第15話 第五皇子って

「そうだ、アンリ! あなた皇子なんですって? だったら隠してないでそう言いなさいよ。びっくりしたじゃないの。……あ、いい香り」


 ジョゼはアンリが皇子だなんて聞いていなかった。

 文句を言いたかったのに、ファビオがタイミングよく食後のお茶を目の前に置いたのでその香りの良さについ気を取られてしまう。


 アンリは困ったように眉を下げた。


「幼馴染が天翔族っていうだけでも驚きなのに、皇子だなんて言っても到底信じてもらえないだろうと思って……。隠しててすみません」

「別に謝らなくてもいいけど……」


 でも。

 下町で泥んこになって一緒に遊んだアンリが皇子様だなんて、やっぱり信じられない。

 それに相変わらず彼は丁寧な物腰を崩さないのだ。

 皇子ともなれば、偉そうな態度になりそうなものなのに。

 

「なんで皇子なのに一人で迷いの森なんかに来たわけ?」


 皇子ともなればお付きの者もつけずに単独行動などできないのではないか。

 ジョゼの疑問は当然だったが、アンリの顔に冷笑めいたものがうっすらと浮かぶ。


「俺には護衛はいません。兄や姉たちにはたくさんいますが……」

「そうなの?」

「俺は鳳凰帝陛下と人間の母——ハスミンとの間に生まれました。ここでは人間と交わって生まれた者は帝位を継ぐ立場だとは認められない。俺は陛下の息子ではあるけれど、正式には皇子とは言えないんです」


 だからいつも単独行動なのだとアンリは説明した。

 

 天翔族の帝位などというものにはひとかけらの興味もないジョゼである。

 ただ天翔族も異種族との交わりに拒否反応を示すのかという感想を抱いたのみだった。


「ふぅん、天翔族も純血主義ってわけ。で……そもそも皇子って何するの?」

「天翔族の仕事は妖魔討伐ですから、兄皇子殿下たちは皆騎士です。でも俺は宰相補佐をしています。鳳凰帝陛下には別の宰相閣下がいますが、外交のために浮遊島を不在にしていることが多いんです。俺は逆にここに残って内政とか軍事作戦の計画立案なんかを手伝ってます」

「武人のはしくれって言ってなかった?」


 アンリの剣の腕を知っているジョゼはどうにも腑に落ちない顔になった。

 あの技量は一流の剣士のものだった。


「一応は軍の所属ですから。ただ兄たちとは実力が違いすぎて、俺では外征についていけないんです」


 気にした風もなくさらりとそんなことを口にする。

 ほかの皇子たちは妖魔討伐のため、浮遊島を留守にすることがかなり多いらしい。


「ほかの皇子たちは妖魔退治、あなただけここに居残りってこと?」

「まあ、そうです。正確には鳳凰帝と第一皇子が妖魔退治の前線担当。第二皇子が後衛。第三皇子が補給部隊などの後方支援で外征してます。浮遊島に残ってるのは近衛軍を指揮する第四皇子と皇女たち……と、俺ですね」

「皇女たちはどこにいるの?」

「宮殿にいますよ。実際に見てもらったほうがいいかもしれません。ジョゼ、ちょっと外へ出ませんか」


 ジョゼは頷いた。

 天翔族も浮遊島も、ジョゼにとっては未知の世界なのだ。

 きちんと説明してもらって損はないはずだった。


 屋敷の外へ出ると、緑の草原の中に美しい泉がいくつも見えた。

 それらはまるで鏡のように空と雲を映している。 


 遠くの方は雲に覆われていて見えなかったが、そちらの方角に宮殿があるらしい。

 清涼な小川が屋敷の側を流れていて、その水はやがて島が途切れるところまで続いているので地上に向けて水がはたはたと流れ落ちていた。 


 眼前に広がる、緑と水と風の織りなす光景に圧倒されてしまう。


 そして光。

 強い日差しが肌に当たる。

 太陽が近いのだ。


 ただ意外なことに、風があるのに寒さをまったく感じない。  

 地上の山よりずっと高い位置にあり、雲が目の前を通り過ぎていくというのにどういうことなのだろう。


「さっきファビオが浮遊島では土も水も空気も特別だって言ってたのを覚えてますか? ここの周囲には術が張り巡らされていて、中の温度は一定に保たれています。一年中、果物なんかがよく実りますよ。地上と比べると規模は小さいですけどね」

「地上とはどうやって行き来しているの?」

「転移陣です。地上の主要な都市と繋がっています」

「飛んでいくわけじゃないのね」

「体力のある者はそうすることもあります。俺は飛ぶの苦手なんで無理ですけど」


 予想はしていたことだが、天翔族の魔術の水準の高さは人間の魔術師の比ではないようだ。


「バルディアの東方の空……なのよね、ここって」

「正確にはバルディアと東方諸国の間ですかね。荒涼として住む者のほとんどない、砂漠の上空です」


 浮遊島の大きさはバルディアやガロフなどの国土と比べるとほんのわずかなものだ。

 だが、宮殿や居住区を擁し、狭いながらも農地や果樹園も備えているという。

 砂漠の上というが、西方の国々と東方諸国のど真ん中の空に浮かぶ浮遊島は、文字通り世界の中心の空に位置している。


「使い魔の魔術を知っているのはどうして?」

「母が生きていた頃に俺に色々と教えてくれました。使い魔契約の術は人間の魔術師しか使えないわけじゃない。ただ、天翔族ではあまり使う人がいないんですよね。思うに、ほとんどの天翔族の武人は妖魔より強いので使い魔を使役することにさほど魅力を感じないんでしょう。血を交換するので術が失敗すると術者も危険ですし」


 確かに、人間のように体力的に脆弱な存在が魔力に物を言わせて強い妖魔を従えるならば旨味があるが、元々妖魔を易々と倒してしまうほど武力に優れた天翔族であれば使い魔など無用だろう。


 それにしても……とジョゼはアンリを見た。

 ナディーヌとハスミン、互いの母は二人とも腕のいい魔術師だったわけだ。

 半妖のジョゼは魔術の才能にまったく恵まれなかったのに、半天翔族というのは魔術と相性がいいのか、アンリは優れた力を発揮したというのには羨ましさを感じた。


「ハスミンおばさんはすごかったのね」

「もともと砂漠の民だったらしいです。なんでも、もっと若い頃に魔術の腕試しをしたいと武者修行の旅に出たところで偶然陛下と出逢って……その……『一夜限りの恋』をしたとか」


 ジョゼの目が点になる。


「鳳凰帝って……女好きなの?」

「いえ! 陛下は好色家ではないですよ! ただこう、好いと思ったら一直線な方のようではあります。母も直情的なところがあったので、二人で盛り上がったんでしょう」

「そ、そうなんだ……」

「母は赤ん坊ができたことも陛下には話さなかったんですよ。堅苦しいのが大嫌いな人だったから、陛下の身分を知ってさっさと逃げ出したらしいです」


 鳳凰帝には多くの妃も、それぞれの子もいる。

 関係を続けるのは普通の人間には苦痛だっただろうというのは容易に予想ができた。


「それから下町に住んでいたんですが、流行り病に冒されてしまって……。その頃になってようやく陛下が俺たちの居場所を見つけたんです。陛下が母を一緒に看取ってくれて、それから俺を浮遊島に連れて来たんです」

「そうだったのね……」


 懐かしむような口調のアンリに、ジョゼはかすかな切なさを覚えた。

 亡くなった相手を語るときにはその人の温もりまで一緒に思い出す。

 優しかったジョゼの母も、豪快だったアンリの母も、生きていたときの温かさがふわりと感じられるような気がしてしまう。


 ふと、ファビオの言っていたことを思い出して疑問が胸に湧く。

 なぜ母は、都を出るときにガロフに行かなかったのだろう。


 狼の妖魔が畏敬の対象なのだというガロフ。

 バルディアでなく、ガロフにいれば隠れて暮らさなくてもよかったのでは……?


「あれ……アンリ?」

 

 つらつらと母のことを考えていたらいつの間にか雲の中を歩いていたようだ。

 霧のように白い幕が目の前に降りていて、すぐそばを歩いていたはずのアンリの姿がない。

 方向感覚がつかめず、完全に自分の位置を見失ってしまっていた。

 不意にこのまま歩いて行ったら島から落ちてしまうのではないかという不安に囚われて足が竦む。


「……えっ!?」


 胸が熱い。

 見ると、使い魔の契約の証である鎖の模様の痣が輝きを放っている。


 すると不思議なことが起こった。

 胸がどくんと疼き、なにかがこちらに向かって来ているのがわかる。


 暖かくて安心するのに、妙に心惹かれるなにかだ。

 それがアンリだと気がつくとジョゼは動揺した。


(な、なんで? あっ……使い魔になったから? 術者の場所がわかるんだわ)


「ジョゼ!」


 雲をかき分けてアンリが現れる。

 白い霧に紛れて行方のわからなくなった自分を血相変えて探したのだろう。

 アンリの心配そうな顔を見た途端、もう一度ジョゼの胸が大きくどくんと鳴った。

 

「よかった、すぐに見つかって。使い魔の術って割と便利なんですね。ジョゼの場所がすぐにわかる……あれ、どうしました?」

「なんでもない! あんまり近くに来ないでよ」


 霧があってよかった。 

 これではまるで飼い主に会えた犬猫ではないか。

 なんとなく今の自分の顔を見られたくないジョゼである。


「ええー、なんですかそれ? 駄目ですよ、迷子になってしまう」

「子供じゃないんだから大丈夫よ……って、なに手繋いでるのよ? 離してってば!」

 

 プイッとそっぽを向いたジョゼだったが、するりとアンリの手が伸び、その指を絡め取る。


「この辺りは低木があってやみくもに歩くと危ないんです。雲が晴れたらすぐ離してあげますから、今だけ我慢してください。それとも、あなたを抱き上げて飛ぶのとどちらがいいですか?」

「うっ、それなら手でいい……」


 アンリに抱かれて飛ぶのはもう何度も経験しているが、身体が密着するので気恥ずかしいのだ。

 それに、気まずい思いをしているのは自分だけのようで、アンリはいつも平然としているのも面白くない。

 

 アンリがその大きな手でジョゼの白く細い手をしっかりと包むのを感じながら、二人はしばし無言で歩いた。

 

 やがて雲が動いた。

 霧が晴れ、隙間から太陽が射し込む。


「……あっ!」


 ジョゼは思わず声をあげた。

 前方に宮殿が見えていたからだ。

 青い空と白い雲を背景に、赤い外壁の宮殿が鮮烈な色を放ちながらそびえ立っていた。

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