第17話 果樹園にやってきました(1)

 種々の木が整然と並んだ果樹園にジョゼとアンリはやって来た。


 管理人に断って入れてもらうと、人の背の高さの木のそこかしこに赤い果実がたわわに実っているのが目に入る。

 歓喜の叫びがジョゼの口をついて出た。


「すごい……! ドゥラスの実がこんなにあるところ初めて見たわ!」

「地上ではあまり育たないんですかねぇ?」

「そうかも。市場にもほとんど出回らないし、たまに物々交換で手に入るくらいなのよね……あら?」


 一人の男がドゥラスの実を手にそこにいた。

 反対側の手には袋を持っており、ひょいひょいと採った実を入れている。


 だがどう見ても農夫のようではない。

 東方風の青い衣を身に着けていて、武人らしく剣を帯びている。


 天翔族の証である、尖った耳に金の瞳。

 くすんだ金の髪は短く刈り込んであり、浅黒い肌は精悍な顔つきを際立たせていた。

 男はジョゼとアンリに気がつくと会釈をして近づいてきた。


「これはこれは、アンリ皇子殿下ではありませんか」

「あなたでしたか、ヒュベルト」


 近衛軍所属の武人だいうヒュベルトは、アンリよりもさらに背が高い。

 身体の大きな二人に両隣を囲まれるのは嫌だったので、ジョゼはさっと身を翻してアンリの側に寄った。


 ヒュベルトと呼ばれた男はそんなジョゼに笑って声をかけてくる。


「警戒しなくてもいいよ。アンリ殿下が幼馴染の半妖の娘を連れてきたという噂は宮殿まで流れてきていたからね。それも大事そうに抱きかかえて浮遊島に戻ったかと思ったら登城もせずに二人で屋敷にこもりきりってね。君がそうなんだろ?」

「相変わらず天宮の情報は早いですねぇ。でも誤解を招く言い方やめてもらえます? 宮殿には後ほど行くつもりでした」


 揶揄するようなヒュベルトの物言いにアンリがすかさず反論する。

 けれどその顔は笑っていた。

 どうやら二人は気心の知れた仲らしく、打ち解けた雰囲気である。


「これが兄皇子殿下たちであれば女官たちが嫉妬に狂って手がつけられなかったでしょうがね。朴念仁のアンリ殿下が女性を連れてきたって皆当惑気味でしたよ。それにしても、随分別嬪さんじゃないですか。殿下もなかなか隅に置けないですねぇ」

「彼女はそういうのではないですよ」

「へえ。アンリ殿下のお手つきでないのなら欲しがる男が出てくるかもしれませんね」


 そう言うと、花のようなジョゼの姿を上から下までじっくり観察するヒュベルトである。

 不躾な視線に毛を逆立てかけたジョゼだったが、アンリがわたわたと前に出て、すかさず背中に庇ってくれる。


 それを見てヒュベルトは「なーんだ、やっぱり」とでも言いたげな顔になる。

 

「……アンリがわたしを連れてきたのがそんなに問題?」


 アンリの陰から問うジョゼに、ヒュベルトは「そりゃあね」と返してくる。


「半妖だから?」

「まあね。婚約者がまだいらっしゃらないのはアンリ殿下だけだし。幼馴染ってのはまだしも、半妖って……まさかそっちに行くかーってね。女っ気がなかったから油断してたって悔しがってる姫や女官もいるかもなぁ」


 ジョゼは目をぱちくりさせて、アンリの顔を振り仰ぐ。


「あなたって女性にもてるの?」

「いやぁ、俺は兄たちに比べたら全然……」


 ぶんぶんと首を横に振るアンリだったが、ヒュベルトはそれを否定するように一歩前に出る。


「アンリ殿下といえば、ミハイル宰相閣下に唯一後継と認められた天才。殿下が軍に加わってから天翔族の妖魔討伐の成功率は格段に上がり、反対に兵士の負傷率は下がりました。なによりミハイル宰相閣下が外交に専念できるようになったことで、各国との守護条約が強化された。おかげで武人たちの懐に入る守護料もずっと高額になった……。だから天翔族の武人で、ミハイル宰相閣下とアンリ殿下を敬わない者はいません」


 俺を含めてね、と最後に片目を瞑ってみせるヒュベルトの言葉に、ジョゼは素直に感心していた。

 軍でのアンリの功績については知らなかったけれど、ヒュベルトの話にはどこか頷けるものがあったからだ。


 柔和な雰囲気とおっちょこちょいな挙動に隠れているけれど、アンリの本性は聡明な鷹だ。

 常に礼儀正しく穏やかでも、内には強靭な強さを秘めている。


「ミハイルっていうのが宰相なのね」

「ええ。最近は身体のお加減がよくなくて静養なされてるんですけど……」

「俺たち武人は皆声を揃えて言ってますよ。アンリ殿下が次代の鳳凰帝になってくれたらいいのにって。兄皇子殿下たちは腕っぷしは強いけど、頭の方は空っぽで妖魔討伐の作戦もいつも力任せで突撃するだけ……」

「ヒュベルト、それ以上はいけません」


 不敬罪一歩手前まで来ているところでアンリが手を上げてヒュベルトを制する。


「いや失礼。今のは冗談ですよ。まあとにかく、殿下も将来を嘱望された身ですから、当然、それを見込んでいる賢い女性たちにはもてるでしょう。それをぽっと出の半妖の娘に横からかっ攫われたとなれば、騒動が起きるかもしれませんよ」

「だから、わたしとこの人はそんな関係じゃないわよ。だいたい……」


 アンリの顔をちらりと振り仰ぐと、穏やかな光を浮かべた金色の瞳が、眼鏡の奥からこちらをじっと見下ろしていた。  

 言葉を濁すジョゼをヒュベルトが揶揄してくる。


「殿下とは身分が違うって?」

「……それ以前の問題よ」

「種族が違う?」

「それよりも前」

「じゃあ何が問題なんですか、ジョゼ?」


 ヒュベルトを押しのけて今度はアンリまで口を出す。

 しかもやや前のめりである。


「え……だから、まだ……——前だからよ」

「前って、何が前なんですか!?」

  

 若干引き気味になっているジョゼに押し迫るように、とうとうアンリがその手を取った。 

 それをにやにやと面白そうに観察するヒュベルトである。


 ジョゼはやや気まずそうにしながらも、小声でぽつりと言った。


「だから、まだ来てないの。発情期が」

「え?」

「は?」


 アンリとヒュベルトの目が同時に点になる。

 

「はつじょ……って、ジョゼ! 女の子がそんな言葉口にしちゃいけません!」

「あなたがしつこく聞いたんじゃないの!」

 

 さすがに顔を赤くするジョゼである。


「妖魔なんだから仕方ないでしょ? そういうものなの!」


 呆気にとられて眼鏡がずり落ちそうになっているアンリの横でヒュベルトが懸命に吹き出すのを堪えている。


「とにかくそういうことだから。わたしはまだ誰ともつがいになる準備ができてないの。それに相手なんてどうでもいいわよ。その時期がきたら妖魔だろうが人間だろうが、目の前にいる種馬と適当に……」

  

 爆弾発言にアンリが激しく咳き込んだ。


「種う……って、ジョゼ!」

「へえ。半妖ってそうなんだ。じゃあもし今発情期が来たら、俺でもいいわけかい?」

「うーん、そうねぇ……」 

「駄目です!!」

 

 ヒュベルトが馴れ馴れしくジョゼの肩に手を乗せるとアンリが勢いよくそれを振り払う。

 煽られているのはわかっていても黙っていることはできない。


「ヒュベルト、あなたもう行ってください。ジョゼは俺と使い魔契約を交わしてるんです。手を出したりしたら来季の妖魔討伐で前線送りにしますよ」

「使い魔ぁ? 殿下ってばなんちゅー術を使ってるんですか! それじゃ手込めにし放題……むぐぐっ!」


 素っ頓狂な声を上げたヒュベルトだったが、血相を変えたアンリに途中で口を塞がれる。

 完璧に弄られているのを自覚しつつも、ジョゼの目の前でそんなことを言われたら大変に気まずい。


「はー、殿下のお気持ちはよーくわかりましたよ。それじゃあ俺は天宮に戻ります。ドゥラスの実を今すぐ採ってこいって命令されてたのをもう少しで忘れるところでしたよ」

 

 ヒュベルトの所属する近衛軍とは、鳳凰帝の私兵のような存在だ。

 武人の中でも特に優秀な者を選りすぐって結成されている精鋭部隊で、ヒュベルトはその中核を担っているという。

 彼らの主な任務は鳳凰帝を守ること。

 そのため大半は外征について行ってしまっているのだが、もうひとつの大切な職務に天宮と皇女たちの警護がある。


 ヒュベルトを使いっぱしりにできる者といえば——。

 アンリはこめかみを押さえた。 

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