第19話 今度は薬草園にて

 翌日、ジョゼは薬草園にやって来た。

 

 所々露に濡れた枝葉が光を反射している。

 この辺りだけ、夜半過ぎに少し雨が降ったらしい。


 浮遊島というのは不思議なもので、害をなすほどの暴風雨であれば弾いてしまうが、木々の実りになりそうな慈雨であればそのまま島に降り注ぐのだそうだ。

 

 薬草園には比較的新しい小屋があり、室内では花や苗木などが育成されていた。

 薬の調合台や器具なども置かれており、中に入ると独特の香りが鼻をついた。


『料理に使う香草類はそっちだ』


 きれいに棚に並べられている香草類を順繰りに指し示しながら、ファビオがガロフ語で説明してくれる。

 

『純粋に薬用ってなると俺はよくわからんなぁ』

『大丈夫。薬草、だったら、ちょっと詳しい』

 

 メイメイは入り口で薬草園の管理人らしき老人と言葉を交わしていたが、やがてきょろきょろしながら中に入ってくる。

 

 今日はアンリの姿はない。

 昨日屋敷に戻るとヒュベルトからの言付けがさっそく届いており、それを読むとアンリはすぐにまた出かけて行ってしまったのだ。


「お寂しそうですネ〜、ジョゼ」

「なんのこと?」


 すまして返答するが、言動とは裏腹にどことなく元気がないのがばれているのだろう。

 メイメイは苦笑した。


「お仕事だから仕方ありまセン。今浮遊島で宰相権限を持つのはアンリ様だけですカラ」

「わたしは別に構わないわよ」


 鳳凰帝と兄皇子たちが向かっている南方での妖魔討伐の作戦も大詰めで、その連絡調整などで忙しいのではないかという。

 

 メイメイとファビオが薬草園に用事があるのというのでくっついて来たはいいが、メイメイはてきぱきと掃除を始めるし、ファビオは真剣な表情で料理用の香草選びをしている。


 ジョゼはごく一般的な感覚も持ち合わせているので、皆が目の前で働いているのに自分だけぼうっとしているということに居心地の悪さを感じた。


「……あの! 手伝うわ、メイメイ」

「何言ってるんですカー、いいんですヨ」

「ほかにやることもないし。ねぇ、わたしも浮遊島で働けるかしら?」

「アンリ様が許さない気もしますケド……。あ、けどジョゼは薬草に詳しくて、読み書きもできるんですよネ? それならたくさんお仕事あるかもしれまセン」 

「仕事ってどんな?」

「まだ新しい試みらしくってよく知らないんですケド、アンリ様が進めてて……えっと、貿易とか……」

「つまり商売ってこと?」

「そうそう、そうデス! 浮遊島にしか育たない特別な薬草を売ったり、ある国のものを持ってきてほかの国で売ったりとかって聞きましタ」

「ふーん。浮遊島の転移陣を使えば容易よね。各国の主要都市と繋がってるわけだから。荷だって天翔族の武人が守れば妖魔に襲われることもないし。規模が大きくなれば交易を安全に独占できるかも。そうしたら妖魔討伐するより割がいいかもしれないわよ」


 メイメイは目を見張った。

 自分の拙い説明だけで、あっという間にこうもスラスラと理解するジョゼに驚嘆する。


「ジョゼ、アンリ様みたいな喋り方デス!」

「え。やめてよ」


 途端に嫌そうにするジョゼである。

 使い魔とは術者に似てくるものなのだろうか。

 それではまるで犬が飼い主に似ると言われるようなものだ。


 そういう意味で言ったわけではなかったのだが、顔をしかめるジョゼを見てメイメイはくすくすと笑った。

 

「素直じゃないですネー、ジョゼは。まあ、お仕事したいならアンリ様に言ってくだサイ。でもほどほどにしてくださいヨ! 天宮から離れて別に住んでいる意味がなくなってしまいますカラ」


 そういえばほかの皇子や皇女たちは宮殿に住まうというのに、アンリは別に住んでいる。

 なんでも以前は天宮に暮らしていたらしいのだが、兄皇子や姉皇女たちが昼夜を問わず用事を言いつけてくるので、ほぼ不眠不休で生活をしていたのだとか。


「それって虐めってこと?」


 メイメイは神妙な顔で頷いた。


「見かねた鳳凰帝陛下が屋敷を別に用意してくれまシタ。皆アンリ様が陛下の不興を買って天宮を追い出されたと思ってるみたいですガ、それは逆デス! 天宮にいた頃は意地悪皇子たちや性悪皇女たちのせいで倒れるまで仕事してたんですヨ。なまじ仕事ができるとどんどん押しつけられてしまっテ……。宮殿を出てからはやっと休めるようになりましタ。貿易の仕事にも時間とれマス」

「そっか。アンリも大変だったのね……」


 どうやら浮遊島でのアンリの立ち位置というのはなかなかに複雑なものがあるようだ。

 半天翔族というのも関係があるのだろうが、不遇なだけではなく彼の能力に対する妬みのようなものも受けているらしい。

 メイメイはこれまでアンリをそばで支えていて、本当の兄のように慕っているらしいことがジョゼにも伝わってきた。


「メイメイはアンリが大好きなのね」

「それはそうデス! あ、でも誤解しないでくださいネ! そっちの意味じゃないですカラ」

「そっちって?」

「だから、恋愛的な意味じゃないってことデス。アンリ様に恋してた女性たちは皆残念でしたネ~。まさかここまでジョゼにご執心されるとはビックリですヨ!」

「え……」


 ぽかんとするジョゼを茶化すようにメイメイは口に両手を当てた。

 出かける前に、アンリからジョゼが寂しい思いをしないように十分目をかけてやってくれとわざわざ指示されていたことをばらしてしまいたい衝動に駆られているのを抑えるためだ。

 もちろんメイメイもジョゼを気に入っていたから、一緒に過ごせることを嬉しく思っていたのだが、やはり過保護である感は否めない。


 だがジョゼは感銘を受けた様子を見せずに片眉を上げただけだ。


「アンリがわたしに親切なのは幼馴染だからでしょ。それに使い魔にしちゃった義務感かしら」


 いやいや、それだけじゃ普通はあんなにベタベタしないでショ!? とツッコミを入れたくなったが、すんでのところで我慢するメイメイ。

 どうやらジョゼは手をつなぐのも子供の頃の名残りだと思い込んでいる節があるのだ。

 

「だいたいアンリはもてるって聞いたわよ」 

「そりゃもてますヨ〜。お金と権力がありますモン」

「身も蓋もない言い方ね……。それって皇子だからってこと?」

「決まってるじゃないですカ! 皆皇子の婚約者という地位が欲しいだけデス。心の中では半天翔族って蔑んでいるんですヨ~。天翔族って人間との間にできた子供は劣っているって信じてるらしくテ」

「そう……」


 ジョゼの顔が自然と険しくなる。


 世界の守護者である天翔族も妖魔に負けず劣らず純血主義のようで、それはジョゼにとって意外ではなかったが、若干の失望を覚えてしまう。

 鳳凰帝とアンリの母は「盛り上がった」ということだから、少なくとも自由恋愛だったのだろうが……。


 ふと、ジョゼは会ったことのない自らの父を思った。

 

(ママは何も言ってなかったけど……。でも無理やり孕まされたわけじゃない……)

 

 ジョゼは異種族間の恋愛について否定的というわけでもない。

 それどころか、父と母の間にはどんな形であれ愛があったのだろうと信じてもいた。

 

 半妖が生まれる理由は、ほとんどの場合妖魔による誘惑や強姦によるものだ。

 人型になれる高位の妖魔が人間の女に懸想して近づいたり、単に欲情して無理やり手籠めにしたりすることで子ができる。

 半妖の数が少なく珍しいのは、その呪われた出生のために生まれながらに憎まれ、産み落とされた直後に殺されてしまうことが多いからだ。


 ジョゼの母は、亡くなるまでジョゼを心から慈しんでくれた。

 半妖の忌み子と思っていたなら生まれてすぐに殺されていたはずだし、そのそもこれらの話を教えてくれたのも母なのだ。


(ママが生きていたら今頃はこんな話もできていたのかしら……)


 思考が遠くまで飛んでいきそうになったとき、薬草園の管理人が声をかけてきた。


「もし、そこのお嬢さん。薬草に詳しいと今さっき小耳に挟みましたが……」


 麦わら帽子をかぶった白髪頭の老人はジョゼに人好きのする笑みを向けた。

 天翔族らしく耳が少し尖っており、瞳も金色だ。

 

「少しね。森で薬草を育てて売ってたから」

「ほうほう。どんな種類のものを?」

「えっと……」


 ジョゼはいくつかの薬草の名を口にした。

 老人の茶色の瞳が興味深そうな光を帯びる。


「それはそれは、素晴らしいですな。どうですか、ひとつこの爺にご助言をくださらんか。管理人をしているとはいえ、まだまだわからんことばかりでな。実は屋外にある薬草の育ちが悪うて困ってるんですじゃ」


「もちろんいいわよ」

『じゃあ、皆で行ってみようぜ』

「ファビオさん! 私もいるんですヨ! 共通語でお願いしマス!」

「う……。わかった……」


 ガロフ語で話し始めたファビオにすかさずメイメイが文句をつける。

 彼なりに努力をしているようで、初めて話したときから比べると喋り方は大分ましになっている。


 老人の後をついて、皆で屋外の薬草畑の中に入った。

 畑の一画にまばらにしか草が生えていない場所があり、老人はそこで足を止めた。


「ここですじゃ。水も肥料も適度、虫もついていないのにどうにも苗が大きくならんのです」

「見てみるわね」

 

 ジョゼはぱっとその場にしゃがみ込んだ。 


「アー、お召し物ガ……ってもう遅いですネ」


 土を触ったり葉っぱをちぎって香りを調べたりするうち、あっという間に裾が泥だらけになった。

 上等の布地の無惨な姿にメイメイが顔を覆ったが、ジョゼは気に留めない。

 隣や奥の畑までもさっさと見て回る。


「おじいさん、わかったわよ。二つ向こうの畑に育ててるキーロの根っこがこっちまで伸びてる。土の下はキーロの根がびっしりよ」

「だが隣の畑はなんともないですが……」

「隣の畑はアンバラでしょ。根が短い品種だからまだ影響が出てないだけ。こっちのクロピアは特に混植に向かないの。植え替えしないと駄目ね。早いほうがいいから今からやりましょ」

「……なんと。よいのですかな?」


 あっという間に原因を究明してしまったジョゼに老人が称賛の視線を送る。


「俺たちも……手伝う……」

「ハイ!」


 ファビオとメイメイも腕まくりした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る