第18話 果樹園にやってきました(2)
「それを命じたのは皇女たちですね?」
「ええ。陛下がいらっしゃらないし、兄皇子殿下たちもご不在の今、我儘放題でして。ジョゼちゃんに興味津々みたいでしたから、連れて来いって絶対言われるでしょうね」
「……見世物になるのは嫌よ」
警戒する様子のジョゼに、ヒュベルトは手を広げた。
「さてね。あの方たちから逃れるのは難しいよ。あの手この手で絡め取ってくるから」
「そんなものには俺が関わらせませんよ。そうだ、ヒュベルト。第一皇子の騎士たちが宮殿に戻っているかもしれません。何かあったのかもしれないので、事情を聞いたらすぐに俺に報告してください」
先ほど目撃した帰還兵らしき一団について話すと、ヒュベルトの表情が軍人のそれに変わる。
「えぇ? そりゃ奇妙ですな。わかりました、そちらを優先します」
皇女たちの良いように使われるのを断れる大義名分を手に入れたヒュベルトは意気揚々となる。
だが、ジョゼに対して粉をかけていくのは忘れなかった。
「じゃあまたね、ジョゼちゃん。近々もし発情することがあったら俺を呼んでくれよ」
そう言うと、ヒュベルトの背から白く輝く翼が出現した。
ドゥラスの実を入れた袋を担ぐと、飛び立つ前にジョゼに投げキッスを送る。
「ヒュベルト……」
「おー怖。では俺はこれで失礼します」
剣呑な気を放つアンリに形だけの敬礼を寄こすと、ヒュベルトはさっさと飛び立って行ってしまった。
しばらくその背中を見送っていたジョゼは、隣に立つアンリが熱心に自分に視線を向けてくるのに気がつく。
「……何?」
「……いえ……ヒュベルトのことを気に入ったんですか?」
「別に? 面白い人だとは思ったけど。あなたと仲良いみたいね」
「ええ。彼とは俺が浮遊島に来たときからの仲です。けど……」
アンリは眼鏡を直すと、真剣な表情でジョゼの両肩を掴んだ。
「駄目ですからね? 彼と、その……つがいになったら」
「なっ、何言ってるのよ! あなたにそんなこと言われる筋合いないでしょ?」
「あります! 一時的とはいえ、あなたは俺の使い魔になったんですよ。使い魔と術者っていうのは血を介して深く繋がっているんです。あなたがそんな行為をヒュベルトとしたら俺にまで丸わかりになるかもしれませんよ」
「えええ? 覗き見なんてやめてよ!」
「俺だって好きでそうするわけじゃありません! とにかく勝手に、その、『そう』ならないようにお願いしますよ」
アンリの言い分に憮然となるジョゼである。
「勝手なこと言わないでよ! あなたにそんなことまで管理されたくないわ。だいたい、いつそうなるかわからないんだから。あ、でも……」
「どうしました?」
「今思い出したんだけど、わたしの……その時期は遅いかもってママが言ってたわ。わたしの妖気がきちんと回ってないからとかなんとか……」
すべてにおいて半人前のジョゼの場合、発情期も遅いということだろうか。
もう十七歳である。
人間の娘だって十七ともなれば嫁入りだって考える時期なのに、自分は発情どころか恋すら経験したことがない。
「妖気ですか? そういえば、变化の術は使えますか?」
「え……」
天翔族の使い魔になったら、もしや術が使えなくなるなんていうことはあるのだろうか。
「やってみるわ」
胸の前で手を組み集中する。
獣の耳が消え、代わりに人間の耳が出現する。
尻尾も消え、いつもだったらここで身体から力がどっと抜けるのだが、なぜかまったく脱力感を感じない。
「すごく楽にできた……! どうしてかしら?」
「俺の血があなたの中に入ったからかな。何か調整の役割があったのかもしれません」
「そうなの? この間まで、術の効き目がすごく悪かったの。術を使うとすごくだるくなって、術自体もすぐに解けちゃってたし……きゃうっ!」
不思議そうに耳を触るジョゼの背後に静かにアンリが回り、出し抜けに後ろからジョゼを抱きしめた。
「ちょ、何して……!」
ばたばたと暴れるがアンリの腕の力は強く、一向に抜け出すことができない。
仕方なく振り向くと、金の瞳が優しげな眼差しをこちらに向けていた。
いつも柔和なアンリだけれど、今はもっと静かで温かい。
しかも、どことなく切なそうに見えるのは気のせいだろうか。
早鐘のように打つ心臓に気づかれないように、知らず知らずのうちに早口になる。
「離してよ……アンリ」
「離しません」
どくん。
まただ。
先ほどと同じく、胸の鎖が熱くなって疼く。
金色の瞳から目が離せなくなりそうな自分に気がつき、ジョゼは無理やり明後日の方向を向いた。
アンリはふっと笑ってジョゼを解放した。
「冗談ですよ。あなたを驚かせただけです。それで变化の術が解けてしまうかどうか」
ジョゼの頬はかっと熱くなった。
からかわれただけとわかり、悔しさで反射的に涙が滲みそうになる。
「何それっ……人を半人前扱いして……! もう、嫌い!」
「えええぇっ、す、すみません。悪ふざけが過ぎました……」
「馬鹿!」
青い顔になるアンリをよそに、すっかりむくれるジョゼである。
だがその実、彼がいつもの残念な調子に戻ったのでほっとしていた。
大きく息を吐いて胸に手を当てる。
「もういいわよ。さっさとドゥラスの実を採りましょう。そのまま食べても美味しいだろうけど、ファビオに言って何かデザートでも作ってもらいましょうよ」
「あ……はい! いいですね」
屈託のない明るい返事に、使い魔の機嫌を必死で取りなそうとする術者というのはアンリくらいのものかもしれないとジョゼは呆れ顔になる。
しかも天翔族の皇子だというのにちっとも威張ったところがなく、逆に腰が低すぎるくらいだ。
「どうしたんですか、ジョゼ? ほら、この木なんてすごいですよ! たくさん食べごろの実がなってます」
「……そうね。まずは甘いものでも食べて、それからね」
「何がですか?」
「……いいの」
浮遊島に来てからというもの目にするものすべてが物珍しい。
幻想的な風景に囲まれて圧倒されっぱなしだ。
気を引き締めてかからなければ、とジョゼは気合を入れ直した。
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