第14話 はじめてのお箸
ジョゼとメイメイが連れ立って戻ってくると、扉の前に一人の男が佇んでいた。
蓋のついた大きな銀の盆を抱えている。
「ファビオさん!」
メイメイが近づきながら声をかけると、男がこちらを振り向いた。
東方風のシェフコートらしい、前でぴたりと閉じる白い服を着ている。
「…………!」
そばに寄ったジョゼは息を飲んだ。
大きい。
アンリも背が高いが、それより頭ひとつ分は優に超えている。
年は二十代後半くらいか。
短い髪を刈り上げた、武人のようにいかめしい顔つきの岩のような大男だ。
じろりと睨まれて、思わず縮こまりそうになってしまう。
だが、さぞかし大声で話すのかと思いきや、意外にもファビオと呼ばれた男は蚊の鳴くような小声の持ち主だった。
しかも滑舌も悪く、やたらとボソボソ話すので何を言っているかほとんど聞き取れない。
「や…………って……の……」
メイメイは困ったように首を振った。
「もう、ファビオさんたらもっとはっきり話してくだサイ! 何言ってるかわかりまセンってー。ジョゼ、この方はファビオさん。最近ガロフから来たばかりのここの料理番デス。強面ですけど料理がすっごく上手なんデスよ! ただ身体は大きいのに声が喋り方がわかりづらい方なんデス」
なんでも、ボソボソ喋りのせいで意思の疎通にも支障があるらしい。
こちらが言うことは伝わるのでなんとかなっているらしいが、ファビオが浮遊島に来てすでに一月経つのにあまり打ち解けていないそうだ。
「食……を……って……ぞ……」
またもや極小の声で何事かを訴えるファビオ。
今度はメイメイも腰に手を当てて、「もっとはっきりお願いしマス!」と叫んでいる。
そこにジョゼが進み出た。
「ありがとう、いただくわ。実を言うとお腹ペコペコだったの」
「…………!」
ファビオは目を見開いた。
メイメイも驚いてジョゼを見る。
「えっ、ジョゼ? ファビオさんの言ってることわかったんデスか?」
「え? 食事を持ってきてやったぞ、って言ったわよね?」
「……た……言っ…………わ……のか……?」
「あんた俺の言ってることわかるのか? よね。だからわかるってば」
「えー! ファビオさんのボソボソ喋りは誰も聞き取れナイのに! ジョゼすごいデス!」
ジョゼは目をしばたかせた。
半妖だから耳がいいだけで、何も驚かれるようなことをしたつもりはない。
わいわいと話していると、不意に扉が開いてアンリが顔を覗かせる。
「何を騒いでるんですか? あ、ジョゼ……」
ジョゼの姿を見るなり、アンリは口をあんぐりと開けてそのまま固まった。
「……何よ」
「……………………ジョゼ?」
「そうだけど?」
先ほどとは一変して可憐な花の如く大変身を遂げたジョゼである。
自分では信じられないくらいの変化だと思ったが、どこか変だったろうか。
先ほど風呂に浸かって服がびしょ濡れになったからか、アンリは深緑の衣に着替えていた。
長い純白の髪は先が少し湿っていて、背の高い彼を下から見上げる。
「………………」
アンリは無言である。
実際はジョゼの麗しさに完璧に言葉を失っているだけなのだが。
そんなアンリの様子をメイメイはハラハラしながら見ていた。
(早く何か言ってくだサイ、アンリ様! 可愛いとか綺麗だねとか! もー、黙ってないで! なんかあるデショ~!)
見ていられないとばかりに両手を顔に当てるメイメイ。
口を開けたまま固まり続けるアンリ。
やっぱり何か変なのかと、居心地悪そうに自分の姿を見下ろすジョゼ。
廊下でしばし時が止まる。
「せっ……作……飯……冷……ま……!」
沈黙を破ったのはファビオだった。
苛々したようにボソボソボソッと何事かを叫ぶ。
わかりにくい叫びをジョゼがすかさず通訳する。
「せっかく作った飯が冷めちまう! って言ってるわよ」
アンリは呪縛が解けたようにはっとして頭を振る。
「あっ、はい! そうですね! 食べましょう食べましょう、うわっととと!」
余程慌てたからか、衣の裾に足を引っ掛けてあわや転びそうになっているアンリにメイメイがジト目を向ける。
目は口ほどに物を言う。
メイメイの瞳には「このヘタレ!」という文字がしっかり浮かんでいるようだった。
アンリに促され卓に着くと、ファビオが銀盆の蓋を開く。
そこには湯気の立つたくさんの皿が幾重にも重なっていた。
料理を手際よく卓に並べながら、ファビオはジョゼに一生懸命話しかけている。
「肉が苦手だってアンリ様から聞いたから、野菜を中心にしたぜ。あとは果物。浮遊島は土も水も空気も特別だからどんな果物でも育つんだが、今は実りの秋だからな。葡萄に桃に梨、変わりどころではドゥラスなんかもある。幸運だったな、半妖の嬢ちゃん……。本当ね! すごいわファビオ。色々考えてくれてありがとう。ドゥラス、大好きなの」
ファビオの言葉を一語一句律儀に繰り返しては、うんうんと頷くジョゼと満足そうなファビオを、アンリとメイメイが驚きの表情で見つめた。
「ファビオ……そんなに喋れたんですね……。俺は雇い主なのに、恥ずかしながら知りませんでした」
「私だって同僚になってもう一月なのに全然知りまセンでしたよ! ファビオさん、私たちにももっと話してくだサイよー!」
ファビオはアンリとメイメイにちらりと視線を向けると頭を掻いて、首を振った。
それからジョゼに何事かを囁く。
「え……? 自分はガロフ人だから、大陸共通語が上手くない。恥ずかしくてつい早口になってしまうんだ……って言ってるわよ。じゃあガロフ語で話せばいいじゃないの。ええと……」
ジョゼは少し考える顔になる。
「『ありがと、ござます、ファビオ。ごはん、皆で食べます? 食べましょう?』 あー駄目ね。外国語って苦手だわ。ファビオの大陸共通語、ボソボソ喋ってるってこと以外は別にどこもおかしくないわよ。わたしのガロフ語よりよっぽど上手いわ」
たどたどしくガロフ語を口にするも、単語が滑らかに出てこない。
もっとも、貴族令嬢でもなんでもないジョゼが少しでもガロフ語を知っているというだけでも驚嘆に値するのだが。
案の定、ファビオは一瞬ぽかんとした後、急いでガロフ語に切り替えてきた。
『ガロフ語ができるのか、嬢ちゃん!?』
『はい。ママ教えた。少し、わかる』
『すげーぜ! この島のお人たちは外国にたくさん遠征に行かれるわりに、言葉は大陸共通語しかお話にならねぇからよ! 俺も聞くのはわかるんだが、話すのはどーもなぁ……つい声が小さくなっちまって。なんにしても嬢ちゃんが来てくれて嬉しいぜ』
『ファビオ、話す、ゆっくり、お願い』
『あぁ、そっか。悪ぃな。さぁ、それより本当に料理が冷めちまう。さっさと召し上がってくんな』
アンリとメイメイは今度こそ驚愕の視線を向けた。
寡黙な料理番と思い込んでいたが、どうやらそれは間違いだったようで、ガロフ語になるとファビオは非常に饒舌だった。
「ジョゼ、すごいデスね!」
「たいしたことしてないってば……。ねぇ、メイメイも食べましょうよ。さっきファビオが教えてくれたわよ。この屋敷では主人も使用人も区別なく大抵同じ食卓で食べてるって」
「この短時間にどれだけの情報を仕入れてるんです?」
アンリが苦笑する。
ファビオが運んできた料理は十分な量があったので、結局メイメイも席に着いた。
バルディア風、東方風、それにガロフ風が混在した多国籍料理にジョゼは舌鼓を打った。
思えば、迷いの森でアンリのお手製のスープを食べてから今まで何も口にしていなかったのだ。
ほうれん草のキッシュや香辛料をピリッと効かせたコロッケ、よく炒めたズッキーニをヨーグルトで和えたサラダ、青菜のニンニク炒めなどが特に美味だった。
肉や魚の皿もあり、そちらはアンリとメイメイが担当している。
ふと見ると、二人は細長い棒を器用に操って食べ物を摘んでいた。
ファビオは一旦退出すると、すぐに細い木を編んで作った容れ物をいくつも持ってきた。
蒸籠というらしい。
縦に重なって柱のようになっていて、一番上のものにだけ円形の蓋がついていた。
開けてみると湯気がふわりと立ち上り、中に小さな白い物体がいくつか並んでいるのが見えた。
『嬢ちゃん、小籠包は食べたことがあるか? 小麦粉を水で練った生地に色々な具を包んで蒸す東方の料理だ。こっちのやつはあんた向けに青菜や茸に濃く味付けをしたものを入れてある。これなら食えそうか?』
『わからない。食べてみる』
ファビオの説明にガロフ語で受け答えしてからカラトリーを手に取った。
けれど思い直したようにアンリに訊ねる。
「その棒でどうやって食べてるの?」
「箸のことですか? こうやって指で持って使うんです。慣れないと難しいから、ジョゼはフォークで……」
「待って! わたしもやってみたい」
そう言うと、置いてあった箸を手に取った。
見様見真似で小籠包を摘もうとする。
だがこれがなかなか難しい。
プルプルと震える箸使いでは、つるっと滑ったり、ポロッと落ちたりする。
アンリたちは悪戦苦闘するジョゼの様子を、拳を握りしめながら見守る。
「くっ……! 東方人ってすごいわ……」
「ジョゼ、ほら。こうやってペンを持つみたいにするんです」
うまくできないでいるとアンリが手を添えてくれる。
「……あっ、摘めたわ!」
「いい調子デス! そのまま、そのままー!」
メイメイが勢い込んで叫ぶ。
ジョゼは素早く小籠包を運び、パクっと口に入れた。
「「『やった!!』」」
三人の喜びの声が重なる。
だが次の瞬間、ジョゼは悶絶した。
モチッとした食感の生地の中から具とともに熱いスープがビュッと飛び出してきたからだ。
「☆※#&$#……!!」
「ジョゼ? あっ、もしかして熱いんですか? 猫舌なんですね!?」
顔を真っ赤にしてこくこくと頷くジョゼに、メイメイが急いで水を持ってくる。
涙目になりながら懸命に水を飲んで、やっとひと息つく。
「ぷはぁっ! はあぁ、熱かった……でも美味しい!」
『大丈夫か、嬢ちゃん?』
「狼なのに猫舌とは……」
必死になって笑いを堪えるアンリを例によって睨みつけるが効果はまったくない。
メイメイも一生懸命明後日の方向を向いて震える肩を誤魔化している。
だが、ファビオは笑わずにいた。
ジョゼの獣の耳を改めて注視する。
『そうか、嬢ちゃんは狼なのか。ガロフにはかつて狼の大妖魔がいたと言われている。狼王って呼ばれた黄金色の狼だ。なんでもその鋭い爪は山をも引き裂き、波打つ毛は太陽のように光り輝いたってな。ガロフでは狼は畏敬の対象だ。たとえ妖魔だったとしてもそれは変わらん』
『そうなの?』
『ああ。妖魔と言っても全世界共通で嫌われているわけじゃない。種類にもよるしな。お前さんはバルディアにいたんだろ? 狼の妖魔なんだったらガロフに住めばよかったのに』
『…………』
「なんの話をしてるんデスかー?」
ガロフ語の会話にメイメイが割って入ると、意外にも答えたのはアンリだった。
「ガロフでは狼は畏敬の対象って話ですよ」
「わぁ、アンリ様もガロフ語わかるんですネ!」
「聞き取るだけならなんとか。ファビオにもっと教えてもらわないといけないですね」
「ガ……語………し……れる……?」
大陸共通語になると途端にボソボソ声になるファビオである。
「ガロフ語を勉強してくれるのか?」と言っていることをジョゼが告げると、アンリは頷いた。
「屋敷の者のことを知っておくのは雇い主の義務ですから。と言っても俺のガロフ語は初めのうちは壊滅的でしょうから、ファビオもよかったら勇気を出してもう少しだけハキハキと話してみてください」
「…………わか……わかった」
先ほどよりほんの少しだけわかりやすくなった声。
かろうじて聞き取れるくらいの声量にアンリが微笑む。
半天翔族のアンリに、イスファネアの穢人のメイメイに、ガロフ人のファビオに、バルディアの迷いの森の半妖の自分。
誰一人として共通事項を持たない謎集団である。
ただ不思議なことに、ここでは誰も自分を蔑まない。
おかしな場所だ。
けれど、想像していたより心地良いかもしれない。
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