんで!?」
ジョゼはまたもやアンリの膝の上に座らされていた。
当たり前のように希望を却下されることに抗議の声を上げるが、アンリは憎らしいほどに平然としている。
「あなたは『不老の魔術師』に狙われてるんですよ? 危なくて離せません」
「もう夢から覚めたじゃないの」
「でも次はどんな手で来るかわかりませんから、万全を期しておきませんと。あなたはすぐ無茶しそうですし」
「…………」
何を言っても最終的にはアンリに言いくるめられてしまう。
だんだん面倒になり、もういいかという気分になる。
だが、アンリに身体が触れているとなんだか変な気持ちになってくる。
胸の奥が熱いような、どことなくムズムズするような不思議な感覚だ。
それを誤魔化すようにジョゼは首を小さく振った。
「どうしました?」
「なんでもないわよ! えっと、ベルメロ……じゃない、鳳凰帝はいつ浮遊島に戻ってくるの?」
「それが……目下行方不明中なんです」
「えぇ?」
アンリの説明で、鳳凰帝が外征の帰還中に転移陣でどこかに飛ばされてしまったことを知ったジョゼは形の良い小さな顎に手を添えた。
「あの夢の風景のところに飛ばされたのかしら? 北の地みたいだったけど」
「ありえますね。どんなところだったか詳しく聞かせてください。該当しそうな場所を片っ端から捜索させます。それにこれまで夢の風景のことも。陛下の過去の外征先と照らし合わせてみましょう…………」
てきぱきと今後の方針を決めていくアンリだったが、その声が急に尻すぼみになる。
「アンリ……? えっ、寝てる」
アンリはジョゼを抱えたままの格好で眠りに落ちていた。
ジョゼは知らなかったが、鳳凰帝の捜索隊の編成やらなんやらでこの十日ほど無理のしっぱなしだったのである。
ここへ来て流石に限界が来たのだ。
ジョゼが眼鏡を外してやると、きらめくような純白の髪がさらりと落ちて秀麗な顔にかかる。
よく見ると、眼の下にはくっきりと隈ができていた。
「無茶してるのはどっちかしらね」
アンリが寝てしまうと、静けさが部屋に舞い降りる。
しかし困った。
アンリはジョゼをがっちりと抱きしめたまま石のように動かないのだ。
先ほどまではそれが落ち着かなかったのだが、今は触れられているところがぽかぽかと暖かく、なんだか段々自分まで眠くなってくる。
環境が突然変わったからなのか、ジョゼも夜は熟睡できない日々が続いていた。
疲れてついうとうととしてしまったところに、あの悪夢を見たのである。
眠ったらまたあの夢に引きずり込まれるのではないかという一抹の不安が胸に湧き上がるが、アンリのぬくもりがぴんと張った心を芯から温めていく。
睡魔がやってくる。
(ええい、もう! 寝てやるからね!)
ジョゼはアンリの膝の上で猫のように丸くなると、迫りくる眠気の波に身をゆだねた。
しばらくののち。
二人の様子を見に来たメイメイは扉をそっと開けて思わず呟いた。
「アラ〜、仲のよろしいことデ」
そこにいたのは、長椅子に完全に横になったアンリと、彼に寄り添って眠るジョゼ。
「ウーン、起こしづらいですよネ〜。しばらくこのままにしておきましょうカ」
こんなところで寝てしまったら風邪を引くかもしれないと思いつつも、すぐには声をかけずにそっとしておこうと、そそくさと退出するメイメイは侍女の鏡なのだった。
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