第20話 第四皇子来訪

「おじいさん、名前はなんていうの? わたしはジョゼ」

「これは失礼した。そうさな、ミーシャじいとでも呼んでくだされ」

「じゃあミーシャおじいさん。これからしばらくここに来てもいい? 多分今日だけじゃ終わらないから」

「ほ、ほ。もちろん大歓迎ですじゃ。しかしお礼も差し上げられませんが」

「いらないわよ、そんなの。こっちだって暇つぶしなんだから、お互い様ってことで」


 暇つぶしとは決していえない労働量となるのは明らかなのに、ジョゼはわざとそんなふうに言った。


 上等の上着は邪魔になるので脱いでしまう。

 早速作業に取りかかろうとしたとき、天翔族の一団が近くを飛んでいくのが目に入った。

 仰々しい一団で、皆白銀の騎士服に身を包んでいる。

 しかも、ジョゼたちに気がついたのか、こちらに向かって飛んでくるではないか。

 

(何? なんだか……嫌な予感!)


 畑に降り立ったのは錆色の髪をした若い男に、金髪の若い女。

 二人とも輝くような金色の瞳をしており、身に着けている衣装もとにかく派手だ。

 装飾がふんだんに施された騎士服を揺らしながら、男が口を開いた。


「おい、アンリの奴が連れてきた半妖の娘ってのはそこの女か?」

「……誰?」 

「だ、第四皇子のドリューゲルト殿下にゾフィー皇女殿下ですヨ!」


 メイメイが不安そうな声をあげた。

 ジョゼも思わず眼を見開いたが、二人の顔に尊大さを見て取るとすぐに表情を消す。


「アンリのお兄さんとお姉さんってわけ?」


 ドリューゲルトは侮蔑の表情を隠そうともしなかった。

 

「俺たちをアンリなどと一緒にするな。あいつは純血ではない。半分は下賤な人間の女の血が流れているのだからな」

「そうですわ。私たちの母君は天翔族の高貴な血筋。それに比べたらアンリはどこの馬の骨とも知れぬ人間の女の腹から産まれた卑しい者ではありませんか」


 予想を超える激しい嘲りに、ジョゼは顔色を失った。

 こんな人たちがアンリの兄や姉などとはとても信じられない。

 

「……そのアンリは天宮で真面目に働いてるわよ。こんなところで油を売ってる暇があるってことは、あんたたちにはできる仕事がよっぽどないのね」

「そんなことはない。命令はきちんとしてきているから問題ない」


 後ろに控えている騎士たちの表情が、心なしか冴えない。

 ドリューゲルトはそれに気づく様子はなく、ジョゼの全身に舐めるような視線を這わせた。


「ほう、ほほぉう。お前、見た目はなかなかじゃないか? 半妖の娘は抱いたことがないな。酒の席での話の種になるやもしれん。お前夜伽はできるのか? 今夜寝所に侍る栄誉を与えてやろう」

「あらあら、お止めになって、ドリューお兄様。このような下賤な娘を相手にするなどと。お兄様の品位に傷がついてしまいますわ」


 ゾフィーと呼ばれた皇女がドリューゲルトを諌めるような素振りを見せる。

 その実、ジョゼを貶めているのだが。

 ゾフィーはきらびやかな上衣に泥がつくのを気にしているのか畑を見回すと嫌そうな表情を浮かべ、さらに泥だらけのジョゼを害虫を見るような目で睨んだ。


 だがそのジョゼはというと、腐ったナメクジを見るような目つきでドリューゲルトとゾフィーをシッシッと追い払おうとしているではないか。


「気色悪っ。夜伽なんかするわけないでしょ!?」

「なんだと? 天翔族の皇子が可愛がってやろうというのに不遜な奴! こっちに来い!」


 ドリューゲルトがジョゼを捕まえようと手を広げた。

 そこに割って入ったのは、管理人のミーシャ老人だ。


「お待ちくだされ、ドリューゲルト殿下。それはあまりに無体ではありませんか」

「なんだこのじじいは! そこを退け!」

「おじいちゃん、危ない!」


 ドリューゲルトが老人を勢いよく突き飛ばした。

 ジョゼが慌ててその身体を後ろから支える。


「お年寄りになんて真似するの! 弱い者に手をあげるなんて、この恥知らず! あんたの寝所になんて死んでも侍ったりしない。アンリのほうがあんたなんかよりずっといい男よ!」 

「なんだと、この女郎! これでもくらえ!」

「っ!」


 ジョゼに手ひどく断られ、かっとしたドリューゲルトが手をあげ、破魔の陣を展開した。

 半妖のジョゼが天翔族の術にかけられたりしたら、下手したら消滅してしまう。

 メイメイは悲鳴をあげ、ファビオは老人をとっさに背に庇った。


「——何っ!?」


 だが、予想に反してジョゼは無事だった。

 破魔の陣は勢いを失い、光が消える。


「精魂込めて耕した畑を荒らすんじゃないわよ、この馬鹿皇子!」


 ジョゼはドリューゲルトにつかつかと近寄った。

 ドリューゲルトのほうはまさか反撃されるとは思っていなかったのだろう。

 不意をつかれ、あっさりと懐まで侵入を許してしまう。


「えい!」


 バリッと盛大な音が響いた。

 ジョゼが鋭い爪でドリューゲルトの顔を思いっきり引っ掻いたのだ。

 ついでに隣にいたゾフィーにも足をかけて転ばせておいた。


「うわあああ! いっ、痛い! くっ、近衛軍、この娘を殺せ! はっ、早くしろぉ!」

「いやぁ、服に泥がついたわ! あ、足も痛い! ヒュベルト、こっちに来てぇ! 抱っこじゃないと動けないわぁ!」


 醜態を晒す皇子たちを遠巻きに見ていた騎士たちの中から、ヒュベルトが頭を掻きながら出てくる。


「あー、えー、ドリューゲルト殿下にゾフィー皇女殿下? そろそろ天宮に戻りませんか?」 


 ヒュベルトはさり気なくジョゼに目配せをした。

 表立ってジョゼをかばうことができないのだろうが、すまないと思っているのが伝わってくる。

 ヒュベルトはそのまま視線を一巡させ——その眼がミーシャ老人のところで止まる。


「ミっ……!」

「おい、ヒュベルト! さっさとこの半妖の娘を斬れ!」


 ヒュベルトはわざとらしく咳き込んだ。

 顔をあげたときには、気のせいか晴れ晴れとした表情になっている。

 言葉遣いを改めてドリューゲルトに進言する。


「ドリューゲルト殿下、大変遺憾ながらそれはできかねます。この娘はアンリ殿下の大切なご友人。それに『不老の魔術師』と対峙した際には聖女の力を発揮したとか。ここは短慮なさらず、ご静観なされよ」

「なんだと! お前は俺に歯向かうというのか!?」

「滅相もない。ただ、ご存知の通り今天宮は混乱の極みにあります。ドリューゲルト殿下におかれましてはこのようなところで時間を費やすのではなく、早々に宮殿にお帰りいただき、より大きな武勲の機会を待たれるべきかと」


 混乱の極み、という言葉がジョゼは気になった。

 訊いてみたかったが、そこに鼻に抜けるような声が響く。


「何をぐずぐすなさってるのぉ、ヒュベルト? 早くわたくしを助け起こしてくださらなぁい?」

 

 ゾフィーが地べたに座り込んだまま、ヒュベルトに向かって両手を広げていた。

 毒気を抜かれたドリューゲルトは不承不承の体で地面に唾を吐く。

 

「はいはい、抱っこですね。抱っこしてあげるからもう行きましょう。今天宮は本当に忙しいんですから。ほら、お召し物も汚れましたし、帰りますよ」

「えぇ〜、仕方ありませんわね、ヒュベルトがそう言うなら……

 ヒュベルトは甘ったるい声を出すゾフィーを抱き起こすと、そのまま翼を広げた。


「えー、では、お騒がせしました。ドリューゲルト殿下、参りましょう」  

「……うむ」


 ドリューゲルトが翼を広げると、それを合図に騎士たちも無言のまま飛翔していく。


 土足で荒らされた薬草園を見回し、ジョゼは大きくため息を吐いた。


「あの人たち、結局何しにきたのかしら?」


 メイメイは安堵のあまり涙ぐみ、ファビオも胸を撫で下ろしている。

 ミーシャ老人だけは一団が去った方角をしばらく眺めていた。

 金色の瞳が一瞬だけ強い光を帯びたのだが、それに気がついた者はいなかった。

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